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ep.35 馬車に揺られて

王都を発った馬車は、街道を外れ、ゆるやかな起伏の道を進んでいる。

荷台には木箱と袋が積まれ、車内には二人分の席。

御者の手綱の音と、車輪が石を踏む感触が、一定の間隔で伝わってくる。


目的地までは、まだ少し距離がある。

馬車はそれを知っているように、急ぐ様子もなく進んでいた。

アルフレッドは、待ち時間が苦手だった。


正確に言えば、何もせずに時間が流れていく状況に、どうにも落ち着かなくなる。

手を止めているあいだにも、考えられること、整理できること、先に済ませておいた方がいいことはいくらでも浮かぶ。それらを頭の中に並べたまま座っていると、思考だけが先に進み、身体が後から引きずられていくような感覚になる。


だから、乗合馬車に乗り込んだ今も同じだった。


木製の座席に腰を下ろし、馬車が動き出すまでのわずかな間を待ってから、アルフレッドは鞄を開く。革の留め具を外す指の動きには、ほとんど迷いがない。内側から取り出したのは、小さな帳面だった。角の丸くなった紙束は、何度も開かれ、閉じられてきた痕跡をそのまま残している。


寮で不足している生活用品の一覧。


紙。

紐。

保存用の布袋。

簡易の油。


文字を指でなぞりながら、量と優先順を確かめる。

どれが急ぎで、どれが後回しにできるか。どの店で買えば質と値段の釣り合いが取れるか。頭の中で通りの位置を並べ、店の前を通る順番を組み替える。


馬車に揺られながらでも、思考は止まらなかった。


向かいの席では、ソフィアが足をぶらぶらさせている。


小柄な身体を背もたれに預け、特に目的もなく座っている様子だ。

馬車が揺れるたび、足先が一拍遅れて動く。揺れに合わせて揃うこともあれば、ずれてしまうこともある。その不揃いさを、ソフィア自身は気にしていないらしい。


視線は正面でも、帳面でもなく、どこか中途半端な位置に置かれている。


馬車には他にも客がいる。


買い物籠を膝に載せた女性は、布の隙間から中身を確かめるように何度も覗き込み、籠の縁を少しだけ持ち直した。

革袋を足元に置いた職人らしき男は、窓の外を見ながら、無意識に指で膝を叩いている。その指は、馬車の揺れとは少し違う間隔で動いていた。


年配の夫婦は並んで腰掛け、少しだけ身を寄せ合っている。

片方が小さく声を落とすと、もう片方が短く応じる。内容は聞き取れないが、言葉の数よりも、声を掛けること自体が大事そうだった。


御者が手綱を引き、馬車はゆっくりと動き出す。

石畳を踏む音が一定の間隔で続き、車体が小刻みに揺れる。木の継ぎ目がきしむ音が混じり、馬車が「動いている」という感触がはっきり伝わってきた。


「ねえ」


不意に、ソフィアが声を出した。


「それ、今やらなきゃだめ?」


帳面から顔を上げると、ソフィアは首を傾げてこちらを見ている。

深い意味はなさそうだった。責める様子も、強い関心もない。ただ、浮かんだ疑問がそのまま口に出ただけ、という顔だ。


「どうせ、着く時間は同じでしょ?」


声は平坦で、強く押す調子でもない。

馬車に乗っていれば、いずれ目的地に着く。その前提を、確認するように置いただけだった。


アルフレッドは一度、帳面を閉じる。留め具に指をかけたまま、ほんの少し考える。


説明しようと思えば、いくらでも言葉は出てくる。

だが、そういう話ではない気もした。


「……着く時間が同じだからだよ」


ソフィアは一瞬きょとんとしたあと、


「ふーん」


とだけ言って、視線を窓の外へ戻した。


納得したのか、していないのかはわからない。

けれど、それ以上を求める様子もなかった。


帳面を開く音と、馬車の揺れが、自然とその間を埋める。


窓の外では、王都の通りが流れていく。


店先で布を広げる商人。

荷車を引きながら、声を掛け合って道を譲る人々。

建物の影を縫うように子どもたちが走り抜ける。先頭の一人が振り返って何か言い、後ろの子が少し遅れて笑いながら追いかけた。何を言ったのかは聞こえないが、笑う理由としては十分だったらしい。


通りが広くなると、馬車の揺れも少し変わる。

石畳の目が揃い、音が均一になる。さっきまで揺れていた荷物が、少しだけ落ち着いた。


アルフレッドは帳面に戻り、項目の横に小さな印をつけていく。

数、重さ、嵩。袋が増えすぎないよう、自然と順番も整理されていった。


一方で、ソフィアはただ揺られていた。


視線は外に向いているが、特定のものを追っているわけではない。

人の流れが横切り、建物の壁が続き、また別の通りに入る。その変化を、区切ることなく眺めている。


こういう時間を、ソフィアは嫌いではなかった。

何かをしなくていい。考えをまとめなくていい。

時間が先に進んでいくのを、ただ一緒に眺めていればいい。


やがて馬車は停留所に着き、乗客たちが順に降りていく。

二人もそれに続いた。


店に入ると、アルフレッドは迷わなかった。

棚の配置を一目で確かめ、進む方向を決める。


「布袋は三つ。丈夫なのを」


言いながら、すでに一つを手に取っている。縫い目を確かめ、生地を軽く引いた。


「紐はこれ、二束」


棚の端から束を抜き取り、ソフィアに差し出す。


「うん。切れにくいやつだよね」


受け取ったソフィアは数を揃え、腕に抱える。


「油は小さい方でいい」


瓶を持ち比べ、迷いなく一つを選ぶ。


「大きいと、持つの大変だもんね」


ソフィアはそう言って、集まった品を店員のいる台へ運んだ。

指示を聞き返すことも、迷うこともなく、必要な動きだけを淡々とこなす。


会計は簡潔だった。

金額を確かめ、代金を渡し、包まれた品を受け取る。

二人はそのまま次の店へ向かい、残りの買い物も同じ調子で終えた。


帰りの馬車で、アルフレッドは再び鞄を開いた。

帳面ではなく、別の紙切れを取り出す。先日の訓練で気づいた符の配置についての走り書きだ。今すぐ形にする必要はないが、思いついたままにしておくのは落ち着かない。


揺れに合わせて文字は少し歪む。

それを見て一度だけ眉をひそめ、それでも手は止めなかった。


ソフィアは足を揃え、座席に深く座り直す。

今度は外の景色を眺めている。同じ通りでも、行きとは少し違って見えた。人の流れが逆になり、影の伸び方も変わっている。


「ちゃんと全部揃ったね」


「そうだね」


短いやり取りのあと、アルフレッドは紙を折り、鞄にしまう。


馬車が再び動き出す。

揺れの癖にも、そろそろ慣れてきた。


馬車は進み、二人は同じ場所へ戻っていく。

王都内で扱われる生活用品は、種類も数も安定している。

寮や工房、学舎といった継続的に物を消費する場所が多く、需要が一定しているためだ。

紙や紐、布袋のような消耗品は、王都でまとめて揃える方が質と価格の両面で都合がいい。


王都と周辺を結ぶ馬車網も、その前提になっている。

主要な通りには停留所が設けられ、定時に往復する馬車が走る。

人の移動だけでなく、買い出しや小口の荷の運搬も兼ねており、

特別な手続きをしなくても利用できるのが特徴だ。

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