【備忘録】エミリアの感想文
『宝玉と堕天神』に関する感想文
提出者:エリーナ教室 エミリア
今回の授業で聞いた「堕天の神と七つの宝玉」の話は、正直に言うと最初はあまり乗り気ではありませんでした。神様とか宝玉とか、話としてはよく聞くけれど、どこか遠い世界のことで、自分たちにはあまり関係ないと思っていたからです。
でも、話の中で「堕天神が地上に落ちたあと、誰にも見つからない南の方角に逃れた」っていう部分を聞いて、ちょっとだけ引っかかりました。授業ではそれ以上深くは説明されなかったけれど、その後の地理の授業で南の「大森林」のことを学んだときに、頭の中でピンときたんです。
南の大森林は、誰もちゃんと調べたことがない未踏の地で、そもそも南には門すらなくて、昔すごく大きな魔獣が壁を壊したことがあるとか、怖い話がいっぱいある場所です。でもそれだけじゃなくて、そこの奥では昼夜が逆になったり、月の光が届かなくなったりするって話を聞いて、「そんなに異常な場所だったら、確かに誰にも見つからないかも」と思いました。
もし堕天神が、ほんとうにそこにいたなら、それは単なる伝説じゃなくて、「誰かがそれらしい何かを見た」ってことなんじゃないでしょうか。空から光る玉が落ちてきて、それが不思議な力を持っていたら、神様の宝玉だって思いたくなる気持ちはわかります。
そういう出来事が、少しずつ言い伝えになって、やがて神話になるのかもしれないと思いました。
それから、地図を見る時に、ただの線や形じゃなくて「なぜそうなっているのか」を考えることが大事だという話も印象に残っています。たとえば南の壁が厚く造られている理由も、魔獣の襲撃や未知の脅威があったからで、それを知らないままだったらただの壁にしか見えなかったと思います。
神話も、そういうふうに何かを“伝え残す”ために語り継がれてきたのだとしたら、それは“物語”じゃなくて“記憶の地図”みたいなものなのかもしれません。
最初は苦手だった神話だけど、こうやって他の授業とつながって見えてくると、ちょっとだけ興味がわいてきました。神様が本当にいたのかどうかは分からないけれど、もしかしたら、誰かが忘れたくなかった何かが、こうして今も残っているのかもしれない。
そう考えたら、神話も少しだけ、現実に近づいて見える気がしました。
だから私は、ただ「神話は作り話だから信じない」と切り捨てるのではなくて、「何かの記憶かもしれない」と思って接してみようと思います。
たとえばもし本当に王都の地下や大森林に、宝玉の名残が眠っているのだとしたら──それは今も、誰かの“伝えたい気持ち”が残っている証拠かもしれないから。
そう考えると、ちょっとだけワクワクします。
── 提出文 拝読しました。
堕天神と大森林の地理的繋がりに着目した考察、非常に興味深く拝見しました。
神話という「昔の話」に対して、「現実の地形」と照らし合わせて考えた視点は見事です。
そしてそれを、「記憶の地図」と表現したあたり──少し詩人のような感性も感じられましたよ。
君の言うように、神話が“忘れたくなかった何か”だとすれば、
それは物語ではなく、ある種の“祈り”なのかもしれません。
祈りはときに形を変えて残ります。地図に、伝承に、人の行動に。
南の大森林に宝玉があるかどうかは……うーん、もし君が見つけたら、今度ぜひ授業で見せてください。
そのときは神学部も歴史学部も騎士団も、研究のために押しかけてくるでしょうね。
ともあれ、“興味が湧いてきた”という言葉が、私には何より嬉しかった。
知ることに向かうその気持ちが、学びの一歩目です。
良い感想文でした。ありがとう。
── ルジェルド




