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ep.18 初めての符術

特別教室の生徒たちは、初等学校の符術授業を手伝うことになった。

子どもたちが初めて筆を取り、光を生む――そんな穏やかな時間のなかで、

エミリアはひとり、教える側として彼らを見守っていた。


何気ない授業の一幕。けれど、その小さな成功は、確かな輝きを持っていた。

「えっ、私が補佐?……ほんとに?」


実習棟の前で立ち止まり、エミリアが眉をひそめた。黒髪を揺らしながら、信じられないという顔でエリーナを見上げる。


「私、符術できませんけど……それでも?」


「知ってる」


エリーナの返答は、いつも通りぶっきらぼうだった。

けれど、その声音にはためらいも迷いもなかった。


「それでも、お前が適任だ」


短く言い切られ、エミリアは言葉を失う。

視線を落とし、しばらく沈黙ののちに小さく息を吐いた。


「……なんだか納得いかないけど、先生の指示なら行ってきます」


「うん、それでいいと思う」


横で聞いていたソフィアが、にこにこと笑みを浮かべる。

その無邪気さに、エミリアは苦笑をこぼした。


「補佐って言っても、先生の手伝いするだけでしょ? 子どもたち、かわいいし、楽しそうだよ」


「……気楽でいいね、ソフィアは」


「うん。気楽がいちばん」


エミリアが肩をすくめると、少し離れたところにいたアルフレッドが柔らかく声をかける。


「なにかあったら声をかけて。気負わなくていい、普段通りで」


「……ん。ありがと」


短く返し、エミリアは静かに歩き出した。



初等課程の教室は、どこか懐かしい匂いがした。

新しい符紙と墨、磨かれた木の机、そして子どもたちの小さな息遣い。八歳から十歳ほどの生徒たちが、緊張した面持ちで筆を握っている。


今日は、彼らにとって初めての「実用符術」の授業だった。


「皆さん、こんにちは」


教師の明るい声に、教室が一瞬ぴんと張りつめた。

背筋を伸ばす音まで聞こえそうな静けさが訪れる。


「今日は“光”の符を使って、実際に発導までやってみましょう。順番を覚えてくださいね。まず、紋様を描く。それから共鳴。そして、起導式。“光よ”と唱えます。焦らず、心を込めて声に出してください」


黒板に描かれているのは、直線と円を組み合わせた“光”の紋様。

基礎の中の基礎――それでも、初めて実際に使う符紙を前にした子どもたちの顔は真剣だった。


符術用の墨は、筆が紙に触れるたび、わずかに重く広がる。

子どもたちはその感触に息を合わせながら、慎重に筆を運んでいった。

わずかな震えと、紙をなぞる音だけが教室を満たしていた。



やがて何人かが筆を置き、共鳴が始まる。

紙面に静かな光が走り、空気がかすかに震えた。

それを見ていたアルフレッドが、小さく感嘆の息をもらす。


「動きに迷いがないね。よく練習してる」


やがて、教室の前方から小さな声が上がった。


「光よ!」


その瞬間、紙の上に淡い光がふっと灯る。

「成功です!」という教師の声に、教室が一気に明るくなった。

小さな歓声と笑顔がはじける。


「きれい……」

ソフィアが、うっとりと息を漏らす。


エミリアは教室の端で、黙ってその光景を見ていた。

筆の運び、線の強さ、速度、迷い。ひとつひとつを目で追う。

(……ああ、そういえば)

符が光るたび、昔の自分の手の感触を思い出す。

どれだけ描いても光らなかった符。

それでも毎日、諦めずに描き続けた日々。

あの悔しさと熱が、今も身体のどこかに残っている気がした。



「……うまく、できない……」


教室の隅で、少年が俯いた。

震える手に筆を握ったまま、動けずにいる。

エミリアは気づくと、その横にしゃがみ込んでいた。


「ちょっと見せてくれる?」


差し出された符を見ると、外円がわずかに小さく、中心の紋様との釣り合いが崩れていた。


「うん、ここが少し窮屈かな。外の円を、もう少し大きく描いてみようか?」


「……直さないとダメ?」


「うん。でも初めてなんだし、全然大丈夫。最初から完璧な人なんていないよ」


穏やかに笑って、新しい符紙を差し出す。

少年は小さく頷き、緊張した手つきで筆を取った。

今度は焦らず、一筆ずつ、ゆっくりと線を引いていく。


筆が止まり、符の上に共鳴の光がかすかに走る。

そこから数分の静寂――光が呼吸のように揺れ、やがて安定した輝きを帯びた。

少年は小さく息を吸い込み、声を出す。


「光よ……!」


淡い光が、ふっと灯る。


「やった!」


立ち上がりそうになった少年に、エミリアが微笑んで頷いた。


「よく頑張ったね。すごく綺麗だったよ」



授業が終わる頃には、教室中が柔らかな光に包まれていた。

教師が大きく息をつきながら言う。


「全員成功です。今日の授業、ほんとうに良くできました」


「みんな、集中してたね」

アルフレッドが満足げに微笑む。


「光るたびに、なんか嬉しくなっちゃった」

ソフィアは机の上の符を指先でなぞりながら呟く。


エミリアは、その光景を静かに見守っていた。

どの符も少しずつ形が違うけれど、すべてが確かな光を宿している。

ふと隣に来たアルフレッドが声をかけた。


「さっきの子、すごくいい顔してたよ」


「うん……ほんと、頑張ってた」


エミリアは目を細め、照れくさそうに笑った。

「最初は、なんで私なんだろうって思ってたけど。でも今なら、なんとなく……わかる気がする」


「君は、誰よりも“見てきた”人だからね」


その言葉に、エミリアは少しだけ黙って頷いた。

その笑顔は、授業のあとに残る光のように、静かに教室に溶けていった。

符術は誕生から二十数年という、まだ新しい技術です。

それでもすでに体系化が進み、初等部から学ぶ教育の仕組みも整いました。

その中で、使えるようにならなかったのはこれまでのところエミリアだけ――。

ただし、符術を学ばずに大人になった者も少なくはなく、

本当に彼女だけが使えないのか、それとも他にも同じような者がいるのか、

誰にも断言はできません。

それでも、彼女は前を向いて歩いていく。

光を生み出すことはできなくても、誰かの光を見つけて導くことならできるのです。

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