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世界は俺を治そうとしている

作者: しゅんまる
掲載日:2026/02/04

怪物を斬ると、街は静かになる。


 剣が肉を裂く感触は、もう覚えていない。

 何百回と振るった刃は、骨を断つ手応えさえ失っていた。


 黒い血が噴き、空気に溶け、赤い雨が降る。


 人々はその雨に打たれながら、決まって同じ言葉を言う。


「もう大丈夫だ」

「英雄がいるから」


 声の高さも、安堵の息遣いも、驚くほど似通っていた。

 祈りの言葉さえ、誰かが書いた台本をなぞっているみたいに。


 アベルは剣を下ろし、胸の奥に残る違和感から目を逸らした。



 妹のミナは、戦いの前、妙に饒舌だった。


「ねえお兄ちゃん、戦争が終わったらさ」

「この村を出たいな。海を見てみたい」


 いつもは怖がりで、怪物の話をすると耳を塞ぐくせに、

 その日は未来の話ばかりした。


「お兄ちゃんがいるから、きっと大丈夫だよね?」


 アベルは笑って頷いた。

 それしか、できなかった。


 その夜、怪物はあっけなかった。

 剣を一振り。

 歓声。

 拍手。


 振り返ったとき、ミナは笑っていた。


「強いね。やっぱり英雄だ」


 それが、最後だった。



 翌朝、ミナは村外れで見つかった。


 胸を貫かれ、血は乾ききり、

 顔だけが――あまりにも穏やかだった。


 眠っているみたいに。

 夢の続きを見ているみたいに。


 アベルはその場に膝をついた。

 喉が引きつり、息が詰まる。


 泣こうとした。

 叫ぼうとした。


 でも、できなかった。


 英雄は泣かない。

 泣く前に、次の怪物が現れる。


 誰かを守るために、悲しむ暇すら奪われる。


 そのとき、初めて思った。


 ――俺は、守れなかったんじゃない。

 ――守ることしか、してこなかった。



 それから、怪物が変わった。


 逃げない。

 無駄に吠えない。

 アベルの動きを見て、待ち、囲む。


 剣を振るえば、半拍遅れて避けられる。

 踏み込めば、退路を塞がれる。


 戦うたび、学習されている。


 そして奇妙なことに、

 アベルが戦場に現れない地域では、怪物の発生が減っていた。


 嫌な考えが、胸に沈殿していく。


 俺が来るから、現れているんじゃないのか。



 地下研究施設に落ちたとき、

 アベルはほとんど抵抗しなかった。


 そこにいた男――ハルは、剣を見て目を伏せた。


「久しぶりだな、英雄」


 彼も、かつて英雄だった。

 守った村は、怪物に“適応”され、消えた。


「英雄は希望だ」

「だが希望は、世界を止める」


 モニターに映る街は、整いすぎていた。

 同じ家。

 同じ服。

 同じ祈り。


「危機がなければ、人は変わらない」

「変わらない存在は、世界にとっての異物だ」


 ハルは言った。


「怪物は免疫反応だ。

 世界が自分を守るために生み出した抗体」


 数値が跳ね上がる。


「君は速すぎる。

 守る速度も、依存させる速度も、壊す速度も」


 アベルは、ミナの声を思い出していた。


「お兄ちゃんがいるから大丈夫」


 その言葉が、刃みたいに胸を刺す。



 施設が揺れる。

 怪物たちが、静かに集まってくる。


 剣を取れ、と身体が命じる。

 斬れば終わる。

 いつものように。


 手が震えた。

 指が痺れ、呼吸が浅くなる。


 剣を握れば、また誰かが救われる。

 そして、また誰かが未来を失う。


「……ごめんな」


 誰に向けた言葉か、分からなかった。


 膝が笑い、剣が床に落ちる。


 金属音が、やけに大きく響いた。


 怪物たちは、襲ってこなかった。

 ただ、アベルを包み、地下深くへ導く。


 逃げ場のない、隔離区画へ。


 ――病巣を閉じ込めるために。


 そのとき、アベルは初めて、

 ほんのわずかに安堵した。


 もう、誰も守らなくていい。



 翌日。


 怪物は消え、英雄アベルの名も消えた。


 人々は言う。


「平和になった」


 地下深く。

 剣を持たない英雄が、生きている。


 世界は今日も、健康だった。

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