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第二章商会乗っ取り編 第22話「ドルゴン飛翔す」

あらすじ

清王朝初期、王朝拡大に大きな影響をもたらした摂政王ドルゴン。

徳川家康の孫にして、豊臣秀頼の正室・千姫。

権力の絶頂期に若くして急死したドルゴンと、

大坂夏の陣で落城寸前だった千姫は、

突如見知らぬ世界へと身一つで飛ばされる。

そこから成り上がる二人の物語。


流れ着いたローデン王国王都フィオレンツにて、

荷役として働き始めたドルゴンは才覚を発揮し、

遂にハルトマン商会の王都倉庫長として正社員に就任する。

その裏で、王宮の奥にあるという帰還の鍵を手に入れるために、

二人は商会乗っ取りに向けて動き出す。


主な登場人物

ドルゴン:清朝初期の権力者・摂政王

千姫:徳川家康の孫・豊臣秀頼の正室 猫かぶりのお姫様

フカ:逃亡奴隷、ドルゴンにフカと名付けられる

河野:ドルゴンの部下となった日本人女性 人の醜聞を覗くことが生きがい

ヨアン:妹を買い戻すためにドルゴンの部下となった元丁稚の少年 

エルドリン:繁華街で火起こしの術を披露している大道芸人 ダルガの食客

ルーヴァ:エルドリンの孫 聡明な頭脳と術師の血統を持つ

ブリギッタ:ダルガの管理人となった老婆


オズヴァルト:商会倉庫の荷役統括 現在は倉庫長ドルゴンの部下

商会長:ハルトマン商会会長

ベッセル:ハルトマン商会番頭

アグリオス:ハルトマン商会 農村統括長

カール:商会長の叔父 一時的に番頭代理を務める


ゲルト:商会への借金で嫁を奪われた元自作農 王都で荷役をしていたが農民たちを率いて反乱を起こす

マティアス:中規模自作農 商会に怒りの声を上げた 長女が結婚間近だった


主な用語

ハルトマン商会:ドルゴン、フカが働いている商会

正社員:幹部

準社員:従業員

グライフェン地方:王都を支える一大穀倉地帯

港:グライフェン地方の物流拠点

砦:グライフェン地方の防衛拠点、反乱の本拠地となっている


ダルガ:ドルゴンの屋敷、転じてドルゴンの私的組織

術わざ・奇跡の術:体内の血肉を違う形に変換する術のこと。街の人たちからは魔法と呼ばれる

「密会」


ドルゴンを農民反乱の交渉へ派遣することが決まった夜、ドルゴンはハルトマン商会長の屋敷に近い路地裏へ足を運んだ。

十月初めの夜気は冷え始めており、空には月明かりも乏しかった。

屋敷の灯りが遠くに滲み、路地裏には深い影が落ちていた。

その影の中に、小さな人影が静かに立っていた。


「今宵は良き夜じゃのう、ドルゴン」


千姫の声は冷静を装っていたが、その調子には嬉しさが見え隠れしていた。

静まり返った路地に、その声だけがやわらかく響いた。


「千姫、無事に抜け出せたのか」


ドルゴンは落ち着いた声で応じた。

ドルゴンの吐く息が、わずかに白く夜気に溶けた。


「今、屋敷は件の報せを受けて騒然としておる。妾のことなど誰も気に留めぬわ」


「よし、では要件を伝える」


口を開こうとしたドルゴンを、千姫が手で静止した。


「のうドルゴン、お主は風情がないのう……

 会いたかったとか、声が聞けて嬉しいとか……そういうのは無いのか?

 久々に顔を合わせたのじゃ、もっと逢瀬を楽しもうぞ……」


「……」


ドルゴンは何も言わなかった。

二人は何も語らないまま向かい合い、静かな沈黙が流れていた。

風が路地をかすめ、どこかの軒の木札がかすかに鳴った。


「ドルゴン、向こうを向くがよい……いいから……」


千姫は照れくさそうに言った。

そしてドルゴンが向きを変えると、その背中にそっと熱が伝わってきた。

冷えた夜気の中で、その温もりだけがはっきりと感じられた。


「始めるのじゃな……お主はいつも一人で抱え込むからの。どうせ何をするか聞いても教えてはくれまい。

 じゃがの、主としてこれだけは言わせてくれ……お主がこれから犯す罪は、妾も背負う」


千姫の声は、背中越しに静かに届いた。


「それにの」


千姫はドルゴンの正面に回った。


「あの屋敷におって気づいたんじゃが、妾、己が思っていたよりも浅ましい心を持っていたようじゃ。

 妾もあの屋敷を手に入れたくなったわ」


そう言って、千姫は笑った。


「そうか……」


その笑顔に、ドルゴンも口元をわずかに緩めて応じ、二人は見つめ合った。


短い時間が過ぎた。

だが二人には、とても長い時間のように感じられた。

夜は深く、路地には二人の息づかいだけが残っていた。


そしてドルゴンは視線を千姫に揃え、口を開いた。


「……千姫、これから話すことをよく聞いてくれ……」



「ドルゴン飛翔す」


早朝の王都倉庫前には、フカ、オズヴァルト、ヨアンの三人が、ドルゴンを見送るために立っていた。


「オズヴァルト、倉庫の業務は任せた。お前なら滞りなく仕事を回せるだろう」


「ああ、任せてくれ。それよりも、農民たちのところに一人で行って、本当に勝算があるのか?」


オズヴァルトは、一人で反乱の説得に向かうドルゴンを案じ、疑問を呈した。


「そこは問題ない。まあ、見ておけ」


ドルゴンの当然のような態度を見て、オズヴァルトの懸念は、この男ならば問題ないだろうという感覚へと変わっていた。


「ヨアン、オズヴァルトのもとでしっかりと働き、またその働き方をよく見ておけ」


「承知しました。ドルゴン様」


ドルゴンはヨアンに短く訓示し、ヨアンはそれに応じた。


「なあ、兄貴……俺も一緒に行くよ」


フカはドルゴンを心配し、自分も同行すると名乗り出た。


「フカ、名乗り出る志は立派だが、今はその時ではない。

 反乱の場は危険だ。今は儂一人で行く。むしろ反乱が収まれば、穀物を急いで王都に運ぶ必要がある。

 そこからが本番だ。その時は荷役を率いてグライフェン港まで来てくれ」


「ああ、分かったよ。兄貴、無事を祈ってるぜ」


フカは役割を与えられたことで腹落ちし、見送りの声をかけた。


「では、行ってくる」


そう言うと、ドルゴンは馬にまたがり、グライフェン港に向けて駆けていった。



ドルゴンは、陽が西へ傾くころ、グライフェン港へ到着した。


「ベッセル殿、ご無事でしたか」


ドルゴンは、グライフェン港で守りを固めていたベッセルに声をかけた。


「ドルゴン、貴殿が来たのか」


ベッセルは短く応じた。その顔には疲れが見えていた。

そのままドルゴンとベッセルは、状況の引き継ぎについて話し込んだ。

ベッセルは敗戦の責任について、言い訳めいたことは何も口にしなかった。


「では、貴殿は農民たちを説得するために一人で来たのか」


ベッセルは、ドルゴンが単身で来たことに驚いた。だが、自身の敗戦の自覚もあり、それを咎める言葉は口にしなかった。


「はい、勝算がはっきりあるわけではありません。ですが、このまま手をこまねいていても、座して死を待つのみです。

 命をかけて、説得に当たらせていただきます」


「功名か……」


「はい、功名です」


ベッセルの疑念に対し、ドルゴンは迷いなく返答した。


(危機の時に立ち上がる。こういう者が出世を遂げる。この男の野心は……危険だ。だが今は、その野心に賭けるしかない……)


ベッセルの内心には懸念が浮かび上がった。だが状況は、それを口に出すことを許さなかった。


「ベッセル殿には、辞令が降りております」


ドルゴンは姿勢を正した。ベッセルもそれに応じて姿勢を正した。


「鎮圧部隊総隊長ベッセルはその任をドルゴンに譲り、至急王都に帰還し、番頭業務に復帰することを命じる。

 ハルトマン商会商会長アルベルト・フォン・ハルトマン――以上です」


「はっ、承りました」


ベッセルは直立して辞令を受け入れた。


「商会長は現在、目先の本年契約納入分の穀物を王都中からかき集めることに奔走されております。

 一刻も早くご帰還してお助けください。今、商会長の側にはベッセル殿が必要です。

 また、私が農民の説得に十日の内に失敗した場合は、今より商会の規模を大幅に縮小したとしても、

 何とか存続されるようご対処をお願いします」


「貴殿の助言、確かに受け取った。貴殿に主の加護があることを祈っている」


ベッセルはそう告げて、二人の会話は終わった。



翌日早朝、ベッセルは四人いる自身の側近の準社員のうち二名を港に残し、王都へ船で川を下り帰還していった。


ベッセルを見送ったのち、ドルゴンは砦に残っている傭兵を集めた。


「ベッセル殿に代わり、鎮圧部隊の総隊長となったドルゴンである。我々は一週間後に、砦にいる農民たちのもとへ交渉に向かう。

 それまでは、各自、港を守りつつ、体を休めておくように」


ドルゴンは残っている傭兵たちを眺めつつ、短く告げた。

多くの傭兵は敗北の影響からか、うつろな目をしていたが、その中で一人、生気を保つ男とドルゴンの目が合った。


ドルゴンの短すぎる言葉に、傭兵たちはざわつき始めた。


「以上だ」


そう言うと、ドルゴンは壇上から下り、そのまま事務所の中に戻ってしまった。


「なあ、隊長、あの新しい総隊長は大丈夫かよ。今さら俺たちだけで農民たちをどうにかすることなんてできないぜ。

 あんな変な奴に付き合って討ち死になんて御免だ。いっそのこと逃げちまおうぜ」


(確かに、敗北したこの状況でどうにかできるとは思えない。だが、あの男の目、雰囲気、どこか引っかかる……)


「ああ……少し考える……」


ラドウィンは、一瞬目が合っただけのドルゴンにただならぬ気配を感じ取り、その判断を保留していた。


「偵察に出てくる。一週間後に戻る。傭兵たちの多くは逃げるだろうが、その者たちは無理に留めておく必要はない。

 私の馬だけは盗まれないように気を付けてくれ」


「え? ドルゴン殿」「お待ちください」


港に残った商会の準社員の静止を聞かず、ドルゴンはみすぼらしい格好に着替えると、そのまま港を去ってしまった。

準社員二人は、ベッセルからドルゴンの目付として残されていた。


だが、ドルゴンが反乱農民の勢力下となっている港の外へ出ていくのを追っていくことは恐ろしく、足がすくんでしまい、見送ることしかできなかった。



「おっ、結構、カネを持ってんじゃねえか」


「そ、それは我が家の全財産です。それが無いと冬を越せません。どうかそれだけは勘弁してください」


「うるさい、誰のおかげで勝てたと思ってんだ。これはみなのために徴収する」


(お前が自分のものにするんだろ……くそぅ)


そう言うと、男は銅貨の入った袋を懐にしまいこんでしまった。

奪われた男は、何も言い返せず、黙っているしかなかった。


商会の反乱鎮圧部隊に勝利したことで、グライフェン砦の反乱農民たちの様子にも変化が起きていた。

勝利した直後、農民たちの間では、これで商会から有利な条件が引き出せるという期待が溢れていた。


そのきっかけを作った砦での戦いを指揮したゲルト一派、特にリーダーであるゲルトの権威は一気に高まった。


だが、勝利をしたことでゲルト一派は増長していた。

反乱当初こそ、自分たちは農民たちと仲間であるという態度であった。

しかし戦いに勝利した後は、傭兵たちから奪った鎧と剣を身に包み、

自分たちが支配者であるかのような態度を露骨に見せるようになっていた。


また、反乱に参加した農民たちがある程度の財産を持つ中小規模の自作農だったのに対し、

ゲルト一派は土地を失い財産を持たない元自作農という関係性が軋轢を生んでいた。


農民たちは、略奪を恐れて集落から食料、家畜、金属、貴重品、貨幣などの財産を、砦に持ち込めるだけ持ち込んでいた。

一方、ゲルト一派は何も持ち合わせていなかった。


当初は反乱全体のためという名目で食料の徴収が行われ、農民たちは特に抵抗なく応じていた。

馬などの家畜も戦いに必要だということになり一時的という名目で集められ、それにも応じていた。


だが戦いが終わったのち、農民たちが持ち込んだ財産は、ゲルト一派にとって宝の山になってしまった。

みなのためという名目で、金属、貴重品、貨幣など戦いに直接関係のないものまでが、ゲルト一派に取り上げられていった。


農民たちは、戦いに勝利したのはゲルト一派のおかげだという事実の前に、その「徴収」を黙って受け入れるしかなかった。

今や農民たちにとって、ゲルト一派は厄介な略奪者にすぎなくなっていた。


唯一、ゲルト自身は勝利に驕ることはなく、農民たちはゲルトが一派を抑えることを期待していた。

しかし、ゲルトは仲間たちの「徴収」を強く諫めることはなく、そのことも農民たちを落胆させた。


「早く商会と話をつけて、家に帰りたい」


その思いが、農民たちの間で満たされていた。


(そろそろだな……)


その様子を静かに観察する影があった。

そしてその影は、いつしか砦から消えていた。



ドルゴンは一週間後、宣言どおりグライフェン港に戻ってきた。


「港の様子はどうだ」


「ご覧のとおりですよ……」


準社員の男は、呆れと諦めの声で答えた。

五十人ほどいた傭兵たちは、ドルゴン不在の間に次々と逃げ出し、今や十一名しか残っていなかった。


その者たちは、ラドウィンとその傭兵団だった。

ドルゴンはラドウィンを呼び寄せた。


「お前たちは逃げなかったのか?」


「まだ解散命令は出ていませんでした。それだけです」


ラドウィンはドルゴンの目を見据えて答えた。


「名前は?」


「ラドウィンです」


「ラドウィン、明日農民たちの所に向かう。同行するように」


「はっ」


ラドウィンは簡潔に答えた。


(この男に従うのは賭けだ。貧乏くじを引いたか、それとも大化けするか……)


簡潔な返事とは裏腹に、ラドウィンの心は揺れ動いていた。



グライフェン砦では事件が起きていた――


「いや、やめて……」


「へへっ、いいじゃねぇか」「大人しくしてりゃすぐ終わるぜ」


「う、うぐぅ……」


男二人から口を塞がれた娘は大きな声を出すことができず、体を押さえつけられた。

やがて娘は抵抗することを諦めた。


ゲルト一派が、ある一家の娘を襲って辱めた。

その事件の話は、瞬く間に砦中に広まった。


娘の母親から事の顛末を聞いた父親は激昂し、ゲルトのもとに押しかけて犯人たちへの厳しい処罰を訴えた。


ゲルトは、犯人と名指しされた者たちを呼び寄せた。

ゲルトと被害者一家の父親、犯人の男二人は顔を突き合わせた。

そして大勢の者たちが、その場に詰め寄せていた。


「ゲルトさん、あんたたちのこの前の戦いぶりは凄かった。

 だから、これまでも徴収には応じられるだけ応じて来た。

 でも、娘が辱められるのはまったく話が違う。どうかこの男たちに重い罰を与えてくれ」


父親は切実に訴えた。


「そうだよ、ゲルトさん」「こんなのあんまりよ」


周囲からも、ゲルトに懇願する声が上がる。

ゲルトは犯人の男たちに視線を向けた。


「これも、徴収だよ……」「そうさ」


犯人側の男二人は悪びれることなく答えた。


「籠城が長引いているんだ。戦っている男たちの息抜きをするのも大切だ。

 これもみんなのための“徴収”だよ。なあ、ゲルト、いいだろ。ちょっとぐらいハメを外しても。

 この前の戦いは俺たちの頑張りで勝てたんじゃねぇか」


「ふざけるな、娘はモノじゃない!」


父親は怒りで血が頭に上り、涙ながらに男たちに殴りかかろうとした。

周囲の者たちは必死にそれを止めた。


(こいつらを処分しないと農民たちをまとめきれない。

 だが前からの仲間を切れば、仲間同士の結束がばらばらになり、農民たちを統率できなくなる……)


ゲルトは冷静さを装いながらも、内心では焦りを覚えていた。

商会との戦いに勝利したことで、穀物の納入が迫る商会はすぐに謝罪に来ると考えていた。

だが、なかなか現れない。


そして時間が経てば経つほど、一派の仲間たちと農民たちの軋轢は増していき、ついにはこのような事件まで起きてしまった。


「俺たち、いつ帰るんだ」「商会の使者はいつ来るの?」


騒然とする中、そのような声が周囲の農民たちから上がっていく。


「みんな落ち着くんだ。商会の……」


「報告します!」


ゲルトが声を出し、民衆をなだめようとしたとき、その声を遮るように大きな声が響いた。


「どうした?」


ゲルトは落ち着いた様子で問いただした。


「商会の旗を掲げる一団が十数人、砦の前に現れました」


それを聞いた瞬間、農民たちは一気に声を上げた。


「それって」「商会の使者ってことだよな」「私たち帰れるのね」


少人数で商会の者たちが現れたことで、一同はそれが商会の使者であると思い、場の空気は華やいだ。

そして農民たちの視線がゲルトに集まった。


「よし、俺がいく。この話はまた後にしよう」


「ちょっと待ってくれよ!ゲルトさん!」


父親の静止を無視して、ゲルトはそう声を上げ、その場を立った。

農民たちと仲間の一派に挟まれたゲルトはそうせざる得なかった。



商会の旗を掲げた一団は、グライフェン砦の橋の前に留まっていた。

その中で一人だけ馬上にいる者が代表と思われたが、その者は外套の頭巾を被っており、顔はよく見えなかった。


(ここまで来いということか……だが今の状況では出ていかざるを得ない)


相手が少人数とはいえ、自身が先頭に立つことには相当な危険が伴う。

だが、農民たちの不満が大きくなっているこの状況では、消極策を取るという選択肢はゲルトには存在していなかった。


「みんな、ついてきてくれ」


ゲルトは、自身を先頭に一派の仲間たちと農民たちを後ろに従え、砦の外へ出た。

ゲルトはゆっくりと足を進めて橋を渡り、旗を掲げた一同と対峙した。


「商会の使者か!」


馬上の男は答えなかった。

男の顔には変わらず頭巾があり、その表情は読み取れなかった。


男は馬をゆっくり進め、ゲルトたちへ近づいてきた。


馬の蹄が土を踏む音が響いた。


周囲の視線はゲルトに集まった。

ゲルトは意を決し、単身で馬に近づいた。


二人の距離が五歩ほどになった。


「商会は……!」


ゲルトが言いかけた、その瞬間、男は馬腹を蹴った。


馬が一気に前へ跳ね、頭巾に覆われていた男の顔が露になった。


「あ、あんたは……」


ゲルトの目が見開かれた。


そこに現れたのは、王都の港で荷役をしていたゲルトに兵法を教え、

この反乱を起こすようにと送り出した男、ドルゴンだった。


ゲルトの体は固まった。


ドルゴンの腕が振り抜かれ、鋼が空気を裂いた。


次の瞬間、ゲルトの首は胴から離れていた。

頭は土の上を転がり、胴はその場に崩れ落ちた。


馬は数歩駆け抜けて止まった。


ドルゴンは農民たちの方を向き、声を上げた。


「騒動の首謀者は処刑した!」


農民たちは一瞬の出来事に言葉を失い、しばらくのあいだ沈黙に包まれていた。


「私はハルトマン商会の使者ドルゴンである。

 商会は首謀者の処刑をもって、この一連の騒動を収め、農民たちと次の条件で妥協する」


ドルゴンの言葉は続いた。


「一つ、穀物を滞りなく納めれば、これまでの借金は帳消しとする。

 一つ、今回の流血の責任は、今しがた行った首謀者のみの処罰で済ませる。

 一つ、これまでの戦いで死亡した者、負傷した者には見舞金を出す」


ドルゴンの言葉が終わると、またしばらく沈黙が落ちた。


「使者さんよ、俺たちは今年収める予定だった穀物を出せば借金はチャラってことか?

 土地も家畜も家族も失わなくて済むのか?」


最初に口火を切ったのは、最初にゲルトの呼びかけに乗り、怒りの声を上げたマティアスだった。


「そうだ。何も失わなくて済む」


「俺の娘は結婚できるのか?」


「ああ、結婚できるぞ」


それを聞いた瞬間、マティアスの体から力が抜けた。


そして――


「俺は……この戦いから降りる! 穀物を商会に納めて終わりにする」


そう言い放った。


「俺も」「俺の家も降りるぞ」「うちもだ」


マティアスが言葉を発した瞬間、同じように穀物を納めて戦いを降りるという農民たちの声が上がっていった。


「ふざけるな」「お前たち、戦うんだ!」「ゲルトのかたきをとれ!」


ゲルト一派だけは納得せず、戦うことを叫んだ。

しかし農民たちからそれに賛同する声はほとんど現れなかった。


ゲルト一派は声を上げるものの、彼らからドルゴンに向かっていくものは現れない。


その姿に、周囲の農民たちは冷ややかな目を向けた。

やがてゲルト一派の口は押さえられ、彼らは身動きが取れなくなった。


娘を辱められた父親は、ゲルト一派の犯人の男たちに刃を容赦なく突き立てた。


それを契機にゲルト一派の体には刃物が突き立てられていった。


ドルゴンは、農民たちが落ち着くのを静かに待ち、そして口を開く。


「みんな、急いで穀物を港に運んでくれ!

 このままだと穀物を期日までに納められず、商会は潰れてしまう。

 そうなると、この約束はなくなり、王国軍がみんなを反乱軍とみなして討伐に来てしまうぞ!」


ドルゴンの呼びかけに、農民たちはそれは大変だと、一斉に動き始めた。


ゲルト一派の遺体は地面に横たわり、その様子をただ見つめていた。


ドルゴンという人物が好きで書いた妄想小説です。

楽しんで頂けたら幸いです。


次回、2026/3/22 8時投稿予定

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