第一章ボロ屋編 第7話「豊作予想」
あらすじ
清王朝初期、王朝拡大に大きな影響をもたらした摂政王ドルゴン。
徳川家康の孫にして、豊臣秀頼の正室・千姫。
権力の絶頂期に若くして急死したドルゴンと、
大坂夏の陣で落城寸前だった千姫は、
突如見知らぬ世界へと身一つで飛ばされる。
そこから成り上がる二人の物語。
主な登場人物
ドルゴン:清朝初期の権力者・摂政王
千姫:徳川家康の孫・豊臣秀頼の正室 猫かぶりのお姫様
フカ:逃亡奴隷、ドルゴンにフカと名付けられる。
オズヴァルト:商会倉庫の荷役統括
ハンス:粗暴な荷役の班長
「豊作予想」
ドルゴンとフカが働き始めて数週間が経った、ある朝のこと。
「千姫、今日は帰れん。大家には頼んでおく。今夜は大家の家に泊めてもらってくれ」
ドルゴンは短く告げた。
「……構わぬが、今日は何かあるのかの?」
「……恐らくな」
千姫が問い返しても、ドルゴンはそれ以上を語らなかった。
◆
ハルトマン商会・週次決裁会議。
番頭ベッセルの声が、広い会議室に響いた。
「ラインホルト倉庫長、在庫の変化状況について報告をしてくれたまえ」
「はっ。まず穀物の市中出荷について――そして種籾の農村向け出荷ですが、
こちらは例年を大きく上回る勢いとなっております」
ラインホルトは緊張した面持ちで報告した。
「アグリオス農村統括長、農村の様子はどうか?」
「今春は霜害もなく、発芽も上々。農民たちは口々に
“今年はよく実る”と言っております。
種籾も例年より二〜三割多く求めております」
「クラウス記録官。過去の記録と照らし合わせてこの春の気候はどうか?」
「過去二十年の記録では、“早春が乾燥して温暖”の年は例外なく豊作でございます。
今年は、まさにその気象であります」
ベッセルが顎に手を当て、静かにまとめる。
「――種籾の出荷の調子。農村から聞こえてくる声。この春の気候。
総合すると、今年は豊作が予想されます。
それに伴い王都の穀物価格は、各商会が在庫を放出するため下落するでしょう。
ここは他商会に先んじて穀物を放出し、値崩れ前に売り抜けるべきかと存じます。
いかがいたしましょう」
ベッセルは商会長へ判断を仰いだ。
「……分かった。そのようにしてくれ」
ハルトマン商会長は短く言った。
「はっ。ラインホルト倉庫長、時は急ぐ。
倉庫の穀物五千袋――三日以内に、市場へ放出する準備を進めてくれ」
「はいっ、かしこまりました!」
(こ、これは大事になるぞ……)
倉庫長ラインホルトは外面こそ冷静を装ったが、心中ではこれから起こる混乱を想像し、青ざめていた。
◆
上から倉庫への指示はいつも急で、しかもそれは毎週水曜日の朝――
商会正社員(幹部)による決裁会議の日に降ってくる。
今回も何かあるだろうと身構えていたオズヴァルトと同僚の準社員たちは、
倉庫長ラインホルトの帰りを待っていた。
やがて――ラインホルトが戻ってきた。
「倉庫長、どうでした? 決裁会議の決定は?」
「……五千だ。穀物五千袋を三日以内に市場へ卸せ、との御達しだ……
今年は豊作になる。値崩れ前に、他所より先んじて売り抜けろ、とな」
ラインホルトは顔をひきつらせて答えた。
「無茶だ! 今の荷役の人数じゃ間に合わねぇ!」
「人を集めようにも、他所と人夫の奪い合いだぞ!」
「上は現場のことが何にも分かってねぇ!」
同僚たちが次々と不満を口にする。
オズヴァルトは息を吸い、場を落ち着かせた。
「落ち着こう。三日というノルマは確かに厳しい。
だが、やれるだけやれば利益は出る。最大限の策を練ろう」
その時――。
「た、大変です、オズヴァルトさん!!」
「どうした、ハンス?」
「人夫たちが大勢、倉庫に押し寄せて来たんでさぁ!!」
外へ出ると、七十人ほどの人夫が倉庫前に押し寄せ、口々に騒いでいた。
「おい、お前たち、どうした?」
前列の人夫が叫ぶ。
「オレたち、今日ハルトマンの倉庫に来りゃ、賃金が三割増しだって聞いたんだがよ。本当なのか!?」
「三割増し? 誰にそんな話を聞いた?」
「誰って――こいつだよ」
指さされたのは、最近倉庫に入ったばかりの、頭ひとつ抜けた大男――ドルゴンだった。
「ドルゴン! これはどういうことだ!?」
オズヴァルトが問いただすと、ドルゴンは淡々と答えた。
「へい。ハンスさんの指示に従って、人夫をなるべく集めやした」
「てめぇ、何勝手なこと言ってんだよ!」
ハンスが自分の名を出され、逆上する。
だがオズヴァルトは、逆に目を細めた。
「いや待て……こいつは……好機だ。」
オズヴァルトは人夫たちへ改めて問う。
「お前たち、賃金は三割増しでいいんだな?」
人夫たちが一斉に「おう!」と返す。
「倉庫長。今は時間との勝負です。
三割増しでも、先に売り抜ければ利益は出ます。臨時で雇い入れましょう」
ラインホルトは歯を食いしばり、うなずいた。
「……分かった。オズヴァルトの言う通りにしよう」
その時、ドルゴンが口を挟む。
「すみやせん。あっしからも一つ」
「なんだ?」
「時間との戦いなら……賃金は歩合で。
それと、夜通し働ける許しを頂ければ、みんな頑張ります。
今なら、頑張ったぶんだけ売上も上がる。……そうじゃありやせんか」
オズヴァルトは内心で唸った。
(こいつ……ただの人夫じゃない。“商い”の勘を持っている)
「……その通りだ。倉庫長、いかがしますか?」
「分かった。そのようにしよう」
オズヴァルトは即座に指示を飛ばす。
「ドルゴン、今は人手が足りない。お前も臨時で班長をやってくれ」
「へい。分かりやした。
あと、臨時の班長にするなら、ヨーゼフとマティアス、それとゲルトが向いてやす」
「……分かった。ヨーゼフ、マティアス、ゲルト! お前たちも臨時班長だ!」
そして――。
「おーい、お前ら! 今が稼ぎ時だ!
俺についてくりゃ、目いっぱい稼がせてやるぞ!」
「おおーーッ!!」
ドルゴンの声に、人夫たちは湧き立ち、仕事へ雪崩れ込んでいった。
◆
オズヴァルトは、倉庫の一段高い台から現場を見渡していた。
その視線は自然と、ひときわ大柄な男へ向かう。
ドルゴンは自分の班に的確に指示を出しながら、いつの間にか他の班長たちの動きにも目を配っていた。
声をかけるタイミングは絶妙で、誰も反発しない。
むしろ自然に従ってしまう。
(……指示を出した覚えはないのに、現場が回っている。
いや、回しているのは――奴か)
現場の規律も声も、すべてがドルゴンを中心に一つにまとまっていた。
(あれは……戦場の指揮官の目だ。
その辺の流れ者とは到底思えん。何者だ、お前は)
疑念と興味がないまぜになり、胸の奥がざわつく。
その日、ハルトマン商会は穀物袋を四百袋放出した。
通常よりやや多い分量だったが、他商会はその予兆に全く気が付かず。
「ハルトマンはやや多く売ってきたな、明日は自分たちも売る量を増やそう」
と悠長に考えていた。
その夜。
松明に照らされた倉庫は昼のような熱気で、積み替えの音が途切れなかった。
「次の段は右の列に積め! 焦るな、崩すな!」
「そっちは終わったか! じゃあ後の袋を寄越せ!」
ドルゴンの声を皮切りに、あちこちから返事が飛ぶ。
歩合制で稼ぎが増えると知った人夫たちは、疲労で足元がおぼつかない者すらいたが、誰も手を止めなかった。
作業がようやくひと息ついたのは、空がうっすら白み始める頃だった。
「よし! お前ら、よくやった!
少しだけ休め! 日が昇ったら続けるぞ!」
「お、おう……!」
ふらつきながらも男たちは反射的に返事をする。
その場の空気が“まだやれる”と信じ込んでしまうほど、ドルゴンの統率は強かった。
ドルゴンは短く息を吐き、壁にもたれて仮眠を取った。
翌朝――市場の門が開いた瞬間。
ハルトマン商会の売り場には、穀物袋が“山”を成していた。
「おい! ハルトマンが一割引で二千六百袋も出してきたぞ!」
「なんだって!? 二千六百袋!? 通常なら、市場全体で一日分の取引量じゃねぇか!」
買い付け人たちがどっと押し寄せ、ほどなく長蛇の列ができた。
一方、他商会では悲鳴が飛び交う。
「ちくしょう、出し抜かれた! 今日出せる袋は四百が限界だ!」
「搬入を増やせと言われても、人夫が集まらねえんだよ!
あいつらをハルトマンに根こそぎ持っていかれた!」
「くそっ……これ以上遅れたら値崩れする!」
その混乱を尻目に、ハルトマン商会の売り場だけが淡々と回っていく。
その日、ハルトマン商会は二千六百袋を売り切った。
翌日も二千袋を搬入。
他商会は人手不足で五百袋が精一杯。
市場の後半には相場はすでに底値へ落ち、他の商会は薄利で売るしかなくなり、
多く商会が悔し涙を飲んだ。
◆
同日朝。ハルトマン商会倉庫。
「お前たち、ご苦労だった。
三日で五千袋の目標を達成した。賃金は明日用意する。
今日は帰って休め」
オズヴァルトの声に、人夫たちは弱々しく「おう」と返事し、
それぞれふらふらになって帰路についた。
「ドルゴン、フカ、お前たちもご苦労だった」
「へい。お疲れ様でやした」
「おつかれした」
二人は二日ぶりにボロ屋へ戻った。
千姫は部屋の前で待っていた。
「千姫、今戻った」
「姫さん、戻ったぜ」
「まったく。二日も主を放っておくとは、不忠な奴らよ」
小言は言うが、その声には安堵が滲んでいた。
「首尾はいかがであった」
「上々……寝かしてもらおう」
「お、俺も……」
そう言うなり、ドルゴンとフカはぐうぐうと眠りに落ちた。
「ご苦労であったな」
千姫は小さく告げ、二人をねぎらった。
◆
最終的にハルトマン商会は、銀貨六百枚相当の莫大な利益を叩き出した。
すべては“三日間の速度”が生んだ勝利だった。
そしてその勝利の影には――
人手が必要な時に都合よく大勢の人夫を集め、
倉庫で黙々と現場を仕切り続けた、
一人の大柄な流れ者の姿があった。
(……ドルゴン。やはりただの人夫ではない)
オズヴァルトはその名を胸の中で繰り返し、得体の知れぬ男への興味を深めていった。
ドルゴンという人物が好きで書いた妄想小説です。
楽しんで頂けたら幸いです。
次回、2025/12/27 8時投稿予定




