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ep.34 会話未満の二人

アストリッドはよく喋る。

思いついたことをそのまま口にして、相手の反応を待たずに言葉を重ねていく。


一方で、ルーカスは多くを語らない。

相槌も少なく、口を挟むこともほとんどない。


傍から見れば、それは一人が喋り続け、もう一人が黙って付き合っているだけの光景かもしれない。

けれど、その沈黙は空白ではなく、言葉が届いている証でもある。


これは、会話と呼ぶには少し足りない、

けれど確かに二人のあいだにある時間の話。

アストリッドは、よく喋る。

思いついたことをそのまま言葉にしてしまう癖があり、話題は飛び、結論に辿り着く前に別の話が始まることも珍しくない。勢いに任せて喋り続けるその様子は、相手によっては少し騒がしく映ることもある。


もっとも、誰彼構わず同じ調子というわけではなかった。

忙しそうな相手や、露骨に反応が薄い相手には、自然と話を切り上げる。相槌が返らなければ話題を変え、視線が逸れれば距離を取る。空気を読めないわけではなく、むしろ周囲の反応には敏感な方だ。


それでも、ルーカスの前では話が止まらなかった。


無口で、必要以上の言葉を使わない男だ。

返事は短く、「うん」「ああ」「そうか」。それだけを並べれば、会話と呼べるかどうかも怪しい。だが、その沈黙には曖昧さがない。聞いていない沈黙と、聞いている沈黙は、確かに違う。


ルーカスは、話を遮らない。

途中で評価を挟まず、結論を急がせない。アストリッドの話があちこちへ飛んでも、必要なところだけを静かに拾い上げる。その態度が、彼女には心地よかった。


今日もそうだった。


机に向かうルーカスは、任務の記録を淡々とまとめている。紙の上に並ぶ文字は整っていて、無駄がない。インクの匂いと、ペン先が紙を擦る乾いた音が、部屋の空気を静かに満たしていた。


その横で、アストリッドは立ったまま、先日の休みの話を続けている。


王都の外へ出る機会は、彼らにとってそう多くない。

訓練と任務の合間に与えられる短い休暇は、ほとんどが城内やその周辺で過ぎていく。だからこそ、門を越えて市場へ向かうだけで、どこか遠出をしたような気分になる。


「人が多くてさ、最初は歩くのも大変だったんだけど」


人の流れに押され、立ち止まるたびに誰かと肩が触れる。呼び込みの声、笑い声、金属が触れ合う音。市場は、王都の中とは少し違う雑多さを持っていた。


「でも、ああいうざわざわした感じ、嫌いじゃないのよね」


ルーカスは「うん」とだけ返し、行を揃える。


「屋台も思ってたよりずっと多くてさ。肉の焼ける匂いがもう、ずるいのよ。通り過ぎるたびに足止め食らう感じ」


返事はないが、筆は止まらない。

聞いている合図だ。


「それで、甘いのもあったし、果物も並んでて……あ、でもね」


話題は自然と移り、声の調子が少し変わる。


「端の方に、アクセサリー売ってる屋台があってさ。布を敷いただけの簡単な店なんだけど、意外と人が集まってて」


人混みから少し外れた場所だったこと。

足を止めた理由を思い出すように、アストリッドは言葉を重ねる。


「それで……ええと、指輪じゃなくて、首に下げるやつ。細工がちょっと変わっててね、銀なんだけど模様がこう、細かく重なってる感じで……」


指で空中をなぞりながら説明しようとするが、言葉が追いつかない。形は頭の中にあるのに、それをうまく切り取れず、眉を寄せる。


説明しようとすればするほど、ぼやけていく。


「あーもう、説明しづらい!」


苛立ち半分、照れ半分の声が漏れる。


「値段もさ、別に無理ってほどじゃなかったんだけど……」


言いながら、アストリッドは視線を泳がせる。


「その場で決めるほどでもないかなって思ったり、でも次に来たときあるかわかんないし……」


ルーカスはその間も、特に急ぐ様子もなく作業を続けていた。数行を書き足し、行間を確認し、インクが乾くのを待つ。


沈黙が、ほんの少しだけ続く。


それは、考え込むような間ではなく、区切りを待つような間だった。


「……だが」


低い声が、その静けさを割った。


「気に入ったんだろう?」


一瞬、時間が止まったように見えた。

次の瞬間、アストリッドの表情がぱっと明るくなる。


「そう! そうなのよ!」


声が弾み、身振りが大きくなる。


「やっぱりあの細工がね、普通のと違っててさ! 重なってるのに重たく見えなくて、走っても邪魔にならなそうで!」


実用性の話になれば、言葉はさらに滑らかになる。

戦うときの動き、装備との相性、引っかかりそうな部分がなかったこと。


ルーカスは小さく息を吐き、「そうか」とだけ言って、また日誌に視線を戻す。


否定も評価もない、ただの確認。

それで十分だった。


アストリッドは満足そうに頷き、話を続ける。

細工のことや、身につけたときの感じの話をしながら、それが頭の中に残っている理由を、自分なりに整理するように。


「次に行けたら、たぶん買っちゃうと思うんだよね」


「ああ」


短い返事。でも、その調子から反対ではないとわかる。


やがて話題は、焼き菓子の甘い匂いや、通りで見かけた楽器売りの音色に移り、自然と途切れた。

部屋には再び、ペンの音だけが残る。


アストリッドは、それを不思議に思わない。

喋りたいときに喋り、聞いてほしいときに聞いてもらえる。その関係が、いつの間にか当たり前になっていた。


ルーカスは無口だ。

だが、彼の沈黙は拒絶ではない。聞くための沈黙だと、彼女は知っている。


次に市場へ行く日にも、きっとまた、同じように話すのだろう。

そしてルーカスは、その隣で何かをしながら、変わらずそれを聞いている。

迷いを言葉にして、誰かに聞いてもらうことで、自分の気持ちが少し整理される。

今回は、その過程だけを書きました。


話すことと、聞いてもらうこと。

その間に生まれる小さな変化が、アストリッドにとっては十分だったのだと思います。


ルーカスは多くを語りません。

けれど、彼の沈黙は、答えを与えるためのものではなく、

考える時間を残すためのものです。


言葉にして、受け取ってもらえたこと。

それだけで、次に進めることもある。

そんな関係性の2人でした。

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