表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

12/14

第二章商会乗っ取り編 第12話「商会長夫人カロリーネ墜ちる」

あらすじ

清王朝初期、王朝拡大に大きな影響をもたらした摂政王ドルゴン。

徳川家康の孫にして、豊臣秀頼の正室・千姫。

権力の絶頂期に若くして急死したドルゴンと、

大坂夏の陣で落城寸前だった千姫は、

突如見知らぬ世界へと身一つで飛ばされる。

そこから成り上がる二人の物語。


流れ着いたローデン王国王都フィオレンツにて、

荷役として働き始めたドルゴンは才覚を発揮し、

遂にハルトマン商会の王都倉庫長として正社員に就任する。

その裏で、王宮の奥にあるという帰還の鍵を手に入れるために、

二人は商会乗っ取りに向けて動き出す。



主な登場人物

ドルゴン:清朝初期の権力者・摂政王

千姫:徳川家康の孫・豊臣秀頼の正室 猫かぶりのお姫様

フカ:逃亡奴隷、ドルゴンにフカと名付けられる


ラインホルト:ハルトマン商会倉庫長の正社員、ドルゴンの活躍で河港都市リューデンの商館長に就任

ミルガ:娼館の呼び込みにして、自称街の情報屋


主な用語

ハルトマン商会:ドルゴン、フカが働いている商会

正社員:幹部

準社員:従業員

「商会長夫人カロリーネ墜ちる」


「母さん、商会長の奥方様の名前はなんだったかなあ?」


「カロリーネ様よ。

 ほら、教会に熱心な方」


「商会長には娘さんがいたよね?」


「娘さんはリリア様ね。

 もう十三だったはず。

 ほら、大奥様の葬儀の時にいらしたでしょう」


――ラインホルトとその夫人の会話。


 


「ハルトマン商会長の夫人はヴァルトベルク家の出だ。

 ヴァルトベルク家は男爵家だが、今は勢いがない。

 十年ほど前、娘たちをまとめて嫁に出していた。

 ハルトマン商会長との縁組も、その流れの一つだろうな」


――情報屋ミルガの調査内容。



私は、没落貴族の娘だった。

没落貴族の娘が実家から期待される役目は、資産階級ブルジョアに嫁ぎ、跡取りを産むこと。

有力商会長の後妻という立場での結婚は、自分の意に沿うものではなかった。


ただ、商会長の妻として跡取りを設け、身に付けた教養で商会の差配に関われるようになるのだと、

嫁いだ当初の私は希望を抱いていたし、最初は夫も優しくしてくれていた。


だけど、嫁いで八年。

ついに期待していた子を授かることはなかった。

ここ三年は、夫から触れられることも稀になってしまった。


また、商会長夫人として私に与えられる役割も、極めて形式的なものに過ぎなかった。

毎週土曜日、商会の各部門長から届けられる週次の記録を、

ギルドの会合で不在にすることが多い夫に代わって受け取り、

それを渡すだけ。

私の意見が商会の経営に影響を与えることはなかった。


そして、夫と前妻との血のつながらない娘。

最初は、亡くなった前妻に代わり母親になろうと努めた。

だが、あの娘にとって私は、いつまで経っても他人に過ぎなかった。

最近では反抗的な態度が目立っている。


あの娘のためと思って用意した「お話し相手」は、嫌がらせを受けて次々に辞めていった。

数年後に控えた社交界への顔出しの準備も思うように進まず、

その非難の目は、母親である私に向けられる。


私の人生は、重く、暗く、停滞していた。



「エーバーハルト、今週から倉庫長は、ラインホルトさんの後任の方でしたね?」


「はい、その通りでございます、奥様。

 ドルゴン殿という異国の方でございます」


家宰のエーバーハルトが応じた。


「異国の出の者が、倉庫長の重任をうまく担えるのかしら……」


ハルトマン商会長夫人カロリーネは、不安の声を漏らした。

ほどなくして、倉庫長ドルゴンがハルトマン家を訪れた。


「失礼いたします。倉庫長ドルゴンが、今週の取引帳簿を持参いたしました」


ドルゴンは、変わった頭髪をしていた。

だが、その所作には一切の落ち度がなく、

その顔には自信が満ち、どこか独特の色気を帯びていた。

そしてその目は、逸らすことなくカロリーネを捉えていた。


「はい、確かに受け取りました、ドルゴンさん。

 ――おや、これは」


提出された書類の中に、これまで見かけたことのない資料があることに、カロリーネは気付いた。


「はい、奥様。取引内容を見やすいよう、取りまとめました」


「……分かりやすくまとめられています。

 私が作るものより、よほど見やすい。

 前任のラインホルトさん、いえ、他の部門長の方も、このようなものは作られませんでした」


「奥様も、このような取りまとめをなさっているのですか?」


「え、ええ。商会の役に立てばと思い、受け取った記録に目を通してまとめを書き出しているのです。

 もっとも、それを受け取った夫が、どうしているかは分かりませんけれど……」


カロリーネの顔に、わずかな影が落ちた。


「奥様。決裁会議の折、商会長はよく手元の資料に目を落としておられます。

 おそらく、あれは奥様の作られた資料ではないでしょうか。


 ……商会は、あなたによって支えられているのですね」


思いもよらぬ言葉を向けられ、カロリーネは体が急に熱くなるのを感じた。


「いえ……私が商会の運営に助言を求められることはありませんわ」


「だとしたら……とても残念なことです。

 商会では、誰も奥様の素晴らしさに気付いていないとは」


それは、長年彼女が望みながら、耳にすることのできなかった言葉だった。

この男と、もっと話したい。

カロリーネの胸に、その衝動が満ちていく。


「あの……」


「ドルゴン殿、次の方がお待ちです。そろそろ……」


エーバーハルトが口を挟んだ。


「失礼いたしました。長居をしてしまいました。

 奥様、これにて失礼いたします」


「ええ、ご苦労様でした、ドルゴンさん」


ドルゴンは退室した。

カロリーネの心には、彼への興味が消えずに残っていた。

次の土曜日が、待ち遠しくなった。



――次の土曜日。


「商会は、もう少し人の余裕を考えるべきではないでしょうか」


カロリーネは、自身の持論をドルゴンに向けた。


「……さすがです、奥様。

 そのような視点を持つ方は、

 商会には誰もおりません」


しばしの沈黙の後、ドルゴンはそう答えた。


カロリーネは、会話のたびに心が満ちていく感覚を覚えた。

それは、彼女がこれまで一度も、夫から聞いたことのない言葉だった。


 


「私に指図しないで!」


「お嬢様、おやめください! 今、お客様がいらしております!」


「うるさいわよ!」


屋敷の奥から、甲高い叫び声が響いてきた。


「……お恥ずかしいところをお聞かせしてしまいました。

 娘ですわ」


カロリーネは、恐縮した表情でドルゴンに向き直る。


「……年頃のお嬢様なのですね」


「ええ。もう少ししたら社交界に顔を出すというのに、心配ですわ」


「若い頃は、誰しも機嫌を損ねやすい時期がございます……

 私にも、そのような頃がございました」


「まぁ、あなたにもそんな時があったのね」


カロリーネは思わず笑みを浮かべ、ドルゴンもそれに応えた。

二人の間には、温かな空気が芽生えたように見えた。


「では、奥様。私はこれにて失礼いたします」


「ええ、また次の土曜日に。ドルゴンさん」


カロリーネは笑顔で見送り、再び手元の資料に目を落とした。

そして、一枚の紙に書かれた文言に気付いた。


「次に安息の鐘が鳴るとき、

 あなたの慈悲が最も静かに届く場所にて、

 あなたの望むものが訪れることをお祈りします」



その夜、カロリーネはその紙片を見つめていた。


(安息の鐘……土曜の昼の鐘のこと。

 “あなたの慈悲”……教会を指しているのかしら……

 そして、“望むもの”……私が今、最も望んでいるものは……)


「次の土曜日の昼過ぎに、教会でお待ちしています」


平凡な祈りの言葉に、そのような意味が隠されていることに気付き、

カロリーネは怯えた。


(なんてことを考えているのかしら。

 商会の夫人として、それは決して踏み外してはいけないこと……

 ……だけど、ドルゴンさん。あの方といると、私の心は満たされる……)


期待と不安が入り混じり、カロリーネの心を揺らした。



そして、次の土曜日。


「こちらが、今週の取引帳簿でございます」


「はい、確かに受け取りました……あの……」


「……奥様、これにて失礼いたします」


カロリーネの前に現れたドルゴンは、以前とは打って変わり、

そっけなく、形式的な態度に終始していた。


(……冷たい。

 この前までの態度が、嘘のよう。

 ……私の考えを分かってくれる気がしたのに、勘違いだったのかしら)


カロリーネは、わずかに肩を落とした。


(……それでも、あの手紙の意味を確かめたい)


「エーバーハルト。お昼に馬車を手配してちょうだい。教会へ参ります」



「今日は、少し長くお祈りをします。

 あなたたちは、夕方にまた迎えに来なさい」


カロリーネは教会の前で、侍女と御者に告げた。

そして一人、重い扉を押し開ける。


(……果たして、あの方は待っていてくださるのかしら……)


胸の高鳴りを感じながら、身廊へと進む。


そこには誰もいなかった。

祈りの席も、告解室の前も静まり返っている。

足音ひとつ響かぬ空間に、彼女の期待だけが宙に残された。


――やはり、私の勘違いだったのだ。


胸の奥で、小さく落胆を感じる。

同時に、それと同じ重さの安堵が広がった。

道を踏み外さずに済んだ。

そう思えば、これは救いなのだろう。


カロリーネは膝をつき、静かに祈りを捧げた。

認められたいと願ったこと。

ドルゴンの言葉に心を揺らしたこと。


それらすべてを主に告げ、

邪な思いを抱いた自分を赦してほしいと、低く詫びた。


そのときだった。


背後で、石の床を踏む音がした。

ひとつ、またひとつ。

ゆっくりと近づく足音が、静寂を裂く。


彼女の影に、もう一つの影が重なった。


カロリーネは振り返った。


そこに立つ顔を見た瞬間、

彼女の表情からためらいが消え、

覚悟と諦観が溶け合った、静かな闇が宿った。


ドルゴンという人物が好きで書いた妄想小説です。

楽しんで頂けたら幸いです。


次回、2026/1/23 20時投稿予定

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ