表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アイラの冒険 異世界からの帰還  作者: まさふじ
第2章 科学と魔法、理(ことわり)と器

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/18

第10話 特命調査官

「――ここが、ゴードンさんの職場?」


翌日。あたしたちが連れてこられたのは、王立図書館のさらに奥。厳重な警備兵が立つ鉄柵の向こう側――王宮の敷地内だった。


「今日は、ある御仁ごじんに接見してもらう。お前たちが見てきたアズライトについて情報提供してもらいたい。頼んでいたものは持ってきたな?」

「はい。大丈夫です」

「ああ。俺は、表向きは王立研究所の調査官だ。……しかし裏の顔は、危険な任務もこなす陛下直属の『特命調査官』なんだ」


ゴードンさんは、昨日の陽気なおじさんとは別人の顔つきで、低い声で言った。


「いいか、妻には内緒だぞ? あいつは俺がただの学者だと思ってる。余計な心配をかけたくないんでな」

「は、はい……」


長い回廊を抜け、案内されたのは王宮の奥座敷。豪奢な扉の前で、ゴードンさんが立ち止まる。


「……粗相のないようにな」


重厚な扉が開かれる。


部屋の中央、深紅の椅子に座っていたのは、静かな威厳を湛えた初老の男性だった。派手な王冠などなくとも、彼が視線を動かすだけで、空気がわずかに張りつめる。その瞳に射すくめられた瞬間、背筋に冷たい汗が伝った。


「……よく来たな。彼女らが、例の『生還者』か」


その声は低く、静かだった。逆らう、という選択肢そのものを奪う声だった。


「はっ。アズライト山脈を越えてきた二人です」


ゴードンさんが深く頭を下げるのを見て、あたしたちも慌てて膝をついた。


この人が、レガリア王国の国王――。


おもてを上げよ」


王様の鋭い視線が、あたしと奏を射抜く。


「誰もが生きて帰れぬ死の山、アズライト。そこを越えたというのか。……そこで何を見た」


試すような問いかけ。あたしは喉を鳴らし、正直に答えた。


「……魔獣です。それも、ただの動物じゃない。何かに怯え、逃げ惑うような……異様な気配でした」

「ほう。異様、とな」

「はい。それに……」


あたしは言葉を選ぶ。うまく説明できないけれど、肌で感じたあの感覚。


「空気が、歪んでいました。自然のものじゃない、人工的な『嫌な感じ』が、山全体を覆っていて……」


そのとき。

服の下、胸元の青い魔法石が、ほんの一瞬、王の視線と共鳴するように、はっきりと一度だけ脈打った。


(今の……なに?)


王様の目が、わずかに細められる。

彼はあたしの言葉だけでなく、もっと別の何か――あたしの存在そのものを探っているようだった。


「……なるほど。感覚的な証言だが、興味深い」


王様の言葉を引き取るように、隣で控えていた奏が一歩前に出た。


「陛下。論理的な補足をさせていただきます」


奏は懐から、昨日図書館で作成した地図とメモを取り出し、テーブルに広げた。


「山岳地帯における魔獣の分布図です。ゴードンさんから聞いた本来の生息域から、意図的に『南』へ――つまりこのレガリア側へ押し出されている傾向が見られます」

「ふむ」

「そして、ここ。帝国の隠密部隊と思われる痕跡と、その移動ルートの予測です」


奏の指先が、地図上のポイントを的確になぞっていく。王様の表情が、驚きから真剣なものへと変わる。


「さらに、物的証拠がこれです」


あたしは、ポケットからハンカチに包んだ『欠片』を取り出した。山道で拾った、黒ずんだ石ころだ。


「これは……」

「変質した魔法石の欠片と思われます。あたしたちが遭遇した魔獣の体表に付着していました」

「帝国の魔力付与実験……。自然界への悪影響が、ここまで及んでいるというのか」


王様は唸り、深く椅子に背を預けた。


「……あい分かった。貴重な情報、感謝する。お前たちの処遇については、ゴードンに任せよう」

「あ、ありがとうございます!」


王はゆっくりと立ち上がった。


「レガリアの民は、我が守る」


それは宣言ではない。既に背負っている者の、確認だった。


王の言葉が、重く部屋に沈んだ。

誰もすぐには口を開けず、沈黙が降りる。


やがて、傍らの側近が静かに顎を引き、面会時間の終了を告げた。

あたしたちは促されるままに立ち上がり、部屋を出る。扉が閉まるその瞬間まで、背中に王様の重い視線を感じていた。


 * * *


二人が去った後の部屋で、国王とゴードンは重苦しい沈黙を共有していた。


「……帝国はやはり、あの付近で何かを企んでいるようじゃな」

「ええ。いくら奴らが魔法探知に長けているとはいえ、アイラがあのエリアに近づいた途端、即座に警戒班が現れました」


ゴードンは腕を組み、眉間に皺を寄せた。


「魔獣の異常繁殖、そして意図的な南下……。おそらく、奴らは何らかの実験を行っています」

「いずれ、増えた魔獣たちを山から解き放ち、このレガリアへなだれ込ませる……。その混乱に乗じて侵攻を開始する。そんなシナリオか」


王の推測に、ゴードンは沈黙した。


「帝国が魔獣を操る術を得たとすれば……それはセレスティアの地で何かを掘り起こした可能性もある。……均衡が崩れつつある、ということか」


王は低く呟いた。己に言い聞かせるように。


「レガリアはまだ戦の準備が整っておらぬ」

「断定はできません。ただ、すぐ北方に帝国という脅威が迫っている事実……警戒は怠れません」


王は静かに目を細めた。


「……滅びたはずの国が、動くか」


そして視線を上げる。


「……それとな、ゴードン」


王の声色が、ふと変わった。


「あの娘……アイラと言ったか。持っていたな」

「……はい?」

「胸元だ。服の下に隠していたが、微かな魔力の波動を感じた。あれは……かつてセレスティア王家が用いていた『蒼穹そうきゅうの石』の波長に似ておった」


ゴードンは息を呑んだ。


「あの石は、……。まさかな」


王は自嘲気味に首を振った。


「陛下?」

「いや、忘れてくれ。……だが、偶然にしては、出来すぎておる。時が動く匂いがする。……ゴードン、引き続き彼女たちを監視せよ。決して目を離すでないぞ」


 * * *


その日の夕方。

ゴードンさんの自宅に戻ったあたしたちは、キッチンでエリーザさんの手伝いをしていた。


「あらあら、どうしたの? 二人とも、なんだか冴えない表情よ」


野菜を刻む手を止めて、エリーザさんが心配そうに覗き込んでくる。王宮での緊張が、まだ顔に残っていたのかもしれない。


「あ、いえ……その」

「ゴードンさんの仕事の、お手伝いをしてきて……ちょっと疲れちゃって」


特命調査官のことは秘密だ。あたしは言葉を濁した。

エリーザさんは「まあ、あの人の道楽に付き合わせたのね」と苦笑した。


「……あの、おばさん」

「なぁに?」

「いやー……ゴードンさんも奥さんも、どうしてあたしたちにこんなに親切にしてくれるのかなぁって」


ずっと気になっていたことだ。

身元も分からない、怪しいあたしたちを家に招き入れ、食事を与え、服まで用意してくれた。


「ふふ……」


エリーザさんは包丁を置き、遠い目をした。


「前に、娘が帰ってきたみたい、って言ったわよね。……実はね。あたしたちには娘がいたのよ」

「やっぱり……」

「今はどちらに?」


奏が尋ねると、エリーザさんは少しだけ寂しそうに微笑んだ。


「それがね……。森の中で、行方知らずになってしまったの」

「えっ……」

「……すみません、変なことを聞いてしまいました」


あたしたちが息を呑むと、彼女はかぶりを振った。


「いいのよ。あたしが話し始めたんだから」


彼女は手元の野菜を見つめながら、ぽつりぽつりと語り始めた。


「……五年前だったかしら。アズライトの麓の森に、家族でピクニックに行ったの。……本当に、ちょっと目を離した隙だったわ」

「……」

「ほんの一瞬だったのよ。……それだけで、十分だった」


エリーザさんの手が、持っていた布巾をぎゅっと絞るように震えた。


「……右を見ればいいのか、左を見ればいいのかも分からなくて。喉が潰れるまで名前を叫んで……。そのあと、あの人と一緒に何日も、何日も……」


言葉が途切れ、彼女は視線を落とした。


誰も、何も言えなかった。

調理場に、シチューの煮える音だけが響く。


「あの人は、今でもあの時のことを悔いているわ。『俺がついていながら』って」


豪快で、強くて、自信に満ち溢れているゴードンさん。

その心の奥に、そんな深い傷があったなんて。


「年頃としては、生きていればちょうどあなたたちと同じくらい。……だから、あの人は、あなたたちに娘を重ねて見ているんじゃないかしら」


エリーザさんは、涙をこらえるように一度だけ強く瞬きをして、あたしたちに向き直った。


「……だからね。あの人、救えなかった分まで、誰かを守りたいのよ。……もちろん、私もね」


その言葉が、胸に突き刺さった。

あたしたちが森から生きて帰ってきたこと。それが、彼らにとってどれだけの意味を持っていたのか。


「ただいまー! 腹減ったぞー!」


玄関から、いつもの豪快な声が響いた。

何も知らないゴードンさんが、陽気に帰ってきたのだ。


「あ……」


玄関の声を聞いた瞬間、胸の奥で何かが決壊した。

あたしはキッチンを飛び出した。

玄関で靴を脱いでいるゴードンさんの背中が、滲んで見える。


「あーん、ゴードンさぁぁん!」

「うおっ!? おいおい、どうしたアイラ!?」


あたしは勢いよくゴードンさんに抱きついた。

泥と汗、そして微かな古書の匂い。大きくて、温かい背中。


「よしよし、何か怖いことでもあったか? もう大丈夫だぞ」


ゴードンさんは困ったように笑いながら、大きな手であたしの頭を撫でてくれた。その不器用な優しさが、今はたまらなく嬉しくて、切なかった。


「……さあ、みんな。夕飯にしましょ。今日はあったかいシチューよ」


リビングの入り口で、エリーザさんが目を赤くしながら、それでも母のように微笑んでいた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ