第二章商会乗っ取り編 第15話「別れ」
あらすじ
清王朝初期、王朝拡大に大きな影響をもたらした摂政王ドルゴン。
徳川家康の孫にして、豊臣秀頼の正室・千姫。
権力の絶頂期に若くして急死したドルゴンと、
大坂夏の陣で落城寸前だった千姫は、
突如見知らぬ世界へと身一つで飛ばされる。
そこから成り上がる二人の物語。
流れ着いたローデン王国王都フィオレンツにて、
荷役として働き始めたドルゴンは才覚を発揮し、
遂にハルトマン商会の王都倉庫長として正社員に就任する。
その裏で、王宮の奥にあるという帰還の鍵を手に入れるために、
二人は商会乗っ取りに向けて動き出す。
主な登場人物
ドルゴン:清朝初期の権力者・摂政王
千姫:徳川家康の孫・豊臣秀頼の正室 猫かぶりのお姫様
フカ:逃亡奴隷、ドルゴンにフカと名付けられる
河野:ドルゴンの部下となった日本人女性 人の醜聞を覗くことが生きがい
カロリーネ:ハルトマン商会長夫人 ドルゴンと不貞の関係になる
主な用語
ハルトマン商会:ドルゴン、フカが働いている商会
正社員:幹部
準社員:従業員
「孤児の才女サラ」
千姫、ドルゴン、フカがダルガに引っ越してきてから、
一か月ほどが経過した、ある朝――
「おはよーっす……あれ、コウノっちは?」
朝、食堂に顔を出したフカは、いつもなら慌ただしく朝食の支度をしているはずの河野が、
そこにいないことに気づいた。
途端、千姫は気まずそうに視線を逸らす。
「……辞めた」
「ええっ! そんな急に……」
「昨日の夜、急に辞めたいと言ってきてな。
引き留める暇もなく、そのまま出ていった」
ドルゴンは、何事もなかったかのように淡々と答えた。
「なんだよ、あんにゃろー。
勝手な女だな」
フカは、新しい同居人にようやく慣れ始めた矢先の失踪に、
鼻息荒く声を荒げた。
「ま、まあ……居なくなった者のことなど、気にしても仕方あるまい。
また、元の三人に戻っただけじゃ。
……さっさと朝餉を済ませてしまおうではないか」
そう言って千姫は、昨日の夕食を温め直したものを配っていった。
◆
「ハルトマン夫人、少しよろしいでしょうか」
「これは司祭様。いかがなさいましたか」
「お聞きしましたよ。
またお嬢様の“お話し相手”の娘さんが、お辞めになられたそうですね」
「……司祭様のお耳にも届いておりましたか……。
私の教育が至らず、お恥ずかしい限りです……」
「いえいえ、ご自分をお責めにならないでください。
……そこでですが、奥様に一人、ご紹介したい娘がいるのです」
「はい、どのような娘さんでしょうか?」
「その娘は、その……孤児なのですが……」
「孤児の……申し訳ありませんが、そのような娘さんは当家には……」
「ご心配はもっともです。
ですがその娘、驚くほど頭が冴えており、
読み書きを修め、礼儀作法と言葉遣いも十分に心得ております。
周りの者からは“孤児の才女”などと呼ばれているほどでして。
上流のお家にお仕えしても、何ら差し支えはございません。
いかがでしょう。
その娘を、お嬢様の新しい“お話し相手”としてお雇いになるというのは?
才ある者にその力を活かせる場をお与えになる――
奥様の徳深さは、きっと周囲でも評判になることでしょう」
「え、ええ……そうですね……。
少し考えさせてください。
その娘さんのお名前は、何とおっしゃるのかしら?」
「はい。その娘の名は、“サラ”と申します」
――ということがあったのよ、ドルゴンさん。
この話、どうお思いになります?
カロリーネは、ドルゴンの腕の中で、司祭とのやり取りを語っていた。
「……カロリーネ様は、どうお考えなのですか?」
ドルゴンから視線を向けられ、カロリーネの心は揺れた。
どう答えれば、彼に気に入られるだろうか――
その思いで、彼女の頭の中はいっぱいになる。
「そ、そうね……。
私としては、会ってみて本当に“孤児の才女”なのであれば、
あの娘の相手として雇ってみるのも、悪くないと思っているわ」
「噂や周囲の言葉に流されず、
実際に会って真贋を確かめる……。
さすがは、カロリーネ様です」
ドルゴンの口元に笑みが浮かび、
カロリーネは胸を撫で下ろした。
「では、近いうちにその娘に実際に会ってみることにするわ」
そう言い終えると、ドルゴンの腕が静かに彼女を引き寄せる。
カロリーネは逆らうことなく、その胸元に身を沈めた。
「別れ」
ダルガの住人は、再びドルゴン、千姫、フカの三人となり、
元の形に戻った。
だが、そこに流れる空気は、以前のように
狭い一つの間で共に過ごしていた頃の賑やかさを失っていた。
食事もどこか大人しく、
言葉を交わす時間より、静寂の方が長い。
「なあ、兄貴、姫さん……」
重く続く沈黙に耐えきれなくなったフカは、
意を決したように口を開いた。
千姫が顔を上げる。
ドルゴンは黙ったまま、杯を置いた。
「次の休みさ……
また三人で、どっか行こうぜ。
前みたいにさ」
それは、できるだけ軽く装った言い方だった。
「……無理だ」
ドルゴンは、短く、はっきりと答えた。
「は?」
思わず、フカの視線がドルゴンに向く。
ドルゴンは続けようとして、言葉を切った。
「——実はな」
「待て
……妾から言う」
ドルゴンは一瞬だけ千姫を見た。
それから、何も言わずに頷いた。
「フカ。
明日、妾はここを出る」
「……え?」
声が、わずかに裏返る。
それでも、問い詰める言葉は続かなかった。
「……どこに」
「言えぬ。
だが、とある任務だ」
フカは口を開き、そして閉じた。
代わりに、膝の上で指を握り直す。
「……戻ってくるんだよな」
千姫は、すぐには答えなかった。
ほんの一拍置いてから、はっきりと言う。
「永遠の別れではない。
また、必ず会える」
「……それ、約束か」
「うむ、約束じゃ」
それ以上、言葉はなかった。
卓上の蝋燭の火が揺らぐ。
フカはそれを見つめたまま、何も言わなかった。
◆
翌朝――
ダルガの玄関先に立つ千姫を、フカは黙って見ていた。
「フカ、見送りはここまでじゃ」
「ああ、分かってる」
「……フカ、そこに屈むがよい」
「姫さん、何だよ、急に?」
フカが膝を折ると、千姫の手がその肩に触れた。
そして、その手にわずかに力が籠る。
「では、行ってくる」
そう言うと、千姫はドルゴンに伴われ、
路地の向こうへと消えていった。
フカは、千姫に触れられた肩へと、そっと手を当てた。
そこには、まだ感触が残っているようだった。
「……よし、そうするか!」
何かを決めたように、フカはぽつりと呟いた。
――しばらくして、ドルゴンが戻ってきた。
「フカ、戻ったぞ」
「……兄貴、ちょっといいか。
俺からも話がある」
「……急にどうした」
「俺も……ここを出ていくよ。
……実は、連れができてな。
いつか一緒に暮らそうって、前から言い合ってたんだ。
姫さんも出ていったことだし、
ちょうどいい機会だと思った。
そういうことにしてくれ」
ドルゴンは、フカの言葉を黙って聞いていた。
「といっても、俺はこれからも兄貴の部下だ。
商会の務めも辞めねえ。
ただ、住処を変える……それだけだよ」
「……分かった。
フカの思うようにすればいい」
ドルゴンは目を閉じ、短く答えた。
数日後、フカも荷物をまとめてダルガを後にした。
屋敷には、一人、
ドルゴンの影だけが残されていた。
ドルゴンという人物が好きで書いた妄想小説です。
楽しんで頂けたら幸いです。
次回は、この投稿から10分後に続けて投稿します。




