ep.25 紙の価値
符術の素材調達のため、王都工房を訪れた一行。
いつもは見向きもしない紙づくりの現場で、彼らは思いがけず騎士団の仕事を支える“舞台裏”を目にすることになる。
膨大な呪符の消費を支える竹紙の山、そしてひっそりと扱われる、重要文書用の亜麻紙――。
何気ない見学のつもりが、やがて“王都の仕組み”を知る小さな発見へとつながっていく。
その日、王都の郊外にある竹紙工房に、特別学級の三人が訪れていた。
課題は「符術に関わる素材の供給体制に関する調査と報告」。
単なる見学ではなく、学舎で使われる紙がどこから来て、どんな手間で作られているのか――それを自分の目で確かめるための実地調査だった。
案内役を務める中年の職人は、顔に刻まれた深い皺の合間から快活な声を漏らす。
「よく来てくれたな。この工房はもう二十年近くやってる。符術が普及し始めた頃にな、紙がぜんぜん足りなくて、騎士団と相談して開いたんだ」
整然と並ぶ竹林の奥には、いくつかの平屋と開けた作業場が見える。
道沿いには切り出された竹が山と積まれ、樹皮を剥がしたばかりの白い繊維が天日で乾かされていた。
乾いた竹の香りが風に混ざり、春の日差しと相まってどこか柔らかい。
エミリアは目を細めながらつぶやく。
「紙って、竹からできるって知らなかった。ずっと、符術に使うのは特別な紙だと思ってたから……」
「よく言われるさ。でもな、こいつは“ただの紙”だよ。書くやつがきちんと書けるかどうか、それがすべてだ」
職人は笑いながら、手近な竹をひょいと一本持ち上げた。
「符術が広まってからは紙の需要が跳ね上がってな。特に、こういう練習用の紙は命綱だ。竹は育ちが早いし、加工もそこそこ簡単だ。量を出すにはうってつけってわけさ。ただし、良い紙にするには手間が要る」
彼は三人を作業小屋へと案内する。
そこでは職人たちが竹の繊維を細かく刻み、大きな木槽の中で叩いていた。木槌の音が、一定のリズムで響いている。
「これが“叩解”って工程さ。繊維をほぐして、紙の元をつくるんだ」
「全部、手作業で?」
アルフレッドが驚いたように問う。背後では、若い職人たちが木槌を何度も振り下ろし続けている。
「手でやることもあるが――ほら、あそこ」
職人が指差した先には、工房の端にある小屋。そこでは水車がゆったりと回転していた。川の流れを受けて、静かに、けれども力強く。
「水車を使って、叩解の一部を任せてる。全部人手じゃ間に合わないからな」
「……あんな使い方があるんだな」
ルーカスが小さく声を漏らす。普段は剣を振るう彼も、こうした仕組みには感心を隠せない様子だった。
職人は続ける。
「細かい調整や仕上げは人の手が要る。でも、こういう工夫がなきゃ到底追いつかん。紙が足りないってのは、それだけ学べる者が減るってことだ。特に若い子には惜しまず使わせてやりたいからな。うちは、とにかく必要な数を用意できるようにって、それだけ考えてる」
三人のうち、最初に反応したのはエミリアだった。
「……それって、紙を作るのも、戦いの一部みたいなもの?」
職人は少しだけ口元をゆるめて頷いた。
「はは、まあ、そう言えなくもないかもな。こっちは紙をつくってるだけなんだが、それが終わらないんだ。必要とされるうちはな」
エミリアは小さく頷く。
自分には使えない紙。けれど、仲間たちの学びと力を支えるものでもある。
そんな事実が胸の奥で静かに重くなる。
作業場を進むと、紙漉きの工程にたどりついた。
広い工房の奥では、大きな漉き舟に竹繊維の液がたたえられ、職人たちが長い枠を使ってそれをすくい、次々と布張りの台へと並べていく。
「この厚みを揃えるのが難しいんだ。繊維の沈み方、型の動かし方、取り出すタイミング……全部見て、感じて、判断しないと紙にならない」
「……なんとなく使ってたけど、こんなに手間がかかってたんだ」
アルフレッドは思い出していた。書き損じた呪符の束のことを。
符術士として日常的に紙を使う者だからこそ、今は胸の奥がひりついた。
「気にするな、坊主。あんたらは使って学ぶのが仕事だ。こっちはあんたらを支えるのが仕事。その代わり――」
職人はにやりと笑う。
「この現場を見て、学舎でどれだけ紙を使ってるか、ちゃんと報告に書いてくれよ。どの工程が一番手間か、どこが詰まりやすいか。そういうのは現場の人間の声じゃ届きにくくてな」
アルフレッドははっとして背筋を伸ばした。
「……もちろんです。ここで見たこと、全部書きます。少しでも役に立つなら」
職人は満足そうに頷いた。
夕日が紙の山を照らしていた。
橙色の光に照らされて揺れる紙の端が、まるで命あるもののように見える。
最後に三人は、竹紙の束をまとめる小屋を見学した。
若い見習いたちが、丁寧に紙を重ね、束にし、紐でしっかりと結わえていく。
紙を重ねる音が、静かな雨のようにぱらぱらと室内に落ちていた。
「ここで包んで、学舎や訓練場へ運ぶ。いつも騎士団の馬車が取りに来るんだ」
ルーカスが近くの束を見て、静かに言った。
「俺たちが訓練で使ってる紙……こうして届いてるんだな」
「そうだよ」
エミリアも頷く。
「私には使えないけど……大事なものだってこと、よくわかった。これ、ちゃんと報告にまとめよう」
その言葉に、アルフレッドとルーカスも頷いた。
誰かの手で作られ、運ばれ、支えられている紙。それはただの道具ではなく、学びと戦いを繋ぐ、静かな命綱だった。
竹林のざわめきと水車の音が、夕暮れの工房に優しく響いていた。
王都では符術が広く使われていることもあって、紙そのものの需要がとにかく多いんですよね。
呪符は一度きりで消えてしまうので、学舎でも騎士団でも「紙が足りない!」と悲鳴が上がるのは日常茶飯事です。
そのため、作中の世界で最もよく使われるのは 竹から作られる紙 です。
竹は王都の周辺でよく育ち、収穫も簡単で、何より大量生産に向いているのが魅力。
符術用の紙は「質より量」が優先されるため、竹紙はまさにうってつけなのです。
ただし、竹紙は長期保存には向きません。
湿気で歪んだり、薄かったり、書き込みを続けると繊維が負けたり……。
そこで、公文書や歴史記録のようにきちんと残す必要のある文書には別の紙が使われます。
それが 亜麻から作った紙 です。
こちらは繊維が細かく、丈夫で、色も落ち着いた上品な仕上がり。
竹紙よりも製造に手間はかかりますが、そのぶん耐久性が高くて、何十年・何百年と残る可能性があるのが特徴です。
物語に本が登場する場合も、この亜麻紙がベースになります。
本といっても印刷技術はまだなく、すべて手写しですが、重要な文献や記録はきちんと保存の効く材料で作られている、というわけです。
――とまあ、そんな事情もあって、
王都の工房では今日も「符術用の竹紙」と「公文書用の亜麻紙」をせっせと作り続けているのでした。




