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第一章ボロ屋編 第8話「娼館」

あらすじ

清王朝初期、王朝拡大に大きな影響をもたらした摂政王ドルゴン。

徳川家康の孫にして、豊臣秀頼の正室・千姫。

権力の絶頂期に若くして急死したドルゴンと、

大坂夏の陣で落城寸前だった千姫は、

突如見知らぬ世界へと身一つで飛ばされる。

そこから成り上がる二人の物語。


主な登場人物

ドルゴン:清朝初期の権力者・摂政王

千姫:徳川家康の孫・豊臣秀頼の正室 猫かぶりのお姫様

フカ:逃亡奴隷、ドルゴンにフカと名付けられる。


オズヴァルト:商会倉庫の荷役統括


「報酬」


三日間の激務が終わった翌日の、土曜日の朝であった。


「千姫、今日も帰りが遅くなる。大家には頼んでおく。今夜は大家の家で、帰るまで待っていてくれ……」


ドルゴンは千姫に短く告げた。


「……またか! ……構わぬが、今日も何かあるのかの……?」


「……まあそんなとこだ……」


千姫が少々不満げに問うと、ドルゴンはそれ以上は語らなかった。



その日、ドルゴンとフカは商会倉庫へ行き、前日までの作業の片付けをした。

そして昼前――。


「お前たち、ご苦労だった。これから、昨日までの賃金を支払う」


オズヴァルトはそう告げ、人夫たちに三連勤の賃金を次々と手渡していった。

人夫たちは、いつもより断然多い賃金を得て、袋を受け取るたびに喜びの声を上げた。


「ドルゴン、フカ。お前たちもよくやってくれたな」


「へい、ありがたくいただきやす」

「あざす」


二人もそれぞれ賃金を受け取った。

ドルゴンは臨時班長としての働きが認められ、銀貨十五枚。

フカは歩合で頑張って銀貨五枚だった。


「……」


オズヴァルトはドルゴンに目を配ったが、ドルゴンはそれに気づかないふりをしているようだった。


その日は、そこで解散となった。


「ドルゴンさん、俺たちこれから打ち上げに行くんだがよ。あんたらも来ねえかい?」


班員だった者たちが誘う。


「……おう、行こうや」


ドルゴンは一拍置いて、笑って答えた。

誘った班員たちは、ほっとした様子で互いの顔を見合わせる。



「いらっしゃい、十名さんね! あっちの長机にどうぞ! ふふ〜ん♪」


食堂では、明るく可愛らしい少女の店員が出迎えてくれた。


「嬢ちゃん! 酒! それと肉だ! ごっそり出してくれ!」


「え、おっちゃんたち、そんな豪勢で大丈夫なの?」


「おう、今日は金はたっぷりあるんだ。安心しろい」


男たちは懐から給料袋を取り出し、店員の少女に見せつけた。


「へえ、いいことがあったみたいだね……じゃあ、ただいまお持ちしまーす」


料理と酒が運ばれてきて、男たちは声を上げた。


「それじゃあ、乾杯!」


わいわいがやがやと、三日間の苦労をねぎらい合う。


「ドルゴンさん、俺たちがこれだけ稼げたのはあんたのおかげだ。これだけは伝えたかったぜ」


静かに飲んでいたドルゴンに、男の一人が話しかけた。


「……俺も十分稼いだ。お互い良かったじゃねぇか。また稼ぎ時には声をかけさせてもらうぜ」


「あ、ああ。ぜひ頼むよ」


男は三日間の激務の記憶がよみがえったのか、期待と不安が入り混じった返事をした。


「じゃあ、俺たちゃそろそろ行くよ! ……おい、フカ、出るぞ」


「え、せっかくいい所なのになぁ」


「……いいから来い」


「わかったよ」


ドルゴンは飲み食い代として銀貨三枚を置き、フカを伴って食堂を後にした。



「情報屋ミルガ」


「なあ兄貴。なんでこんな早く――」


「これから行くところは、満腹では具合が悪い」


疑問を呈するフカに、ドルゴンは短く答えた。


二人は繁華街へ足を進める。


「恵まれない孤児たちに、どうか皆様、施しをお願いいたします!」


繁華街の端で、何人かの女たちが声を張り上げていた。


「フカ、あの者たちは何者だ?」


「ああ、教会のシスターたちだな。施しだってよ。そんな余裕、誰もねぇよ、なあ兄貴――

……って、兄貴!?」


「これは少ないですが……子供たちに暖かい食事が行き渡りますように」


ドルゴンは銀貨を一枚、シスターたちに差し出した。


「まあ、こんなに! 正直に申しますと……本当に助かります」

「本当によろしいのですか?」

「きっと子供たちも喜びます。主のご加護がありますように」


庶民が出すには大きな額に、シスターたちは目を丸くし、心配し、そして真摯に感謝した。


「まったく、タダで人に金くれちまうなんて、何を考えてるんだ?」


「あの金は後々生きる」


「兄貴の言うことは、時々ぜんぜん分かんねぇよ」


フカは理解できず、不満げに言った。



歩きながら、ドルゴンは唐突に尋ねた。


「……ところでフカ、お前、女を抱いたことはあるか?」


「いきなり、な、何聞いてくんだよ!」


フカはどぎまぎする。


「……ないのか?」


「ね、ねぇよ。兄貴……俺は元奴隷だぜ……奴隷が女を抱けるわけないだろ」


「なら今日、抱いておけ。金は俺が出す」


「えっ……ってことは、今日これから行くのは……」


「そうなるな」


「いきなりそんなこと言われると、足がすくんできちまったぜ……」


フカの胸には高鳴りと不安がいっぺんに押し寄せていた。



土曜の夕方から、この娼館街は賑やかになる。

金持ちから貧乏人まで、欲に眩んだ男たちがここに集まる。


夕方になると、客引きが街頭に立ち始めた。


「今日はやけに人夫どもが目立つな」


「なんでもハルトマン商会が大儲けして、ひと稼ぎした人夫どもがここに繰り出してきたらしい」


男の名はミルガ。

娼館の客引きであり、男たちの会話や娼婦の噂話をよく知る街の情報屋でもあった。


ミルガは、頭ひとつ抜けた人夫を見つけた。

人夫に似合わない堂々とした態度。

隣の黒いのはオドオドして――あれは童貞野郎だな、と眺める。


いつもなら人夫などに声はかけない。

だが男に特別な雰囲気を感じ、ミルガは口を開いた。


「そこの大きな旦那。うちは品揃えに自信があるよ。

 いい女も、獣耳の可愛い娘ちゃんも、若いのも――よりどりみどりだ。どうだい、寄っていかないかい?」


「俺たちは貧乏人夫だ。声をかけても無駄だぞ」


「このミルガ様の目を侮っちゃ困るな。お兄さんたち、今日は懐があったかいんだろ?」


「ほう。お前は街の噂に詳しいようだな」


「そうだな、仕事柄いろんな噂がよく耳に入ってくるよ。

 最近なら――ハルトマン商会が大儲けしたとか、麦の値段が下がって皆大喜び、とかさ」


「……ではハルトマン商会について、ほかに知っていることはないか?」


「そうだな。商会長の夫人が教会にたくさん寄付してるとか、

 令嬢が我儘で“お話相手”をたくさんクビにしてる、とかかな」


「面白い奴だ。では逆に、お前は噂を流すことができるのか?」


(!……なんてことを聞きやがる。そんな質問、初めてだ)


「あ、ああ。できるさ。この街は出所の知れない噂で溢れてる。

 俺が“人から聞いた”と言って回れば、すぐ広まるだろうよ」


「また話を聞かせてくれ」


ドルゴンは銀貨を一枚渡した。


「へへっ、まいど」


フカは、話しただけでドルゴンが金を渡す様子が理解できず、呆れた顔で見ていた。


「で、旦那。こっちの方はどうするんですかい?

 うちは身綺麗な子ばかりで、安心して遊べますぜ」


ミルガは卑猥な手振りで尋ねた。


「いくらだ?」


「これでどうだい? いい娘つけるよ。

 そっちの初めてのお客さんには、優しい子もいる」


「……っつ、何言ってんだこの野郎」


「気にしない気にしない。この街には初めてのお客さんも多いんだ」


ミルガは五本指を立てた。


「いいだろう」


「まいど。二名さま、ご案内」


ミルガの合図で、ドルゴンとフカは案内役に連れられ、娼館へ向かった。


ミルガは去っていくドルゴンの背を見て、妙な予感を覚えていた。

――この男とは、またどこかで関わることになる。



「娼館」


「いらっしゃい、二名様ね」


老年の女将が出迎えた。


「女将さん、こいつ女を抱くのは初めてなんだ。いい娘をつけてやってよ」


「な、何言いふらしてんだよ!」


フカが赤くなる。


「あら安心しなさいよ。初めてのお客様はたくさん来るんだから、恥ずかしがらなくても平気だよ。

 カーラ、お客さんよ」


「はーい❤️ ママ❤️」


姿を見せたのは、気さくで優しげな娘だった。

フカを見るなり、柔らかく微笑む。


「このお客さん、初めてだから。優しくしておやり」


「あら、そうなのね。安心して。お姉さんが優しく手ほどきしてあげるから。よろしくね❤️」


「ひゃ、ひゃい……」


フカはガチガチになりながら、奥へ連れて行かれた。


「さて、あんたの相手は……そうだねぇ」


女将は少しだけ真顔になり、奥へ声をかけた。


「――エルザ、お願いするよ」


暗がりから、静かに一人の女が現れた。

醒めた目をした、美しい女だった。


「……お客さま。どうぞ、こちらへ」


ドルゴンはその影のような気配に何かを察しつつ、表情を動かさず歩き出す。


「従順だけどね……根が深い子だから。優しくしておやり」


女将はそう告げた。


部屋の扉の前で、エルザは一度だけドルゴンを見上げた。

小さな音を立てて、扉が開く。


部屋に灯されたランプの光は柔らかく、外よりもわずかに温かい。


エルザは外套の紐にそっと指をかけた。


「……ここでは、少し楽にさせていただきます」


外套がふわりと落ちる。

中から現れたのは、動きやすい薄布の上衣と巻きスカートのような簡素な衣装だった。

贅沢ではない。だが身体の線がわずかに浮かぶ。


「お客さまのような大きな方は珍しくて……ほんの少し、緊張してしまいますね」


微笑みながら、手を差し出す。


ドルゴンはその手をとり、軽く口づけた。


「……手から土の匂いがする。農村の出か?」


エルザは一瞬、目を揺らし、それから静かに笑った。


「気づかれてしまいましたか……ふふ、さすがのお方ですね」


薄灯りの中、彼女はそっと距離を詰めた。


扉の向こうで――淡い灯に照らされながら。

ドルゴンはエルザの体温とともに、彼女の過去を少しだけ聞いた。


語られた内容は、どこにでもある農民の話だとエルザは言った。

作物の出来が悪かった年、商会に借りを重ね、気づけば返せなくなり――

「代わり」として、誰かが都市へ売られていく。


エルザは多くを語らなかった。

問い詰めれば涙になるような事情だからだろう。

だがひとつだけ、ぽつりと漏らした言葉があった。


――「バカな男だよ。欲をかいちまって、何もかも失ってさ」


その声音には、恨みよりもあまりに深い諦めが混じっていた。


ドルゴンは何も返さなかった。

ただ静かに、彼女の温もりを受け止めていた。



「兄貴、俺、生きててこんなすげぇ日はなかった」


帰り道、フカは恍惚の顔だった。


「ハマりすぎるな。足繁く通える店ではない。

 ……あと、このことは千姫には黙っておけよ」


「分かってるぜ、兄貴……いや、ドルゴン様!」


二人が大家の家へ戻ると、大家が不機嫌そうに出迎えた。


「まったく。妹を何日も放っておくとは、しょうもないねえ。

 お千ちゃん、迎えだよ」


奥から、千姫が心配そうな顔をして現れる。


「本当に申し訳ない。今後は仕事も落ち着きやす。これは世話代です」


ドルゴンが大きな額を差し出すと、大家は露骨に機嫌を直した。


「あら、どうも」


「それじゃ失礼しやす」

「大家さん、おやすみなさい」


「はい、おやすみ」


「遅かったのう。仕事は無事終わったのか?」


「ああ、そうだよ。なぁ、兄貴」


「ああ。これからは帰りが遅くなることは、しばらくない」


「そうか……ならよかった……ん?

 何やら甘い、いい香りがするのう」


千姫は、ドルゴンとフカから甘い匂いを感じ取った。


「お主ら、本当に今日は務めだったのかの?

 ……まさか、今日遅いのは――!」


「い、いや姫さん! これには訳が!」


どぎまぎして慌てるフカを、ドルゴンは冷ややかな目で見た。


「色町か! 遊郭か! 岡場所か! 陰間茶屋か!

 ……ええい、妾がこの四日間、どんな気持ちでそなたらを待っていたと思うておるのじゃ!

 ……もうよい……。お主らとは今後、金輪際、口を聞かぬ!」


千姫はそう言うと、ズカズカと部屋へ入り、毛布にくるまって寝床に潜り込んだ。


「兄貴、どうすんだこれ……姫さん、カンカンじゃないか」


「……しばらくは、大人しく罰を受けるしかあるまい……」


ドルゴンは目を閉じ、そう答えていた。


ドルゴンという人物が好きで書いた妄想小説です。

楽しんで頂けたら幸いです。


次回、2026/1/2 20時投稿予定

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