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第一章ボロ屋編 第6話「一飯の恩」

あらすじ

清王朝初期、王朝拡大に大きな影響をもたらした摂政王ドルゴン。

徳川家康の孫にして、豊臣秀頼の正室・千姫。

権力の絶頂期に若くして急死したドルゴンと、

大坂夏の陣で落城寸前だった千姫は、

突如見知らぬ世界へと身一つで飛ばされる。

そこから成り上がる二人の物語。


主な登場人物

ドルゴン:清朝初期の権力者・摂政王

千姫:徳川家康の孫・豊臣秀頼の正室 猫かぶりのお姫様

フカ:逃亡奴隷、ドルゴンにフカと名付けられる。

「千姫は川へ洗濯に」


「婆は川へ衣洗へ……か。

 ……昔、読み聞かせられた御伽噺を思い出すのう。

 ……そういえば妾、この国に来て若返っておったのじゃったのう。

 まさか妾、川から流れてきた桃を食うてしもうたのか?」


千姫はひとり、ぶつぶつ言いながら歩いていた。


ドルゴンとフカが働きに出て数日。三人の衣には汚れが目立ってきた。

千姫は大家に、覚えたてのぎこちない現地語で洗濯場の場所を尋ね、

勇気を出して外へ出ていた。


「コ、コンニチハ……アリガトウ……。

 うぅ……胸が高鳴ってくるのう……。

 い、いや、妾は武家の娘。これしきで怖気づいてどうする!」


この世界に来て初めての“単独行動”。

千姫は落ち着かず、歩くたびに袖が揺れた。


やがて川の流れと、女たちの話し声が近づいてくる。


「おお、どうやらここが“洗濯場(Waschplatz)”というところじゃな」


千姫は胸を張り、女たちの集まる場所へ歩を進めた。

――ところが。


「ちょっとあんた、困るよ!」


鋭い声が飛んだ。


振り向くとそこには、銀に近い髪、毛並みの良い尾、

ピンと立った耳を持つ獣人の娘が立っていた。

年の頃は千姫の見た目と同じほど。背は高く、凛とした顔立ち。

貧相な身なりでも、美しさを隠しきれていない。


「ここは“いいとこ”の品の洗い場なんだよ。

 あんたは、あっちの川下の方でやってくれないと、あたいたちが叱られちまうんだ」


「す、すまぬ……」


(こ、これが女子の獣の民……。なんとも美しき娘ではないか……)


千姫は王都へ至る街道で男の獣人を見たことはあったが、

若い娘の獣人をここまで近くで見るのは初めてであった。


千姫は娘の指した先――川下へ向かった。


「コ、コンニチハ!」


「はいはい、こんにちは。おやまあ、変わった髪の子だね」


「ワタシハ“セン”デス」


「お千ちゃんね。言葉はあんまり分からないのかい?

 まあいいよ、こっちにおいで。ちょっとそこ、開けてやっておくれ〜」


肝の据わった中年女が場所を作ってくれ、千姫はそこへ入り、見よう見真似で洗濯を始めた。


周囲では、洗濯をしながら会話が飛び交う。


「旦那さん、また怪我したんだって? 大丈夫かい」

「最近あったかくなって助かるよ。手の感覚が戻るねぇ」

「今年は豊作だといいわぁ。麦の値が下がってくれるとね」

「あ、お嬢ちゃん、それはこう叩くんだよ、ほれ」


千姫はたどたどしい手つきを直されつつ、周囲の会話に耳を澄ませ、川の上下を観察した。


(川下には獣の民が粗末な衣を洗っておる。

 それより上流には、我ら人が洗っておるのじゃな。

 さらに上には……あれも獣の民?

 じゃが、洗っておる衣の品が良い……

 富ある家の洗い物を請け負っておるということか)


(む……よく見れば、獣の民といっても耳が違うのう。

 猫のような耳、犬のような耳……南蛮人・紅毛人という具合に、

 いくつもの種があるということじゃな)


ふと視線を戻すと、先ほどの銀髪の娘が見えた。


同じ種の獣人たちが近くで談笑しているのに、あの娘だけが黙々と洗濯を続けている。


(……あの娘、仲間に交じろうとせぬのか?)


千姫は不思議に思いながら、また洗濯へと手を戻した。



「これで良し、と……」


洗い物を終え、千姫は川の近くの共同干場に洗濯物を広げていた。

木に渡された紐には、各家庭の洗濯物がずらりと並ぶ。


周囲では女たちが洗濯の合間にも、相変わらずおしゃべりに夢中だった。


「王様、また大宴会パーティしたんだってさ。私らはこんなに苦しいのに、いいご身分だよ」

「金に糸目つけなかったらしいよ。まったくねぇ」

「まあでも、昔みたいに戦争で夫が出ずっぱりよりは、まだマシかね」

「そうそう。王女様は勉強熱心で、大変優秀らしいって聞いたよ」

「帝都じゃレオンの劇が大人気なんだって。一度見てみたいよ」

「劇団っていうと繁華街の方に、帝都の劇団の花形になりたいって変わった孤児の娘がいるんだってさ」

「ハルトマン商会の奥様、また教会に寄付なさったってねぇ。偉いもんだよ」

「でも、そのお嬢様がまた“お話し相手”を辞めさせたそうじゃないか。わがままで有名なんだと」


洗濯場は、王都のうわさを運ぶ風のようだった。


(パーティ……レオン……ハルトマン……何のことやら、さっぱり分からぬのう)


千姫は人の輪のすぐそばにいながら、洗濯物を見張るふりをしつつ周囲へ目を配る。


(……おや、あの娘……)


銀髪の獣人の娘が、やはり一人離れて立っていた。

同じ耳と尻尾を持つ娘たちが群れているのに、そこへ交じろうとしない。


千姫は意を決して、そっと近づいた。


「コンニチハ……。ええっと……なぜ、おぬしは一人でおるのじゃ?」



(……あ、さっきの変な子が話しかけてきた。

 人間なのに、私たち獣人に話しかけるなんて、変わった子ね。

 何を言ってるか、よく分からないけど……この子には敵意を感じない。

 人間たちは、私たちを蔑むか、卑ったらしい目つきでしか見てこないのに……)


「あの娘らと一緒じゃないのか?」


そう言って指さしたのは、犬族の娘たちだった。


(あー、そういうことね……)


「あの子たちは犬族。あたいは狼族だよ。

 人間には同じに見えるかもしれないけど、違う種族なんだ。

 狼族は誇り高い種族でね。あんなふうに人間に尻尾を振る犬族とは、一緒になれないのさ」


(……しまった。

 この子、敵意がないから油断して、余計なことまで話しちゃった)


余計なことを口にした獣人がどんな扱いを受けるか――その想像が娘の顔から血の気を奪った。


「そ、そうなのか……」


(あ、この子、ぜんぜん分かってない顔してる……)


恐れが取り越し苦労だと分かり、娘は胸を撫で下ろした。


「ワタシ、セン。アナタハ?」


「へぇ、センって言うんだね。あたいはラナだよ」


「ヨロシク、ラナ。ワタシ……トオイ トコロ カラ、キタ。

 アナタハ?」


「流れ者ってわけかい。あたいもさ。

 うちは……もともと森の奥に住んでたんだよ。

 父ちゃんが群れ大将の座を争って負けてね……死んじまった。

 そんで母ちゃんが、あたいと妹を連れて逃げてきたのさ。

 狼族はこの街じゃ珍しいし……人間にゃ嫌われるし……。

 まあ、生きるだけで必死ってわけ」


(……何だろう。いつもは言わないようなことを、つい喋っちゃってる)


「……そろそろ昼なんで、一回帰るよ。妹がいるんでね」


その時だった。


ぐぅぅぅ……


千姫の腹が、大きく鳴った。


「くっ……不覚っ!」


千姫は真っ赤になり、腹を押さえてうつむく。


(……なんなのよ、その顔。こういうの、応じたらいいか困っちゃうじゃない)


人間の卑しさも蔑みも、千姫からは感じなかった。

ラナはすっかり警戒心が解けてしまっていた。


「……お千、あんた、メシまだなんだろ。

 よかったら家に……来るかい?

 母ちゃんは何か言うかもしれないけど、きっと大丈夫さ」


ラナは気づけば、そう口にしていた。


「一飯の恩」


ラナの家は、洗濯場から少し歩いたところにあった。

千姫の住処と同じくらい、みすぼらしい貧乏長屋だ。


「ここがあたいの家だよ。……ミナ、戻ったよ。出ておいで」


ラナが呼びかけると、部屋の奥で影が動いた。


「お姉ちゃん?……あ、お姉ちゃん! おかえりなさい!」


小さな毛玉のような少女がラナへ駆け寄ってくる。

そして千姫の姿を見た瞬間、ぴたりと止まり、ラナの背に隠れた。


「……め、めんこい子じゃのう……」


千姫は思わず声を漏らした。


「この人は、お姉ちゃんの……友達だよ。お千ってんのよ」


「セン……お姉ちゃん?」


「そう。お千お姉ちゃん」


ラナとミナは狼族の言葉で話す。

人の言葉を喋るときのラナとは違い、声色は柔らかく、女性らしい。


「お千、この子はあたいの妹のミナ」


「コンニチハ、ワタシハ“セン”デス。ヨロシク、ミナ」


「ヨ、ヨロシク、セン……お姉ちゃん……」


千姫と同じくらいたどたどしい言葉で、ミナは挨拶を返した。

家族以外、ましてや人間を間近で見るのは初めてらしく、戸惑いが隠せない。


「お千、もうすぐ母ちゃんが帰ってくるはずだから、ちょっと待ってな。

 母ちゃんは“マナ”ってんだ。市場で働いてるから、いろいろうまいもん持ってきてくれるんだ」


「カアチャンハ、マナ……」


「お千、あんたがそれ言うなら“お母さんはマナさん”だよ」


「オカアサンハ、マナ、サン……」


「オカアサンハ、マナ、サン……」


「ミナ、あんたは“母ちゃんはマナ”でいいんだよ」


「???」


ラナ、ミナ、千姫が他愛もない話をしていると、外から声が聞こえた。


「ただいまぁ。お待たせ、ラナ、ミナ! 今ご飯にするからね」


ラナの母、マナが部屋に入ってきた。

しっかりした体格で、ラナが成長すればきっとこうなる

――そう思わせる落ち着いた美しさのある女性だ。


「……お帰り、お母さん……」


「……ラナ、その子は?! ……ちょっと来なさい。ミナも!」


マナは驚き、二人を部屋の外へ連れ出した。


「ラナ、どういうことなのよ。人を家に連れてくるなんて。

 下手なことをしたら、ここに住めなくなるかもしれないのよ」


「ち、違うのよお母さん。お千は……お千はね、匂いが違うの。

 あたしたちを蔑む感じがしないの。

 最近この街に来たばっかみたいで、お腹空かせてそうだったから……

 今日だけ、一緒にご飯食べさせてあげたいの……」


ラナの真剣な言葉に、マナの表情がわずかに緩む。


「……今日だけだからね」


渋々ながらも許しが出た。


三人は部屋に戻った。


「あんた、お千ちゃんって言うんだね。ラナが友達だって言うから……

 今日だけは一緒にご飯を食べていきな。

 と言っても、市場の残りもんだから、あんまり期待しないでおくれよ」


「コンニチハ。ワタシハ“セン”デス。ヨロシク、マナ、オカアサン」


千姫はたどたどしい言葉ながら、実に丁寧な所作でマナへ礼を示した。


(……言葉はあまり分かってないみたいだけど……

 まるでどこかのクニのお姫様みたいじゃないか。

 ……それに、ラナの言う通り……確かに匂いが、ほかの人とは違う……)


マナの警戒心は少しずつ薄れていった。


ラナ一家と千姫は、簡素な食卓を囲んだ。

マナが市場でもらってきたパンの切れ端、ハムの切れ端、傷んだ果物を並べる。

見た目は良くない。だが味は悪くなく、お腹は十分満たされた。


食事を終えると、千姫は静かにラナとマナを見つめた。


「マナ殿、そしてラナ殿……大変おいしゅう馳走でございました。

 この御恩、決して忘れませぬ」


異国の言葉であったが、その眼差しに宿る感謝だけは、

しっかりと二人に伝わっていた。



「韓信の股くぐり」


「ふふふ〜ん♪」


――その夜、千姫は上機嫌に裁縫をしていた。


「姫さん、なんか機嫌良さそうだな」


「千姫、今日はなにか良いことがあったのか?」


「おお、聞いとくれ。今日、妾は洗濯場に行ってきたのじゃ……

 そこには、たくさんの女子おなごたちがおってのう……」


「……女たちは、どんな話をしていたのだ?」


ドルゴンの眉が少し動く。


「そうよのう……細かいことは聞き取れなんだが、

 豊作、麦の値、パーティー、レオン、ハルトマン……とか聞こえてきていたのう」


「……そうか。洗濯場はどんな様子だったのだ?」


「洗濯場は、川下・川中・川上と分かれておって、人と獣の民が所を分けて洗っていたぞ……」


千姫は見てきた洗濯場の状況を思い出して伝える。


「千姫、また洗濯場に行った際には、女たちが何を話していたか教えてくれ」


「構わぬが……ドルゴン、それは役に立つのかの?」


「ああ、必ず役に立つ」


ドルゴンは強く断言し、鋭い目を千姫に向けた。


「……分かったのじゃ。必ず持ち帰ろうぞ」


千姫もまた、目で答えた。


「そうそう、妾、ラナという娘と会ってのう……」


――あれは、まさしく“一飯の恩”であった。


千姫は「一飯之恩」と空にそっと指で描き、

ラナの家での出来事を熱く語りながら感慨にふけった。


「一飯之恩……か。ならば、股を潜ったのか?」


ドルゴンは自分の股を、とん、と叩く仕草をする。


「股? ……って、潜るわけなかろうが! 戯言を申すな!

 ――って、痛っ!」


ぷすり。

千姫は針で指を刺し、情けない声を上げた。


「フッ……」


と、ドルゴンが鼻で笑った。


「まったく、さっきから二人とも何言ってんだよ!」


フカは話についていけず、ただ困惑していた。


ドルゴンという人物が好きで書いた妄想小説です。

楽しんで頂けたら幸いです。


次回、2025/12/26 20時投稿予定

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