ep.17 ある村落への視察
特別教室の面々が任されたのは、魔物退治でも戦闘訓練でもなく——「被災村の視察」だった。
亜人の群れに襲われ、王都の制度によって復興したという村。
戦うことのない任務の中で、彼らはそれぞれの目で“守られる側の現実”を見つめることになる。
穏やかで、静かな一日。だが、その静けさこそが、騎士として守るべきものの形だった。
「戦闘なし、魔物もなし。こういう任務ってさ、ちょっと拍子抜けだよね」
アストリッドが手綱を軽く引き、馬上で肩をすくめた。
秋の陽光が緩やかに丘陵を照らし、風が草の穂を波のように揺らしている。
王都の東端から続く街道を、三頭の馬がゆったりと進んでいた。
蹄の音が規則的に響き、穏やかな朝の空気が広がる。
「その“何もない”を確認するのが、今回の任務なんだけどね」
エリクが微笑みながら応じる。
背筋をまっすぐに保ちつつも、声の調子は柔らかい。
遠くには、小さな屋根が寄り添う村落が見えてきていた。
「知ってるよ。でもさ、もっとこう……“特別教室らしい”任務、期待しちゃってたわけ」
「アストリッドらしいな」
エリクが苦笑する。
彼女は唇を尖らせつつ、どこか嬉しそうだった。
その後ろでは、ルーカスが無言のまま馬を進めていた。
長い影の先で、彼の視線だけが鋭く動く。
草の擦れる音、鳥の羽ばたき、遠くの牛の鳴き声——どれも、彼にとっては警戒の対象だった。
やがて村の木柵が見えてくる。
その木肌の色を見たルーカスが、低く呟いた。
「……柵、半分だけ新しい」
「ほんとだ。色が違うね」
アストリッドが目を細める。
「去年の被害って、ここだったっけ?」
「魔物の群れに畑と倉庫を襲われた記録がある。騎士団の対応は早かったみたいだけど」
エリクが手綱を緩めながら答えた。
「なるほど。じゃあ、今日はその後の確認ってことか。ふむふむ、視察任務ってやつね」
アストリッドは冗談めかして頷いたが、眼差しには興味が宿っていた。
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村の入り口では、腰の曲がった老人が待っていた。
土色の上衣に麦藁帽をかぶり、日焼けした頬には深い皺。
だが、その目には光があった。
「おお、王都の方か。ようこそお越しくださいましたな」
馬を降りたルーカスが、胸に手を当てて深く頭を下げる。
「ご案内ありがとうございます。できるだけお手を煩わせず、自分たちで回らせていただきます。必要な箇所の確認のみで結構です」
普段より一段落ち着いた声。
その丁寧な言葉に、アストリッドとエリクが思わず顔を見合わせた。
「……今の、ルーカスだよね?」
「うん……なんか、すごくちゃんとしてた」
「ちゃんとしてたって失礼だろう」
エリクの小声にアストリッドが笑いを漏らし、村長もつられて笑う。
「頼もしい。礼儀もあって、ほんに立派な若者方じゃ。では、広場までご案内いたしましょう」
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倉庫、集会所、水場を順に巡る。
村人たちは最初こそ緊張していたが、すぐに笑顔が戻った。
子どもたちは遠巻きに三人を眺め、影のように後をつけてくる。
「この倉庫、去年の火事で一度焼けたんですよ。こっちは建て直した方で」
案内してくれた若い村人が、誇らしげに壁を叩く。
「制度のおかげで補填もあったし、騎士団の人たちもすぐに来てくれて……おかげさまで、こうして」
「一荷保障制度がうまく機能してるのは、ありがたいことだな」
エリクが真剣な表情で頷いた。
壁の継ぎ目や金具の留め具、土台の湿り具合まで細かく観察している。
「火の備えは?」
短く尋ねたのはルーカスだった。
視線はすでに倉庫の梁へと向かっている。
「はい、水桶と砂袋を複数配置してあります。風向きに応じて場所も変えるようにしてて……」
「……乾燥してる。構造的に火が回りやすい。水場をもう一つ増やした方が安全」
その声に、村人は神妙な面持ちで頷いた。
「助言、ありがたいです。すぐに検討してみます」
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昼過ぎ。
三人は村の広場で休憩を取っていた。
縁側に腰かけ、差し入れの麦茶を手に、木陰から子どもたちの遊ぶ姿を眺めている。
「……あの子、もう二十回以上跳んでる。すごいな」
縄跳びの輪を見ながらエリクが呟く。
「うちの村は、あんまり遊ぶ余裕なかったなあ。魔物の心配ばっかでさ」
アストリッドが少し遠い目をした。
「今は少しは落ち着いた?」
「どうだろ。制度が広まったとは聞いてるけど……ね」
そんな会話の途中、一人の子が縄を持って駆け寄る。
「お姉ちゃんもやってよー!」
「え、あたし? しょうがないなー。じゃあ、ちょっとだけね」
アストリッドは笑って立ち上がり、子どもたちの輪に混ざった。
「せーの、いーち、にー、さーんっ!」
声を合わせて跳ぶ姿は、まるで年の離れた姉弟のようだった。
一方その頃、エリクは別の子どもに袖を引かれていた。
「ねーねー、お兄ちゃん、火を起こせるの?」
「うん。ちょっとした方法だけどね。こういうの、巡回の符術の先生が来たら教えてくれるはずだよ」
彼は腰の袋から呪符を取り出し、小石の上にそっと置いた。
掌をかざして短い起導式を唱えると、符が青白く光り、ふっと火が灯る。
「わぁっ……!」
歓声をあげる子どもたち。
「火おこしは覚えておくと便利だよ。食事の支度とか、夜の明かりとか。ちゃんとした使い方、先生に教わってね」
エリクの声と子供達に向ける眼差しは柔らかかった。
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日が傾くころ、村を後にする。
三人は再び馬に跨がり、なだらかな帰路を進んでいた。
黄金色の夕陽が背中を照らし、長い影が草原を伸びていく。
「終わってみると、けっこう充実してたね。最初は地味って思ってたけど」
アストリッドが笑いながら言う。
「こういう視察も、大事な任務なんだって思ったよ。村にとっても、俺たちにとっても」
エリクの声には、少しの誇りがにじんでいた。
ルーカスは何も言わず、ただ小さく頷いた。
風が彼の髪を揺らし、その横顔には穏やかな影が落ちている。
「また、来たいな。何もない日が続くなら、その方がいいよね」
アストリッドの言葉に、エリクも笑った。
馬の蹄音だけが、夕焼けの道に響いていった。
今回のエピソードに登場した「一荷保障制度」は、
王都で施行されている比較的新しい仕組みです。
簡単にいえば「被災した村や農家の再建を、王都が一定割合で補填する制度」ですね。
この世界では、魔物や自然災害による被害が常に存在します。
それを「自己責任」に任せていては、地方は次々と衰退してしまう。
王都が唯一の人間都市である以上、周辺の集落を維持することは
人々の生活線そのものを守ることでもあります。
制度の名にある「一荷」は、もともと穀物や木材の単位を指す言葉です。
“ひとつの荷”を王都と村が分け合う、つまり負担と責任を共有するという意味で
この名がつけられました。
特別教室の生徒たちは、制度の運用を実地で確認する立場として派遣されていますが、
同時に「人を守る」という言葉の現実を知るための、いわば教育任務でもあります。
魔物を倒すのは分かりやすい功績。
けれど、“何も起こらない日常を維持すること”こそが、最も難しく尊い仕事なのです。




