第二章商会乗っ取り編 第23話「ハルトマン商会長の死」
あらすじ
清王朝初期、王朝拡大に大きな影響をもたらした摂政王ドルゴン。
徳川家康の孫にして、豊臣秀頼の正室・千姫。
権力の絶頂期に若くして急死したドルゴンと、
大坂夏の陣で落城寸前だった千姫は、
突如見知らぬ世界へと身一つで飛ばされる。
そこから成り上がる二人の物語。
流れ着いたローデン王国王都フィオレンツにて、
荷役として働き始めたドルゴンは才覚を発揮し、
遂にハルトマン商会の王都倉庫長として正社員に就任する。
その裏で、王宮の奥にあるという帰還の鍵を手に入れるために、
二人は商会乗っ取りに向けて動き出す。
主な登場人物
ドルゴン:清朝初期の権力者・摂政王
千姫:徳川家康の孫・豊臣秀頼の正室 猫かぶりのお姫様
孤児の才女サラとして、商会長屋敷に潜入中
フカ:逃亡奴隷、ドルゴンにフカと名付けられる
河野:ドルゴンの部下となった日本人女性 人の醜聞を覗くことが生きがい
ヨアン:妹を買い戻すためにドルゴンの部下となった元丁稚の少年
エルドリン:繁華街で火起こしの術を披露している大道芸人 ダルガの食客
ルーヴァ:エルドリンの孫 聡明な頭脳と術師の血統を持つ
ブリギッタ:ダルガの管理人となった老婆
リリア:ハルトマン商会長の一人娘 我儘お嬢様
カロリーネ:ハルトマン商会長夫人 ドルゴンと不貞の関係になる
エーバーハルト:ハルトマン家家宰
商会長:ハルトマン商会会長
ベッセル:ハルトマン商会番頭
アグリオス:ハルトマン商会 農村統括長
主な用語
ハルトマン商会:ドルゴン、フカが働いている商会
正社員:幹部
準社員:従業員
グライフェン地方:王都を支える一大穀倉地帯
港:グライフェン地方の物流拠点
砦:グライフェン地方の防衛拠点、反乱の本拠地となっている
ダルガ:ドルゴンの屋敷、転じてドルゴンの私的組織
術わざ・奇跡の術:体内の血肉を違う形に変換する術のこと。街の人たちからは魔法と呼ばれる
「薬」
話は、反乱した農民たちに対して、商会の鎮圧部隊が敗北する前にさかのぼる。
「グライフェン地方で、農民の反乱が起きたそうですね。心配だわ」
「ベッセル殿が向かっております。港も既に奪還されたとのことですので、鎮圧は時間の問題でしょう」
カロリーネの心配を、ドルゴンは宥めた。
反乱の報せはあったが、鎮圧に向けて事態が進んでいる気配もあり、
二人は短い時間ながら密会の場を持っていた。
「ところで、最近、商会長はお疲れの様子です。少し心配です」
「え? ええ、そうかもしれないわね」
カロリーネは、密会の場で一番聞きたくない名前を耳にし、わずかに気分を害した。
「カロリーネ様、これを」
ドルゴンは、小さな袋をカロリーネの前に差し出した。
「これは……何なの?」
「お薬です。飲めば気持ちが鎮まります。こちらをカロリーネ様から商会長にお渡しいただけませんか?」
ドルゴンは、カロリーネの目を見てそう伝えた。
「え、ええ……」
カロリーネは、ドルゴンから渡された「薬」が、自分の生活を壊すもののように感じられ、受け取ることを躊躇った。
「ああ、ご安心を」
そう言うと、ドルゴンは薬の粉を杯の水に溶かし、そのまま飲み干してみせた。
「この通り、口にしても問題ないものですよ」
ドルゴンが実際に薬を飲んでみせたことで、カロリーネは胸を撫で下ろした。
「分かりました。頃合いを見て渡しておきます。
ドルゴンさんは、心配りのできるお方なのですね」
そう言って、カロリーネは薬を受け取った。
「いえ、これは商会のためです。それに、商会長が倒れられては、カロリーネ様とお会いすることも難しくなってしまいます」
「まあ……」
カロリーネは微笑み、ドルゴンに身を寄せた。
◆
――そして現在、
鎮圧部隊敗北の知らせを受けた商会長は、ドルゴンが農民反乱に当たっている間に、
期日を迎えつつある契約納入分の穀物を何とか確保しようとして奔走していた。
途中でベッセルが王都に戻り、番頭に復帰したことで業務の負担は分散されたが、それでも慌ただしい日々は続いていた。
商会長の顔には疲れが溜まり、眠れない日々が続いている様子が見て取れた。
その日も商会長は、知人に資金の融通を頼む手紙を夜遅くまで書いていた。
「あなた、少しお休みになってください。このままでは、お体をこわしてしまいます」
「カロリーネ、君はもう休みなさい」
商会長はカロリーネに視線を合わせずに答えた。
その様子を、カロリーネは複雑な表情で見つめた。
(こんなことになるなんて……商会はどうなってしまうの……ドルゴンさん、どうか穀物を手に入れてください……)
ドルゴンのことを思い出したことで、例の薬のこともカロリーネの頭に浮かんだ。
カロリーネは、その薬を懐から取り出した。
「これはお医者様からいただいたお薬です。飲めば心が鎮まります」
カロリーネは、ドルゴンから渡された薬を商会長の机の上に置いた。
「……」
「では、私は休みます」
「ああ、お休みカロリーネ」
商会長はそう言いながら、手紙を書き続けた。
カロリーネは自室へと下がっていった。
「水差し」
同日夕刻
「サラさん、お水をお持ちしました」
「ありがとうございます。いただきます」
部屋で読書をしていた千姫のもとに、水差しが届けられた。
千姫はそれを受け取り、届けた人物とわずかに目配せを交わした。
『十月十四日の夕刻、千姫のもとに一つの水差しが届けられる。その水は口にしない』
千姫は、届けられた水差しを見つめながら、あの夜にドルゴンから受けた指示を思い出していた。
夕食の時間が過ぎ、夜となった。
千姫は、部屋を密かに抜け出した。
千姫は廊下を進み、屋敷の奥へと足を運んだ。
そこには、品の良い水差しが置かれていた。
『その水差しを、夜、頃合いを見て、二階奥廊下にある水差しと入れ替えて持ち帰る』
鎮圧部隊の敗北によって不安が広がる商会長屋敷では、千姫の動きに注意を払う者はいなかった。
そのため、水差しは滞りなく入れ替えられた。
(ここは商会長夫妻の部屋の近くか。この行いには重い意味があるのだろうの……いや、深く考えるのはやめようぞ……)
千姫は、入れ替えた水差しの水を、廊下の花瓶、部屋の便壺、そして窓の外へと分けて捨てた。
『入れ替えた水差しの中身は、飲まずに小分けにして捨て、水差しは翌朝、食堂にひそかに返却する』
千姫は、夕食以降、水を口にしていなかったため喉の渇きを覚えたが、それを我慢した。
そのまま床に入ったものの、自分が行った行為の意味をあれこれと考え続け、あまり眠ることはできなかった。
「ハルトマン商会長の死」
――翌朝、商会長屋敷の扉を激しく叩く音が響いた。
「グライフェン港から参りました伝令です。急報、急報!」
使用人が応対し、すぐさま家令のエーバーハルトが応じた。
「承ります」
「ドルゴン殿が、グライフェンの反乱農民たちの説得に成功し、穀物を確保しました」
「なんと! まことか!」
そう言うと、伝令の男は荒い息をつきながら書簡を差し出した。
その顔からは、昨日ほとんど休まず移動してきた様子がうかがえた。
~~~~~~~
十月十四日、ハルトマン商会反乱鎮圧部隊は、反乱農民の説得に成功し、穀物の確保に至った。
ついては、穀物搬送のための応援を、至急グライフェン港へ派遣されたい。
なお、人質となっていた商会社員らはすべて保護され、農村統括長アグリオス殿のご無事も確認している。
反乱鎮圧部隊隊長
王都倉庫長 ドルゴン
~~~~~~~
エーバーハルトは書簡に目を通し、その視線を伝令に向けた。
伝令は視線で応じた。
「応接間で待っているように」
エーバーハルトはそう言い、使用人に伝令を案内するよう命じた。
さらに、飲み物と温かい食べ物を供するよう付け加えた。
エーバーハルトはそのまま、商会長の部屋へと向かった。
「旦那様、朗報でございます!」
エーバーハルトは、商会長の部屋の扉を叩いた。
だが、返答はなかった。
「失礼します……旦那様!」
エーバーハルトの目に、床に倒れ込んだ商会長の姿が飛び込んできた。
◆
その裏では――
伝令に応対した使用人を通じて、「農民から穀物が手に入った」という知らせが屋敷中に広まり、屋敷内には安堵と歓喜の声が広がっていった。
やがて、その声は部屋にいた千姫のもとにも届いた。
「ドルゴン、やったのじゃな」
千姫はそう小さくつぶやき、拳を握って喜んだ。
◆
「奥様、大変でございます。旦那様が!」
エーバーハルトは、カロリーネの部屋の扉を勢いよく叩いた。
カロリーネの側女マルタが応じ、カロリーネを目で呼んだ。
「どうしたのですか、エーバーハルト?」
朝の支度中であったカロリーネは、扉の影から答えた。
「旦那様がお倒れになっています。息をしておりません」
エーバーハルトは、青ざめた顔で伝えた。
「なんですって!」
カロリーネの脳裏には、昨日渡した「薬」のことが浮かび、心が大きく揺れ動いた。
カロリーネは扉の影から飛び出し、そのまま商会長の部屋へ向かった。
そしてその目には、机の影で動かなくなった夫の姿が映った。
「あなた!」
カロリーネはそのまま商会長に近づき、その体を揺さぶったが反応はなかった。
その体は冷たく、息をしていなかった。
「っ……」
「奥様……」
カロリーネは、商会長の体に触れたまま、しばらく動くことができなかった。
マルタはカロリーネの側で狼狽し、立ち尽くしていた。
「今、他の者を呼んでまいります。お医者様を呼びに行かねば」
エーバーハルトは、そう言って部屋を出ようとした。
「お待ちなさい、エーバーハルト!」
カロリーネはエーバーハルトを呼び止めた。
その目には涙が浮かんでいたが、カロリーネはそれを拭った。
「下の方が騒がしいようですが、何かあったようですね?」
「それが、ドルゴン殿が農民たちを説得し、穀物が手に入ったことを報せる伝令が訪れております」
エーバーハルトは書簡をカロリーネに渡し、カロリーネはそれに短く目を通した。
「だとすると……いま商会長が意識を失って倒れたということが明らかになるのは、よろしくありません」
カロリーネは、一瞬ためらいながらも状況を冷静に判断した言葉を口にした。
「ですが、奥様!」
「私も辛いです!……ですが、今は穀物を速やかに納入しないと、商会の存続が危うい状況です。
そのことを理解しなさい」
「……かしこまりました」
エーバーハルトは言葉を飲み込んだ。
「では、どうすればよろしいのでしょうか……」
カロリーネはしばらく黙した後、次のように指示した。
「ベッセルさんを呼びましょう。マルタ、あなたが使いの者を出すように伝えなさい。
使いの者には、急ぎの用とだけ伝えるように」
「エーバーハルトは、伝令の方に労いの言葉をかけたうえで、直ちに商会倉庫へ向かわせ、
グライフェン港へ荷役の応援を出すよう伝えさせなさい。
それは商会長の指示であると付け加えなさい。私が責任を取ります。
そしてお医者様は、エーバーハルト、あなたが密かに呼びに行きなさい」
マルタとエーバーハルトは、カロリーネの指示に筋が通っていると理解し、それぞれ直ちに行動に移した。
◆
商会長の部屋に残されたカロリーネは、あらためて部屋の中を見渡した。
机の上には、書きかけと思われる手紙と、カロリーネが渡した薬、そして水差しと杯が残されていた。
その光景を見た途端、カロリーネの鼓動は高まった。
カロリーネは咄嗟に薬の袋を懐に隠した。すると、カロリーネの目は杯に留まった。
カロリーネの脳裏には、ドルゴンが薬を杯の水に溶かして飲み干していた様子が浮かんだ。
(もしも、杯に薬を溶かして飲んでいたら……それを調べられるのはまずいわ)
カロリーネは杯を取り上げ、隣の寝室にその杯を隠した。
戻ってきたカロリーネは、水差しにも気が付いた。
(水差しだけ残っているのも不自然ね……)
そう思ったカロリーネは、水差しも寝室に隠した。
さらに、中身の水を調べられたくないと思ったカロリーネは、杯と水差しの水の両方を、咄嗟に窓の外へ捨ててしまった。
カロリーネは、杯と水差しが普段使っているものより少し品の落ちるものであることには気が付かなかった。
しばらくして、側女のマルタが戻ってきた。
カロリーネは、急ぎ身支度を整え、番頭ベッセルの到着を待った。
カロリーネが身支度を終えてしばらくすると、ベッセルが屋敷に到着した。
玄関で待機していたマルタが、ベッセルを連れて商会長の部屋へ向かった。
「どうぞ」
「商会長、朝早く失礼します。穀物が手に入ったと聞きましたが……」
ベッセルは、自分を呼んだ使者から穀物が手に入ったと聞いていたため、急ぎの用事はその件であると思い込んでいた。
商会長の部屋の扉をマルタが叩き、応じたのは女性の声だった。
ベッセルは、そのやり取りに疑問を覚えつつ部屋に入った。
しかし、商会長の姿は見当たらず、そこに立っていたのは夫人のカロリーネだった。
「奥様、これは一体?」
「ベッセルさん、こちらに来てください」
カロリーネは暗い顔でベッセルを迎えた。
ベッセルは嫌な予感を覚えつつ、カロリーネの言葉に従って部屋の奥へ足を進めた。
「商会長!……奥様、これは」
ベッセルは膝をついて驚愕し、カロリーネの方を見据えた。
「朝、エーバーハルトが部屋を訪れたときには、主人は倒れていました。
今、お医者様を呼んでおりますが、
既に体は冷たく、息もしておりませんので、恐らくは……」
カロリーネは、顔を横に振った。
「そんな……アルベルト」
ベッセルは、商会長の名前をつぶやき、そのまましばらく動くことができなかった。
先日の反乱鎮圧の失敗に続き、
若いころから行動を共にし、兄弟に近い盟友であった男の突然の死は、
ベッセルの精神を急激に蝕んでいった。
「……ベッセルさん、ベッセルさん」
カロリーネの何度目かの呼びかけで、ようやくベッセルは、自分がカロリーネに呼ばれていることに気が付いた。
「……奥様、失礼しました」
「これを、ご覧ください。穀物が手に入ったとは、聞いていますね?」
そう言って、カロリーネはドルゴンからの書簡をベッセルに手渡した。
ベッセルは、その書簡に目を通した。
カロリーネは続けて、商会長が倒れていることは今のところ屋敷の内部にも秘匿にしていること、
そして王都倉庫には、商会長の許可があったということにして、グライフェン港に荷役の応援を
向かわせるよう指示を出していることを伝えた。
「承知いたしました。この状況では、適切な対応であると思われます」
ベッセルは、カロリーネの対応を追認した。
ベッセルは内心で、危機の状況にあって適切な判断を下した夫人に対し、驚きも感じていた。
そうしているうちに、エーバーハルトが、かかりつけの医者を連れて戻ってきた。
医者によって、商会長の診察が行われた。
「残念ですが、亡くなっておられる。お悔やみを申し上げる」
医者は、カロリーネに向けて頭を下げた。
その場に居合わせたエーバーハルト、ベッセル、マルタも、あわせてカロリーネに頭を下げた。
「ご配慮、感謝いたします」
カロリーネは、わずかに言葉を発すると、暗い表情で立ち尽くした。
「先生、旦那様はどうして亡くなられたのでしょうか?」
エーバーハルトが口を開いた。
「原因は何とも言えませんな。外傷はないので、急に亡くなられたか、あるいは毒などということも考えられる」
医者の口から出た「毒」という言葉に、カロリーネの心は大きく反応し、鼓動が増した。
「主人はここ連日、商会の業務に追われ、夜遅くまで仕事をしており、心労が重なっておりました。恐らくは……」
カロリーネは、冷静を装ってそのように口を開いた。
その言葉に疑問を挟む声は現れなかった。
夫人であるカロリーネのその一言は、事実としてその場に受け止められた。
「今は、これからどうするかということが大切です」
カロリーネは、そう言って言葉を続けた。
カロリーネは、まず商会長の遺体を隣の寝室に運ぶよう指示した。
全員が協力し、商会長の遺体は寝室へ運び込まれ、寝台の上に寝かされた。
「これからのことを、ベッセルさん、エーバーハルトと話します。
先生はしばらく、外してください」
カロリーネはそう言い、医師をマルタに案内させて、控えの部屋に下がらせた。
◆
「ベッセルさん、穀物はドルゴンさんによって確保されましたが、
商会長がおられない状況で、納入をすることはできますか?」
最初に口を開いたのは、カロリーネだった。
「難しいかと思います……市井の相手ならともかく、王国への年貢の上納には、手続き上、
商会長の署名が必要となります」
「私や、ベッセルさんの署名では難しいですか?」
「王国相手には、難しいでしょう」
カロリーネはしばし黙し、その後に話を続けた。
「では……致し方ありません。商会長は過労で体調を崩されたが、意識はあり、
今後しばらくは部屋で執務をとることといたしましょう。
主人は、王国への年貢の納入が無事に終わるまでは生きており、
納入が終わって落ち着いた後に亡くなったこととし公表する。
今は、このようにして事態を乗り切りましょう」
その言葉に、ベッセルとエーバーハルトは驚いたが、やがて二人は顔を縦に振った。
「ベッセルさん、主人の代筆はできますね」
「……問題ございません。長年代筆をする機会はありましたので、同じ筆跡で署名することができます」
「わかりました。
エーバーハルト、主人のことは屋敷内にも秘匿とします。
主人は、連日の過労で体調を崩し、穀物の納入が迫っている状況であるので、
お部屋でお休みになりつつ、執務を行っている。
業務は緊迫しているため、その看病は、私とマルタ、エーバーハルト、ベッセルさんで行うこととする。
そのように屋敷内には伝えることとします」
「奥様、それではリリア様にも秘匿にされるということですか? それは、あまりにも……」
エーバーハルトは、商会長の一人娘であるリリアのことを案じていた。
「可哀そうですが、そうせざるをえません……
今は商会の存続に関わる事態です。あの子の口から事実が漏れるわけにはいきません……」
カロリーネは、そう言って言葉を強くした。
その目には、事態を受け入れつつある緊張が宿っていた。
ベッセルとエーバーハルトは、これまで飾りのようにしか見てこなかったカロリーネが、
ここまで踏み込んだ判断を示すことに目を見開いた。
今この場を主導していたのは、間違いなくカロリーネであった。
そして、危機的な状況で大胆に振る舞えていることに、カロリーネ自身もまた大きく驚いていた。
方針は定まり、医師は再び商会長の部屋に呼び戻された。
そして、商会長の死の秘匿と、遺体への可能な限りの防腐処理への協力が求められた。
その後、ベッセルは商会の本館へ向かい、グライフェン港への事務員の社員の派遣を手配した。
医師により、商会長の遺体には香油などで可能な限りの防腐処理が施され、布で包まれた。
そして、その夜、商会長の遺体は、その死を知る者たちによって、屋敷地下の冷暗な場所へ密かに移された。
また、カロリーネが商会長の部屋から寝室に隠した杯と水差しは、カロリーネ本人によって、食堂へ人知れず戻された。
◆
慌ただしい一日が一区切りした。
夜遅く、自室に戻ったカロリーネの意識は、商会長の死因のことに占められていた。
自らが渡した薬――それが実は毒だったのではないか。
その疑念は拭いきれず、カロリーネの思考は同じところを巡り続ける。
(これは本当に“薬”だったのかしら……ああ、わからないわ……)
カロリーネはふと思い立ち、机の上に手紙を置き、一筆したためた。
~~~~~~~
あの人の後を追います。
~~~~~~~
やがてカロリーネは覚悟を固めるようにして、懐に戻していた薬を取り出し、杯の水とともに飲み干して寝台に入った。
カロリーネの疲れは頂点に達していた。
もし本当にこれが毒だったとしたら、これで終わっても仕方がない――カロリーネはそのような気持ちであった。
ほどなくして、カロリーネの意識は遠のいていった。
――気がつけば、朝になっていた。
目覚めたカロリーネは自分の体を見渡したが、特に異常は見当たらなかった。
その瞬間、カロリーネの身体から力が抜けた。
ドルゴンから渡されたものは、本当に薬であったのだという確信が、カロリーネの中に生まれていた。
(あの人が亡くなったのは、本当に過労だったのだ)
カロリーネの頭の中では、商会長の死は過労によるものであったのだと整理されていた。
それにより、カロリーネの意識は、商会の危機をいかに乗り切るかということへ完全に向けられていた。
◆
商会長が謎の死を遂げた翌日、エーバーハルトによって、商会長が過労で少々体調を崩されたということが
屋敷内に伝えられた。あわせて、商会が現在危機的な状況にあるため、そのことを屋敷の外へ漏らすことは
控えるように、ということも伝えられた。
さらに、商会長は体調を崩しつつも、この状況に対処するため、自室にて執務を取りながら過ごしていること、
その対応には逐次指示が必要であるため、その世話はカロリーネ、側女のマルタ、エーバーハルト、番頭ベッセルによって行われること、
使用人たちは不用意に部屋へ近づいて執務の邪魔をしないように、ということが命じられていた。
穀物が手に入ったとはいえ、商会の危機的状況が続いていることもあり、使用人たちはエーバーハルトの言葉に素直に従った。
商会長の娘であるリリアは、父親が体調を崩したと聞き、商会長の部屋へ見舞いに訪れた。
だが、リリアは部屋の前でエーバーハルトに引き留められた。
「なぜよ! なぜ、お父様にお会いできないの!」
リリアは大きな声で騒ぎ立てた。
「エーバーハルト、あなた、何か隠しているんじゃないの?」
その言葉に、エーバーハルトの内心は動揺したが、エーバーハルトの脳裏にはカロリーネの制止の言葉が浮かんだ。
「お嬢様、旦那様は今、お仕事でお忙しいのです。どうか、お引き取り下さい」
エーバーハルトは冷静さを装い、リリアの入室を断った。
そして、エーバーハルトはリリアの養育係であるフロレンツィアに視線を向けた。
「お嬢様、無理をおっしゃるのはやめましょう。また、お見舞いは旦那様のお仕事が落ち着かれたころに参りましょう」
「お嬢様フロレンツィアさんのおっしゃる通りです。今は静かにしていましょう」
フロレンツィアとサラに促される形で、リリアは渋々と引き下がった。
その顔には、大人たちが何かを隠しているという疑念が強く残っているようであった。
去っていくリリアの背中を見届けながら、エーバーハルトの額には冷や汗がにじんでいた。
ドルゴンという人物が好きで書いた妄想小説です。
楽しんで頂けたら幸いです。
次回、2026/3/27 20時投稿予定




