第12話 王都の影と『統一回路仮説』
王都アステリアの朝。
「今日は変装してるし、大丈夫よね?」
あたしは金髪をすっぽりと隠すようにキャスケット帽を深く被り、地味な茶色のマントをギュッと引き寄せた。
リトル・セレスティアでの一件――熱狂する難民の人々から向けられた、あの重すぎる『希望』の目。それを思い出すと、今でも胸の奥がチクリと痛む。騒ぎのあと、ゴードンさんからは「帝国の耳に入るかもしれない。しばらくは目立たないようにしろ」とキツく言われていた。
「油断は禁物。でも、ずっと家に籠もるわけにもいかないわ」
隣を歩く奏も、いつもの凛々しい姿を隠すように質素な服を着ているが、その視線は油断なく周囲を観察していた。
「うん……。早く王立図書館に行って、あたしのこの『魔法の暴走』を直すヒントと、賢者の手がかりを探さないと。ゴードンさんに作ってもらった通行証も無駄にしたくないしね」
「そうね。今のままでは、またいつ『ホースの暴発』を起こすか分かったものじゃないわ」
奏の軽い皮肉に、あたしは「うぐっ」と口をつぐむ。
そんな他愛のない会話を交わしながら、賑やかな大通りを抜け、図書館へと続く少し静かな通りへと差し掛かった、その時だった。
「……アイラ、そのまま前を向いて、聞いて」
「うん? どうしたの」
「……つけられている。黒衣の男」
「え?」
「前を向いていて。……そうね、二十歩くらいかしら。一定間隔で離れているわ」
奏に言われて気が付いた。
――視線。
背中に細い氷の針を突き立てられたような、悪寒が走った。
「……どうする?」
「アイラ、あそこの路地を曲がったら走ろう」
あたしたちは歩調を変えず、角を曲がり、駆けだした。
さらに細い路地へ入り、人気が減る。
足音は、消えない。
次の瞬間。
進行方向、正面にも黒い影が二つ、滑り出るように現れた。
「――しまった、挟まれた」
黒衣の男。
顔は覆面。
瞳は、冷たい。
「目標確認。王家の血を確保せよ」
淡々とした声。
あたしの心臓が凍る。
――帝国。
直感だった。
男たちは無駄な動きなく踏み込む。
速い。
奏が立ち上がる。
「退きなさい。この子には指一本触れさせない」
「小娘。――やれ」
男の短い号令と共に、三つの影が同時に動いた。
速い。
奏の銀閃が、先頭の男の刃を弾き飛ばす。しかし、残る二人が左右から奏の死角を突いた。
「くっ……!」
火花が散り、金属のぶつかる鈍い音が響く。奏の剣技は冴え渡っていたが、相手は複数で、連携が完璧だった。一人の男が手をかざすと、その掌から炎が放たれた。魔導兵だ。
「奏っ!」
奏は剣の腹で炎を弾き飛ばしたが、その衝撃で体勢を崩した。
そこへもう一人の凶刃が襲いかかる。
刃が、奏の肩を浅く切り裂いた。
ドクン、と。スローモーションのように、赤い鮮血が宙を舞うのが見えた。
「……っ!」
「奏!!」
あたしの目の前で、あの強くて完璧な奏が、苦痛に顔を歪めて膝をつく。
――嫌だ。
視界が、真っ赤な恐怖で塗り潰されていく。また奏が傷つくなんて。あたしの無力のせいで、彼女が血を流すなんて、絶対に嫌だ!
(お願い……誰か、助けて。――いや、違う。あたしが、退けなきゃ!!)
無意識に、胸元の魔法石を強く握りしめていた。
その瞬間。心臓が跳ね上がり、あたしの内側で『何か』が決壊した。
「――ああぁぁぁッ!!」
制御不能。限界突破。
身体中の血管という血管に、煮えたぎるマグマを無理やり流し込まれたような激痛が走る。
「――っ!?」
路地裏の闇を、黄金色の閃光が昼間のように照らし出した。
それは形を持った魔法ではない。ただの純粋で、暴力的な魔力の奔流だった。強烈な衝撃波が吹き荒れ、石畳を削り、帝国の魔導兵たちをまとめて壁まで吹き飛ばした。
「……出力、想定以上。……規格外」
「ターゲット『白の魔女』。優先度引き上げ」
男たちは立ち上がり、屋根へと跳躍した。
「撤退」
短い言葉。
黒い影たちは、王都の屋根を越え、消えた。
助かった……。そう思ったのも束の間。
「あ、はぁっ、はぁ……っ」
突き出した両手から、いや、全身の血管から、火が出るような激しい痛みが駆け巡った。
まるで、身体の中に無理やり熱湯を流し込まれたみたいだ。
激しい頭痛と吐き気が襲い、視界がぐにゃりと歪む。
魔力が逆流する。
息が、できない。
「アイラ……! しっかりして、アイラ!」
血を流した奏が駆け寄り、あたしを抱きとめてくれた。
その冷たい手の感触を最後に、あたしの意識は深い闇へと沈んでいった。
* * *
「……ん……」
目が覚めると、白い天井が目に入った。
薬品の匂いがたちこもる。
あたしは清潔なベッドの上に寝かされていた。
「気がついたようじゃな」
ベッドの傍らで、分厚い本を片手にパイプを咥えた男が座っていた。
王立研究所のロレンスさんだった。
「ロレンス……さん? ここは?」
「王立研究所の付属病院じゃ。ゴードンから連絡を受けてな。お前さん、ひどい高熱と激痛で運ばれてきたんじゃぞ。……たいへんじゃったのう」
あたしはゆっくりと身を起こした。まだ頭の奥がジンジンと痛む。奏は無事だろうか。
「あの、奏は……」
「隣の部屋で手当てを受けとる。大した傷ではないから安心せい。……それよりアイラ。お前さんの身体の中で何が起きているか、わかっておるか?」
ロレンスさんはパイプを置き、研究者としての鋭い眼差しであたしを見据えた。
「王立図書館で、わしの書いた『魔導原論』を読んだそうじゃな」
「ええ……、たしか――」
あたしは、本に書いてあったことを思い出す。
「魔法は、世界中に満ちているエネルギーを、体に取り込んで、体内で変換して吐き出す行為……でしたっけ」
「感心じゃな。あれは、わしらレガリアが、魔法を科学的に分析してまとめたものじゃ」
ロレンスさんはベッドサイドのボードに、簡単な図を描き始めた。
「お前たち魔導士は、自身の『器』を通してそのエネルギーを変換し、現象として出力しているに過ぎん。魔導士はみな、魔力を溜める『器』と、魔力を通すための『回路』を持っておる」
ロレンスさんは、ボードに描いた丸いタンクと、そこから伸びる管をペンでトントンと叩いた。
「回路……」
「そうじゃ。お前さんは、生まれ持っての『器』が規格外にでかい。だがな、その膨大な魔力を通すための『回路の通り』が絶望的に悪い」
「絶望的……」
あたしは思わず自分の胸に手を当てた。見た目には分からないけれど、あたしの身体の中にはそんなアンバランスな欠陥があるらしい。
「そのうえで、お前さんが首から下げているその青い魔法石じゃ」
ロレンスさんはパイプを咥え直し、ふぅと紫煙を吐き出した。
「魔法石は、人の意図を感じ取り、自然界からの魔力吸収、蓄積、放出を補佐する。いわば、超高出力のポンプ付き増幅装置みたいなもんじゃ」
ロレンスさんの言わんとしていることが、あたしにもだんだんと分かってきた。 規格外にでかいタンクと、超高出力のポンプ。そして、絶望的に通りの悪い管。
「言うなれば、細い水道管に、ダムの放水を無理やり流し込んでいるようなものじゃ。……行き場を失った水圧による、魔力の詰まり。それがお前さんの激しい頭痛と発熱の正体じゃよ。いわゆる『魔力酔い』じゃな」
ズキッ。
言われてみれば、まだ頭の奥で何かが脈打つような痛みが残っている。あたしは白いシーツの上にある自分の両手を見つめた。
あの時、ただ奏を助けたくて無我夢中で力を振り絞った結果が、自分の身体を内側から壊しかけていたなんて。
「……だから、たくさん練習しても、全然うまくならなかったんですね」
「当たり前じゃ。通常、魔導士は幼少期から徐々に回路を拡張していくからのう」
ロレンスさんはパイプの煙をふぅと吐き出し、恐ろしい事実を口にした。
「体系的な訓練もなしに、やみくもに感情任せで出力を上げれば……いずれ回路が焼き切れて、お前さんは死ぬぞ」
「死ぬ……!? どうすればいいんですか……」
「そうじゃな。……一つの方法は他の魔導士と協力して、回路を重ねることじゃ。理論上は可能じゃろう。じゃが……」
「……じゃが?」
「……お前さんと同調できなければ、相手の回路が焼けるじゃろう」
「魔導士の知り合いなんていないし、危険すぎるんですけど!」
恐ろしい言葉に絶望しかけたあたしを見て、ロレンスさんは悪戯っぽくニヤリと笑った。
「安心せい。……もう一つ、お前さんが生き残る方法がある」
「え……?」
あたしは、ゴクリと喉を鳴らした。
「神羅島の話を聞いたことがあるか?」
「あの、東方の海の……武術が盛んな島ですよね」
ロレンスさんは深く頷いた。
「うむ。あの島の連中は強いぞ。他国の貴族に用心棒として雇われることも多い」
「そうだったんですか」
「その連中のベースになっているのが、『気』というものじゃ。細胞が発する生体エネルギーを、『経絡』と呼ばれる道を通して身体中を循環させ、己の肉体を強化する」
『気』。その言葉を聞いて、あたしの脳裏に、木刀を振るう奏の姿が浮かんだ。彼女もたしか、「私みたいな魔力ゼロの人間が戦うには、気を練る技術が必要だ」と言っていた。
「『気』の達人クラスになると、相手の経絡の変化で気の流れを読むことができるようになる。……そして、ここからがポイントじゃ。彼らはな、魔導士の魔法発動前の『兆し』すら予測して動くことができるんじゃ」
「魔法の気配がわかるってことですか?」
「いかにも。彼らは、魔導士の身体を魔力が循環し、回路が拡大するのを感じ取っておるのじゃよ。これがどういうことか、わかるか?」
「ええと……」
あたしは必死に頭を回転させた。気が読める人には、魔力の動きも読める。つまりそれは……。
「もしかして、魔法の『回路』と、気の『経絡』って……」
「その通りじゃ!!」
バンッ! と、ロレンスさんが興奮した様子でベッドの柵を叩いた。
「魔力を循環させる『回路』と、気を循環させる『経絡』は、同じものを言っている! これこそが、わしが提唱する『統一回路仮説』じゃ!」
ロレンスさんは立ち上がり、熱に浮かされたように両手を広げた。
「世の石頭の学者どもは『魔法』と『気』を別物として扱うが、ナンセンスだ! どちらも体内を通るエネルギー。つまり、ハードウェア(身体の回路)は完全に共有されておるのじゃよ!」
興奮気味に語るロレンスさんの言葉に、あたしはハッとした。
点と点が、線で繋がっていく感覚。
「つまり……神羅島へ行って、その『気』のコントロールを学べば、魔法の暴走も治まるってことですか?」
「そういうことじゃ。あそこの連中は、呼吸と精神統一で体内の『滞り(ノイズ)』を除去する術を知っておる。……わしの理論が正しければ、気の修行は、お前さんの魔法制御の最高のトレーニングになるはずじゃ」
* * *
数日後。
退院したあたしと、肩の傷が癒え始めた奏は、ゴードンさんの家のリビングに集まっていた。
「まさか、帝国の刺客が王都内に潜んでいたとはな。……すまなかった」
「いえ、ゴードンさんの責任では――」
「いや、これは俺たちレガリアの落ち度だ。君たちを国家間の争いに巻き込んでしまった。刺客については、俺たちが全力で捜索する」
奏が割り込んだ。
「それでゴードンさん。ロレンスさんが言っていたことって」
あたしの顛末を聞いたゴードンさんが、腕を組みながら大きく頷いた。
「器(精神と体)が、溢れる水(魔力)に耐えきれていないんだ。器を鍛え、水の流れを制御する術が必要、ってことだな」
「……論理的に考えて、ロレンスさんの仮説は理にかなっているわ。『経絡』によって魔法のエネルギーを『導く』ことができるんじゃないかしら」
その言葉に、あたしは目を見開いた。
ただ押し出すのではなく、導く。
「そうかもしれないな」
ゴードンさんは真剣な表情で頷いた。
「俺の理解はこうだ。レガリアの科学は、観測と再現。しかし魔法や『気』はそれができなかった。わかっているのは、魔法が『外の理』であり、気は『内の理』ってことだ。……ロレンスの仮説が正しいなら、神羅島に伝わる気の制御術が、今のアイラには絶対に必要だ」
あたしは、自分の胸元で静かに眠る青い魔法石を握りしめた。
帝国は、あたしを危険人物と見なし、刺客を送り込んできた。このままでは、また奏を、周りの人たちを危険に巻き込んでしまう。
強くなる。
自分の力に振り回される、ただの女子高生のままじゃダメなんだ。




