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ep.14 期待したのに

符術が使えないエミリアにとって、符術演習は毎回少し憂鬱なものだった。

周囲の生徒たちが火や氷を操る中、彼女はただ木剣を握り、端で素振りをするだけ――名ばかりの参加。

だからこそ、演習が中止になることを、内心ではひそかに期待していた。

「えっ……中止じゃないの!?」


特別教室棟の教室に、勢いよく声が響いた。


声の主は、黒髪の少女・エミリアだった。机に突っ伏し、制服の上着を中途半端に羽織ったまま、片袖を通さずにだらりと垂らしている。肩が覗いているのも気にしないほど、どこか覇気が抜けた雰囲気だった。


朝の演習に向けた準備が進む中で、彼女だけが場の空気から取り残されていた。


ほんの数分前、この教室に教師のエリーナが現れ、静かに言った。


「演習は予定より一時間遅らせて行う。準備は整えておきなさい」


それだけ言い残して、足早に去っていった。理由についての説明は一切なかったが、教室にいた三人のうち、誰もそれを問い返すことはなかった。


教室にいるのは、エミリアとその双子の弟エリク、そして、寡黙な大男ルーカスだけだった。


「だってさ、今朝の話、聞いたでしょ? 演習場で爆発があったって……普通なら、“あ、今日は中止かな”って思わない? ね、そう思うよね?」


エミリアのぼやきが、教室の静けさに響く。


その呟きに、隣で呪符の束をまとめていたエリクがちらりと顔を上げた。黒髪が静かに揺れ、冷静な眼差しがエミリアをとらえる。


「でも、それってあくまで噂だよね? 誰がどうなったとか、はっきりした情報は出てなかったし」


「だってソフィアじゃないの? 今朝、符術の起導実験するって聞いてたし、そのあと爆発音がしたって……だから気になってさ」


エミリアの声には、どこか不安混じりの苛立ちがにじんでいた。


「うん、想像はわかる。でも、それはあくまで噂でしかないよね。実際には僕ら、爆音を聞いてないし、当然見てもない」


エリクは淡々と応じる。エミリアは頬杖をつき、視線を机に落とす。


「……もし本当にソフィアだったら、みんな冷たくない? 様子見に行こうとかさ、ならないの?」


「そんなに心配なら見に行けばいいと思うけど、たぶんアルが一緒なんじゃないかな? アルなら、何かあればすぐ知らせに来るだろうし」


エリクはそう言いながら、束ねた呪符を懐に収める。その動きに迷いはない。準備をすでに終え、静かに時を待つ彼の姿が、妙に現実味を帯びていた。


「……まあ、アルが行ってるなら大丈夫……かなぁ」


教室の隅では、ルーカスが静かに符術道具の整備を続けている。

木の箱を開け、整然と並んだ筆と白紙の呪符を一つずつ手に取り、丁寧に確認していく。その指先に無駄な動きはなく、光の加減すら計るように、穂先を細かく傾けながら目を細めた。


ふと、エミリアがそちらに目をやる。


ルーカスは一本の筆を手にしたまま、わずかに動きを止めていた。

視線は窓の外――遠く演習場の方向へと向いている。


「……ルーカス?」


呼びかけると、彼は小さく瞬きをしてから、ゆっくりとこちらを見た。

その表情に特別な変化はない。ただ、ほんのわずかに眉が寄っているようにも見える。


「……ソフィアは丈夫だ」


それだけを言って、再び視線を手元に戻す。

そして、何事もなかったように筆の点検を続けた。


エミリアは一瞬、ぽかんとした顔で彼を見つめ、それからふっと笑う。


「うー……でもさー、今日ちょっと期待してたのに……」


天井を見上げながら、エミリアはぼやく。教室の天窓から射し込む淡い光が、彼女の黒髪に淡い艶を与えていた。


「符術の演習って、ほんっと気が滅入るのよ。 みんな火だの氷だのって派手にやってる横で、私だけ素振りだよ? 地味すぎるでしょ?」


いくら練習しても、正確に紋様を描いても、呪符は一切共鳴しない。初等学校の頃の教師たちも首を傾げ、ついには「資質がない」と判断された。


なので演習では常に“見学”扱い。とはいえ、完全な見学というわけでもない。形式上、木剣を持ち、演習場の端で素振りをしている。それが“参加”として扱われる、名ばかりの出席。


「ただ素振りしてるだけだと、なんだか場に馴染めないのよ。みんなが符術の訓練してるのを横目で見てると、集中も途切れがちで……」


エミリアのぼやきに、エリクが少し呆れたように答える。


「それは嘘だよ……姉さん、剣を振り始めると集中力とんでもないし。この前も逸れた火球が近くに落ちたのに、視線も向けなかった」


「いや……だって気にしたってしょうがないから……」


エミリアは顔を背け、言い訳がましく答える。


向こうの席で、符筆の確認をしていたルーカスが口を挟んだ。


「剣筋は全く乱れていなかった」


エミリアは一瞬きょとんとしたが、すぐに小さく笑みをこぼす。


「……ほら、やり始めると意外とそれどころじゃなくなるのよね」


エリクは呆れ半分、納得半分の表情で頷いた。


「どうせやるなら、ちゃんとやった方がマシってことか」


「そりゃあね、棒立ちより素振りの方がまだマシってやつ」


「その姿勢が姉さんのいいところだと思う」


柔らかい口調でそう言う弟に、エミリアは短く答えた。


「あー、うん……ありがと」


ルーカスが道具を片付け、エリクが符術具を整える間、教室には静かな時間が流れた。

窓の外の光が少しずつ傾き、空気の温度もほんのわずかに変わる。

エミリアは木剣を肩にかけ、資料に目を通したり、軽く手首を動かしたりしながら、しばらくの間を過ごす。


やがて、日差しを確認したルーカスが二人を促す。


「そろそろ時間だ、行くぞ」


エリクも腰の符術具を整え、立ち上がる。


「そうだね。そろそろ行かないと、エリーナ先生が直接呼びに来そうだ」


教室を出ると、渡り廊下の向こうから他クラスの生徒たちが集団で歩いてくるのが見えた。

長槍を肩に担ぐ者、腰に二本の短剣を下げた者――あちらはどうやら剣術や槍術の演習らしい。


「ねえねえ、あっち行っていいかな? ほら、剣術演習みたいだし!」


エリクは小さくため息をついた。


「また言ってるよ」


ルーカスがちらりと視線を向け、低い声で一言。


「諦めろ」


「ちぇー……」エミリアは肩をすくめたが、足は二人と同じ方向へ向かう。


三人が演習場に足を踏み入れると、中央付近にはエリーナと三人の生徒の姿があった。

そのうち、ふわふわとした金色の髪を揺らすソフィアと、その隣で周囲を静かに見回すアルフレッドが目に入る。


ソフィアの髪はところどころ跳ねて乱れていた。朝の符術の起導実験で吹き飛んだせいなのか、あるいは最初からそうだったのかはわからない。

隣のアストリッドが慣れた手つきで櫛を通し、時折何かを囁くと、ソフィアは小さく笑って頷いていた。怪我らしい怪我はなく、表情も普段通りだ。


エミリアは小さく息を吐き、肩の力を抜く。

その横で、ルーカスが「……ほらな」と視線を向ける。


エリクも口元にわずかな笑みを浮かべ、頷いた。

エリーナは全員が揃ったのを確認すると、彼女は淡々と説明を始めた。


「今日の課題は初級符術の正確な発導。目標は的中央への命中率の向上だ。時間内に一人十回、外さずに当てること」


生徒たちに課題が告げられると、エリーナは手を下ろし、説明を補足した。


「発導は全員一斉に行う。号令はアルフレッドが出すので、彼の合図で開始すること」


説明が終わると、エリーナの一声でエミリアを除く生徒たちは整列。

各自、決められた位置に構えると、アルフレッドが小さく手を挙げ、合図を送る。


「構え……発導!」


一斉に火球符が光を放ち、的に向かって飛ぶ。


その様子を横目に、エミリアは木剣を肩に担いだまま、演習場の端へと歩き出す。

土の感触を確かめるように一歩ずつ進み、端のさらに端、誰の射線にも入らない場所まで下がる。

目の前に広がる的までの距離を測り、剣を軽く握り直した。


「よし……今日もいつもの役目、始めますか!」


小さく吐き出した息は、熱を帯びた符術の空気にすぐ溶けた。

符術について少し補足しておくと、この世界では基本的に誰でも使える術です。紙に紋様を描き、共鳴の時間を経て、起導式を唱えれば術は発導します。

しかし、エミリアは例外でした。どんなに正確に、どんなに丁寧に紋様を描いても、彼女の呪符は一切共鳴しません。

当時はまだ「誰もが使える」と思われていた符術の世界で、これほど明確に使えない人間が現れることは、周囲にとっても驚きでした。

この設定を頭に入れておくと、本文中の“名ばかりの出席”や“木剣を振る役目”の意味が、より理解しやすくなるはずです。

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