ep.20 追うべき背中
夜明け前、まだ靄の残る王都を出て、三人の少年たちは東門の外へと向かった。
行き先は、正規騎士団が訓練を行う広大な演習場。
見学とはいえ、そこに待つのは“本物”の動きと気迫――
彼らがこれまでに見たことのない、騎士という存在の現実だった。
朝靄がまだ地表を撫でる頃、馬車の車輪が静かに石畳を転がっていた。
三人を乗せたその馬車は、王都の中心を抜け、やがて東門の方角へと進んでいく。
吐く息は白く、窓の外にはまだ夜の名残が漂っていた。
「……眠い」
「それ、今朝もう三回目だよ」
「だって眠いんだよ。ルーカスもそうでしょ」
「……否定はしない」
半分眠ったようなやりとりが、車輪の音とともにゆるやかに続く。
アルフレッド、エリク、そしてルーカス。三人は特別教室の許可を得て、正規騎士団の訓練見学へ向かっていた。
外はまだ鈍色の朝。王都の喧騒もなく、馬の蹄が石畳を叩く音だけが響いている。
「本当に、訓練場って東門の外なんだね」
エリクが窓の外を見やりながらつぶやく。
「南や西ほどじゃないけど、東の先はもう市街じゃないからな」
ルーカスが低く応える。
その声には、かすかな緊張と期待が混じっていた。
王都東門の外――そこは比較的安全な地帯とされる一方で、街を支える穀倉地帯でもある。
麦を中心とした畑が風にそよぎ、小さな農村が丘や水脈のそばに点在していた。
畦道を進む牛や馬の姿、朝早くから鍬を振るう人影も見える。
開け放たれた窓からは、干し草と土の混ざった匂いが流れ込み、遠くで鳥の声が薄明の空を渡った。
訓練場がその地に置かれたのは、広さと実戦感覚を重んじたためだという。
石壁の向こうに続くその景色を、三人は言葉もなく見つめていた。
やがて馬車が停まり、彼らは降り立った。
薄い靄の向こうに、整然とした石の広場が見える。そこが訓練場だった。
「……寒い」
「眠いよりはマシだろ」
アルフレッドの言葉に、エリクが苦笑し、ルーカスがわずかに肩をすくめる。
そんな三人を迎えるように、門前には一人の男が立っていた。
「やあ、おはよう。寒くなかったかい?」
細身で柔和な顔立ち。だがその穏やかさの奥に、背筋を正させるような“圧”があった。
三人は、ただの人ではないと無意識に悟る。
「第二部隊副長のセルヴァだ。今日は訓練場の案内役を任されている。よろしく」
「副長……!」
驚きと緊張が混ざり、三人の背が一斉に伸びる。
だがセルヴァはそれを穏やかに手で制した。
「そんなに構えなくていい。君たちはまだ生徒だ。気楽に――とは言わないが、力みすぎると視野が狭くなる」
そう言いながらも、ふとその目だけが鋭く光る。
「ただ……“本物”の動きというのは、そう長く見られるものじゃない。今日はよく目に焼きつけておくといい。
あちらは訓練でも、命が懸かっているつもりで動くからね」
訓練場の門をくぐると、石の地面が霜をはじくように白く光っていた。
十数の三人小隊が整列し、空気には研ぎ澄まされた緊張が漂う。
「今日の訓練は“対亜人戦”の実演だ。三人一組で、仮想亜人一体と戦ってもらう。主眼は“連携”。
単独の技量ではなく、三人でどう生き延びるかが試される」
「仮想って……どこに?」
エリクが辺りを見回したそのとき、不意に空気が裂けた。
「フハハハハ! 来るがよい、若き騎士たちよ! この亜人様が相手をしてやろう!」
突拍子もない声とともに現れたのは、小柄な男の騎士。
猫のような目としなやかな肢体。獣のように跳ねる身のこなしで、訓練場を縦横に駆け抜ける。
「第五隊所属、ミカル上級騎士。今日の“仮想亜人”役だ。……見ての通り、少々――いや、かなり風変わりな人物だが、技量は間違いない」
セルヴァの説明を聞きながらも、三人の視線は釘付けだった。
訓練が始まる。
若手三人が前衛・中衛・後衛に分かれ、息を合わせてミカルに挑む。
だが、次の瞬間。
「ぬぅん、そこかァッ!」
ミカルが地を蹴った。視界が跳ね、影が三つに分かれる。
回避、旋回、反撃――その一連の流れに、誰も追いつけない。
前衛の剣を紙一重でかわし、後衛の符を背後から叩き落とす。
その動きはまさしく“人ならざるもの”だった。
「……これ、本当に訓練?」
アルフレッドが思わずつぶやく。
それでも、次の小隊が前の敗北を見て連携を組み直し、何度も挑む。
風を裂く符術の音、土を蹴る足音。
そのたびに、ミカルの姿は霧のように消え、現れる。
やがて一陣が終わり、今度は一人の女性騎士が前へ進み出た。
金髪を高く束ね、長槍を携えたその姿は、どこか見覚えがあった。
「彼女は第四隊所属、メリーナ上級騎士。槍の使い手だ。君たちの教官――エリーナとは確か、従姉妹だったかな」
「やっぱり……似てる」
エリクが呟き、アルフレッドも小さく頷く。
だがルーカスだけは、息を忘れたように見つめていた。
次の小隊が挑む。構えた槍に、揺らぎはない。
一歩も退かず、全ての攻撃を正面で制する。
符術に合わせて穂先が閃き、起点を断ち切る。
それはまるで戦場そのものが彼女の支配下にあるかのようだった。
「……っ」
ルーカスは唇を引き結び、手の中の槍を強く握る。
彼女の動きは、風のように鋭く、盾のように仲間を守り、要所で獣の足すら止めた。
それは技術であり、覚悟であり――騎士の矜持だった。
セルヴァがぽつりと呟く。
「上級騎士と呼ばれる者は、各部隊にほんの数人。彼女やミカルのような存在は、その中でも群を抜いている。……もちろん、エリーナ教官もその一人だった」
その声には、静かな敬意と、どこか託すような響きがあった。
「だが――彼らも最初は君たちと同じだった。目の前の背中を、ただ必死に追っていたんだ。届かないと思いながらも、手を伸ばし続けた」
ミカルの獣の咆哮と、メリーナの静謐な槍。
相反する“脅威”が訓練場を満たす中、三人の少年はそれぞれの思いでその光景を見つめていた。
「……ああいうのが、“本物”なんだな」
エリクのつぶやきに、アルフレッドが静かに頷く。
ルーカスはなおも無言のまま、槍を握る手に力を込めた。
その時、セルヴァが足を止め、振り返らずに言う。
「ただの騎士でいいなら、君たちは別の教室にいたはずだよ。ここは――“上級”になるための場だ」
その言葉が、三人の胸に静かに落ちる。
やがて太陽が昇り、靄が晴れていく。
訓練場の喧騒が強まり、空気が熱を帯び始めた。
その光の中で、三人の心には、それぞれ異なる火が灯っていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今回登場した「ミカル上級騎士」、だいぶはっちゃけた登場でしたが、彼はあれで真面目な騎士です。……たぶん。
普段は物静かで口数も少なく、第五隊では「器用だけど地味な人」と思われがち。
けれど“亜人役”を演じる時だけ、まるで別人のようにスイッチが入ります。
本人いわく、「楽しめないと、迫真の演技はできない」んだとか。
もちろん、何があっても大丈夫なように、彼の背後にはこっそり副隊長が控えています。
……それも含めて、毎回恒例の光景になっているようです。
そしてあのテンションのおかげか、一般騎士たちの間でも妙に人気があるとか。
見学のたびにファンが増えている――という噂も、あながち冗談ではないようです。
こうした“ちょっと変わった人”もまた、騎士団の一員なのだと、少しでも感じていただけたら嬉しいです。




