ep.4 訓練の日々:アルフレッドとソフィア
特別教室の朝は、他の生徒たちより少し早い。
武器を振るう者、走る者、それを見守る者──
それぞれの立場で、それぞれの「できること」を積み重ねていく。
本作は、そんな一日の訓練風景を、アルフレッドとソフィアの視点から静かに描いたエピソードです。
朝の鐘が鳴り終わる頃、特別教室の生徒たちは学校の南にある訓練場へと集まっていた。そこは中央に石畳が敷かれた広場で、周囲には踏みならされた土の走路が円を描いており、ところどころに木製の器具や水場が配置されている。
まだ朝靄の残る空気はひんやりとしていて、剣を握る指先にも、肌をなでる風にも冷たさがあった。
この学校では午前中に体を動かす訓練が中心だ。武器の扱い、基礎体力の強化、符術の実技訓練。いずれも実戦を見据えた内容で、特別教室の生徒たちにとっても日課のようなものだった。
「ふぁぁ……朝から走るの、やっぱりたいへん……」
ソフィアが欠伸混じりに腕を回しながらぼやく。その隣では、アルフレッドが軽く肩をすくめた。
「ほら、ちゃんと体力つけようねソフィア。短剣持って走れるように」
言葉は軽いが、アルフレッドの手にもしっかりと木製の短剣が握られている。符術士とはいえ、将来は騎士団に所属する以上、行軍や自衛のための体力も欠かせない。彼にとってもこの訓練は必要なものだった。
(俺、足は遅いけど。続けてれば、少しはマシになるだろ)
そう自分を励ましながら、アルフレッドは深く息を吸い、走り出す。
彼らの訓練の構成はいたってシンプルだ。短剣の素振り、広場の周囲を回る持久走、腕立て伏せや筋力訓練──地味だが、一朝一夕ではどうにもならない積み重ねが求められる内容ばかりだ。
アルフレッドたちのような符術士も、こうした肉体訓練を通して、最低限の戦闘技術を身につける必要がある。戦場では、符を描いている余裕がないこともある。そのとき、最後に身を守るのは剣と足だ。
「腕が落ちてるぞ、アルフレッド。しっかり上げろ」
訓練場の端に立っていたエリーナが、静かに声をかけた。特別教室の教師であり、王都騎士団の中でも上位の実力を持つ人物だ。今日は監督に徹するらしく、軽装のまま腕を組んで全体を見渡していた。
アルフレッドは思わず姿勢を正し、素振りの構えを修正する。
「すみません……!」
(見てるなぁ……さすが先生)
苦笑しながら、再び短剣を振る。その動作の合間、自然と脳裏に浮かんだのは、特別教室に入ったばかりの頃の記憶だった。
まだこの教室に来て間もなかった頃、同じように走り、素振りをしてはすぐに息が上がっていた。
ソフィアが加わったのはさらに1年後だが、そのときも似たように走っては転び、泣きそうな顔で「まだおわらないの……?」と聞いてきたのを、アルフレッドはよく覚えている。
(少しは、慣れたよな……)
その隣では、ソフィアも短剣を片手に走っていた。動きはぎこちないが、七周目に入ってもまだ足が止まっていない。
「あと……なんしゅう?」
「えーと……あと三周。頑張れるか?」
「がんばる……」
表情は辛そうだが、その目に諦めの色はない。アルフレッドは少しだけ笑みを浮かべ、ペースを合わせるように隣を走った。
ふと視線を遠くへ向ければ、ルーカスの姿が見える。黙々と槍を振るうその姿は、まるで一人だけ空気が違うようだった。無駄のない動き、流れるような足さばき。振るうたびに風が生まれ、訓練場の空気が張りつめていくようだった。
(強い……やっぱり、あいつは別格だ)
アルフレッドは短剣を持ち直し、再び視線を前に戻した。
(俺は俺にできることをやるだけだ)
走る。振る。止まって、また走る。少しずつ、でも確実に。
その少し先、アストリッドが投げナイフの構えを取りながらルーカスに声をかけているのが見える。続いて、エリクがゆっくりと長剣を手に取る姿も目に入った。
どうやら、そろそろ「実戦形式の訓練」が始まるようだった。
本格的な訓練が行われる時間──それは特別教室の面々にとって、技術と精神の両面が問われる瞬間だった。
(ここからが本番か……俺たちにはまだ関係ないけど)
アルフレッドはひとつ息を吐き、もう一度短剣を構えた。
ソフィアは疲れた顔をしていたが、アルフレッドが立ち止まらない限り、彼女もまた走るのをやめようとはしなかった。
「お腹、空いた……」
「うん、あとちょっとだ。頑張ろう」
地味で、目立つことのない二人の訓練。
遠くの訓練区画で響いていた金属音が、ふと止む。見れば、ルーカスとエリクの稽古が終わったらしく、ふたりが剣を下げて距離を取りつつ、水筒の蓋を開けていた。
その横から、軽やかな足取りでひとりの少女がこちらに向かってくる。
「ソフィア、アルフレッド。おつかれー」
汗をぬぐいながら声をかけてきたのは、長剣を背負ったエミリアだった。黒髪をポニーテールにまとめ、息を整えるでもなく、屈託のない笑顔を浮かべている。
「うん……ありがとう……でも、まだ、あと一周……」
ソフィアがよろよろとした足取りのまま、顔だけを向けて答える。その様子に、エミリアはくすっと笑った。
「えらいね。途中で止まらないの、ちゃんと見てたよ」
「ふたりとも、ちゃんと頑張ってるよな。俺、最初の頃のこと思い出したよ。腕、ぜんぜん上がらなくて……」
「ふふ、知ってる。先生にも言われてたもんね、“腕が下がってる”って」
アルフレッドが頭をかくと、エミリアはにっと笑い、親しげに肩を叩いた。
「このまま続けてたら、そのうち追いつかれそうだなあ。……ま、追い越される前に、私ももっと上を目指すけどね!」
そう言って、彼女はくるりと背を向ける。風に揺れる髪の向こうで、ルーカスが無言でこちらを一瞥し、槍を肩に担ぎ直していた。
「じゃ、またあとでね。水、ちゃんと飲んでおくんだよ」
ひらひらと手を振って去っていく背中を見送りながら、ソフィアがぽつりとつぶやく。
「なんでエミリアって、あんなに軽そうに動けるんだろ」
その声には、尊敬とも羨望ともつかない、素朴な疑問がにじんでいた。
「うん。そうだな」
アルフレッドは短く答えたあと、最後の周回に向けてまた一歩を踏み出す。
ソフィアもそれに続き、もう一度短剣を握り直す。
朝の陽射しはもう高く、訓練場の影は短くなり始めている。刻一刻と昼へ向かう時間の中で、特別教室の訓練は次の段階へ進もうとしていた。
今回は、特別教室の面々の中でも、アルフレッドとソフィアを中心に、日常的な訓練風景を描きました。
彼らはまだ実力という意味では目立たない立ち位置ですが、その分、日々の努力や積み重ねがより色濃く現れる存在です。
対して、黙々と槍を振るうルーカスや、明るく軽やかなエミリア、周囲を見守るエリーナといった他のメンバーの描写を通して、特別教室の空気感や、それぞれの立ち位置の違いが伝われば嬉しいです。
まだ全員が全力を出すような場面ではありませんが、彼らがどんな人物で、どんな関係性なのか──その輪郭が少しずつ見えてくる回として読んでいただければと思います。