第一章ボロ屋編 第10話「誓い」
あらすじ
清王朝初期、王朝拡大に大きな影響をもたらした摂政王ドルゴン。
徳川家康の孫にして、豊臣秀頼の正室・千姫。
権力の絶頂期に若くして急死したドルゴンと、
大坂夏の陣で落城寸前だった千姫は、
突如見知らぬ世界へと身一つで飛ばされる。
そこから成り上がる二人の物語。
主な登場人物
ドルゴン:清朝初期の権力者・摂政王
千姫:徳川家康の孫・豊臣秀頼の正室 猫かぶりのお姫様
フカ:逃亡奴隷、ドルゴンにフカと名付けられる
ベッセル:ハルトマン商会番頭
ラインホルト:ハルトマン商会倉庫長の正社員(幹部)
オズヴァルト:ハルトマン商会倉庫の荷役統括
主な用語
ハルトマン商会:ドルゴン、フカが働いている商会
正社員:幹部
準社員:従業員
「誓い」
日が沈みゆく川辺で、千姫は足を止め、ドルゴンに語りかけた。
「……のう、ドルゴン。
妾を――この国で、独りにせぬと……言い切れるか?」
「……何か、思うところがあるようだな」
「妾は見知らぬ国へ流され、
名も、立場も、守る者も失った。
操は大切じゃ。じゃが……
それ以上に、この地で切れぬ繋がりが欲しい」
「……繋がりには、形が要るということか」
「ならば、形を与えよ。
妾は……そなたに、それを委ねてもよいと思うておる」
二人のあいだに、川音だけが流れる沈黙が落ちた。
「……千姫。その覚悟を、今ここで使うな」
「……拒むのか。
妾の器量では、不満か?」
千姫は、袖をつまむ指先に力が入るのを覚えた。
息を吸うたび、胸の奥がきゅうと縮む。
言葉は喉に引っかかり、視線を上げるまでに、ひと呼吸以上を要した。
「いや。姫は見目麗しい」
「では何故?
妾も、そなたのような頼もしき武士になら……」
「拒むわけではない。だが――受け取り方が違う」
「……違う?」
「姫は、まだ幼い。
いくら気丈でも、美しくとも……
その覚悟は、守られるべきだ」
「……そうか。
妾は、若返っておったのじゃったな……」
「五年だ」
「五年……か。長いの」
「その時、姫の心が変わらぬなら――
儂は、逃げぬ」
「……誓えるか?」
「誓おう」
ドルゴンは首から下げていた皮袋を外し、そっと千姫の掌に落とした。
「これは、初陣の折、母から渡されたものだ。
これまで、肌身離さず持っていた」
「……命の印、というわけじゃな」
「ああ。
姫の懐にそれがあり続ける限り、
儂は勝手に消えぬ。姫を置いてはいかん」
「……よい。
そなたの誓い、確かに受け取った」
千姫は皮袋の紐を首に掛け、胸元へ収めた。
肩から、音もなく力が抜け落ちる。
吐く息が、ようやく長くなる。
胸に詰まっていたものが、静かに下りていった。
「では――これまでのことは、すべて許そうぞ」
その拍子に、目の端が熱を帯びた。
袖の上に、
ひとしずく、冷たいものが落ちる。
千姫は袖で頬を押さえ、
それが何であるかを、少し遅れて知った。
◆
ボロ屋では、フカが炉に火を入れ、二人の帰りを待っていた。
「フカ、今戻ったぞ!」
千姫は明るい声で敷居をまたいだ。
その顔からは、憑き物が落ちたようだった。
「おかえりやさい、姫さん、兄貴」
千姫の表情を見て、フカの顔にも安堵の色が灯る。
「さて、夕餉にするかのう」
千姫はドルゴンに視線を投げ、
ドルゴンもそれを静かに受け止めた。
「姫さん……なんだか、いつもより顔が赤くないっすか?」
「な、なんじゃ急に……気のせいじゃろ」
千姫は慌てて視線を逸らしていた。
「昇進」
数日後、ドルゴンはラインホルト倉庫長に呼ばれた。
「ドルゴン。
先日の働きは見事だった。
どうだろう、ハルトマン商会の準社員として働いてみないか?」
「その話、ありがたくお受けします」
◆
準社員となってしばらくして、三人はボロ屋を出た。
引っ越し先は庶民向けの小さな家で、部屋の仕切りは相変わらずなかったが、
厠の臭気も、ネズミや虫に悩まされることもなくなった。
それだけで、千姫は涙ぐむほど喜んだ。
準社員となってからのドルゴンの働きぶりに、特筆すべき奇策はない。
彼はただ淡々と働き、
その積み重ねが、確かな利益として商会にもたらされていった。
数か月後――
ドルゴンは再びラインホルトに呼ばれる。
「倉庫長、ご用件でしょうか」
「ドルゴン君、実は私は、河港都市リューデンの新しい商館長として
内々に打診を受けている」
「それは……おめでとうございます」
「……そこでだ。
次の倉庫長には、君を推薦しようと思っている」
「ありがたいお話ですが、
次期倉庫長には経験豊富なオズヴァルトさんが相応しいのでは?」
「固辞されたよ。
最初は彼に話を持っていった。
だが君の働きを見て、
“次はドルゴンだ”と言われてね」
「……そういうことでしたら、お受けいたします」
◆
ハルトマン商会長執務室。
「ベッセル。
ラインホルトの後任として推薦されたドルゴンという男、
異国の者と聞くが、信頼してよいのか?」
「働きぶりは申し分ありません。
ラインホルトの成果の背後には、常にこの男がおります。
危うさは確かにありますが――
今の商会には、大きく稼げる者が必要です。
小生の責任で御してみせましょう」
「……よかろう。
ベッセルの判断に任せる」
◆
後日の決裁会議。
ベッセルが人事証書を差し出し、
商会長が署名する。
署名済みの証書を受け取り、
ベッセルが読み上げた。
「ハルトマン商会は、
ラインホルトをリューデン商館長に任ずる。
あわせて、王都倉庫長の任を解く」
「はっ」
「後任として、ドルゴンを正社員に昇格させ、
王都倉庫長に任ずる」
「はっ。謹んでお受けいたします」
こうして、ドルゴンはハルトマン商会の正社員となった。
ドルゴンという人物が好きで書いた妄想小説です。
楽しんで頂けたら幸いです。
第一章ボロ屋編は完結です。次回より 第二章商会乗っ取り編となります。
次回、2026/1/9 20時投稿予定




