表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/38

ep.13 朝靄の実験

昨日の夜、寝る直前まで机にかじりついていた。

自分で考えた三紋構成の術式が形になって、呪符もちゃんと共鳴した――それだけで、胸がすこし高鳴る。


今日の朝一番、訓練場の使用申請も出してある。ちゃんと許可は取った。

もちろん、術の確認はアルフレッドが一緒にやるはずだったけれど……。


「……まあ、ちょっとだけなら、いいよね?」


まだ朝靄の残る石畳を、制服の裾を揺らして、ソフィアがひとり進んでいく。

小さな呪符をぎゅっと握りしめて――彼女は、訓練場へと足を踏み入れた。

朝靄の訓練場には、まだ誰の姿もなかった。夜の涼しさが残る空気の中、石畳にはうっすらと露が浮かび、草の葉先では小さな水滴が静かに揺れている。


その中を、霧を押し分けるようにして、小さな影が現れた。――ソフィアだった。


制服は彼女の体にまだ馴染んでおらず、長めの袖と裾が歩くたびにふわふわと揺れている。袖の奥から覗く細い指先が、一枚の呪符をぎゅっと握りしめていた。


昨日作成した三紋術式の呪符。訓練場の使用許可も取って、今日はその試し撃ち――の、はずだった。

――本来なら、アルフレッドの立ち会いのもとで。


けれど、誰もいない静かな朝と、手の中の呪符を見つめているうちに、胸の奥に小さな衝動が灯る。


「……ほんのちょっとだけ、試してみるだけ、だから」


自分に言い聞かせるようにそう呟くと、ソフィアは訓練場の中央へと向かった。朝露に濡れた草地を抜け、やがて乾いた土を踏みしめて、石畳の広場へと進み出る。靴底が石を打つたび、かすかな音が静けさを強調する。


深呼吸をひとつ。


「『風さん、ぐるぐる集まって……』それで、“ぱん”ってしてくれたら……」


子供じみた起導の言葉。彼女は昔から、こうやって術を起こすのが好きだった。


呪符が、ふっと光を帯びた。


風が舞う。最初はそよ風のようだったそれが、瞬く間に渦を巻き、彼女の髪を揺らし、地表をなぞるように砂を巻き上げる。


紙片の中心へ、風がぎゅう、と引き寄せられていく。空気の密度が変わるのを、肌で感じる。


「……あれ?」


違和感が走ったのは、その直後だった。


風の力が一点に収束していくはずなのに、圧が分散している。方向が定まらない。中心で膨れ上がる風の塊が、出口を求めて震えているような――そんな感触。


けれど、もう術は動き始めてしまっていた。


――ドォン!!


炸裂音とともに、圧縮された風が一点に集中し、瞬間的に解き放たれた。


訓練場の中央に、局所的な突風が生まれる。

朝靄を裂いて、砂混じりの風が四方へ放たれた。ごうっ、と空気を巻き込む音とともに、石畳の表面をなぞるように風が駆け抜ける。


地面に溜まっていた細かな砂粒が、術の中心から放射状に散っていく。まるで見えない円環が地上に刻まれたようだった。


衝撃は範囲こそ狭いものの、密度が異様に高く、ソフィアの制服が煽られる。身体がふわりと浮きかけ、そのまま尻餅をついて倒れ込んだ。


耳には風が裂けるような音が残り、目の前には舞い上がる砂がかすかに残像を引く。


呪符は完全に燃え尽き、指の間から頼りない灰がふわふわと落ちていく。


風はすでに止み、靄も薄れていた。訓練場の中央には、そこだけ色が変わったような痕跡が残る。


石畳の目地には、わずかなズレが生じていた。表面の土が吹き飛ばされ、硬い地肌がわずかに覗いている。


ほんの数歩分の広さ。だが、その一点に集中した力は確かに跡を残していた。


その中心に、ソフィアがいた。


「……つ、つよ……」


尻餅をついたまま、呆然と目を見開く。呪符は跡形もなく燃え尽き、紙片の名残が指の間からふわりと舞った。


膝が震えて、すぐには立てない。視界がぐらりと揺れた、その時――


「ソフィア!」


背後から駆け寄る足音。声とともに現れたのは、アルフレッドだった。


「ソフィア! 大丈夫か? 怪我は……」


彼は慌てた様子でしゃがみ込み、ソフィアの体に目を走らせる。

流血もない。骨折を疑わせるような歪みも見えない。

呆然とはしているが、意識はあるようだった。


「……なんとか、だいじょぶ。ちょっと倒れただけ……」


ソフィアがか細い声でそう答えると、アルフレッドはようやく小さく息をついた。

緊張で張りつめていた肩が、わずかに下がる。


無事だ――そう確信した、その直後。


ごつん!


容赦ない拳骨が、ソフィアの頭頂部に落ちた。

鈍い痛みが頭に響き、思わず頭を押さえる。

涙が滲むが、それ以上に、目の前のアルフレッドの顔の方が怖かった。


「何やってんだ、まったく……」


彼の声には、呆れと怒りが入り混じっていた。


「待ってたんだぞ。準備室から許可証持ってきて……って、なに、これ?」


アルフレッドは訓練場をぐるりと見渡し、眉をしかめた。

中央の一角では石畳が微かに浮き、隙間から土がのぞいている。周囲には放射状に散った砂粒の跡がくっきりと残っていた。


「……これ、本当に三紋?」


呟くように言いながら、ソフィアの足元に目を落とす。そこには燃え尽きた呪符の灰が、まだ薄く残っていた。


「構成、まだ見てないんだけど……何を組んだ?」


「えと、風と……風と、あと“ぱん”ってやつで……」


ソフィアの声は、少しだけ上ずっていた。自分でも答えになっていないことは分かっている。


「“ぱん”って……それは構成じゃなくて感覚の話だろ」


アルフレッドは呆れたように目を伏せ、ため息をつく。だが、声を荒らげることはなかった。

地面の灰を拾い、指先で軽く転がしてみせる。


「……発導は綺麗に済んでるね」


しばらく沈黙が続いたあと、彼は小さく唸った。


「おそらく――風の圧縮が限界近くまで集中しすぎたんだ。収束はしてたけど、方向制御が抜けてたんじゃないかな?」


「……うん。たぶん……」


「となると、外に抜ける前に術そのものが自壊したんだ。威力は出るけど、扱いを間違えれば爆弾になる。……そういう構成なんだよ」


「う……そんなの……」


ソフィアは言葉を失い、ぎゅっと指を握る。


「ちゃんと“ぱん”って飛ばしたかったのに……」


「“ぱん”って言うなら、その“向き”を決めてやらないと。呪符は思い通りには動かない。構成は文法みたいなものだから。抜けてたら、術は迷う」


アルフレッドの声は淡々としていた。責めるでも、怒鳴るでもなく。ただ、重みのある言葉が、ソフィアの胸にじわりと落ちてくる。


「ごめんなさい……勝手に撃っちゃって……」


「まったく……」


彼はもう一度溜息をつき、制服の内ポケットから筆記具を取り出した。


「……三紋でこの出力、構成表には載ってないな。検証班に回す。記録取るから動くなよ。ソフィアが無事だったのが、唯一の救いだ」


そして、ぽんと彼女の頭に手を置いた。


「次は、絶対に俺がいる時にやること。いいな?」


「……うん……」


「――で」


彼は軽く笑った。


「実際、ちゃんと構成できてたら、たぶんすごくいい術になる。素材は悪くない。次こそ、成功させような」


「ほんとに……?」


「ほんとに」


小さく、けれど嬉しそうに、ソフィアは頷いた。

アルフレッドはもう一度あたりを見渡し、苦笑するように肩をすくめた。


「……とはいえ、勝手に術を撃ったことには変わりないからね。あとで教官に報告しないと」


「えっ……」


ソフィアが小さく声を上げる。


「心配しなくていいよ。とりあえずは医務室。念のため、診てもらおう。立てるか?」


「う、うん……」


少しふらつきながらも、ソフィアは頷いて立ち上がった。アルフレッドが軽く腕を貸すと、素直にその支えに寄りかかる。


訓練場を後にする二人の背に、ようやく登校を始めた生徒たちの姿が遠くに見えた。


「なに、さっきの音……? 訓練場からじゃない?」

「誰か起導ミスったんじゃね?」


ざわつく声が、朝靄を割るように広がっていく。


ソフィアはフードを深く下げて、それが自分のせいだとは口にしなかった。

アルフレッドもまた、何も言わずにその隣を歩いていく。


中央の空気はすっかり澄んでいた。

わずかに動き出した風が、広場の端に残った靄を押しやっていく。

試してみたい。


――そう思ってしまった時点で、もうだいたい負けなんですよね。

頭では分かってるんです。手順を踏むべきだし、確認も必要。誰かの立ち会いがいる。

けれど、それでも、「今、試してみたい」っていう気持ちが、じわじわと心を押してくる。


ブレーキを踏める人もいます。慎重に、一歩ずつ進める人もいる。

でもソフィアは、たぶんその逆。

気になったら、動いてしまう。気になって、我慢できなかった。


結果として訓練場はちょっとした騒ぎになり、アルフレッドは怒り、そして――

エリーナ教官には、きっちり反省文を書かされました。もちろん二人ともです。


でも、こういうのって、成長の種でもあるんですよね。

……教官の前でそれ言ったら、たぶんもう一枚追加されますけど。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ