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ep.21 魂の眠る丘にて

特別学級に課された「歴史と祈り」の課題の一環として、ルーカス、エミリア、ソフィアの三名は王都西端の教会を訪問した。

現地には、かつて王都を守って戦い、命を落とした者たちの墓地が併設されている。

本記録は、三名がその地で見聞きし、感じ取ったものを記したものである。

王都の北西、丘陵地を包む霧が、朝の光を柔らかく散らしていた。

霞む石畳を、三つの影が静かに歩いていく。ルーカス、エミリア、ソフィア──特別学級に課された、歴史と祈りの課題のためだ。


彼らが訪れたのは、王都西端にある古い教会と、その背後に広がる墓地。

この地は、かつて王都を守って命を落とした者たちの眠る場所でもあった。


「……空気、すごく澄んでる」

ソフィアがぽつりと呟いた。

鳥の声も遠く、まるで別の世界に来たかのような静けさだった。


霧が肌に触れるたび、冷たさと同時に、何か柔らかいものが胸の奥に残る。

ここに眠る人々のことも、その生き方も知らないのに、言葉にできないざわめきがあった。

――何かを思い出しかけているような、けれど霧の奥に隠れてしまうような感覚。

その正体が何なのか、自分でも分からなかった。


「静かすぎて、なんか落ち着かないね」

肩をすくめるエミリアに、ルーカスが小さく笑う。


「ああ……だが、嫌じゃない」


霧の向こうに、やがて古びた鐘楼が現れた。石造りの教会。苔むした外壁は長い年月を物語り、時の流れから取り残されたような佇まいだ。


門前に現れたのは、一人の老修道士だった。痩せた体に丸めた背を抱えながらも、その眼差しには静かな威厳があった。


「ようこそ。司祭ガリアは瞑想中につき、代わって私、セロがご案内いたします」


三人が軽く頭を下げると、セロは穏やかな微笑みを返した。



まず案内されたのは、教会の背に広がる墓地だった。

丘陵の斜面に無数の墓標が並び、霧の中から淡く姿を浮かび上がらせている。


「この地に眠るのは、市民、騎士、符術士──名もなき者も含め、王都のために生き、あるいは死んだ者たちです」


そう言ってセロは一つの墓標の前に立ち止まった。風雨に晒され、名前の文字もかすれた十字の石。


「名が消えても、魂はこの地に息づいています。我々はそれを忘れぬために、祈りを続けるのです」


三人は並んで立ち、静かに手を合わせた。

ルーカスとエミリアが自然に黙祷する中、ソフィアは少し遅れて、それを見よう見まねで手を組んだ。


胸の奥が、少しだけ温かく、少しだけ苦しかった。

“祈る”という行為にどういう意味があるのか分からないまま、けれど何かをしなければいけない気がしていた。

誰のために祈っているのかも分からないのに、指先が自然に動く。

その感覚が、自分でも不思議だった。


「……ここには、どんな人が眠ってるの?」

小さな声で問うソフィアに、エミリアはふと目を伏せた。


「誰かの、大事な人たち……だよ」


ソフィアはゆっくり頷き、もう一度手を合わせた。

けれどその表情には、どこか実感のつかめないまま、それでも「そうあるべき」と感じているような空気があった。

心の奥で、何かが静かに鳴っていた。遠い昔に聞いたような、覚えていない音のように。



墓地の隅、細道を挟んだ一角で、ひとりの青年が草を刈っていた。左肩から先がなく、右腕一本で刃を操っている。


「彼はラース。かつて騎士団に所属していましたが、外縁防衛戦で負傷し、今は墓守としてこの地を任されています」


ルーカスがじっと青年を見つめる。その所作には静かな誇りがあった。


「戦えぬ者に意味はないという声もあります。ですが、祈りを支え、記憶を守り続ける者もまた、戦っているのです」


エミリアは何かに気づいたように、そっと視線を落とした。


「……そういう生き方も、あるんだね」


その言葉を聞きながら、ソフィアはラースの背中を見つめていた。

草を刈る音が、墓地の静寂に溶けていく。

彼が何を思いながらここに立っているのか、想像もつかない。

けれどその姿は不思議と穏やかで、悲しいのに美しいと感じた。

胸の奥に小さな光がともる。それが何の感情なのか、まだ分からなかった。



セロは微笑み、教会の扉を開けた。


「冷えたでしょう。温かい茶をご用意しています。どうぞ中へ」


教会の内部は質素だった。高い天井に鉄の燭台。素朴な木の床。壁には小さなステンドグラス。

彩りこそ乏しいが、その空間にはどこか澄んだ敬虔さが漂っていた。


小部屋に通され、椅子に腰かけると、香ばしい香りの湯気が立つ茶が運ばれてくる。


「薬草を煎じたものです。体を温め、心を穏やかにすると伝わっています」


カップを受け取った三人がそれぞれに手を温める中、セロがゆっくり口を開いた。



「……私も、元はただの市民でした。

魔獣の襲撃で家を焼かれ、家族を失った夜、わたしにできたのは祈ることだけだったのです」


静かな語りの奥に、痛みと覚悟が潜む。


「それ以来、生と死のあわいに立ち、手を合わせる者になりました。剣を持たずとも、できることはあると信じて」


ソフィアは湯気の向こうをぼんやり見つめていた。

どこかで似た話を聞いた気がする。けれど思い出せない。

祈ることに意味があるのかも、まだ分からない。

けれどセロの声には、確かに何かが宿っていた。

それは言葉よりも静かで、胸の奥に沈んでいく光のようだった。


「……わたし、よく分からないけど、そうやって誰かのために何かをするの、すごいと思う」


エミリアは黙って頷き、ルーカスは杯を両手で包み込んだまま、静かに言った。


「……俺たちの名前も、いつかあの墓標に刻まれる。

だからこそ、恥じない生き方をしたいです」


セロは一瞬黙り、そして穏やかに微笑んだ。


「……それだけで、十分です」


その言葉に鐘の音が重なった。教会の時を告げる、静かな音。



帰り道、霧は晴れ、王都の街並みが遠くに見えていた。

三人は並んで歩く。


「……ルーカス、あの墓守の人」

「うん」

「今の自分にできることって、たぶん……ああいうことなんだろうね」


ルーカスは答えず、まっすぐ前を見ていた。


ソフィアが、そっと続ける。


「今日、来てよかった」


言葉にした瞬間、胸の奥が少しだけ温かくなった。

何を得たのか説明できない。けれど、確かに何かが変わった気がする。

祈りの意味も、死の重さも、まだ分からない。

それでも――生きているという感覚だけは、はっきりとあった。


エミリアはその横顔を見て、ふっと笑った。


「うん。背筋、伸ばして帰ろう」


静かな朝が、いつの間にか昼に変わっていた。

遠くの鐘の音が、背中を優しく押してくれるようだった。

王都における「祈り」は、特定の神を信じるためのものではありません。

誰かの死を悼み、忘れずにいるための、ただ静かな習慣のようなものです。


この世界では、祈りの形が教義や儀式に発展することはなく、もっと素朴な思いの延長にあります。

たとえば、墓を掃く人がいて、そこに花を手向ける人がいる。

それだけで、祈りは十分に成り立つのだと思います。


戦う者も、祈る者も、同じ場所で生きている。

このエピソードは、そんな当たり前のことを静かに描いてみたつもりです。

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