第一話 予感2
引き立てられたティナは、大勢の村人たちと共に広場へと集められた。夜も明けきらぬほどの早朝。村の市場の石畳が裸足に食い込んで痛む。ティナが群衆の中に投げ込まれると、村人たちは皆彼女のことを睨みつける。小言で、「小娘」や「不幸の子供」と呼ばれるのが自分なのだと、なるべく気づいていないフリをしながら、少女は恐る恐る座り込んだ。
むろん、集められた村人たちが不安におびえているわけではない。帝国の暴虐のうわさは、既に新聞で知られていることだった。ティナに限らず、むしろ彼女の知らないところでは、例えば村にやって来た旅人たちの間で、例の帝国のうわさが広まっているのである。彼らは、自身が魔術と呼び恐れる物を抹殺しようとしている。もしも魔術を使用していることが判明すれば、帝国の隅々まで派遣された『目』と『耳』が、ロスタカの皇帝の命において、その存在を完全に抹消しようとしていたのである。
引き立てられた民衆の前、即席で建てられた処刑台の上に、あの老婆が立った。
「ダマっ!」
しかしその声は、民衆のざわめきにかき消され、死の階段を上る彼女には届かない。それどころか、つい昨日まで彼女を頼っていた民衆たちは、皆口々に彼女への罵倒を繰り返す。心のどこかで、ティナは知っていたのだ。老婆はこの世界に許されてよい存在ではないのだと。それは、あまりに残酷で、あまりにひどい話だった。
後ろ手に縛られた彼女は、処刑台の中央にある支柱に縛られ、そこへ薪が運ばれる。ロスタカの伝統的な処刑…火あぶりだ。この残忍極まりない処刑のうわさを、幼いティナでさえ聞いたことがあった。ただ、魔術師を痛めつけるだけに作られた特殊な油は、その燃え盛る業火とは裏腹に、処刑される罪人の苦痛を引き延ばす。発明者たる大魔術師ファラリスは、その残酷な処刑の最初の被害者となった。
「聞け、人の子よ。迷いし者よ。これより、清めの言葉を司祭より給う」兵士の一人がそう叫ぶと共に、司祭と思しきやせた男が一人、あの13階段を上って、民衆の視線を集めた。、民衆のざわめきが鎮まるその一瞬を用心深く待ってから、口を開いた。
「魔術は、この世界に不要である。この理念を掲げたのは、先代の皇帝、アグリウス・ケリウス・ロスタカ殿下だ。臣民たる諸氏も、この事実は重々承知だろう。かのアグリウスは、多くの貧民を救い、ロスタカを覇権へと導いた。
だが、未だ未開の地においては、しかし魔術がいまだに権勢を誇っている。これはひとえに、皇帝陛下に対する侮辱であり、帝国に対する背信であると見做されるべきものだ。貴様ら臣民もその例外ではなく、本来であれば帝国に対する侮辱として、先祖10代にわたる破滅を言い渡されるべきものである。だが、それはあくまで本来ならば、だ」
揺らめき、掲げた松明が高く人々の顔を照らす。兵士があの油を老婆の体に巻きながら、逃走防止の『逆呪文』による結界を準備する。薪の上に埋もれる老婆の体には、古くからの伝統ある魔術師の衣服が着せられていたが、その意味するところは、帝国においてきわめて不名誉なことであった。
「現ラファエルス皇帝陛下は、帝国に忠誠を誓うすべての臣民を魔術という名の悪夢から断ち切るために、慣習と伝統を焼き払うために、我々に聖戦を課したのである。従って、これより諸君らの目にする炎は、汝らの罪を救済し、新しきロスタカの始まりの炎となるであろう!諸君らは今宵、我らがロスタカの新たなる翼となり、不朽の栄誉に預かるのである!喜べ!ロスタカに栄光を!!!」
万歳。万歳。そんな言葉が、ティナの背後から上がる。先ほどまで兵士を恐れた民衆が、口々に言葉を紡ぎだす。万歳、万歳。皇帝陛下万歳。もろ手を挙げ、喜びの合唱は今や狂気の絶叫とほとんど差が無かった。炎があの薪に落ち、火花が轟音と共に魔術師の体を包みこむ。その万歳は、人々が老婆の絶叫から意識を遠ざけるための最適な防音材となり、人々の目を潰す栄誉の光となった。壮大な催しは、早朝の村を覆いつくし、人々を歓喜の渦に巻き込んでいく。
『万歳、万歳、皇帝陛下万歳。ロスタカ帝国万歳』
その時だ。
爆発音が、地響きと共に村人と兵士を襲った。地震にしてはあまりに大きく、雷にしては異様な音だ。何事か、人々が空を見上げた時、ティナもまた、同じことを口にした。
「あれは…あれはなんだ!」
隆盛する丘の裂け目が、白昼を暗闇で包み込んだ。黒い瘴気が村の空を覆いつくし、小型のデーモンが金切り声を上げる。その裂け目の中心から漏れ出るようにしてこちらへ這い寄ってきていたのは、混沌という言葉以外で表現できない何かだった。うだるように投げ出された黒い粘着質の触手が、天蓋から振り落とされ、砂の中にある貝を貪る頭足類が如く、地形を破壊しながら突き進んだ。
それは、目の前の処刑から人々を忘れさせ、司祭が言葉に混ぜた『精神浄化』の魔術を解除する。狂気と惨劇が老婆の絶叫と悪魔たちの囁きに飲み込まれ、混乱が街を包みこんだ。
「逃げろ!」
建物へ向かって、走り出した村人の胸を、小型のデーモンがやりで貫く。いや、デーモンと呼ぶにはあまりに巨大で、むしろもっと恐ろしい何かだった。いかなる神話の中にも現れぬ破壊の簒奪者が、津波の如く黒い霧となって、村々を襲い来る。すぐに、兵士も、村人も、一斉に散り散りになって逃げだすほかなかった。
「…ダマ!ダマ!」
だが、ティナはそれでも処刑の中にある老婆の方へ眼をやった。彼女は苦痛に悶えながら、しかし溶け出した眼球で、いや、眼球なき頭蓋の隙間から、未だに激しい痛みを伝え続ける神経に信号を送り、ただ一度だけ、ティナの方を向いた。青白い炎は悪魔たちの黒い羽根に覆われながら、そしてティナの目を遮った。
「……ああ、。魔女の!魔女の復讐だ!!!」司祭が叫ぶと共に、兵士たちも混乱に乗じて逃げ出す。グデリウスはもはや自らの力で制御できなくなったその場を一瞥しながら、重々しい口を再び開いた。側近の兵士はすぐさまその意思を感じ取ったのか、司祭に声をかける。
「しょ…将軍様。これは、いったい何なのですか。どうか、どうかお助けを」司祭がそう震える声で叫んだのもつかの間、今度は、先ほどの側近が司祭の手首を剣で切り落とした。
「ぴぎゃあああああああああ」
叫び声と共に鮮血が処刑台を舞う。青白い炎はそれを喰らって余計にほほ笑んだかのように、もはや言葉にもならない老婆の唸り声を増幅させた。
「ぐ…グデリウス様??・これは、これはいったい」
「…これだから、魔術師は信用できない」
「な…何を??我々は司祭。かような魔女、魔術師とは違うもので…」
「…貴様はここで無様な死を迎えるがよい」
グデリウスはそういいながら、悪魔の軍勢を剣で払いのけ、側近たちに言葉を告げながら、白い光に包まれてその場を後にした。
「すぐに帝都への『転移』を発動。皇帝陛下へ連絡する。魔術に侵された村は奴らの餌にしろ」