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アイラの冒険 異世界からの帰還  作者: まさふじ
第2章 科学と魔法、理(ことわり)と器

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第11話 青き紋章を継ぐ少女

「――いっくよー! 『収束しゅうそく』して、氷の盾!」


ゴードン家の裏庭。あたしは『魔導原論』で読んだ知識を総動員し、両手を前に突き出した。


目を閉じ、空気中に漂う微小なエネルギーをかき集める。胸の奥で、カッとした熱が生まれた。それを腕の血管に沿って押し出し、冷たく硬い氷の壁へと変換する――イメージ、だけは完璧だった。


――ボフッ!


「……きゃっ!?」


手のひらから飛び出したのは、輝く氷の盾……などではなく、黒く焦げ臭い煙と、生温かい突風だった。反動で盛大に尻餅をついたあたしの頭上を、庭に干してあったシーツがフラフラと情けなく飛んでいく。


「ゲホッ、ゴホッ……! また失敗……」

「……見事な『暴発』ね。ホースの水圧、絶賛大暴走中ってところかしら」


少し離れた場所で木刀を振るっていた奏が、呆れたようにため息をつく。


王立図書館で理論は学んだものの、いざ実践してみると全くうまくいかない。魔力は放出できても、それを形にする「制御」が絶望的にできていなかった。


「奏の方こそ、どうなの?」

「……論理的に言って、限界を感じるわ」


奏は手元の木刀を見つめ、小さく首を振った。


「いくら剣術の型を練習しても、この世界には魔力で身体強化をする魔獣や騎士がいる。私みたいな『魔力ゼロ』の人間が太刀打ちするには……やっぱり、『気』を練るような専門的な技術が必要よ」

「うーん……やっぱり、独学じゃ限界があるよね」


朝露に濡れた庭の芝生に、あたしたちは揃って大の字に寝転がった。空はどこまでも高く、あたしの心とは裏腹に清々しい。


「……ははは! 朝から派手になってるな、お前たち」


仕事着を羽織ったゴードンさんが、玄関先から笑いかけてきた。


「まあ、そう焦るな。俺はこれから仕事だが、お前たちは王都でも見てくるといい。うまい菓子屋でも見つけて、息抜きしてこい」


そう言って、ゴードンさんは笑って足早に通りへと消えていった。


 * * *


「すごい……。なんだか、東京の表参道みたい」


ゴードンさんの言葉に甘えて街へ繰り出したあたしたちは、王都アステリアのメインストリートを歩いていた。

石畳は綺麗に整備され、通りには馬車が行き交っている。ガラス張りのショーウィンドウには、色鮮やかなドレスや、キラキラと輝く宝石が並べられていた。


「豊かな国ね。アステリアが『光の都』と呼ばれるのも頷けるわ」


奏も、珍しく目を輝かせて街並みを観察している。

平和で、豊かで、活気がある。だけど――。


(……あれ?)


賑やかな大通りの脇に、ぽっかりと口を開けた薄暗い路地裏があった。

その奥深くで、煤けた『奇妙な青い旗』が、風もないのに揺れているのが見えた。なぜだろう。その青色が、ひどく懐かしいものに思えて、あたしは無意識に足を踏み出していた。


「……ねえ、奏。あっちに行ってみない?」

「え? あっちは雰囲気が暗いわよ。治安も良さそうじゃないし、行かない方が……って、ちょっとアイラ!」


奏の制止の声も耳に入らず、あたしは吸い寄せられるように、その薄暗い路地へと向かっていた。


 * * *


一本の古い石橋を渡った途端、空気が明確に変わった。

表通りの華やかさは嘘のように消え失せ、剥がれかけた石畳と、継ぎ接ぎだらけの粗末な家屋が身を寄せ合うように建ち並んでいる。


「ここは……」


街並みは貧しい。けれど、建物の壁や軒先には、色褪せた『青い装飾』や、鳥の『翼の意匠』が、すがるように施されていた。


「通称『リトル・セレスティア』。……十五年前に帝国に国を追われた、難民たちの居住区ね」


追いついてきた奏が、周囲を警戒しながら小声で言った。

かつて栄華を極めた魔法国の民たちが、異国の片隅で、身を寄せ合って暮らす場所。


「ここ……セレスティアの人たちの街なんだ」


胸が、ぎゅっと締め付けられた。あたしたちは、迷路のような細い路地を歩き、小さな市場に出た。並んでいる野菜も果物も、大通りのものと比べると、ひどく小ぶりで傷んでいる。


「お姉ちゃんたち、見ない顔だね。……あの、リンゴ、買ってかない?」


不意に服の裾を引かれ、視線を落とす。そこにいたのは、服の袖がすり切れ、頬を煤で汚した十歳くらいの小さな男の子だった。その後ろの地べたでは、ひどく痩せた老婆が心配そうにこちらを見上げている。


「あ、うん。じゃあ、これを……」


あたしは胸の奥がキュッと締め付けられるのを感じながら、しゃがみ込んで財布を取り出そうとした。


その瞬間だった。服の襟元から、隠していたネックレスが、ポロリと外へこぼれ出た。


「あっ……」


青い魔法石。そこに刻まれた紋章が、薄暗い市場の澱んだ空気の中で、なぜか淡い光を放った。


「あ、この鳥のマーク……」


男の子が、目を丸くして魔法石を指差した。


「おばあちゃんがいつも砂に描いてる、お空の鳥さんと一緒だ!」


その無邪気な声を聞いた瞬間、後ろにいた老婆の顔色が変わった。

コロコロ……と。老婆の震える手から、真っ赤なリンゴが転がり落ちる。喧騒が遠のくような、奇妙な静寂。老婆の窪んだ両目が、限界まで見開かれていた。


「……お嬢ちゃんたち……!」


次の瞬間、老婆は震える手で、あたしの両手をガシッと握りしめた。骨と皮ばかりに見えるのに、振りほどけないほどの尋常ではない力。あたしは思わず息を呑む。


「その紋章……まさか……『太陽と翼』!!」


老婆の叫び声が、静かな市場に響き渡った。

途端に、魔法石がまるで心臓のように強く脈打ち、呼応するように強く青い輝きを放ち始めた。


「おい、今の声……! 紋章だって!?」

「青い光が見えたぞ!」


周囲の建物から、路地裏から、次々と人々が湧き出すように集まってきた。皆、痩せこけて、煤けた服を着たセレスティアの人々だ。


「ああ……。その石の瞬き、凍てついた冬の夜に見た、あの宮廷の灯火のようだ……」

「まさか、王家の生き残りの方が?」


男たちの震える声がそう漏らすと、周囲の空気が一変した。それは単なる好奇心ではない。十五年間、暗い泥の中で眠り続けていた人々の『魂』が、一斉に目を覚ましたような、熱に浮かされた叫びだった。


「あの青い光……間違いない、本物だ!」

「姫様……! 姫様が、生きておられたのか!?」


気が付けば、何十人もの人々が、あたしたちを幾重にも取り囲んでいた。


「姫様がおられるなら、迷うことはない!」

「今こそ! 我々も立ち上がろうぞ!」

「帝国を焼き払え!」


ある者はその場に崩れ落ちるように跪き、ある者はボロボロと涙を流しながら、祈るように両手を組んでいる。


距離が、近い。彼らの熱を帯びた呼気や、煤と汗の匂いが、逃げ場のない波のようにあたしに押し寄せてくる。


「ち、違います! あたしはそんなんじゃないです! ただの……!」


ただの、日本の女子高生。

そう叫ぼうとしたのに、声が喉に張り付いて出てこない。一歩後ずさろうとした足が、ガクガクと震えて動かなかった。


あたしを見上げる、無数の瞳。

彼らの目は、飢えていた。食べ物にじゃない。十五年間、彼らがずっと待ち望んでいた、ただひとつの『希望』に。


(王家って何? みんな、何を期待しているの……? あたしは、ただ家に帰りたいだけなのに……!)


その熱気と重圧に押し潰されそうになった、その時。


「――アイラ、否定しないで」


背後から、奏があたしの肩を強く抱き寄せた。耳元に落ちたのは、氷のように冷たく、けれど確かな意志を持った声。


「えっ……?」

「ここで暴動が起きたら、王都に潜む帝国の耳に入るかもしれないわ。それに……彼らのこの熱狂を、今のあなたが否定すれば、彼らは絶望でどうなるか分からない」


奏の喉が、わずかに鳴った。

奏はあたしの前にスッと出ると、群衆に向かって、凛とした、よく通る声で宣言した。


「静まりなさい……!」


その一喝に、人々のどよめきがピタリと止む。


「この方は、確かに王家ゆかりの者。しかし今は、極秘に動かれている。ここであなたたちが騒げば、この方の身に危険が及ぶと心得よ!」


奏の言葉は、まるで本物の近衛騎士のような威厳に満ちていた。

住民たちはハッと息を呑むと、慌てて口をつぐんだ。そして、誰一人声を上げることなく、その場に深く平伏した。


石畳に額を擦りつける彼らの瞳には、涙と共に、決して消えることのない『希望の灯』が、確かに宿っていた。


 * * *


「……」


帰り道。大通りの喧騒に戻ってきても、あたしは胸元の石を、服の上から強く握りしめたままだった。

手のひらに残る、老婆の震える手の感触。すがるような、あの熱い視線。


「……奏。あたし、嘘をついたことになるよね」


ぽつりとこぼした言葉は、自分でも驚くほど弱々しかった。


「嘘じゃないわ。あなたは『王家の紋章を持つ者』として、彼らの前を歩いただけよ」

「でも……あたしは、お姫様なんかじゃない」


彼らが求めているのは、国を再興してくれる『英雄』だ。

魔法ひとつまともに使えない、ただ元の世界に帰りたいと泣いているだけの、ちっぽけな女子高生じゃない。


重すぎる期待と、本当の自分との乖離。

魔法の副作用とは違う理由で、胸の奥がギリギリと音を立てて痛んだ。


でも……。

みんなの瞳を見たとき、胸の奥が熱くなったのも事実だった。


 * * *


その日の夜――王都アステリア、南区の路地裏。


喧騒から切り離された静寂の中、月の光がぬらりと冷たい石畳を照らし出していた。

闇に同化するようにしゃがみ込んでいる黒衣の男は、手のひらほどの魔導盤を地面に置いた。盤面に刻まれた幾何学的な紋様が、心臓の鼓動のように、淡い青色で明滅を繰り返している。


「……反応、確定」


男の口から漏れた声には、一切の感情がこもっていなかった。

昼間、この区画で観測された高純度の魔力波形。それは、十五年前に根絶やしにしたはずの、忌まわしきセレスティア王家特有の紋章波だった。


『外交問題は避けろ。痕跡を残すな』


耳元の通信結晶から、上官の声が響く。男は瞬き一つせず、夜空に浮かぶ月を見上げた。


「了解。――対象、消去」


黒衣の男の姿は、夜の深い闇の中へと溶けて消えた。

アイラたちを狙う死の足音は、確かな殺意をもって、すぐそこまで迫っていた。



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