ep.28 磨かれるもの
王都の学院で行われた実践訓練。
実際に刃を使ったのは、エミリアとルーカスの二人だけだった。
訓練後、他の生徒たちが引き上げる中、
二人は校舎裏の手入れ場に残り、それぞれの武器を整える。
向かい合うことなく、言葉も多くは交わさない。
ただ、手を動かしながら、少しずつ過去の話が零れていく。
その日の訓練は、実践訓練と呼ばれていた。
もっとも、全員が同じ条件で行ったわけではない。
実際に刃を通したのは、エミリアとルーカスの二人だけだった。
他の生徒たちは模擬剣や木剣、あるいは先端を潰した訓練用の武器を用い、それぞれ与えられた課題をこなしていた。
それで十分だと判断されたのだろう。理由を問う者はいない。
訓練が終わると、彼らはそのまま引き上げていった。
武器を返却し、汗を流し、次の予定へと移る。いつもと変わらない流れだ。
校舎裏の簡易な手入れ場に残ったのは、二人だけだった。
使われた刃は、そのままにはできない。
血を流したわけではないが、打ち合い、受け流し、何度もぶつかり合った鋼は、確実に疲労を溜めている。
それを分かった上で、二人は当然のように腰を落とし、布と油を手に取った。
エミリアは腰袋から、小さな瓶を取り出す。
先日、新しく手に入れた手入れ油だ。淡い色合いで、蓋を開けても強い匂いは立たない。
指先に落とし、刃の根元から薄く伸ばす。
粘度はほどよく、扱いやすい。
無意識のうちに、エミリアは小さく頷いていた。
隣では、ルーカスも同じように手を動かしている。
互いに言葉はない。訓練の余韻も疲労も、いまは脇に置かれていた。
ただ、武器を整える。
それが終わるまでは、帰る理由がない。
エミリアは床に腰を下ろし、剣を膝に置いていた。
刃を布で拭き、反射を確かめ、細かな欠けや歪みがないかを指先でなぞる。
その手つきには、無意識の正確さがあった。
少し離れた場所で、ルーカスが槍を分解している。
穂先を外し、柄を分け、順に並べる。
油を差し、布で拭き、余分を取る。その動きもまた、迷いがない。
二人は向かい合っていない。
視線を交わす必要がない配置だった。
三年。
同じ学級で過ごし、訓練も任務も共にしてきた。
だが、私的な話をした記憶はほとんどない。
金属を拭う音が、一定の間隔で続く。
「……ねえ」
先に声を出したのは、エミリアだった。
剣から目を離さず、独り言のような調子で。
「その槍、毎回ちゃんとばらしてるよね」
「……そうだな」
短い返事。
「最初から?」
ルーカスは一瞬だけ手を止めたが、すぐに作業を再開した。
「最初から、ではない」
「ふうん」
それ以上は聞かない。
エミリアは刃の根元を丁寧に拭き、剣の重心を確かめる。
「面倒じゃない?」
「慣れている」
それで話は終わるはずだった。
だが、エミリアは少しだけ間を置いて、続けた。
「必要だった、って感じ?」
ルーカスの手が、ほんの一拍だけ止まる。
「……そうだ」
否定しなかった。
沈黙が戻る。
油の匂いが、ゆっくりと広がる。
「守るため?」
今度は、問いというより確認だった。
「……ああ」
それだけ言って、ルーカスはまた布を動かす。
エミリアは彼の方を見なかった。
見なくても、十分だった。
「私もさ」
今度は、彼女の方が少し言葉を選んだ。
「剣、教わったの。小さい頃」
「……家族に?」
「うん。父さん」
布の擦れる音が、少しだけ間延びする。
「型とかじゃなくてさ。
ただ、『こう動け』って言われただけ」
エミリアは肩をすくめる。
「だから説明しにくいんだよね。
学校でやると、なんでそうなるのか聞かれて」
「……答えられない」
「うん」
エミリアは小さく笑った。
「自分でも分かってないから」
剣を布で包みながら、彼女は続ける。
「最初は遊びみたいなもんだったよ。
転んで、怒られて、またやって」
声は軽いが、言葉は途切れない。
「でも、気づいたら一人でもやってた。
別に、やらなきゃいけない理由もなかったのに」
「……やめなかったんだな」
「やめる理由も、なかったからね」
短い会話だったが、そこに迷いはなかった。
ルーカスは槍の部品を揃え、布で丁寧に拭き終える。
「俺は……」
言いかけて、少しだけ間を取る。
「王都の北の、外縁で生まれた」
エミリアは剣を鞘に収める手を止めない。
「家族は……いない」
「……そっか」
それだけ返した。
「孤児院に入った。
体が大きかったから……守る役を、勝手に引き受けていた」
「孤児院を?」
「……ああ」
少しの沈黙。
「それが、普通になった」
エミリアは布を畳み、剣を横に置く。
「それで、槍?」
「届くから」
理由は簡単だった。
それ以上の説明はいらなかった。
「医者にも世話になった。
孤児院に来ていた……医師だ」
「医術、勉強してるって聞いたことある」
「…怪我人が出ると、放っておけないからな」
エミリアはゆっくりと立ち上がる。
「……ルーカスらしい」
「そうか?」
「うん」
彼女は軽く伸びをした。
「ちゃんと、今のあんたに繋がってる」
ルーカスは槍を組み直し、軽く振って確かめる。
「……お前もだ」
「え?」
「お前の剣も」
一瞬、エミリアは驚いた顔をして、それから小さく笑った。
「そりゃどうも」
二人は並んで武器庫を出る。
外は、すでに夕暮れだった。
言葉は多くなかった。
だが、互いの歩調は、自然と揃っていた。
作中の人物たちは、それぞれに異なる生い立ちを持っています。
そして当然ながら、幸せな者ばかりではありません。
エミリアは、比較的恵まれた家庭で育ちました。
両親と双子の弟に囲まれた幼少期。父親は少々変わり者ではありましたが、それも含めて、彼女の記憶は穏やかなものだったと言っていいでしょう。
一方で、ルーカスの生い立ちは――不幸と呼ばれる部類に入ります。
家族は亜人に殺され、物心がついた後に一人取り残された彼は、孤児院に預けられました。その出来事の重さは、今もどこかに残っているはずです。
もっとも、彼のような境遇が特別に珍しいわけではありません。
この王都では、そうした過去を抱えた人間もまた、珍しくないのです。
それが、この王都であり、
そして――この物語の背景でもあります。




