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第一章ボロ屋編 第2話「落城の姫」

あらすじ

清王朝初期、王朝拡大に大きな影響をもたらした摂政王ドルゴン。

徳川家康の孫にして、豊臣秀頼の正室・千姫。

権力の絶頂期に若くして急死したドルゴンと、

大坂夏の陣で落城寸前だった千姫は、

突如見知らぬ世界へと身一つで飛ばされる。

そこから成り上がる二人の物語。

「落城の姫」

慶長二十年五月八日(西暦一六一五年六月四日)

大坂城


夕刻の空が紅く沈む中、天守は炎に包まれていた。


「秀頼様! 伯母上!」

「千姫様、危のうございます!」


燃え広がる炎の壁の中を、

豊臣秀頼の正室・千姫は供を連れて必死に進んでいた。


先導する本多忠純が振り返り、声を張る。


「千姫様! こちらへ!」


だがその瞬間、轟音とともに炎の柱が崩れ落ち、

千姫たちの行く手をふさいだ。

前にも後ろにも、火の奔流が広がる。


「姫様、もう走れませぬ! ほ、炎が――!」


千姫の目の前で、忠純隊の槍の列が揺れ、

男たちの姿は赤い炎の壁に飲み込まれていった。


「……戻れぬ、か。」


侍女たちが泣き叫ぶ中、

千姫は懐に手を入れ、一振りの短刀を取り出した。


「秀頼様……御母堂様……

 千も、いまそちらに参ります。」


紅蓮の炎が奔流となって押し寄せ――

千姫はその中へ消えた。





「……ここは、どこじゃ」


目を開けると、そこは見知らぬ森の中であった。

倒れ伏していた地面から立ち上がり、あたりを見回す。


人の気配は、どこにもない。


(妾は……たしか大坂城を落ち延びようとしておったはずじゃが……)


それなのに、目の前にある森は見覚えがなく、

肌を刺す空気もまったく違っていた。


「……さ、寒い。」


季節は初夏のはずだ。

にもかかわらず、これはまるで春先の冷えこみ。

薄衣のままでは堪える寒さであった。


歩きながら、千姫は自分の体に違和感を覚えた。


「……衣が大きい? いや、妾の体が……小さくなっておる?」


袖をめくり、手を見つめる。

白く、小さく、若い。

まるで未通女おぼこの頃に戻ったかのようであった。


「……何と、これは……」


衣の袖を結び直し、着崩れぬよう体に合わせる。

寒さに震えつつ、しばし森をさまよった末、

朽ちかけた小屋を見つけた。


「猟師の小屋か……誰もおらぬようじゃな。」


扉を押し開けると、中はひどく冷えていたが、

外よりははるかにましだった。


「どこかも分からぬ以上……待つしかあるまい。

 されど、人に見つかったとて……どう扱われるか……」


自分がいま、徳川の娘であり豊臣の妃であるという

名だけでは守れぬ立場にあることを、肌で悟る。


やがて、外が暗くなり始めたころ――


足音がした。


千姫の全身が強張る。


「……来たか。」


懐の短刀に指が触れる。

自然と、その柄を強く握っていた。


「いざという時は……

 徳川の娘、豊臣の妃として……

 辱めは、決して受けぬ。」


千姫は静かに息を吸い、

迫る気配へと身構えた。




「邂逅」


「だからよ、俺はあんなクソ工房からさっさとおさらばしてやったのよ……」


「……そうか。」


フカが身の上をまくし立てるように話している。

ドルゴンは黙って聞いているように見えたが、

時折短く返し、時折質問を投げる。


出会ってまだ一晩だというのに、

ドルゴンはフカの言葉から急速に音と意味を結びつけ、

すでに“それなりに会話が成立する”ほどだった。


人攫いたちの荷からは食料と水袋、そして簡単な地図も見つかった。

二人は森の外へ向かって歩き続けていた。


やがて、朽ちた小屋が木々の間から姿を現した。


「小屋だ。誰かいるかな?」


フカがずかずかと近づこうとした瞬間、

ドルゴンは腕を伸ばして制した。


「待て。

 ……中からただならぬ気配がある。

 お前は下がっていろ。」


「わ、分かったよ……」


ドルゴンは息を整え、静かに扉へ手をかけた。

板の軋む音を最小限に抑えながら、隙間を開く。


中には――娘が一人。

薄暗い室内で、短刀を握りしめ、

身を固くしてこちらを睨み据えていた。


羽織は絹。

この森の猟師小屋には不釣り合いなほどの上等品。

背筋が伸び、動きには武家の気品があった。


娘は震える声を押し殺しながら叫んだ。


「何者ですか!

 わたくしは征夷大将軍・徳川秀忠の娘にして、

 従二位権大納言・豊臣秀頼の正室、千と申す。

 名乗りなさい!」


フカの言葉とも違う、聞き慣れぬ響き。

しかし威と品は揺るぎない。


(……刺激すれば、迷わず自害するな。)


ドルゴンはそう即座に判断し、

敵意がないことを示すべく、ゆっくりと両手を挙げた。


「おれは、ドルゴン。」


「何を申しておるのですか!」


現地語で伝えようとしたが、

娘はまるで理解できていない。


次に、ドルゴンは自分の言葉――満洲語で。


「儂の名は、ドルゴンという。」


「さっきから “ドルゴン、ドルゴン” と……一体何のことじゃ!」


やはり通じない。


次にモンゴル語。

次に――


「我是多爾袞。」


その瞬間、娘のまなざしがかすかに揺れた。


「これは……唐土の言葉……?

 もしかして、貴殿の名は “ドルゴン” と申すのか?」


漢語の響きだけは聞き覚えがあるらしい。

意味は取れずとも、“漢人の言葉”であることは分かるようだ。


ならば、とドルゴンは空中に指で文字を書く。



娘は息を呑み、

やがて震える手で空へ文字を描き返した。


千。


そして――

日本国。


緊張がほんの少しだけほどけた。


ドルゴンは小声で呟いた。


「……ジバン・グルン(日本国)。

 この娘は……日本国の者なのか。」



「ほう……暖かい。かたじけのうございまする、ドルゴン殿、フカ殿。」


フカが炉に火を入れ、室内にはようやく人心地のつく暖かさを取り戻した。

“千”と名乗った娘も、水を口にし落ち着き始めていた。


簡単な食を分け合いながら、

千とドルゴンは空中の漢字を媒介に会話を続けていた。


千は字をある程度書けるが、長い文を書くことは難しいらしい。

しかし、示された文字の意味を読み取ることはできた。


「貴殿は……日本国大君・徳川秀忠の娘である、ということか。」


「そして豊臣秀頼の正室。

 大坂の地より参ったと、そう申すのだな。」


ドルゴンは書かれた文字を追いながら眉をひそめた。


(……豊臣は三十五年前、徳川によって滅ぼされたはず。しかし娘の見た目はあまりにも若い。)



どうにも時の辻褄が合わない。




その時、千が逆に問い返した。


「……ところで、清国……満洲とは、何のことでございましょう?」


千もまた、ドルゴンの祖国を知らぬ様子だった。

異国に疎いだけなのか――それとも。


ドルゴンはふいに空中へ文字を描く。


関白秀吉。


「太閤殿下のことでございますね。私も存じております。」


千の反応は素早い。

続いてドルゴンはさらに文字を綴った。


丁酉再乱(※朝鮮側の呼称)

日本伐朝鮮


千は書かれた文字を見て応じた。


「それは……朝鮮征伐のことでございましょうか。

 聞くところによれば、あれは太閤殿下がお隠れになった時まで続いた戦……

 およそ十七年ほど前の出来事と……」


千もまた空に文字を書く。


十七年前、と。


ドルゴンの脳裏に戦慄が走った。


(……丁酉再乱が起きたのは万暦二十五年。

 儂の世では五十三年前の出来事だ。)


つまり――


千は徳川が豊臣を滅ぼした“その時”からこの森へ来た。

そして儂は、それから約三十五年後の世から来た。


二人の“元の地での時”は、三十五年近くずれている。


(こんなことが……現実に起こり得るのか……

 ここは一体、何という地なのだ?)


思索に沈んでいたドルゴンは、

千が不安げにこちらを見つめていることに気づき、

表情をわずかに和らげた。


(――儂はどうやら、この娘と出会うために

 この地へ流れ着いたのかもしれぬな……)




炉の火が落ち着いたころ、

ドルゴンは静かに口を開いた。


「千殿……日本国では、女性の貴人を何と呼ぶのだ?」


「そうですね……“ひめ”と申します。

 私は“せんひめ”――千姫と呼ばれておりました。」


ドルゴンはゆっくりと頷く。


「ならば千姫。

 貴殿と儂は共に、この異国へ迷い込んだ迷い人のようだ。

 この地で生き延び、元の国へ帰る術を探すには、

 力を合わせるほかあるまい。

 いかがか。」


千姫はしばし黙したが、

やがて真っすぐにドルゴンを見据え、静かに答えた。


「それがよいと思いまする。

 私も、この異国で独り生きる術は持ちませぬ。

 ドルゴン殿、どうか頼みまする。


 私は女子おなご、歳も若うございまする……

 そなたが頭となり、この身を導いてはくれませぬか。

 私もできる限り、力となるよう励みましょう。」


炎が揺れ、ドルゴンの瞳を赤く染める。


彼は首を横に振った。


「……いや。

 儂にはどうやら、幼き君を奉じて生きる宿命があるらしい。


 千姫。

 どうか儂に仕えさせてはもらえぬか。


 この身をもって、貴殿の道を開こう。」


千姫は考え込み、やがてゆっくりと立ち上がり、微笑んだ。

その顔には、幼さではなく覚悟が宿っていた。


「……よい、認めようぞ。

 今日より、妾がそなたのあるじじゃ。


 そなたが妾を支え、妾がそなたを導く――

 それでよいのじゃな?」


その言葉は、どこか明るく、

本来の千姫の素の調子を感じさせた。


ドルゴンは膝をつき、深く頭を垂れた。


「ハハッ。

 この命、千姫様のために尽くしまする。


 この地において、我らの主はただ一人――

 千姫様なり。」


その様子を見て、フカも慌てて跪いた。


炉の光が三人を照らす。


――こうして、異世界に流れ着いた“龍と姫”は、

元の世界へ戻るための最初の一歩を踏み出すのだった。


ドルゴンという人物が好きで書いた妄想小説です。

楽しんで頂けたら幸いです。

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