第一章ボロ屋編 第9話「三人の休日」
あらすじ
清王朝初期、王朝拡大に大きな影響をもたらした摂政王ドルゴン。
徳川家康の孫にして、豊臣秀頼の正室・千姫。
権力の絶頂期に若くして急死したドルゴンと、
大坂夏の陣で落城寸前だった千姫は、
突如見知らぬ世界へと身一つで飛ばされる。
そこから成り上がる二人の物語。
主な登場人物
ドルゴン:清朝初期の権力者・摂政王
千姫:徳川家康の孫・豊臣秀頼の正室 猫かぶりのお姫様
フカ:逃亡奴隷、ドルゴンにフカと名付けられる
「三人の休日」
ドルゴンとフカが娼館から帰ってきて、数日が経った夜のことだった。
「……あのー、姫さん」
「……」
千姫はつんとして答えない。
あの夜、「口をきかぬ」と言ってから、本当に口を利かなかった。
「……千姫。明日は広場に大市が立つ。荷役の仕事は休みだ。
三人で市場見物に行かないか」
ドルゴンは、千姫の機嫌など意に介さぬふうに呼びかけた。
「姫さん、一緒に行こうぜ。機嫌、直してくれよ」
「……」
二人の呼びかけに、千姫は答えない。
「行きたくないなら、俺とフカだけで行ってこよう」
ドルゴンはフカに目を向けた。
「あ、ああ……そうだな、兄貴」
「千姫。土産を買ってくる。楽しみにしていてくれ」
「……かぬ」
「え、姫さん?」
「……誰も、行かぬとは言っておらぬ……」
千姫は、か細い声を漏らした。
フカはぱっと顔を明るくし、ドルゴンに視線を送った。
◆
翌日――。
「おおー! 今日は雲一つない良き日じゃのう!」
千姫は高い声を上げて二人を振り返り、そして思い出したように、つんとした顔を作った。
三人は倉庫前の広場へ向かって歩いていた。
そこは普段、物流の拠点として馬車が忙しなく行き来する場所だが、
今日の大市では遠方から来た行商人たちが出店し、広場一面が市場へ姿を変える。
倉庫の業務は止まり、荷役の仕事も休みとなっていた。
ドルゴンは急ぐ必要はないと言わんばかりに、普段は通らぬ道を選んで歩いた。
やがて三人の前に、荘厳な建物が現れた。
「これは……バレテンの寺かの?」
「ああ、これは教会(Kirche)だな」
フカが端的に答える。
「この国の教えは、西洋の宣教師たちの言うことに似ておるようだが……また別の教えのようだ。入ってみるか?」
「……うむ。そうしようぞ」
三人は重い扉を押し開けた。
静寂の空間。色ガラスの光に照らされ、女の像が佇んでいる。
しばらく見物していると、脇の扉が開いた。
「こんにちは。主の平安がありますように……おや、あなたは?」
現れたのは教会のシスターだった。
ドルゴンを見覚えている様子で、目を見開く。
「先日、恵みをお与えくださったお方ですね。私はエレネアと申します」
「失礼。勝手に見物させてもらっている。私はドルゴン」
「センです」
「フカっす」
「我々はこの国に来て日が浅いのだが、
この国では、どのようなお方を敬っておられるのか?」
「異国の方でしたか。私たちの“救いの教え”にご興味がおありなのですね」
エレネアは胸の前で手を組み、御堂を見渡した。
「この御堂に満ちる光をご覧ください。人の手で作られたものではありません。
主の御心が、こうして形を取っておられるのです。
ここに立てば、誰しも心の曇りが洗われます。
主は弱き者にも、異国の者にも、等しく目を向けてくださる」
その声は熱を帯びていた。
だが、ふと陰りが差す。
「けれど……けれど、今のこの地では、その御威光が十分に伝えられておりません」
「それはなぜだろうか?」
ドルゴンが口を挟んだ。
「司祭様が……あまりにも、人の欲に近すぎるのです。
金、名声、地位……あれでは主の名が地に引きずられてしまう。
主は清らかで、恐ろしく、そして慈悲深いお方なのに……嘆かわしいことです」
エレネアは悔しさを噛みしめるように、両手を強く握っていた。
「……あなたは、その主を深く敬っている」
「はい。命を捧げるほどに」
エレネアは三人をじっと見つめた。
その眼には一点の曇りもない。
「あなたがたも……その御名のもとに生きる道を選びませんか。
迷いは、主が取り除いてくださいます」
ドルゴンは静かに首を横に振った。
「あなたの言う主が尊いお方であることは分かる。
だが、私には私の敬うものがある。
天の定め。祖霊。そして、自らが歩むべき道」
「いいえ。それは真に拝されるべきものではありません。
それは主がお造りになったものの――ただの影にすぎないのです」
エレネアの声には、ため息が混じっていた。
「あなたの信じるものを、私は踏み荒らしたくない。
だからこそ、私の信じるものも、あなたに委ねることはできませんな」
ドルゴンは丁寧に答えた。
エレネアはしばし沈黙し、やがて微笑んだ。
「……そうですね。主は無理強いをお望みにはなりません。
ですが……いつか心が渇いたなら、ここに戻ってきてください。
主はいつでも、あなたがたをお待ちしています」
ドルゴンはそれ以上答えず、三人は礼をして教会を後にした。
◆
大市の広場は、人であふれていた。
周辺の農村、漁村、木樵、猟師、そして異国の商人。
珍しい食べ物、産物、手工芸品が並び、あちこちで煙が立ち上っている。
「ああ、いい匂いがするなぁ」
「おぅ、兄ちゃんたち。どうだい、食っていきなよ!」
肉串屋が大声で呼び留めた。
「うまそうだ。食っていこう。フカ、買ってきてくれ」
「おう。……おっちゃん、三本くれ」
フカは店へ駆けていった。
「獣の肉とは、野蛮な……ぬっ!」
ぶつぶつ言う千姫の前に、湯気を立てる肉串が差し出される。
「姫さん、そう言わずに食ってくださいよ、旨そうっすよ」
「フカがそう言うなら……仕方ないのう」
千姫は肉串を受け取り、袖で口元を隠して一口食べた。
途端に目が一瞬輝き――しかしすぐ、思い出したように平静を装う。
「……悪くない」
その様子を見たドルゴンも口にし、次いでフカも串にかぶりついた。
「うまいっすね」
「ああ……」
三人は品々に目を楽しませながら、市場を歩いた。
吟遊詩人、楽団、大道芸人が芸を披露し、人々の足を止めている。
やがて三人は、一人の大道芸人に目を止めた。
「奇跡の術」
「さあさあ、ご覧あれ。世にも珍しい炎の奇跡を」
一人の老人が口上を述べ、杖を掲げた。
人々はまばらに足を止める。
「はっ……!」
老人が声を上げると、杖の先から炎が現れ、たちまち柱となって高く上がった。
「すごーい!」
「魔法(Magie)だぁ!」
子供たちが、わっと声を上げた。
「やや! なんじゃあれは? 何もないところから炎が立っておる。妖術か!?」
「おほーっ、すげぇや」
「かつて火吹きの芸は見たことがあるが、これは別物だ。“魔法(Magie)”とは、どういったボーセ(秘術)なのだ?」
千姫とドルゴンは、フカに目を向けた。
「いや、俺もこんなの初めて見んだよ」
観客から拍手がまばらに上がる。
「さてさて、ここまでじゃ。
拍手は腹の足しにならんでの。
気に入ったら、銅貨で音を立てておくれ」
何人かが木椀に銅貨を投げ込むが、多くの者はそそくさと離れていった。
老人はその様子を見て少し肩を落とす。
チリン――。
「おひょ、こりゃどうも」
ドルゴンが近づき、銀貨一枚を落とした。
「老人。ちょっとよろしいか。
先ほど見せた“魔法”――あれは一体、どういう理によるものですかな?」
「ああ……“魔法”なんて呼ぶのは街の連中だけじゃよ。
あれは術じゃ。“奇跡の術”とも呼ぶの。
だがまあ、偉そうに言うほど大したもんでもない」
「では話していただきたい。
あれだけの炎を、どうやって杖から起こせるのか?」
「簡単じゃ。
わしら術師の体には、生まれつき
“体の中に蓄えた血肉を別の形に変える”
奇妙な体質が備わっておる。
食ったものを、そのまま外へ押し出すようなものじゃよ。
だがの。万能じゃない。
術というものは、体力と寿命を削る“贅沢品”じゃ」
「ほう。では術を使う者は、術を使うごとに……弱る?」
「そうとも。
火を起こす、風を操る、念道で動かす、それらは使った力の分だけ腹が減る。
己の貯めこんでいる血肉を超えた力を生み出せば、術師は命を落とす。
そういう理屈じゃよ」
「あれだけの炎が出せれば、戦働きもできそうですが。術師は戦に赴かれるのですか?」
「戦働きなどできるもんか。
弓兵に射られたら終わりじゃよ。
だからわしら術師は、せいぜい大道芸人か、王宮の儀式の飾り物よ」
「……なるほど。“力を誇示するだけの術”。
しかし、扱いようによっては――」
ドルゴンの目は、計算に染まっていた。
(……邪なことを考えているようじゃの)
千姫は冷ややかな目でドルゴンを眺める。
「おぬし……ただの人夫ではないな……?」
老人は、ドルゴンから漏れ出す気配を感じ取った。
「いえ。ただ興味深い話を聞きたかっただけです。
――私はドルゴン」
「センです」
「フカっす」
「ああ、わしはエルドリンじゃ」
「ではエルドリン殿――質問を一つ。
“遠き地より人を呼び寄せる術”というのは、存在するのですかな?」
エルドリンの表情がわずかに曇った。
そして一瞬だけ、丘の上――王宮の方向へ視線が流れる。
その“間”をドルゴンは見逃さなかった。
ドルゴンは銀貨一枚を取り出し、エルドリンの手に握らせる。
「エルドリン殿。どうか率直に」
エルドリンは戸惑い――ついに観念し、低い声で語り出した。
「……そんな術、庶民の前にはまず出てこん。
だがな、王宮の最も奥――
“術庫”と呼ばれる場所には……」
エルドリンは、また王宮をちらりと見る。
「古き禁術が封じられておるという噂がある。
転移だの、魂の呼び出しだの……真偽は分からん。
だが王宮の術師たちは……あれが好きなのだよ。
人智を超えた“術”をな」
ドルゴンは話を聞くと、さらに銀貨を一枚重ねて老人の手に押し込んだ。
「エルドリン殿。感謝します」
ドルゴンは拱手し、最大限の礼を示した。
「……これで今月も、孫を寒空にほっぽり出さなくて済む。
礼を言うのはこっちの方じゃ」
エルドリンは驚きと感謝で、何度も頭を下げた。
◆
三人は背を向けて歩き出した。
「のう、あの老人が申しておったのは……」
千姫が声を潜め、ドルゴンに問う。
「王宮の奥には、遠くの地から人を呼び寄せる術というものがあるらしい。
人を呼び寄せられるなら――元の地に送り返すことも……」
「なんと……戻れる……かもしれぬのか……?」
「分からん。だが、この地で掴めた唯一の鍵だ。
――あの王宮の奥に、“帰路への門”の鍵がある。
そこへ至るためには、この国で成り上がり、王宮の奥へ立ち入る必要がある」
ドルゴンの声は低く、決意がこもっていた。
「そのために……まずはあの商会、乗っ取らせてもらおう」
「商会を……」
千姫は息を呑んだ。
◆
夕方になり、三人は帰路についていた。
「いやー、楽しかったっすね。兄貴、姫さん」
フカは満足げな声を出したが、ドルゴンと千姫は黙って歩いている。
(……あの大道芸の爺さんと話してから、ずっとあの調子だ。参っちまうな……)
「のう、ドルゴン。二人で話したいことがあるんじゃが……」
千姫が切り出した。
「……分かった。フカ、悪いが先に帰っていてくれ」
「……わかったよ。遅くならないでくれよ」
フカは駆け足で、ボロ屋へ向かっていった。
残された二人は、そのまま歩みを進め、川辺へ出た。
千姫の口は重い。ドルゴンは、その口が開くのを静かに待っていた。
日が沈みかける頃、千姫がようやく言った。
「ドルゴン。実は――そなたに頼みたきことがある」
ドルゴンという人物が好きで書いた妄想小説です。
楽しんで頂けたら幸いです。
次回、2026/1/3 8時投稿予定




