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初デート

翌日、何度聞いてもなれないジリリリという目覚ましの音が僕を夢から覚まさせた。

片手でスマホを探り、目覚まし時計の停止ボタンに指を伸ばした。

それと同時に寝返りをうつと、カーテンの隙間から差し込む太陽の陽射しが僕の両目を攻撃し、勢いよく瞼を閉じた。


「....眩しっ!」


自室のドアを開け、階段を降り、リビングへ向かうと「兄さん?おはよう」と花織の声が聞こえ、寝起き特有の低い声で「....おは.....よう」と答えた。


「朝ごはんはトーストでもいい?」


「.....あぁ、なんでもいいよ」

「それなら、少し待っててね!」


リビングに入って右手に位置する、椅子に座り、パンが焼けるのを待つ。

程なくするとチン!とパンが焼き終わったのを知らせる音が鳴り響いた。


「兄さんお待たせ。今持っていくね」

「....ありがとう」


キッチンから平皿に入った一枚の焼けた食パンといちごジャム、蜂蜜、バターを乗せたおぼんを両手に持って花織が僕の元へ運んできた。


「.....花織ありがとう」

「いいえ」


花織は「ほらほら、冷めないうちに早く食べな!」と優しく微笑んでまたキッチンへと戻って行った。

僕は一度「うわぁぁ......」とあくびをした後「……いただきます」と言い食事についた。



数十分かけて食事を終え、「ふう.....」とため息をついてから「....ごちそうさま」と答えた。


「花織美味しかった。ありがとう」

「私は焼いだけだよ」

「それでもだ」


「そ、そうかなぁ.....」と照れたように笑みをこぼし、誤魔化すように「兄さん!今日は出かけるんでしょ!」と僕をリビングから追い出すように声を上げた。

僕は花織の言う通り自室に向かい、私服に着替え、その後洗面所へ向かって冷水で顔を洗い、歯を磨いた。

そして、洗面所の鏡の前で立ち止まり昨日の会話文を思い出す。

確か、彼女は『デートしようよ!』と言っていたような……。

そうなると、服装も髪型も普段よりも一段に整えるのが一般的なのだろう。

だが、僕は今日の彼女との外出を一切デートとは思ってはいない。

それどころか無理やり付き合わされている可能性まであるのだ。

そんな、半場無理状態の外出をデートだと思えるほど僕の現実は飢えていない。

一度、普段の髪型ではないほうがいいのではないかと躊躇いを見せ鏡の前で数秒立ち止まったがすぐにその悩みは消え去った。

そして、僕は普段通りのノーセットにすることに決め、全ての身支度を終えた。

僕はポケットに入れていたスマホを取り出し時刻を確認すると十二時二十分とちょうどいい時間となっていた。

自室に置いてあった、ショルダーバッグを体に通し玄関へと向かった。


「それじゃあ、花織行ってくるな」


そう言う僕の声を聞いた花織がリビングから早歩きで近寄ってきた。


「気をつけてね」

「あぁ。何かあったらすぐ僕に電話するんだぞ」

「うん!」


そうは言ったものの、花織に困り事なんてなそうに思えるが。


「それじゃあ、行ってくる」

「行ってらっしゃい!」


玄関のドアノブに手を伸ばしガチャっという音と共にドアが開いた。

その瞬間、太陽の眩しい日差しが一気に僕の顔と体全体を照らした。

反射的に片手で顔にあたる日差しを遮り「……眩しいなぁ」と小さく呟いた。



待ち合わせ場所である駅前に到着し、ポケットからスマホを取りだして時刻を確認する。

液晶には十二時三十五分と表示されており、どうやら待ち合わせ時間よりも早く到着してしまったみたいだ。

だが、相手を待たせるよりかはマシだろうと片手に持っていたスマホを再びポケットの中へとしまった。

普段から頻繁に外出しない僕は駅前すらも数回しか訪れたことがない。

そのため、地元ながらもこの辺りの土地勘には自信が無い。

辺りを見渡せば意外にも人の数が多く、なんだか緊張してしまう。

だが、これは決して彼女との外出に対してではなく、人混みに慣れていないからこその感情の乱れだ。

変な奴との外出で緊張するはずがないのだから。

そんな時、僕の視界の隅で人だかりができているのを発見した。

芸能人でも来ているのだろうか……。

不思議に思い僕もその人だかりに近寄って行った。そして、大勢が目にする先には僕の見覚えがある姿が現れ目を大きく見開いて驚愕した。

そう、僕が目にした人物は今日一緒に出かける予定であり、さっきから僕が待ち続けている相手、一条朱音だった……。

彼女は両手で白い鞄を持ちながら、下に顔を俯かせていた。

恐らく、大勢に見られている状況に怯えと不安を抱え顔を前にあげられないのだろう。

誰が見てもわかるその姿をあえて表すとするならば、見られているこの状況に対し緊張や喜び、快感を感じるアイドルではなく、自分よりも遥かに強い強敵を前にして両足を震わせながら後ずさる小動物のようなそんな姿を連想させた。

そして、僕もその小動物に該当する人間……だったはずなのにどうして僕は今人ごみを掻き分けて彼女の元へ駆け寄っているのだろうか。


「……朱音っ!」


普段なら確実にださない声量で名前を呼ぶと、彼女はパッと表情を明るく咲かせ「凪翔……くん……!」とどこか安堵したような声を発した。

僕と彼女は何も言葉を交わさず、手を優しく引っ張って人目の少ない場所へと誘導した。

彼女は辺りを見渡して、誰もいないのを確認すると「ふぅぅ……」と一呼吸置いてから口を開いた。


「もう!凪翔くん遅いよ!」

「……助けてやっただろ。それに僕は一分たりとも遅れてはいない」

「私は十五分前くらいからずっと待ってたよ!」

「僕は二十五分前からだ……」


彼女は「……あれ?」と少し困惑した表情を浮かべた後「……そ、そっかぁ」と苦笑いをしていた。

恐らく、僕が彼女を待っていた場所と彼女が僕を待っていた場所が違ったのが原因だろう。

予定時間よりも早く待ち合わせ場所に到着したのはいいものの、互いに待っている場所が違うため出会うことができなかった。

確かに、待ち合わせ場所に到着した時点で彼女はまだ来てはいないのかと辺りを探し回らなかった僕にも非があるが、それ以上に駅前とだけで具体的に指定していなかった彼女の方が罪は重いのではないか。


「でも、私凪斗くんに電話したもん!」

「……いや、電話なんて来てーー」


そう言い、ポケットからスマホを取りだし液晶を確認するとそこには彼女からの不在着信の通知が表示されていた。

でも、あの時確かにスマホは……。

そう思い、僕は画面の上部を下にスワイプし通知項目を確認するとなぜだか通知がオフ状態になっていた。

だからか、彼女からの電話があっても気づくことが出来なかったのは。

だけど、一体いつ……。

そんな時、ふと今朝のことを思い出した。

僕はスマホの目覚まし音を停止する時、寝っ転がりながらで画面を確認せず、手探り状態でスマホに触れた。

恐らく、その時何らかの拍子で画面を下にスワイプしてしまい通知オフへと切り替えてしまったのだろう……。


「……そ、それはごめん」

「まぁ、別にいいけどぉー」


癇に障る偉そうな言い方に少し睨みそうになったが、これに関しては僕が悪い。

そして、さっきまでは八割彼女に非があったのだが、今回のを踏まえると五分五分というところだろう。


「……でも、私を助けてくれた時凄くかっこよかった。ありかどう」


そう言いながら優しく微笑み、不覚にもその笑顔に僕は目を奪われ、彼女から視線を逸らすことができなかった。


「まるで、ヒーローみたいだったよ!」


無邪気な子供のように瞳をキラキラと輝かせ、僕を高く評価した。

ただ、僕にはその称号は荷が重すぎる。


「僕はそんな大それた存在じゃないよ」


そう、僕はどこにでもいるようなただの男子高校生。

ましてや、勇敢な心を持ち困難に立ち向かう勇者でも人々を悪から守る騎士でもない。

当然彼女の言うようなヒーローでもない。

これは謙遜ではなく事実なのだ。

けれど、彼女はそんな僕の異論にはお構い無しに「ううん」と首を横に振り口を開いた。


「いや、あの時の凪翔くんは本当にヒーローだったよ。誰よりも輝いてた」

「……だから、そんなことーー」


僕の言葉を遮るように「そんなことある!」と右手の人差し指を立てながら自信満々の表情をした。

普段ならば僕は違うと何度でも否定をするのだろうけど、僕の意思は彼女の圧に押しつぶされてしまい、たまになら調子に乗ってもいいのかもしれないと思ってしまった。

僕は彼女から顔を逸らし、頭を掻きながら「……そ、そう……かな」と恥ずかしながら口にした。

そんな僕の姿が面白かったのか「うん……そうだよ……!」と笑いを堪えていた。


「……笑うなよ」

「だって……凪翔くん……可愛いんだもん」

「……それは朱音ーー」


僕は口元に手を当て、瞬時に口を噤んだ。


「なに?私がどうかしたの」

「……いや、なんでもない」


決してこれは口に出してはいけない。

(僕なんかよりも朱音の方が可愛い)そう思ったことは……。

恐らく、そう思ってしまったことも一時の感情だろう。

雰囲気に飲み込まれただけだ……。


「ほら、凪翔くん!」


走った時の影響で乱れてしまった前髪を整え、「早く行こう!」と手を差し伸べた。

一瞬彼女の手を取りそうになったが、一度顔を横に振り彼女の前を歩き出した。


「そうだな、行くか」

「……う、うん」


僕の対応に気に食わなかったのか、彼女は自分の手を見た後「……もう」と小さく呟き頬を膨らました。

僕は気づかれないようにフンと鼻で笑い「どうした。行くんだろ」と振り向きざまに声をかけた。

彼女はどこか納得いかないような眼差しで僕を見つめ「はぁ……まぁいっか」と言い、僕の横に並ぶように歩き出した。



「それで、結局どこに行くんだ?」


昨日の電話でも、待ち合わせ時間と場所を知らせただけで目的地は教えてもっていなかった。

この辺りに訪れることもあまりないし、なんの店があるのか把握しきれていない。


「それは……な い しょ !」

「なんでだよ。教えてくれてもいいだろ」

「それじゃあ、楽しみがなくなっちゃうでしょ!」


別に教えたところで楽しみがなくなるとか増えるとかはないと思うが。

そんな時、彼女が僕の腕を強く引っ張って「凪翔くん!まずはあそこからだよ!」と満面の笑みで指を差した。


「あれって……」

「そう」


彼女が指を差した先にはスイーツ野薔薇という名前のスイーツ専門の店が構えてあった。


「ほら、早く早く!」

「そ、そんなに引っ張んなくても」


おもちゃ売り場を目の前にした子供のように彼女ははしゃいでいた。

ドアを開くとチャランチャランと音が店内に鳴り響き「いらっしゃいませ」と店員の穏やかな声が聞こえてきた。

茶色と白色で統一されたレトロをモチーフとした店内が広がっていた。

僕らは案内された席に座り、テーブルの真ん中に置いてあったメニュー表に手を伸ばした。


「どっれっにしっよっうかっなぁー」


彼女は弾むような口調でメニュー表を観覧していた。

そんな姿を見ると自然に口角が緩み、子犬を見ているような感覚に陥る。


「凪翔くんは決まったー?」

「僕はまだって近い近いよ」


僕に問いかけながら前に座っていた彼女が体を前のめりに倒れ、僕のメニュー表を覗き込んできた。

けれど、そんな僕の心情は気に留めず「えっとねぇ」と彼女は言葉を続ける。


「私のおすすめはこれかなぁ」


そう言いながら彼女が指を差したのは上部をチョコで固め下部をいちごで固めたシャルロットケーキだった。


「それじゃあ、これにしようかな」

「これ食べた時衝撃を受けたもん!」

「以前にもここに来たことあるのか?」

「うん。友達とね」


体勢を一度元に戻し、彼女は再びメニュー表を開いた。


「朱音は何を頼むか決まったのか?」


僕がそう訊くと「うーん」と喉を唸らせてから「それがまだなんだよねぇ」と決めかねている様子を見せた。


「何と迷ってるんだ?」

「えっと、この季節限定のマンゴーレアチーズか定員おすすめのホワイトガトーショコラか。どっちも美味しそうで」

「それなら、どっちも頼んで片方を二人で食べればいいんじゃない」


そう提案すると彼女はパンっ!と両手を重ね合わせ「それっ!いい!」と希望に満ちた眼差しで僕をじっと見つめてくる。

誰でも思い浮かびそうな案だと思うのだけれど。


「よし!決まった」


メニュー表を勢いよく閉じ、テーブルの端っこに置いてあった呼び出しベルを押した。

程なくして、店員が到着し注文内容を訊きとり確認をする。

「以上でよろしいですか?」と訊かれ「はい、大丈夫です」と答えた。


「朱音は甘いものが好きなのか?」

「うん!たまに作ったりもするよ!」

「へぇー意外と女子っぽいことしてんだな」

「意外って何よ!意外って!」


彼女は頬を膨らませ「凪翔くんは私をなんだと思ってるのよ!」と怪訝そうな表情を浮かべた。


「凪翔くんにも作ってあげようか?」

「いや、僕は別にいい」

「そうか!そこまで言うなら今度作ってきてあげるよ!」

「……だから、僕はっ!」


自分で訊いときながら僕の意見は無視をし、彼女は話を進めた。

そして、僕が否定すれば彼女は目を細め「なんか言ったぁ?」と威圧をかけてくる。

一体彼女は何がしたいのだろうか……。

その後も僕らは談笑を繰り広げ、やがてスイーツが運ばれてきた。

テーブルに置かれた瞬間に彼女は目を見開き「なにこれ、美味しそー!」と瞳を煌めかせた。

でも、確かに今回に関しては彼女に同意する。

運ばれてきたスイーツは僕の予想を遥かに超える出来栄えで食欲をそそった。

そして、僕らは「いただきます」と言ったあとスプーンを手に取ってスイーツを実食した。


「ん〜!美味しー!」

「本当だ……。美味い」


甘みが強い味わいだが噛めば噛むほど酸味が伝わってくるいちごのクリームに口に入れた瞬間に優しい甘さを印象づけ、深みのある特徴的な味のチョコクリーム。

そのどちらも反発せず口の中で混ざり合い互いを引き立てている。

今まで食べてきたスイーツの中でダントツで一番だ。

丁寧に味わいながら食べていると彼女が身を乗り出して僕のケーキにスプーンを刺した。


「一口しちょうだーい!」

「えっ……!ちょっと」


僕は開いた口が塞がらず困惑した表情を浮かべているとケーキを一口食べた彼女が「ん?」とこの状況に理解出来ずにいた。


「……はぁ、別にいいか」

「あぁー!ごめんごめん!私のもあげるから許してー!」

「いいよ別に……」

「ほらほら!あーん!」


彼女は見事に焦りっぷりを見せながら、マンゴーレアチーズをすくい上げ、僕の口元に近ずけた。


「じ、自分で食べられるから」

「いいからいいから!ほらっ!」


そう言いながら、彼女は無理やり僕の口にスプーンを入れた。

仕方がないからとそのままケーキを頂き、飲み込んだ。

だが、次第に僕の頬は熱くなり左側の窓ガラスを見るとそこには頬を紅く染めた顔が反射していた。

頭では全く動揺していないと思ってはいたものの、どうやら体は素直に反応していたみたいだ。

僕はすぐに顔を逸らし必死に誤魔化した。


「……凪翔くん。顔が」

「うるさい。こっち見るな」


精一杯努力したつもりの僕の足掻きも彼女には全く通用せず、瞬時にバレる結末となってしまった。

こうなってしまっては誤魔化すことは無意味だと判断し、反論しようと彼女の方を向き直したら


「朱音……。お前も顔赤いぞ」

「……いや、まぁ……これは……」


海を漂う魚のように彼女の目は泳ぎ、誰が見ても動揺をしていると理解できた。

てっきり、この状況に羞恥心を感じてるのは僕だけかと思っていたけれど、どうやら違ったみたいだ。

彼女も僕と同様に戸惑っていた。


「……お前が僕に食べさせたんだろ」

「そうだけど……」


彼女は自分の感情の乱れを誤魔化すかのようにスプーンでケーキを突き、一度鼓動を落ち着かせようとセットで注文しておいたアイスココアをズズズと一口飲んだ。


「朱音はこういうの慣れていると思ってたんだけど違ったんだな」

「当たり前でしょ!男の子と二人で出かけるなんて今回が初めてだし……」


両手の人差し指をくっつけたり離したりしながら、視線を下へ落とした。

でも、確かに思い返せば待ち合わせ場所で僕を待っている時も周りからの男たちの視線に対し彼女は畏縮していた。

もしかしたら、彼女は僕以上に男慣れしていないのかもしれない。

でも、その容姿をしておいてそんな新情報はあまりにも意外だった。

初めて会ったあの時から彼女のことをずっと変な奴だと思っていたけれど


「朱音も意外と可愛いところあるんだな」

「……はぁっ!?今……!えっ……!?」


そう言うと彼女はさっきよりも一段と顔を真っ赤に染め、目を見開き、両手で口を隠した。

そんな、彼女の姿を見てようやく自分の言った言葉に意味に気がつき僕はこれ以上にないほどに恥じ「……ちょ、ちょっとだけなちょっとだけ」と瞬時に付け足した。


「な、凪翔くんがそういうこと言ってくれるなんてお、思わなかったから……私……」


所々の言葉が震え、僕と目を合わせない姿を見ると彼女の鼓動は未だに加速しているようだ。


「大丈夫か?」

「もう!凪翔くんのせいなんだから!」


彼女は「ふぅ……」と一度ため息をつき「凪翔くんが急にあんなこと言うから……」とボソボソと呟いた。

確かに僕に似合わない言葉を言ってしまったのには自覚があったが彼女の冷静さを奪う程だろうか。

彼女はスプーンに手を伸ばし、再びケーキにありつこうとしたが手から滑り落ちカシャーンとテーブルと激突する音が鳴り響いた。

見栄を張って冷静さを装っていたようだがたった今の行動で僕にバレてしまい「……あは……あはは……」と分かりやすく誤魔化した。

その後も僕らはケーキ一つ一つの味わいを楽しみながら談笑をしスイーツ野薔薇店を後にした。


「ケーキって意外と腹に溜まるんだな」

「そう?私はまだまだいけるけど」

「す、凄いな……」


華奢な腕と足をしておいて、意外と健啖家なんだとギャップを感じてしまう。

けれど、そんな彼女とは正反対に僕の胃袋は悲鳴をあげ、限界だと泣き叫んでいた。

自分の知らないところで僕の胃袋は縮小していたとやっと今気付かされた。


「それで次はどこに行くんだ」

「それはね……ふふふ……あそこだよ!」


不敵に微笑む彼女が指を差した次の目的地は


「アクセサリーショップ……?」

「ここで一つ、今日の思い出として何か買おうかなって」

「なるほどな」


アクセサリーショップに訪れるなんて人生で初めてだしファッションという言葉に一番無縁な存在だと自覚もあった。

だから、一度も訪れることなく人生を終えるものだと思っていたのだけれど……。

そんなことを考えながらショップの前で立ち止まっていると僕の手を優しく引っ張って「凪翔くん!行くよ!」と彼女の声と共に僕を店内へ導いた。

ウィーンと音を立てながら自動ドアが開き、慎重な足取りで歩みを進める。

灰色のコンクリートの床と僕のスニーカーが優しく触れ合いコンコンと音を奏でていた。

店内にはリラックス効果を得られそうな洒落たオルゴールが流れており、僕らには場違いの高級感をこれでもかという程に漂わせていた。


「……ここって、僕らみたいな高校生が来てもいい場所なのか?」

「別に大丈夫でしょ!お客さんに年齢なんて関係ないよ!」


彼女は右手の親指を立て、ウインクをしながらキリッと笑い、純白なキラキラした歯を見せた。

僕は「……いやいやいや」と小さく呟き彼女の自信満々の意見には同意できないでいる。

間違いなく僕らは場違いでそれは誰が見ても理解できる光景。

辺りを見渡せば、シュッと整えられた清潔な黒いドレスに白色のハイヒール。そして、薔薇のように赤いハンドバッグ。

僕らとは似ても似つかない身だしなみにそして言葉遣い。いや、むしろ比べること自体失礼に値するかもしれない。

焦りと動揺が混ざり合い、額に一滴の汗が流れ落ちた。

こんな状況に耐えきれず、やっぱり出よう、そう彼女に声をかけたが応答はなく、瞬時に横に目をやると彼女の姿はなかった。

すかさず辺りを探すと透明なガラスケースを覗き込む彼女を見つけた。


「……なにしてんだよ」

「なにってアクセサリー見てるんだよ」


こんな状況に平然と入れる彼女の気が知れない……。


「……もう、出ないか」

「なんで?もう少し見ていこうよ」


店内の雰囲気に合わせ、小声で話すという配慮を払っているにも関わらず彼女ときたら未だに声量を下げようとしない。


「……別にここじゃなくてもいいだろ」

「私はここがいいよ」


どうしてこういう時に限って頑固なんだと徐々に僕の眉間にシワがよっていく。

それに、絶対に店舗の選択を誤っている。

別にこんな高級店で買わなくても、僕らに相応しいアクセサリーショップだって近辺にあるはず。

一体この店になんのこだわりがあるんだ。


「……なぁ、朱音。今スマホで調べたら向こうの方にーー」

「ねぇねぇ、凪翔くんこれ可愛くない!?」


僕の言葉を遮るようにそして興奮のあまり一段と声量を上げ僕に語りかけてくる。

こいつはと喉まで出かかった言葉を何とか抑え込む。

そして、もうこれ以上彼女に何を言おうが聞く耳を持たないだろうと判断し仕方がないからと諦めることにした。

続けたところで無駄に体力を消耗するだけだろうし。


「……それで、なんだよ」

「だから、この白いやつ!私に似合うと思うんだけど!」

「……どれ。ってこれ……!?」


彼女が必死に指を差すアクセサリーに目をやり、その下の値札プレートに僕は息を呑んだ。


「……一十百千……万…………十万………………!?」


数えると同時に目が徐々に見開き声も大きくなっていく。

何度も目を擦っては値札を確認するの繰り返しで瞬時にその金額に頭が追いつかなかった。


「……おい、これ四十万だそ!?」


掠れながらもハッキリした声でそう言う。


「よ、よ、よ、四十万!?」


流石の彼女もこの金額とは予想していなかったみたいで僕以上に驚愕していた。

肩をブルブルと震わせ、察しの悪い僕ですら今の彼女と心理を容易に汲み取ることができた。


「……わ、私そんなにお金もってないよ」

「……当たり前だ」


高校生で四十万もの大金を所持しているとすれば、汗水たらしながら必死に高校一年生からバイトを続けている者か水商売体を張っている者だけだろう。

だが、残念ながら僕らはどちらとも当てはまらないため一般的な小遣いをために貯めた金銭しか所持していない。


「……だから言っただろ。この店は僕らが来るような場所じゃないって。一番安いのだって五万円からだぞ」

「……そっかぁ」


数分前の無邪気な子供のような喜色満面な表情は消え去り、分かりやすく落ち込んでいた。


「……まぁ、別のアクセサリーショップでもいいんじゃないか?」

「そうだね……」


この店は僕らの身の丈に合わない場所以上に高校生の財布には優しくない。

彼女は肩を落として重い足取りで店を後にした。


「そんなに落ち込まなくても」

「……だって、凄く気に入ったのがあったから」


普段の天真爛漫な性格からは想像もできない姿。

このままでは嫌悪な空気を漂わせる一方だ。

僕には分不相応な言葉だと理解しているが彼女の笑顔を取り戻せるならと僕は決意する。

「ふぅ……はぁ……」と一度呼吸を整えてから口を開いた。


「……まぁ、だからその……別にあれじゃなくてもいいんじゃないか。朱音なら何でもに、似合うだろし……。だから、もう元気だせよ」


どうも彼女に意気消沈している姿を見ると落ち着かない。

影のような暗い表情は彼女には似合わない。


「……凪翔くん」


俯いていた顔を上げ、僕の目を見た。

そして、ゆっくりと口角を上げ、目を煌めかせながら


「私の事そんな風に思ってくれてたんだ!それならそうと早く言ってくれればいいのにー!」

「クッ……!マジでこいつは」


彼女の元気を取り戻そうと羞恥心を捨てて、真面目に伝えたと言うのにそんな反応をされると損した気分だ。

……いや、気分ではなく確実に損をした。大損だ。


「よーし!次はあそこに行くよー!」


数秒前の放心状態は嘘だったのかと勘違いさせるほど彼女は今意気揚々としていた。

本当に彼女は感情が上下する。

たったあの言葉だけでこんなにも活力を取り戻すなんて彼女は僕が想定しているよりもちょろいのかもしれない。

そして、またしても手を引っ張られ彼女の赴くままに次の目的地へ連れてかれた。



その後も食べ歩きやボーリング場、ファミレスにゲームセンターと様々な場所に引っ張られ、その上、彼女が予定を組んできた大半のデートスポットが飲食店で僕の胃袋はより一層悲鳴をあげていた。

だけど、僕とは正反対に彼女はまだまだ余裕という表情で最後に訪れたゲームセンターではお菓子のクレンゲームだけを狙って大量に獲得していた。

彼女の胃袋の底が知れず、多少の恐怖心まで抱いている。

彼女のあだ名を変な奴からブラックホールに改名したいくらいに。


「……今日はこれで終わりか?」

「ううん。あと一箇所だけ行きたい場所がある」

「そ、そうか……」


口には出さなかったが僕の体はだいぶ堪えている。

普段から頻繁に外出をしない分、体力には自信が無い。

それに比べて彼女はスキップをしているかのように足取りが軽く、テンションも高い。

だが、残り一つなら何とか僕も乗り切ることができそうだ。


「それで次はどこなんだ」

「それはね……ここだよ」

「ここって……映画館だよな」


彼女に着いてくように歩いていたところ気が付かずに映画館前に到着していた。

「私、ちょうど観たかった映画があったんだ」

「へぇー、でなんの映画?」

「えっとねぇ……って危ない危ない」

言いかけた言葉を途中で噤んだ。

「教えちゃったら楽しみがなくなっちゃうもんね!」

「……あぁ、そういえばそうだったな」

確か一番最初に立ち寄った喫茶店に向かっている時もそんなこと言っていた。

まぁ、でも彼女の性格上何となく予想はつくが。

彼女がアクション映画やアニメ映画、SF映画を選択する姿が想像できないしかといってホラー映画も怖いと言って意外と女性は選ばない。

そうなると、あと残されている且つ彼女が好むような作品。

それは恋愛ものだろう。

初めて会った時も恋について熱く語っていたし、間違いないだろう。

「それじゃあ!早速行こうー!」

「……あ、あぁ」

そうして僕たちは映画館に入っていった。

「意外と人は少ないんだな」

「この時間帯は帰る人の方が多いいからね」

「そうなんだ」

僕の中ではどの時間帯でも映画館は人混みで溢れかえっているもんだと思っていた。

「ねぇねぇ凪翔くん!せっかくだしポップコーン買っていこうよ!」

「そうだな。映画館にはポップコーンが付き物だし」

そうは言ったものの僕の胃袋にポップコーンが入る隙間はなさそうだが。

「結構色々な味があるんだね」

「本当だ。キャラメルと塩だけかと思ってた」

だけど、二種類に限らず様々な味が用意されていた。

王道のキャラメル味に塩味、好みが別れそうな焼肉味、女子高生が目を奪われそうなマカロン味、甘党にオススメ!と肩書されたキャラメル&チョコクリーム味。

どれも好奇心が刺激される味ばかりで迷ってしまう。

「朱音はどれがいいとかあるか?」

「そうだなぁー、私はねーー」

彼女の言葉に合わせるように「キャラメル&チョコクリームだろ」と言葉を被せた。

「えっ!なんでわかったの?」

「喫茶店の時甘いものが好きだって言ってたからな」

「覚えててくれたんだ」

「当たり前だろ。きっと何年なっても忘れない。僕は暗記系には特に自信があるんだ」

「そう……なんだ……」

彼女は何故だが頬を紅く染めながらどこか嬉しそうに呟き「そっかぁ……」と続けた。

僕は彼女に喜びを与えるようなことを言っただろうか。

「それじゃあ、キャラメル&チョコクリーム味にするか」

「うん!そうだね」

フードエリアへ向かいポップコーンを注文し、しばらくしてから受け取った。

二人で食べるということもあって一応Lサイズを注文したが、僕の想像より数倍量が多く運ばれてきた時思わず「……えっ」と声を漏らしてしまった。

「でもこの味で良かったの?なんか私ばっか優先してもらってる気がするけど」

彼女は眉を下げて申し訳そうな表情を浮かべた、

「そうか?気のせいだろ。それにこういう時はレディーファーストっていうやつだろ」

「凪翔くん……。もしかして……女の子の友達いる……?」

次は眉を顰めて怪訝な面持ちへと豹変させ、それと同時にどこか哀愁を含んだ瞳で僕を見つめていた。

「別にいないよ。友達と言えるのかは分からないけど学校関連で僕と関わりがあるのは朱音ただ一人だけ」

それに、女友達どころか男友達すらまともにいない。

「友達だよ!……いや、恋人。もしかして……もう……夫婦だったりして」

「しねぇーよ!」

勝手に恋人扱いされては困る。

「でも、女の子の友達もいないのになんでレディーファーストとかできたの?」

「……あぁ、多分それは妹がいるからだと思う」

その言葉に彼女は目を大きく見開き、徐々に口が開かれ「えっっっーーーーー!」と甲高い声が館内全体に響き渡った。

「声大きいって」

「ごめんごめん。でも、凪翔くんに妹がいることに驚いちゃって」

両手を合わせながらペコペコと頭を下げていた。

「そこまで驚くことか?」

「そりゃあ驚くよ!凪翔くんは絶対一人っ子だと思ってたから」

「なんでだよ」

まだ、出会って二日しか経っていないのにどこをどう汲み取れば僕を一人っ子だと思い込むのだろうか。

「いやぁ……まさか凪翔くんに妹がいるとは」

「まだ言ってるよ」

両目をつぶり、腕を組みながら「そうかそうか。意外だ」とコクコクと小刻みに頷いていた。

たかが妹がいるくらいでこんなにも驚愕してしまうなら、これよりも遥かに凄い驚異的な事実を口にした時、彼女は腰を抜かし声を枯らして地震並みの勢いで体を震わせるのではないか。

それどころか爆発しそうなイメージだけど。

「朱音は兄弟や姉妹とかはいないのか?」

「うん、いないよ!私は正真正銘の一人っ子だよ!フンッ!」

「どこに誇りを持ってるんだよ……」

腰に手を当てながら胸を張った。

そして、少し間を置いてから「いいでしょぉー!」と付け加えた。

「まぁ、確かに一人っ子の方が融通が効きそうだし、愛情も深そうだな」

でも、まぁ、僕に限っては違うのだけれど。

これまでに一人っ子に憧れを抱いたり兄弟は必要ないと思ったことは一度たりともない。

僕の妹、花織は一人っ子のメリットを凌駕する優れ者だ。

だが、どうやら彼女は違うらしく一人っ子という武器で僕に対抗してきた。

「そうだろそうだろ。私をもっと羨ましがってもいいんだぞー!」

「……いや、それはない」

そんな、他愛ない会話を繰り広げながら入場ゲートへ向かい彼女が事前に購入しておいたチケットでゲートを抜けた。

僕らが観るであろうシアターに入り、座席へ向かった。

入場ゲートを通る時も彼女に「絶対チケットに書いてある名前見ちゃダメだよ!」と何度も言い聞かせ、ゲートを抜けたら僕の手から瞬時にチケットを奪い取った。

そこまでするほど、彼女は頑なに教えたくないらしい。

「僕の席はここでいいんだよな」

「うん、そこで大丈夫」

最後列の真ん中の二席を購入したとのこと。

上映前に数分間の広告が流れ、しばらくしてから上映が開始した。

一体これから何が始まるんだか……。

「……もう始まるね」

「……ああ、そうだな」

彼女は猫背になっていた姿勢を真っ直ぐ正し、映画に没入する準備を済ませた。

そして、制作・配給会社の映像が流れると同時に彼女を見習って僕も姿勢を正した。



徐々に物語が進むにつれ内容と僕が今何を鑑賞しているのかようやく理解することができた。

僕の瞳に映っている物語は上映前に推測していた恋愛ものではなく、むしろ恋愛とはかけ離れている。

そう、これは……

「……ホラー映画」

「……そうだよ。意外だったでしょ」

「……あぁ、かなり」

呆気に取られものもいえずに、口をポカーンと開いているとホラー映画には不相応な「ウシシ」という彼女の笑い声が耳に飛び込んできた。

「……でも、なんで」

「……それは後で分かるよ」

彼女は不敵な笑みを一度浮かべたあと再びホラー映画へ没入した。

物語が中盤に突入しより一層雰囲気を増してきたその時、観客全員の「キャー」「うわぁぁああ」「……びっくりした」といった叫び声がシアター全体を埋めつくした。ホラー映画ならではなの恐怖シーン。

当然その中に僕も含まれており「……なんだ今の」と声を漏らしていた。

だが、それと同時にホラー映画を超える出来事が僕に衝撃を与えた。

「……朱音?」

「ん?どうしたの」

彼女は必死に頬被りし何事もなかったかのようにその場を乗り切ろうとしていた。

「……いや、その腕が」

「腕がどうしたの?」

いまさっきの恐怖シーンに誰よりも俊敏に反応し、誰よりも抑揚をつけずに棒読みで叫んだ。

……そう、まるでホラー映画に対し恐怖心も苦手意識も持っていないかのように。

そして今彼女が起こした行動が僕の推理に決定的な証拠与えた。

「……いや、だから僕の腕そんなに強く抱きしめないでよ」

「あー、ごめんごめん。つい反射的にー」

僕の言葉に返答する声も先刻と同様に大根役者のような棒読み。

「……そろそろ、離してよ。もう、怖いシーン終わったし」

「いやぁ、もう少しだーー」

彼女の言葉を遮るほどのバンッッ!という轟音が流れ、再び館内を騒がせた。

そして僕も「うわぁ……」と声を漏らした……が隣に座っていた彼女は叫び声どころか体をピクリとも動かさず反応もしていなかった。

息遣いも安定していて、僕らその時改めて推理が的確だと判断した。

「……あれ、朱音今」

「あっ、あー!びっくりしたー。いやー、本当に今のはびっくりしたなー」

今の彼女の顔を見れば誰もが嘘をついていると容易に見抜くことが可能だろう。

目は遊泳する魚のように泳ぎ焦点が定まっていない。スクリーン輝度のおかげで確認することができた額から流れる一滴の汗。そして、相変わらずの棒読み口調。

この観点を結びつければ、自ずと答えは導き出される。

「……はぁ、嘘ついてるだろ」

「いやぁ……別に嘘なんかぁ」

「まぁ、いいか」

恐らく、彼女はこれ以上押し通すつもりだろう。

威圧をかけて真実を吐かせるのもいい手だが、それ以上に僕は映画に集中したい。

それになぜだか……彼女に密着されるのは嫌ではなかった。

「ほら、いい加減映画を見ろ」

「あっ、うんそうだね」

彼女が僕の腕を抱きしめているこの状況を見逃すとは思ってもいなかったらしく、彼女は唖然とした表情で僕を見つめていた。



エンディングロールが終わりを告げ、館内が徐々に照明に照らされていった。

「面白かったね」「凄く怖かった」「あの部分ヒヤヒヤしたよ」と言葉を交わしながら席を立ちシアターを後にしていく者や映画の余韻に浸り未だに座席に腰を下ろしている者が見受けられる。

そして、僕らも前者に該当するのだが彼女から発せられた感想はどれも適当に言葉を並べているように感じた。

恐らく、彼女が上映前に言っていた『ちょうど観たい映画があったんだ』という言葉嘘なのだろう。

そして、数々のジャンルの中からホラー映画を選択したのも興味があったわけではなく、僕と密着したいという欲求を達成するべく作り出された口実。

ホラー映画以外のジャンルを選んでしまえば密着できるような要素が出現する確率は非常に低いからな。

そのため、必然的にホラー映画を選びざるを得なかった。

だから、僕が「面白かったか?」と訊いても「うん!面白かった」とオウム返しになってしまう。

これは、ホラー映画に対し興味がなくその上苦手意識もない者ならではの言動。

恐らくその理由であまり物語に感情移入できなかったのだろう。

でも、色々と彼女が僕を映画に誘った理由や昨日の電話の時点でこの計画が建てられていたと思うとなんだが笑えてきて僕は思わず「プッ!なんだよそれ」と独り言を漏らしてしまった。

そんな僕を見た彼女は訝しげな表情を浮かべて口を開いた。

「ん?どうかしたの?」

「いや……別に」

「え〜!なになに!教えてよー」

「だからなんでもないって……」

さっきまで適当に感想を並べながら、作り笑いをしていたその表情が今では比べ物にならないほどの屈託のない笑顔を浮かべていた。

「この後はどうするんだ?」

「さすがにもう時間も時間だし帰ろうかな」

「……あぁ、そうか」

そう、僕の口から発せられる声は想像以上に弱々しく今にでも消えてしまいそうなどこか切なさを感じさせた。

「その前に私お花摘みに行ってくるから」

「あぁ、トイレな」

「お花摘みだよ!もう、凪翔くんはデリカシーがないんだから」

瞬時に非難の声を上げ、彼女はお花摘みという名のトイレに向かっていった。

その間、行きに見つけたソファーに腰を下ろそうと目を向けたその時、僕はあるものに惹かれ足の向きを変えた。

「あれはーー」



街灯が地面のコンクリートを照らし、どこか穏やかさを感じさている。

昼間に比べれば、比較的和らいだと思われる人々の談笑にタッタッタッと一定のリズムで奏でる跫音。

この時間帯には脅威になりかねない辺りを漂う飲食店の香り。

夜空を見上げればありのままに流れる白い雲にその背後に姿を隠している銀白に光り輝く月。

そして、そんな雰囲気に飲まれ気が緩くなっていた。

「ねぇ、凪翔くん。今日は楽しかった?」

「あ、まぁそれなりには」

「そっかぁ、良かった」

彼女はふぅ、とため息をつきどこか安堵した様子を見せた。

僕の性格上あまり表に感情を出さないため、うまく読み取れず僕が不快に思っているのではと不安を抱えていたのだろう。

だが、そんなの彼女の杞憂だ。

確かに最初は渋々彼女に付き合っていた節はあったが時間を共有するにつれそんな気持ちは気がつけば消え去っていた。

僕をそうさせたのはこの場の誰でもない君だ。

僕はきっと自分が思っているよりも今日という時間に満足しているだろう。

だが、今思ったことは口に出さないでおこう。

「あのさぁ……凪翔くん。」

「ん?なんだ」

「また、私とデートしてくれる?」

普段ならばデートしてね!と強制的な言い方をするはずなのに今の彼女から発せられた言葉はその逆の弱々しい声をしていた。

「それは……嫌だな」

「えっ、なんで……?」

少しからかってみようと思っただけなのに彼女は子犬のような瞳をして、切なげな表情を浮かべた。

「冗談だよ、冗談。また、いつかな」

「それっていいってこと?」

「あぁ、そう言ってる」

純粋な子供のように瞳をキラキラと煌めかせ、一気に普段のような意気揚々とした姿を現した。

「それじゃあ、明日もデートしようよ!」

「それは、本当に無理。明日こそ勉強をしたい」

「もう!この勉強バカ!」

「勉強バカで結構。朱音も僕を見習って勉強をした方がいいんじゃないか」

「いいや、私は大丈夫!きっといつか天性の才能が開花して凪翔くんよりも頭良くなるから!」

彼女の時折見せる過度な自信はどこから来るのだろうか。

絶対に自信過剰だろう。

「そんな日が来るといいけどな」

「凪翔くんさては信じてないでしょ!絶対に見返してあげるんだからー!」

「そうか、今後の楽しみができたな」

彼女を軽く嘲笑い、絶対に無理だと言わんばかりの不敵な笑みを浮かべた。

「そうだ、凪翔くん。連絡先交換しようよ!」

「連絡先……?まぁ、別にいいけど」

彼女と連絡先を交換したことで生じる支障なんてないだろうしと軽々と引き受けた。

ピコンという音と共に彼女との連絡先交換が完了し、知り合い欄の項目に"朱音"と記載された。

スマホを購入してから今までの間、僕が連絡先を交換している相手は妹と父さん、そして母さんだけだった。

そのため、朱音という二文字が表示されただけで普段の見覚えのある風景ではなくなり多少の違和感を覚える。だけど、その違和感には微塵も不快な気持ちにはならず、むしろどこか心が踊るような些細な喜びを感じてしまった。

僕は彼女に気づかれないようにとそっと口角を緩め、優しく微笑んだ。

「やったー。これできることの幅が広がった!」

「そうか?」

「うん!例えば寝落ち通話とか寝落ち通話とか寝落ち通話」

「寝落ち通話だけじゃん……」

「いやぁー、私寝落ち通話することが夢だっーー」

彼女の言葉を最後まで言わせまいととすかさず遮って言葉を被せる。

「言っておくが絶ッ対にしないからな」

やっぱり、先程の言葉は取り消してもらう。

確かに冷静になって考えれば、彼女と何をするにしろなんかしらの僕への支障が着いてくる。

どうして、そんな簡単なことがわからなかったんだ……。

「えぇー!なんでよ!寝落ち通話くらいいいじゃん!」

「全然、くらいじゃないだろ。そんなにやりたきゃ他の友達とでもしとけ」

ふぅぅ!と一度大きく息を吸ってから僕の耳元で「も う !」と叫んで言葉を続けた。

「だ か ら !私は凪翔くんじゃないとダメなの!もう、何回言ったらわかるかなぁ」

「たとえ百回言ったところで無駄だ。本当に僕が好きならば僕が嫌がることはするなよ」

それと同時に小学生かよという言葉が思い浮かんだが、黙っておくことにしよう。

彼女はチッチッチッと人差し指を左右に揺らしながら不敵な笑みを浮かべた。

「凪翔くんはわかってないなぁ〜。恋っていうのはね如何にアタックできるかが重要なんだよ!」

「そうか。なら次は引いてみたらどうだ。よく言うだろ、押してダメなら引いてみろって」

「それは……」

さらに畳み掛けるように僕は言葉を続けた。

「ほら、次は引く番だろ。ほら」

「クッ……凪翔……くん……め……」

眉間に皺を寄せ、歯を食いしばい、胸の前に強く握られた拳までついている。

ここまで彼女を追い詰めたのは初めてかもしれない。

僕はフンッと鼻で笑い"どうだ"と言わんばかりの誇らしげな表情で対抗した。

そして彼女もまた、そんな僕に反撃を仕掛けるように「……そっかぁ、凪翔くんがその気なら」と怒りを押し殺した声色で言い放った。

「私やっぱり凪翔くんと距離を置くことにする。……もし……かし……たら……す、好きじゃ……ない……かっかっかもしれしれないししし」

最後になるにつれて無理やり絞り出しながら嫌々口にしているということが明確に伝わってきた。

「そうだな。朱音がそういうならそうした方がいいのかもな」

「ちょ…………っ!凪ーー」

喋らせはしないと言葉を被せる。

「よし、それじゃあ卒業するまでの間僕とは金輪際喋らない、いや合わないことにしよう」

「ちょっとまっーー」

「これ、決まりな。じゃあ、僕はこれで」

歩調のスピードを上げ、彼女の前を歩こうとしたその時、僕の腕が強く引っ張られ咄嗟に後ろへ振り向く。

そこには必死に僕の足を止めようと絶対に逃さないと強く踏ん張っている彼女の姿があった。

顔は下に俯き、表情は確認できないが僕の腕を握る力が感情を心理を伝えるかのように全てを物語っていた。

「朱……音……?」

「ちょっと……待って……っ!」

荒々しい息遣いで普段からは想像もできない強い口調で僕に訴えかけていた。

「嘘……だよ……。やっぱり……凪翔……くんから……離れるのは……無理……だよ」

言葉が進むにつれ僕の腕を握る力も徐々に増していき、でも僕が本気で振り払ってしまえば彼女の手が解けてしまうほどの力。

一体……傍から見たら僕らはどう映っているのだろうか。

「はいはい……わかったからいい加減離してくれ」

「……もう、どこにも行かない……?」

「……あっ、あぁ行かねぇよ」

捨てられた子犬のような細々と発せられたその声は僕を油断させるには充分すぎた。

そのため、身の丈に合わない言葉を口にしてしまった。

「本当にぃ……?」

「……本当だよ」

「そっかぁ……」

彼女は力強く掴んでいた僕の腕を手放し、顔を前に上げた。

僕の腕には彼女の手の跡が赤く残り、体温までも感じた。

僕は「はぁ……」とため息をつき、どんだけ必死だったんだよ……と呆れと心がホッとするような謎の感覚に襲われた。

「ついでにぃ……寝落ち通話とかは……」

「はぁ……、たまになら別にいいよ。"たまに"ならな」

絶対に忘れて欲しくはない重要な言葉を強調するように指摘した。

「凪翔くんありがとうー!それじゃあ早速今晩にでもーー」

「それは無理」

「えっー!なんでよー!」

彼女はおもちゃ売り場を前にした子供のように駄々をこね盛大に騒ぎだした。

そのせいで、帰路の途中はジロジロと通行人に見られ不愉快な思いをした。

そんな、悪行をやめさせるには今晩寝落ち通話をするという条件を飲み込めという無茶な申し出をされてしまい僕は嫌々ながら彼女の希望を引き受けた。

そしてその時僕は改めて実感した。

どんだけ僕は彼女に弱く単純で無様な男なのだろうかということに……。

いつから僕は彼女の尻に敷かれる存在へと豹変してしまったのだろうか……。

「僕はこっちだから」

「そっか、それじゃあお別れだね」

「そうだな」

「もっと悲しんでよー!」

「いや、だってこの数時間後に電話もするんだろ」

「そうだけど……」

またしても彼女は切なげな表情を浮かべる。

この全く似合わない寂寞たる顔を見るのは今日で何回目だろうか。

本当に……呆れる……けどなぜだろう、僕の口角が自然と緩み微笑みをこぼしているのは。

「そっか……」

僕はショルダーバッグに手を突っ込み、手探りでもすぐに見つけられるようにと事前にわかりやすい場所に入れていた"ある"物を取り出した。

「なぁ、朱音」

「ん……?」

憂いを帯びた眼差しで僕の瞳を見つめてくる。

「これ……朱音にやるよ」

彼女の目は徐々に見開いていき、街灯の明かりを瞳に反射させていた。

先程までの眼差しとは打って変わった希望に満ち溢れる瞳を、それはまるで太陽の陽射しを反射させる水面のように煌びやか眺めだった。

「えっ……これって……ネックレス……?」

「あぁ、そうだ」

「でも、なんで……」

首を傾げ、怪訝な面持ちで疑義の念を抱いていた。

「あの映画館ショッピングモールの中にあっただろ。その時にアクセサリーショップもたまたま見つけて隙を見計らって買ったんだ。当然安物だけどな」

「そっか、そんなことしてくれてたんだ」

「あの時朱音が欲しがってた物に似ているのを見つけてな」

「凪翔くん……ありがとう」

大切そうに胸元にネックレスを優しく持ち自然と微笑を浮かべた。

ゆらゆらと不規則に動くネックレスは街灯の明かりを集めキラキラと輝いていた。

「でも、なんで私が欲しいのはネックレスだってわかったの?あのガラスケースの中にはイヤリング、ブレスレット、ネックレスが並んであったのに」

「まぁ、確かにな。でも、僕にはネックレスだけを見ているように思えた」

「凪翔くんそんなに私の事見てたの?」

「別に見てたわけじゃ……」

口元に手を当てウシシと不敵な笑みを浮かべると同時に再び優しい穏やかな眼差しへと変化させた。

「そうだ!せっかくだし凪翔くんがネックレスつけてよ」

「えっ、僕が……?」

「うん!ほら、早く早く!」

片手に持っていたネックレスを僕に手渡し、くるりと回り背中を向けた。

そして、後ろ髪の黒いロングヘアを持ち上げ僕がつけやすいようにと配慮もしてくれた。

「まだまだ〜?」と催促するように口にし「わかった……今つける」と短く返事をした。

彼女の首元に腕を回し慎重にネックレスをつける。

だが、初めてのことでなかなか思い通りにはいかず手間取ってしまった。

「よし……、つけ終わったぞ」

「ありがとう!どうどう、似合ってる?」

「あぁ、似合ってる」

彼女は片手でネックレスに触れ、ちょっとしたポーズを取った。

「ねぇ、凪翔くん。ネックレスをプレゼントする意味って知ってる?」

「意味……?そんなのあるのか?」

「うん。それはねーー」

彼女はふぅと一度呼吸を置いてから再び口を開き、言葉を紡ぐ。


「"永遠にあなたと一緒にいたい"なんだよ」


血色のいい頬に優しく浮かべている微笑み。

そして、ほんのりと微かに紅く色づき彼女の今の感情を僕に知らせていた。

その時の僕はネックレスに込められた意味に対しての驚きよりも、可憐なその姿に僕はただひたすら目を奪われた。

そして、彼女の「凪翔くん……?」という懸念の声が僕を現実へと引き戻し、上目遣いで顔を覗き込まれている状況に肩をビクッと震わせた。

「その……、僕は別にそんなつもりは……っ」

「フフッ、知ってるよ。でも……それでもなんだか嬉しっ……!」

両手を後ろに回し、前のめりになりながら今日一の弾ける笑顔を披露した。

その瞬間、キラキラと星明かりが彼女の周りを照らしたように僕の瞳には映っていた。

だが、夜空を見上げても一番星を見つけるのがやっとのことで満天の星空などとこにもなかった。

きっとあれは……僕があの時彼女に抱いた感情や理想、思いがそうさせたのだろう。

「凪翔くんから最高のサプライズも貰ったことだし私は帰ろっかな」

両手を上へあげ伸びをする仕草をした。

「もう、暗いしどうせなら家まで送っていこうか?」

「そうしてもらいたいところだけど、今日はいいかな。凪翔くんも疲れてると思うし」

「僕は別に」

「大丈夫……大丈夫だよ!」

恐らく彼女は僕に気を遣ってくれたのだろう。

顔を見ればすぐ分かる。たとえ、口調は誤魔化せても感情だけは誤魔化せない。

僕からの提案には毎度瞬時に賛成をしていたはずなのに今回だけは否定をした。

ここは、素直に彼女の心遣いに甘えるべきなのだろう……けど、それでも今だけは僕の意見を押し通したいとそう強く思った。

「いや、やっぱり朱音を家まで送っていくよ」

「でも、凪翔くんは……」

映画館の時に言っていた"優先"という言葉が彼女をそうさせたのだろう。

これ以上わがままを言ってはいけないとそう思っているのだろう。

でも、これは決してわがままなんかじゃない。

そう……

「これは、僕がしたくてしていること。君が気にすることじゃない」

「凪翔くんが……そう言うなら……」

半眼に閉じた目をしながら両手の指を合わせ甘えるように首を傾げた。

「それで、朱音の家は?」

「あっちだよ!」

「そうか、それじゃあ行こうか」

僕は彼女の歩幅に合わせ隣を歩いた。

僕らは昨日友人関係を結んだ関係だけど、談笑を繰り広げているその姿はきっと傍から見れば、彼女の願望でもある"恋人"として捉えられるのかもしれない。

やがて、彼女の自宅の前へ到着した。

体幹ではそれほど時間が経っていないように感じたのだが、どうやら彼女曰く僕らが歩き出してから十分以上は経過しているとのこと。

僕をそうさせるほどに会話が弾んだのか、はたまた彼女との時間が心地よいと感じてしまっていたのかそれともまた違った別の理由が存在するのか、今の僕には分からなかったが、以前では確実に成しえなかった一日だったということだけは理解することができた。

「ここまでありがとう!凪翔くんも気をつけて帰るんだよ!」

「あぁ、それじゃあ」

彼女と別れを告げ、先程よりも少しは早い歩調で再び歩き出した。

やがて、彼女の家が遠くなり今日のデートという名の外出が終わりに近づいていた。

彼女のせいで明朗快活でまるで別人のように豹変していた姿が徐々にいつも通りの消極的な姿へと戻っていくのがわかった。

そして、次第顔が俯きかけた……その時、後ろから聞き慣れたそしてどこか安心するような甲高い声が僕の耳に飛び込んできた。

一秒すらも与えず瞬時に後ろを振り返るとそこには大きく手を振っている彼女の姿が瞳に映された。

口に両手を添えて一呼吸置いてから屈託のない笑みを浮かべた。

「凪翔くんーー!これ、一生大切にするから!一生!身につけるからぁー!」

僕が振り向いた先で見せた彼女の笑顔はどこか引き寄せられるような感覚に陥らせた。

数秒間硬直し、ゴウという強風の音が我に返らせすぐに言葉を紡いだ。

「あっ……あっ……」

咄嗟に声を出そうとすると思うようにいかず、僕の口から発せられたのは今にでも消えてしまいそうな細々とした掠れ声とそれをかき消してしまいそうな吐息だけだった。

喉に手を当て、この状況に心底困惑する。

離れた先で僕の言葉を待っている彼女は硬直している僕の姿を見て、首を傾げ戸惑っていた。

ゆっくりと息を吸い胸を撫で下ろし、喉に当てていた手をそっと離す。

「あ……っ、あぁ、そうしてくれ!」

彼女の言葉に何と返答すればいいのか分からず、頭に浮かんだ言葉をそのまま口に出した。

短く、適当でその上掠れ声で何もかもが間違っていて、模範解答には程遠いのかもしれない。

けれど、そんな不完全で間違いだらけの僕に彼女は夏めく一輪の向日葵のように表情を咲かせ、夜遅く辺りは暗いなずなのに彼女の顔をしっかりと確認することができた。

「うんっ!絶ッ対にそうする!凪翔くんありがとうー!」

彼女は片手で撫でるようにネックレスに触れ、もう片方の手で風を切るように手を振った。

夜遅く、近所迷惑だというのに周りのことを考えず無鉄砲に発せられる声は僕の心に深く刻まれ先程まで僕を覆い尽くそうとしていた暗闇が一気に散開し解放される感覚が伝わってきた。

僕が彼女にプレゼントをしたネックレスは、彼女が欲しがっていたものとは違い他店舗で購入した、ただ似ているだけの商品。

並べなくとも判別がついてしまうほどのクオリティ。

けれど、あの時君はそんなことお構い無しに喜悦してみせた。

君を目にしていた僕の気持ちまでも侵食してしまうほどに。

一体君にとって首に着飾るそのネックレスにはどれほどの価値があるのだろう。

本当に君は僕を惑わせ、困惑させ、僕の日常までも変えてしまう。

そんな君をもっと知りたいと思ってしまうのは単なる好奇心なのか、それとも…………。



ショルダーバッグから家の鍵を探り出し、鍵穴に入れる。

ガチャと音がなり、ドアノブに手をかけようと思ったその時、突然ドアが僕の方へ迫ってきて僕の身体能力では避けようもなく勢いよくドアと頭が衝突した。

ゴンッ!と轟音が鳴り響き続くように「いっっったーー!」と僕の悲鳴が連鎖した。

片手で顔を押さえ、自分が置かれている状況に理解できずにいると、ドンッドンッと足音を鳴らしながら異様な雰囲気を漂わせた花織が姿を現した。

「……花……織……?」

「兄……さん……っっ!今……何時だと思ってるのーーっ!」

声色と息遣いを荒くし、鋭く尖った怒鳴り声が響きわたる。

僕を殴るために用意されたと言わんばかりのお玉を片手に持ち、込み上げてくる怒りのせいで両手が震えていた。

「か、か、花織……?いやぁ……その……」

「い ま ! な ん じ っ ?」

「はいっ、九時です」

瞬時にポケットからスマホを取り出し時刻を確認する。

それと、無意識に正座をしていた。

「そうだよね」

「あ……、はい……。すいません」

この時僕はようやく大事なことを思い出した。

それは……僕の妹、杉真花織は普段は温厚篤実で穏やかな微笑みを振りまいてはいるのだが、人一倍誠実な分機嫌を損なわせてしまうと……その後は保証できない。

「なんで、遅くなったのっ!」

「それは……まぁ、色々ありまして……」

「ちゃんと言って」

花織が体を少し前のめりにしたのと同時に僕は顔を俯かせ、猫背だった姿勢をより一層丸めた。

「その……友達……?を家に送ってたら……。でも、それは僕が名乗り出たことで別に友達……?のせいじゃ……ないというか……」

花織が漂わせる威圧に負かされ、声が徐々に小さく弱々しくなっていく。

「家に送っていったってことは女の子?」

「いや……まぁ……そう……だけど」

その瞬間、背中に汗がつたり、体をビクッと震わせた。

なんだか、嫌な予感がする……。

花織と長年一緒にいて、長年兄弟をやっている僕だから知り得ること。

僕は今決して押してはいけない花織のスイッチを押してしまった……。

「もし……かし……て、兄さん……彼女でもできたのーーーっ!?」

「だから、あいつとはそういーー」

「休日に女の子と二人でお出かけ。夜まで遊んで帰りが遅くなった。これって絶対、彼女よね!」

「いや、だから帰りが遅くなったのはーー」

「勉強にしか目がない兄さんが誰かとお出かけ!それも女の子と!これはもう彼女以外になにもない!うんうん」

僕のありとあらゆる言葉を全て遮り、僕の考えなんてお構い無しに花織は自己完結させてしまった。

腕を組みながらうんうん、と頷き「兄さんも年頃だもんね」と言葉を追加した。

そう……僕がなぜ朱音について詳しく説明しなかったのにはこうなることを見越していたからだ。

花織は"恋愛"に関連することには目がなく、一度話題を振ってしまえば最後、花織の中で物語が完結するまで永遠と語りが続いてしまう……。

「だから、違うんだって!僕はあいつに無理やり付き合わせられただけで」

「またまた〜。兄さんはツンデレなんだからっ!」

「だから……、いや……もういいか……」

花織にこれ以上説得しようとしても、余計話がこじれるだけで、さらには今以上に厄介なことになるかもしれない。

仕方がないが今回は心理を押し曲げることにしよう。

それに、彼女と僕の関係について話題が変換したおかげで花織の怒りが収まり、いつも通りの穏やかな姿へと戻ったし。

「でも、兄さん!帰りが遅くなる時は電話くらいして!私心配したんだから!」

「……あぁ、心配かけてごめんな。次からはそうするよ」

両手をパンッと合わせながら花織に謝罪をした。

それと同時にリビングから微かに香ってくる料理の香り。

もしかして、これは……と僕は重大な問題に気がついた。

「……いや、その……もしかして夕食ーー」

恐る恐る口にする僕の言葉を勢いよくそして威圧感のある声で遮った。

「そうだよ!こんな時間に帰ってくると思わなかったから作っちゃったよ!」

「本っ当にごめん!」

テーブルの上に並べられた色とりどりの料理。

そして、その全てにサランラップがかけられていた。

相変わらず料理の腕前は一流だなと改めて感心する半分、とてつもない罪悪感に襲われズキズキと心が痛む。

見る限り花織自身も夕食は済ませておらず、僕が帰ってくるのをずっと待っていたのだろう。

リビングの壁にかけられている時計を眺めながら、まだかまだかと待ちわびている花織の姿を思い浮かべるとより一層心が締め付けられる。

「よし!花織、食べるか」

「でも……もう冷めちゃったよ」

「大丈夫!覚めちゃったなら電子レンジで温めれば。たとえ、冷えた状態で食べても花織が作った料理の味は落ちない!これは、普段から食べ続けている僕が保証する!」

僕の帰りが遅くなったばかりに、花織を悲しませてしまった。

沈痛な面持ちで食卓を眺めている花織に対し、僕は必死に言葉を並べ、励ます努力を繰り返した。

僕の口から発せられる言葉は全て嘘偽りなく真実だ。

「……兄さんがそう言うなら」

「それじゃあ、花織は座ってて。僕が全部温め直すから!」

「いやぁ……それはちょっと……爆ーー」

「爆発なんてしないよ!僕だって電子レンジくらいは使えるって!」

花織にとって、僕は電子レンジまでも爆発させてしまうと認識されてしまっているらしい……。

「本当に……?」

「あぁ、電子レンジに関しては普段から普通に使えてるし、オーブントースターだってコーヒーメーカーだって使える」

腰に手を当て、誇らしげに胸を張る。

そして"どうだ"と言わんばかりの面持ちをしていると、さらに畳み掛けてきた。

「でも……炊飯器はダメだったじゃん」

「それは、まぁ……炊飯器は……」

過去に一度、買い物途中の花織から米を炊くのを忘れたから炊いといてくれる?という連絡があった。

当然、炊飯器を使ったことがなかった僕は花織の見よう見まねで挑戦した……のだが、出来上がったのはホクホクに炊けた白米ではなく、水分量を間違えたドロドロのお粥だった……。

それから、一度も炊飯器には指一つ触れていない。

「わかった。そんなに心配なら花織に頼むよ。このままだと夕食が食べられそうにないし……」

「ありがとぉ兄さん」

まるで、地球滅亡から救われたかのような晴れ晴れとした表情を浮かべていた。

内心で僕は電子レンジをつか……えると何度も唱え、自分を励ました。



夕食、風呂、歯磨きを終え、就寝の準備を済ませようとしていたその時、机に置いてあったスマホがブーブーと振動させた。

「こんな時間に誰だよ……」

夜分に失礼なことをする奴もいるもんだなと嫌悪感を抱きながらスマホに手を伸ばし、液晶に表示されていた名前を目にしてあることを思い出した。

僕は「はぁ……そうだった……」と呆然し応答ボタンを押した。

「はい……もしもし」

『凪翔くん!数時間ぶりだね〜』

「あぁ、そうだな。だから切ってもいいか」

『ダメだよー!寝落ち通話するって約束したじゃん!』

スピーカーから聞こえてくる声は普段のような甲高い声ではなく落ち着きを感じる穏やかな印象を与えた。

「僕は約束などした覚えはないんだけど」

『まぁまぁ、細かいことは気にしないでほら早く寝落ち通話しようよー』

電話越しでも伝わるこの鬱陶しさ。

「それで、さっきから君の言う寝落ち通話っていうのは結局何をするんだ」

『それは!だから……その……寝落ち通話……?をするだよ』

「いや、答えになってないし」

『凪翔くん、大変だよ!寝落ち通話って何をすればいいのー!』

「僕に訊くな。知ってるはずないだろ。朱音はやったことないのか?」

『やったことないから訊いてるんだよー!』

今も帰路についている時もあんなに寝落ち通話寝落ち通話と連呼していたにも関わらず、いざ内容を訊いてみれば『何をすればいいのー!?』と取り乱した口調の返答だけ。

本当に彼女は一体何がしたいのか……。

『凪翔くん!寝落ち通話についてわかったよ!』

「そうか、で何をするだ?」

『ネットによると相手が眠りにつくまでの間電話を繋げて話し合うこと、だって』

「名前の通りだな」

『そ、そうだね』と腑抜けた声で言い『凪翔くん待って』と言葉を続けた。

『ここからが重要。気になる相手や恋人同士と行うのが一般的だってさ』

「あぁ、だからどうした」

『つまり、私たち恋人ってこと……かな……』

「違うだろ」

彼女は『グッ……っ!』と悶え苦しむ声を上げた。

『凪翔……くん。それは辛辣すぎるよ……』

「普通だろ。それに本当のことを言ったまで」

『それが辛辣なんだよ……』

僕らは恋人同士どころか、先日友人になったばかりだ。

それどころか、彼女のことを友人ではなく変な奴と認識していたくらい。

だが、これを口にしてしまえば「凪翔くん辛辣ー!」やら「酷いよ!」などの言葉が飛び交うのは目に見えている。

『おっ!凪翔くん下に補足として「これを試したあなたは恋愛成功率アップ!」だって!それじゃあ、私と凪翔くんが付き合うのも遠くない未来かもー』

「なんだそのインチキ占い師みたいな言葉」

たかが寝落ち通話をしたくらいで恋愛成功率が向上するなら、恋愛関連で苦しんでいる人は存在しないだろ。

恐らく、恋慕する人に対して背中を後押しする声援の言葉なのだろうけど僕からすれば馬鹿馬鹿しいという言葉に尽きる。

『もう!凪翔くんは夢がないなぁ〜』

「そんなことより、どちらかが寝るまで電話が続くんだろ。じゃあ、それまで何を話すんだ?」

『趣味?とか好きな食べ物とか?』

「それじゃあ、すぐに話題が尽きるだろ」

『た、確かに……』

寝落ち通話の意味についてはようやく理解できたのだが、それ以上に重要な就寝につくまでの間、何を話題にして時間を潰せばいいのだろうか。

このままでは、寝落ち通話ではなく無言通話になってしまう。

『ま、まぁとりあえず適当に話そう。適当に……』

「そ、それもそうだな……」

彼女は分かりやすく『ゴホンッ!』と咳き込んだ。

『じゃあ、まずは私から。趣味は……お菓子作り。好きな食べ物は甘いもの全般……です。はい、凪翔くんの番』

「あ、あぁ。えっと、趣味は……勉強。えぇー、好きな食べ物は肉じゃが……です……?なにこの時間」

僕は一体何をしているのだろうか。

それに、ものすごい合コン感が否めないのだが……。

「これ……楽しいか……?」

『…………私は凪翔くんと話せるだけで楽しいけど』

「絶対嘘だろ。少し間があったぞ」

本当にこの時間はなんなんだ……。

このような事に時間を費やすくらいなら、勉学に励みたいのだけれど。

それに、寝落ち通話なんかして僕にどんな利益があるのか……。

ただ単に時間を無駄にしているとしか思えないのだけれど。

だが、このままだと埒が明かないと判断し仕方がないからと僕から話題を振ることにした。

「……それじゃあ、朱音の特技はなんだ」

「私の特技……?えぇっと、それは誰とでも仲良く話せることかな」

その瞬間、喉まで出かかった"なら、その長所を活かして話題を広げろ!"という言葉を何とか噤んだ。

「そ、そうか……」

そうして、再び数秒間の沈黙が続いた。

『そ、そうだ!次のデートの予定を立てようよ!』

「次のデート……?」

『私は明日でもいいんだけど』

「いや、明日は勉強をしたいから無理」

『凪翔くんはそう言うと思った……。それじゃあ、来週の土曜日はどうかな?』

「来週の……土曜日……」と呟きながら、机の上に立てかけられていた卓上カレンダーに目をやり予定がないか確認する。

「来週なら別に大丈夫だけど……」

そう言う僕の言葉に彼女からの返答がなく、微かに聞こえてくる雑音だけが僕の耳に辿り着いた。

「……ん?朱音?聞こえてるか?」

『……あっ、うん。ごめんごめん、聞こえてるよ』

「どうした?何かあったのか?」

『あっ、ううん。ただ、凪翔くんがすんなりと私の誘いに受けてくれたのが意外で。私はてっきり嫌がられるのかなぁって思ったから』

淡々と言葉を並べる彼女の声に普段のような覇気は全く感じず、多少の違和感を覚えるほどに。

「そうか?全然自覚はないんだけと」

『今日のデートは凪翔くんを無理やり連れ出しちゃったけど、今の凪翔くんからはそんな感じはしなかった』

「もしかしたら、朱音と出かけるのは嫌じゃないのかもしれないな。今日だってなんやかんや楽しめたし勉強の息抜きにもなった」

僕自身は自分の変化に微塵も気づかなかったのだが、客観的に見る彼女にとっては誤差では済まされないほどの違和感だったのだろう。

そのため、僕の返答に対し瞬時に言葉を並べることが叶わなかった。

『そんな風に思ってくれてたんだ……。本当にもう……!凪翔くんはーー』

そう口にする彼女の言葉は徐々に薄れ消えていき、最後まで聞き取ることができなかった。

「それじゃあ、来週の土曜日でいいのか?」

『うん!私もその日なら予定はないし!』

「今日は朱音が計画を立ててくれたから、次回は僕が決めてくるよ」

『本当!?凄い楽しみだなぁ〜。凪翔くんのデートプランかぁ……。全く想像がつかない』

「まぁ、期待しとけ。僕にも策があるからな」

不明瞭ではあるが、彼女の期待を裏切らない程度になら一応あてがある。

「まぁ、そう言うことだから」

『…………ふぅ……ふぅ……』

「朱音……?」

「…………んっ………」

「これは……寝た……のか……?」

呼びかける僕の言葉に彼女からの返答はなく、スピーカーからスゥゥ……スゥゥ……と微かに聞こえてくる寝息だと思われる息遣いだけ。

数分前までは活気に溢れる弾んだ声色で会話をしていたというのにこんな短時間で眠りについてしまうなんて。

彼女の特技は誰かと仲良く話せる高度のコミュニケーション能力ではなく、数秒で寝れてしまうことの方なのではないのか……。

だけど、そんなことを考えていると僕までも次第に瞼が重くなってきた。

恐らく、久しぶりに外出して体力を消耗したのが原因なのだろう。

そして僕は電話越しの彼女に言葉を吹きかける。

「…………朱音、おやすみ」

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