4.
放課後。廊下にはすでに生徒のざわめきはなく、夕焼け色がガラス窓に静かに滲んでいる。
彗は一人、資料室横の空き教室にいた。
開いたノートの上には、すばるの名前が中央に書かれ、その周囲にメモや矢印がいくつも浮かんでいる。
「……情報が少なすぎる」
ぽつりとこぼした声は、自分だけのもの。
今日一日の行動を振り返り、記憶の糸を慎重にたぐり寄せる。
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【観察ログ|宮代すみか】
・転入初日。にも関わらず、来亜への距離感が異常に近い。
・昔どこかで会っている?来亜に会いに来たと言っていた。外部から来ているはずだが。
・“チョーカー”という単語への反応が過敏。細かい仕組みにまで質問していた。
・かなたに対する態度。ぶつからないように“避けている”ような気配。
→意図的に警戒している? それとも別の感情?
→かなたに拒絶された際の一瞬の目。あれは、“切り替わった”ような――
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ペン先が止まる。
彗は窓の外に目を向けた。
(言いようのない違和感。それが一番怖い)
理屈ではない。不確かなものを、彼は本来信じない。しかし、直感を無視できないほどの“ずれ”が、彼女にはある。
「……かなたも、感じてるみたいだったな。来亜は……鈍いけど」
苦笑しながら、自分の頬を軽くなぞる。
あのとき――昼休み。
かなたの頬に手を伸ばそうとしたすばるの動きは、どこか試すようだった。まるで「どこまで受け入れられるか」を計っているような、冷たい目をしていた。
それが――
「わたし、つい距離近くなっちゃうクセがあって〜♡」
――あの笑顔に、違和感なく切り替わった。
(あれが、素なら。いや、素なら――もっと怖い)
彗の指が、ノートの端をゆっくりなぞる。
スパイ。擬態。潜入。
仮に敵だとしたら、来亜たちはすでに“懐”に入られているということになる。
「……証拠が必要だ。疑うだけでは、誰も信じない」
首元で指を鳴らす。小さく、チョーカーが淡く光る。
記録装置――彗のチョーカーの副機能。映像記録と音声解析が可能な、小型のアーカイブシステム。
「次の会話、録っておくか」
そうつぶやいた瞬間――
「ひとりで何してるの?」
背後から聞こえたその声に、彗の心臓が一瞬だけ跳ね上がった。
振り返ると、そこには――“すばる”が立っていた。
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淡い夕焼けに染まる廊下。光に浮かび上がるように立つすばるの姿は、どこか儚げで――それでいて、不気味なほど“無垢”だった。
「ふふ、ここ、誰もいないから……なんだか秘密基地みたい。彗くん、こういうとこ好き?」
「……どうしてここに?」
「ん〜……なんとなく? だって、彗くん、放課後に1人でどっか行くこと多いんでしょ?」
……調べてる?
彗の脳裏に、再び警鐘が鳴る。
「なんで、そんなこと知ってる」
「うーん、勘?わたし、そういうのちょっと得意なの♡」
すばるは笑った。けれど――その“笑い”の奥に、冷たい刃のようなものが見えた気がして、彗はごくりと喉を鳴らす。
「でも、安心してね? わたし、味方だから」
その言葉に、彗は目を細めた。
「“味方”って、自分から言うやつは大抵――敵だ」
沈黙。
夕焼けが、ゆっくりとすばるの背後に沈み込んでいく。
その一瞬、すばるの瞳が――光を失ったように、黒く、冷たく沈んだ。
「……そっか」
静かにそうつぶやく声は、明らかに“さっきまでの声”ではなかった。
だが、次の瞬間にはまた明るい笑顔に戻り、すばるはくるりと踵を返した。
「じゃあね、彗くん。また明日♡」
足音を残して、すばるは去っていく。
残された彗は、しばらくその場を動けずにいた。






