ep.24 門と外の世界
王都の北門を訪れた特別学級の三人は、そこで境界の現実に触れることになる。
山からの脅威を警戒し続ける衛兵たちの緊張、見張り記録に現れ始めた小さな変化、そして門の外側で続いている人々の静かな暮らし。
“境界”は危険を隔てる壁であると同時に、日々の生活を支える出入り口でもあった。
三人は視察を通して、王都の中だけでは見えない「外の世界の当たり前」を――人々の営みの息づかいを実感することになる。
王都には三つの門がある。東門、西門、そして北門。
南にも道は通じているが、それは市民のためのものではない。
深い森林へと続くその道は、王都の防衛を担う騎士団が出撃に用いる専用路であり、今なお厳重に管理されていた。
重厚な鉄柵と監視体制のもと、一般の出入りは固く禁じられている。
三つの門のうち、もっとも開かれているのは東門だ。
農産物を積んだ荷車や商人たちが行き交い、そこには王都の日常が流れている。
一方、西門と北門は異なる。いずれも許可制で、その先に広がるのは、魔獣の棲む湿地や、亜人の姿も見え隠れする山岳高原。
そこは、人の常識が通じない、“王都の境界の外”だった。
とはいえ、完全な無人地帯というわけではない。
北方では牧畜や麦の栽培が細々と続けられ、西側の湿地沿いには川漁を生業とする村々もある。
いずれも比較的安全とされる区域で、門から馬で一日ほどの距離に限られるが、それでも人は、境界の縁で生きている。
ただ、その“比較的安全”というのもあくまで平穏が続いているあいだの話だ。
境界は、ひとたび何かが起きればすぐに危険へ傾く脆い土地でもある。
「……意外と静かだね」
アストリッドがつぶやいた。
陽光を受けた灰色の石壁。その下には、十人ほどの衛兵が整列していた。
北門の前は驚くほど静かで、のどかな雰囲気すらある。
「だからこそ、警備が要るんだよ」
アルフレッドが手元の資料をめくりながら言った。
「魔獣も亜人も、静かなときに近づくことが多いって記録がある」
「そっか……大事な備えなんだね」
アストリッドは門の外へと目を向けた。
遠く連なる山並みと、その奥の高原。
その風景のどこかに、目には見えない何かが潜んでいる――そんな予感が拭えなかった。
門番の詰所で三人を出迎えたのは、三十代後半と思しき女性の衛兵だった。
鋭い目つきと無駄のない動きに、実戦の経験がにじんでいる。
「特別学級の子たちか。聞いてる。好きに見ていけ。ただし、邪魔はするなよ」
「はい。ありがとうございます」
アルフレッドが丁寧に頭を下げた。
門の構造、警報の仕組み、出入りの記録簿――
どれも隙がなく、想像以上に緻密で厳格だった。
「ここ、出入り口って割にはかなり監視がきついんですね」
アストリッドの素直な感想に、女性衛兵はわずかに眉を上げた。
「……まあな。昔から、たまに家畜をやられることはあったよ。
けど十数年前、一晩で十数頭消えた。痕跡からして、あれは連中の仕業だった。
それ以来、警備体制が一変したってわけさ」
「“連中”って……」
「山から下りてきた奴らだ。言葉は通じないし、姿は北の亜人に似ているが、違う。
北の亜人はもともと温厚で、人間とは距離を取る種族だ。
でも、あいつらは人よりも力が強いし、飢えれば何をするか分からない。
一度でも人や家畜の肉を味わうと、もう戻れなくなるやつもいるらしい……そうなるともう、止めようがない」
ソフィアは最近の見張りの記録に目を通していたらしく、
ページの端にびっしり書き込まれた小さな印をそっと指でなぞった。
「来てるんですね、少しずつ…」
アストリッドが気づいて彼女を見やるも、ソフィアは小さくうなずくだけだった。
「最近、見張りの記録にも変化が出てきてる。動きが活発になってるって話もある。
だから、何が起きてもおかしくない」
「それでもここを使う人がいるんですね」
アルフレッドが言った。
「ああ。生活があるからな。牧場もあるし、小麦畑もある。
門のすぐ外は比較的安全なんだ。詰所も見張り台もあるしな」
「じゃあ、ここはただの境界じゃなくて……暮らしのための出入り口なんだ」
アストリッドの言葉に、衛兵は一度だけ視線を門の外へ向け、それから短く答えた。
「境界ってのは、閉じるためにあるだけじゃない。
人が生きる限り、開かれてなきゃならないときもあるのさ」
視察を終えた三人は、石造りの見張り台へと案内された。
階段を上りきった先――風が強く吹き抜ける高所からは、門の外――“王都の外側の世界”が、地平の彼方まで見渡せた。
眼下には緩やかな丘が連なり、点在する柵付きの牧場には牛や羊の姿が見える。
小屋のそばからは白い煙が立ちのぼり、炊事の火が使われていることがうかがえた。
それだけではない。
遠く、未舗装の道を牛車がゆっくりと進んでいくのが見えた。
荷台には束ねた干し草や大きな袋――農作物のようなものが積まれている。
傍らには、それを見送る子どもと、手を振る母親らしき人影もあった。
「……やっぱり、ちゃんとあるんだね。外の暮らし」
アストリッドが微笑みながらつぶやいた。
その顔には、懐かしさと小さな誇らしさが浮かんでいた。
高台のさらに奥には、木造の見張り塔が突き出ており、衛兵が一人、望遠鏡のような器具で周囲を監視している。
風に揺れる旗、詰所の小窓から差し出される湯気――
それらすべてが、ここがただの防衛施設ではなく、人の「いる」場所であることを物語っていた。
「西の方にも、人は暮らしているんだよね。漁村があるって聞いたことがある」
アルフレッドが言うと、アストリッドがうなずいた。
「あるよ。小さいけどね。昔、家の手伝いでちょっと通ったことがある。
今でも魚の干物とか燻製が市場に出てるでしょ? あれ、西の村から来てるんだよ」
「へえ……どこで作ってるのか気にしたことなかったな。あれ、ずっと前から変わらずあるもんね」
アルフレッドの声には、ほんの少しの驚きと、静かな感心が混じっていた。
アストリッドが笑う。
「まあ、目立たないけどね。街の人たちにも、“どこかから来るもの”くらいの認識しかないかも」
ソフィアも、小さくうなずいた。
「誰も知らないわけじゃない。ただ……そこに目を向ける人が少なくなっただけかもね」
しばらく沈黙が流れる。
「……門の向こうにも、人の暮らしがあるんだよね」
アストリッドが遠くを見やったまま、ぽつりとつぶやいた。
「うん。知識としては知ってたけど、こうして見ると、なんか……実感が違う」
「私たち、王都の中だけ見てることが多いからね。外って、ほんとはもっと身近なはずなのに」
三人はしばらく黙って、遠くを見渡していた。
門の向こうに確かにある、誰かの火と、誰かの暮らし。
それはただの“境界の外”ではなく、日常の延長線にあるもう一つの風景だった。
門の描写を書くたびに思うのですが、王都の境界って、ただの防衛設備じゃないんですよね。
“閉ざすための壁”ではなく、“外とつながるための縁”になっている。
外側には湿地も山もあって危険も多いのに、それでもそこに人が暮らしている――。
そういう「境界の生活」があるからこそ、王都は王都として成り立っているわけで、
三つの門(+騎士団の南門)がそれぞれ違う役割を持っているのも面白いところです。
北門はまさにその象徴で、
危険と日常が紙一重で同居している“縁”の最前線。
人が暮らしているからこそ門は閉じきれず、
危険があるからこそ開きっぱなしにもできない。
境界は、世界のどちらか一方へ切り分ける線ではなくて、
「行き来をどう扱うか」を迫られる場所なんだと思います。




