第一章ボロ屋編 第8話「娼館」
あらすじ
清王朝初期、王朝拡大に大きな影響をもたらした摂政王ドルゴン。
徳川家康の孫にして、豊臣秀頼の正室・千姫。
権力の絶頂期に若くして急死したドルゴンと、
大坂夏の陣で落城寸前だった千姫は、
突如見知らぬ世界へと身一つで飛ばされる。
そこから成り上がる二人の物語。
主な登場人物
ドルゴン:清朝初期の権力者・摂政王
千姫:徳川家康の孫・豊臣秀頼の正室 猫かぶりのお姫様
フカ:逃亡奴隷、ドルゴンにフカと名付けられる。
オズヴァルト:商会倉庫の荷役統括
「報酬」
三日間の激務が終わった翌日の、土曜日の朝であった。
「千姫、今日も帰りが遅くなる。大家には頼んでおく。今夜は大家の家で、帰るまで待っていてくれ……」
ドルゴンは千姫に短く告げた。
「……またか! ……構わぬが、今日も何かあるのかの……?」
「……まあそんなとこだ……」
千姫が少々不満げに問うと、ドルゴンはそれ以上は語らなかった。
◆
その日、ドルゴンとフカは商会倉庫へ行き、前日までの作業の片付けをした。
そして昼前――。
「お前たち、ご苦労だった。これから、昨日までの賃金を支払う」
オズヴァルトはそう告げ、人夫たちに三連勤の賃金を次々と手渡していった。
人夫たちは、いつもより断然多い賃金を得て、袋を受け取るたびに喜びの声を上げた。
「ドルゴン、フカ。お前たちもよくやってくれたな」
「へい、ありがたくいただきやす」
「あざす」
二人もそれぞれ賃金を受け取った。
ドルゴンは臨時班長としての働きが認められ、銀貨十五枚。
フカは歩合で頑張って銀貨五枚だった。
「……」
オズヴァルトはドルゴンに目を配ったが、ドルゴンはそれに気づかないふりをしているようだった。
その日は、そこで解散となった。
「ドルゴンさん、俺たちこれから打ち上げに行くんだがよ。あんたらも来ねえかい?」
班員だった者たちが誘う。
「……おう、行こうや」
ドルゴンは一拍置いて、笑って答えた。
誘った班員たちは、ほっとした様子で互いの顔を見合わせる。
◆
「いらっしゃい、十名さんね! あっちの長机にどうぞ! ふふ〜ん♪」
食堂では、明るく可愛らしい少女の店員が出迎えてくれた。
「嬢ちゃん! 酒! それと肉だ! ごっそり出してくれ!」
「え、おっちゃんたち、そんな豪勢で大丈夫なの?」
「おう、今日は金はたっぷりあるんだ。安心しろい」
男たちは懐から給料袋を取り出し、店員の少女に見せつけた。
「へえ、いいことがあったみたいだね……じゃあ、ただいまお持ちしまーす」
料理と酒が運ばれてきて、男たちは声を上げた。
「それじゃあ、乾杯!」
わいわいがやがやと、三日間の苦労をねぎらい合う。
「ドルゴンさん、俺たちがこれだけ稼げたのはあんたのおかげだ。これだけは伝えたかったぜ」
静かに飲んでいたドルゴンに、男の一人が話しかけた。
「……俺も十分稼いだ。お互い良かったじゃねぇか。また稼ぎ時には声をかけさせてもらうぜ」
「あ、ああ。ぜひ頼むよ」
男は三日間の激務の記憶がよみがえったのか、期待と不安が入り混じった返事をした。
「じゃあ、俺たちゃそろそろ行くよ! ……おい、フカ、出るぞ」
「え、せっかくいい所なのになぁ」
「……いいから来い」
「わかったよ」
ドルゴンは飲み食い代として銀貨三枚を置き、フカを伴って食堂を後にした。
「情報屋ミルガ」
「なあ兄貴。なんでこんな早く――」
「これから行くところは、満腹では具合が悪い」
疑問を呈するフカに、ドルゴンは短く答えた。
二人は繁華街へ足を進める。
「恵まれない孤児たちに、どうか皆様、施しをお願いいたします!」
繁華街の端で、何人かの女たちが声を張り上げていた。
「フカ、あの者たちは何者だ?」
「ああ、教会の尼たちだな。施しだってよ。そんな余裕、誰もねぇよ、なあ兄貴――
……って、兄貴!?」
「これは少ないですが……子供たちに暖かい食事が行き渡りますように」
ドルゴンは銀貨を一枚、シスターたちに差し出した。
「まあ、こんなに! 正直に申しますと……本当に助かります」
「本当によろしいのですか?」
「きっと子供たちも喜びます。主のご加護がありますように」
庶民が出すには大きな額に、シスターたちは目を丸くし、心配し、そして真摯に感謝した。
「まったく、タダで人に金くれちまうなんて、何を考えてるんだ?」
「あの金は後々生きる」
「兄貴の言うことは、時々ぜんぜん分かんねぇよ」
フカは理解できず、不満げに言った。
◆
歩きながら、ドルゴンは唐突に尋ねた。
「……ところでフカ、お前、女を抱いたことはあるか?」
「いきなり、な、何聞いてくんだよ!」
フカはどぎまぎする。
「……ないのか?」
「ね、ねぇよ。兄貴……俺は元奴隷だぜ……奴隷が女を抱けるわけないだろ」
「なら今日、抱いておけ。金は俺が出す」
「えっ……ってことは、今日これから行くのは……」
「そうなるな」
「いきなりそんなこと言われると、足がすくんできちまったぜ……」
フカの胸には高鳴りと不安がいっぺんに押し寄せていた。
◆
土曜の夕方から、この娼館街は賑やかになる。
金持ちから貧乏人まで、欲に眩んだ男たちがここに集まる。
夕方になると、客引きが街頭に立ち始めた。
「今日はやけに人夫どもが目立つな」
「なんでもハルトマン商会が大儲けして、ひと稼ぎした人夫どもがここに繰り出してきたらしい」
男の名はミルガ。
娼館の客引きであり、男たちの会話や娼婦の噂話をよく知る街の情報屋でもあった。
ミルガは、頭ひとつ抜けた人夫を見つけた。
人夫に似合わない堂々とした態度。
隣の黒いのはオドオドして――あれは童貞野郎だな、と眺める。
いつもなら人夫などに声はかけない。
だが男に特別な雰囲気を感じ、ミルガは口を開いた。
「そこの大きな旦那。うちは品揃えに自信があるよ。
いい女も、獣耳の可愛い娘ちゃんも、若いのも――よりどりみどりだ。どうだい、寄っていかないかい?」
「俺たちは貧乏人夫だ。声をかけても無駄だぞ」
「このミルガ様の目を侮っちゃ困るな。お兄さんたち、今日は懐があったかいんだろ?」
「ほう。お前は街の噂に詳しいようだな」
「そうだな、仕事柄いろんな噂がよく耳に入ってくるよ。
最近なら――ハルトマン商会が大儲けしたとか、麦の値段が下がって皆大喜び、とかさ」
「……ではハルトマン商会について、ほかに知っていることはないか?」
「そうだな。商会長の夫人が教会にたくさん寄付してるとか、
令嬢が我儘で“お話相手”をたくさんクビにしてる、とかかな」
「面白い奴だ。では逆に、お前は噂を流すことができるのか?」
(!……なんてことを聞きやがる。そんな質問、初めてだ)
「あ、ああ。できるさ。この街は出所の知れない噂で溢れてる。
俺が“人から聞いた”と言って回れば、すぐ広まるだろうよ」
「また話を聞かせてくれ」
ドルゴンは銀貨を一枚渡した。
「へへっ、まいど」
フカは、話しただけでドルゴンが金を渡す様子が理解できず、呆れた顔で見ていた。
「で、旦那。こっちの方はどうするんですかい?
うちは身綺麗な子ばかりで、安心して遊べますぜ」
ミルガは卑猥な手振りで尋ねた。
「いくらだ?」
「これでどうだい? いい娘つけるよ。
そっちの初めてのお客さんには、優しい子もいる」
「……っつ、何言ってんだこの野郎」
「気にしない気にしない。この街には初めてのお客さんも多いんだ」
ミルガは五本指を立てた。
「いいだろう」
「まいど。二名さま、ご案内」
ミルガの合図で、ドルゴンとフカは案内役に連れられ、娼館へ向かった。
ミルガは去っていくドルゴンの背を見て、妙な予感を覚えていた。
――この男とは、またどこかで関わることになる。
「娼館」
「いらっしゃい、二名様ね」
老年の女将が出迎えた。
「女将さん、こいつ女を抱くのは初めてなんだ。いい娘をつけてやってよ」
「な、何言いふらしてんだよ!」
フカが赤くなる。
「あら安心しなさいよ。初めてのお客様はたくさん来るんだから、恥ずかしがらなくても平気だよ。
カーラ、お客さんよ」
「はーい❤️ ママ❤️」
姿を見せたのは、気さくで優しげな娘だった。
フカを見るなり、柔らかく微笑む。
「このお客さん、初めてだから。優しくしておやり」
「あら、そうなのね。安心して。お姉さんが優しく手ほどきしてあげるから。よろしくね❤️」
「ひゃ、ひゃい……」
フカはガチガチになりながら、奥へ連れて行かれた。
「さて、あんたの相手は……そうだねぇ」
女将は少しだけ真顔になり、奥へ声をかけた。
「――エルザ、お願いするよ」
暗がりから、静かに一人の女が現れた。
醒めた目をした、美しい女だった。
「……お客さま。どうぞ、こちらへ」
ドルゴンはその影のような気配に何かを察しつつ、表情を動かさず歩き出す。
「従順だけどね……根が深い子だから。優しくしておやり」
女将はそう告げた。
部屋の扉の前で、エルザは一度だけドルゴンを見上げた。
小さな音を立てて、扉が開く。
部屋に灯されたランプの光は柔らかく、外よりもわずかに温かい。
エルザは外套の紐にそっと指をかけた。
「……ここでは、少し楽にさせていただきます」
外套がふわりと落ちる。
中から現れたのは、動きやすい薄布の上衣と巻きスカートのような簡素な衣装だった。
贅沢ではない。だが身体の線がわずかに浮かぶ。
「お客さまのような大きな方は珍しくて……ほんの少し、緊張してしまいますね」
微笑みながら、手を差し出す。
ドルゴンはその手をとり、軽く口づけた。
「……手から土の匂いがする。農村の出か?」
エルザは一瞬、目を揺らし、それから静かに笑った。
「気づかれてしまいましたか……ふふ、さすがのお方ですね」
薄灯りの中、彼女はそっと距離を詰めた。
扉の向こうで――淡い灯に照らされながら。
ドルゴンはエルザの体温とともに、彼女の過去を少しだけ聞いた。
語られた内容は、どこにでもある農民の話だとエルザは言った。
作物の出来が悪かった年、商会に借りを重ね、気づけば返せなくなり――
「代わり」として、誰かが都市へ売られていく。
エルザは多くを語らなかった。
問い詰めれば涙になるような事情だからだろう。
だがひとつだけ、ぽつりと漏らした言葉があった。
――「バカな男だよ。欲をかいちまって、何もかも失ってさ」
その声音には、恨みよりもあまりに深い諦めが混じっていた。
ドルゴンは何も返さなかった。
ただ静かに、彼女の温もりを受け止めていた。
◆
「兄貴、俺、生きててこんなすげぇ日はなかった」
帰り道、フカは恍惚の顔だった。
「ハマりすぎるな。足繁く通える店ではない。
……あと、このことは千姫には黙っておけよ」
「分かってるぜ、兄貴……いや、ドルゴン様!」
二人が大家の家へ戻ると、大家が不機嫌そうに出迎えた。
「まったく。妹を何日も放っておくとは、しょうもないねえ。
お千ちゃん、迎えだよ」
奥から、千姫が心配そうな顔をして現れる。
「本当に申し訳ない。今後は仕事も落ち着きやす。これは世話代です」
ドルゴンが大きな額を差し出すと、大家は露骨に機嫌を直した。
「あら、どうも」
「それじゃ失礼しやす」
「大家さん、おやすみなさい」
「はい、おやすみ」
「遅かったのう。仕事は無事終わったのか?」
「ああ、そうだよ。なぁ、兄貴」
「ああ。これからは帰りが遅くなることは、しばらくない」
「そうか……ならよかった……ん?
何やら甘い、いい香りがするのう」
千姫は、ドルゴンとフカから甘い匂いを感じ取った。
「お主ら、本当に今日は務めだったのかの?
……まさか、今日遅いのは――!」
「い、いや姫さん! これには訳が!」
どぎまぎして慌てるフカを、ドルゴンは冷ややかな目で見た。
「色町か! 遊郭か! 岡場所か! 陰間茶屋か!
……ええい、妾がこの四日間、どんな気持ちでそなたらを待っていたと思うておるのじゃ!
……もうよい……。お主らとは今後、金輪際、口を聞かぬ!」
千姫はそう言うと、ズカズカと部屋へ入り、毛布にくるまって寝床に潜り込んだ。
「兄貴、どうすんだこれ……姫さん、カンカンじゃないか」
「……しばらくは、大人しく罰を受けるしかあるまい……」
ドルゴンは目を閉じ、そう答えていた。
ドルゴンという人物が好きで書いた妄想小説です。
楽しんで頂けたら幸いです。
次回、2026/1/2 20時投稿予定




