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ep.22 影の市は静かに開く

王都の南西にある“影の市”は、表の市には並ばない品や訳ありの道具、人知れず営まれる願いごとが集まる夜の市場だ。

その夜、特別学級のアルフレッド、ルーカス、アストリッドの三人は、任務の途上でこの市を訪れることになる。

焦がし蜜の菓子、癖のある手仕事の革細工、願いを煙に変える紙――表とは違う価値をもつ品々に触れながら、三人はそれぞれに小さな気づきと温もりを手にする。

人目につかない場所であっても、人の願いと営みは確かに息づいている。そんな静かな一夜の出来事。

王都の南西、古い水路に沿って広がる小径。その先にあるのが「影の市」と呼ばれる夜の市だ。表の市には並ばない品、表の掟に収まらない物事を求める者たちが集まる場所。

その夜、特別学級の三人、アルフレッド、ルーカス、アストリッドがその市を訪れていた。


「ここが……影の市?」


アストリッドが鼻をひくつかせながら歩を進める。湿った石畳の匂いに混じって、香ばしい何かの焼ける匂いが漂っていた。ルーカスは寡黙なまま一歩後ろを歩き、アルフレッドはやや警戒した面持ちで周囲を見回している。


灯りはまばらで、篝火と酒瓶に油を詰めた即席の灯りが通りを照らしていた。店らしきものは露店が中心で、布や板で屋根を組んだだけの簡易なものが多い。けれど、その下には明らかに普通ではない品々が並んでいた。


「……あれ、見てよ。甘そうな匂いの正体、あそこだよ!」


アストリッドが指さしたのは、焦がした蜜をたっぷりまとった干果実の菓子を売る屋台だった。円錐形に積まれた菓子の山が、金属の皿の上でゆっくり回っている。焼いた蜜が照明に照らされ、まるで宝石のように光っていた。


「一本いくらだ?」ルーカスが低く訊くと、店主の老婆は指を三本立てて答えた。「銀貨三枚だよ、若いの。できたてだよ。今日は蜂蜜が良い仕上がりでね」


「買っていい?」とアストリッドが振り向く前に、ルーカスは無言で銀貨を差し出していた。


菓子を頬張ったアストリッドは、声もなく笑顔を見せた。甘さと香ばしさが口いっぱいに広がるのだろう。アルフレッドも一つ受け取り、恐る恐る口に運ぶ。想像よりずっと丁寧な味だった。


「表で売っててもおかしくないのに」と彼が言うと、老婆は肩をすくめた。「表じゃこんな焦がし方は好まれないのさ。こっちの方が深い味になるんだけどね」


甘さに満たされた口をぬぐいながら歩くと、今度は革細工の屋台が目に入った。棚には靴や鞄、手袋が並んでいるが、どれも微妙にゆがんでいたり、縫い目がずれていたりする。売り物というより、どこか「落ちたもの」の寄せ集めのような印象を受ける。


「おたくら、実用品をお探し? それとも装飾品?」と、若い女の職人が声をかけてきた。日焼けした頬に笑みを浮かべているが、目の奥は値踏みするように鋭い。


「何が違うの?」とアストリッドが聞くと、女は肩をすくめて鞄のひとつを持ち上げた。「実用品は壊れにくいけど、形はまちまち。装飾品は見映えはいいけど、ひと月も持てば御の字。ここの革は余り物や出処不明のものが多くてね。表に流せないだけ」


アルフレッドは鞄の縫い目に指を這わせた。粗いが、どこか温かい手の跡がある。「ここ、少し曲がってますね」そう言うと、女職人は目を細めた。

「わかる? 癖みたいなもんなんだけど、肩に掛けると体に馴染むって言われるのさ」

アルフレッドは頷いた。「うん、確かに。掛けたときの落ち着きがいい」


隣ではルーカスが黙って手袋を手に取っていた。固めの皮に切れ目があり、指が自由に動かせそうだった。試すようにはめてみて、しっくりとくる感触を確かめている。


「それ、訓練用? 日焼けしてるね」とアストリッドが言うと、ルーカスは軽く頷いて銀貨数枚を無造作に置いた。「…気に入った」


さらに歩みを進めると、ひときわ人だかりの多い小さな一角が見えてきた。布を張った小屋の前に、机と小さな炭壺が置かれ、机の上には紙の束が重ねられている。小屋の中に座る女が、紙を差し出しながら言った。


「願いを描いて、燃やすんだよ。煙になって、風に乗せる」


「おいくら?」とアストリッドが尋ねると、女は指で輪を作った。「金貨一枚。……高いと思うかい?」


「そりゃまあ、紙にしてはね。でも、やってみたいな。ね、アル」


アストリッドは銀貨数枚を積み上げて金貨に換え、一枚の紙を受け取った。女はそのまま、いくつかの見本を机に並べた。


「願いの形は、描くものに合わせて変わる。誰かの幸せを祈るなら、広がるように。何かを守りたいなら、閉じるように。そう教わったよ」


紙には、細く緻密な線で描かれた紋様が記されていた。どこかで見たような――。


アルフレッドは、見本のひとつに目を留めた。円を囲うように配置された小さな菱形。似た形を、確か符術の資料の中で見たことがある。正確には、未完成の草案や、実用に至らなかった古紋の類だ。


「これ……符術に、似てる」


「似てる? 何に?」


アストリッドが顔を覗き込むが、アルフレッドは首を振った。「いや……気のせい、かも」


でも気になる。使われなかった紋様――それとも、誰も試さなかったもの?


アストリッドは紙に、見本の線を真似ながら自由に描き加え、小袋から木炭の欠片を取り出して完成させた。女は黙って頷き、小さな炭壺を指差した。


「くべてごらん。願いが煙になるよ」


炎にくべると、紙は音もなく燃え、ひとすじの白い煙を立ち上らせた。アストリッドは手を合わせ、目を伏せる。


「何を願ったの?」


「内緒。でも、いい香りだった。たぶん、いい願いだったんだよ」


三人は市の奥へとさらに歩を進めた。薬草を乾かして売る店、黄ばんだ書物が積まれた屋台、使いかけの呪符の紙束が束で売られている一角……どれも一風変わった趣がある。表の市とは、似て非なる場所だ。


「表で売れるものと、ここでしか売れないもの。違いって何だろうね」アルフレッドがぽつりと言うと、アストリッドは笑った。


「きっと、誰が使うかじゃない? 使いこなせる人だけが、ここに来られるってことなんじゃないの?」


ルーカスは何も言わず、ただ一歩前を歩いていた。


影の市。その名の通り、昼の陽には晒されない物たちの市場。けれど確かにここにも、人の願いと、手の温もりがあった。

影の市は、表に出なかったもの、選ばれなかったかたちが静かに残る場所です。整えられ、均一化されていく「表」の文化に対して、ここには雑多なまま、曖昧なままに残されていくものがある。


それは欠けていたり、歪んでいたり、あるいは時代にそぐわなかったり。でも、どれも誰かが手をかけ、誰かの目を通ってきたものです。


全てを拾い上げ、残していくことはできません。けれど、失われていくものの中にも、名もなき価値がある。そうしたものが、かろうじて風通しの良い場所で、細く繋がっていく――影の市は、そんな空間かもしれません。


人と物語が出会うとき、それが表か影かは関係なくなる。そこにあるのは、たしかな「手触り」だけです。




※ ep番号間違えていたので修正しました。

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