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あの日の記憶  作者: 賢一くん
3/3

旅行

 決断は一瞬だった。翔太は自動販売機から回れ右をし、走った。行く当てもなかった。でも、とにかく松田から見つけられない場所に行かなければ。もし見つかったら殺されちゃう。夢中で街灯がポツポツと灯る住宅街を走った。十一月の冷たい風が、翔太の肌に吹きつける。吐く息は白かった。十分ほど走っただろうか。タイヤ公園が見えてきた。住宅街にある小さな公園だ。タイヤがところどころに置かれていることからこの名前で呼ばれた。公園の入り口に着くと、懐かしい感覚が蘇った。

 幼稚園や小学校の帰り道に、よくこの公園に立ち寄った。幼稚園の頃は美恵と一緒に、タイヤからタイヤへと飛び移ったり、砂場でトンネルを作ったりして遊んだ。そんなことを思いだしていると、胸から熱いものがこみ上げてきた。

「戻りたいな・・・お母さん・・・」

静寂に包まれた夜の公園に、翔太のすすり泣く声だけが響いた。


翔太は、再びアパートに戻った。一通り涙を流すとスッキリした気分になり、なんとかなるだろうという気持ちがわいてきた。とにかく松田さえいなくなれば、きっと前の生活に戻れるのだ。ドアを開け、玄関に入ると、松田と美恵が寝室でキャッキャと戯れあう声が聞こえてきた。アパートは六畳二間で、寝室と居間は襖だけで仕切られている。寝室の隣の居間は、コタツが一つ置いてある。コタツの上のテーブルには、散らばったビール缶や山盛りの吸い殻が入った灰皿があった。翔太は廊下から居間に入ると、ワンドア式の冷蔵庫を開け、買ってきたビールや酎ハイを入れた。松田と美恵がいちゃつく声が襖越しに響く。翔太は耳の穴に指を入れ、コタツの中に潜った。松田に殴られるのと同じくらい嫌いな時間だった。きっとこの瞬間、美恵の頭の中には、翔太は存在しないだろう。美恵のなまめかしい声が次第に強くなっていく。翔太は、より深くコタツの中に潜り、一層強くひとさし指でギュッと耳に栓をした。

「神様、神様。一生のお願いです。もし本当にいるならば、どうか助けてください。松田を消してください。それだけでいいです。元の普通の生活に戻してください」

翔太は、今まで何度も祈ってきたが、叶えられたことがない神様への一生のお願いを、コタツの中で行った。


 それからしばらくして、松田が寝室から出てきた。灰皿の脇に置かれたマイルドセブンを手に取り、中から片手で器用に一本だけ出すと、それを口にくわえ。火を点けた。ライターを乱暴にテーブルの上に放った。深く息を吸い、紫煙をふーっと天井に向かって吹かした。


「おい、ビール」とだけ翔太に言い、松田はタバコを口にくわえたまま、仰向けに寝そべった。翔太は、言われた通りに、冷蔵庫の中からビール缶を持ってきて、テーブルの上にそれを置いた。松田は気怠そうに起き上がると、あからさまに顔をしかめた。


「気が利かねぇな。缶のフタを開けてよこせよ」

そう言いながらプシュッと缶のフタを持ち上げ、それを一気に呷った。


「翔太、あのなぁ、明日から俺と美恵は旅行に行くことになった」

 翔太は、急な発表に唖然とした。


「旅行?」


「うん。お前には留守番しておいてほしいんだ」


「どこにいくの?」


「それはてめぇに関係ねぇだろ。留守番できるかって聞いてんだよ」

 松田はドスの利いた声で、そう言った。

 

 翔太は、松田の機嫌を損ねないように、微笑を浮かべた。

「もちろん留守番はできるよ。できるけどいつ帰ってくるとかは知りたいよ。ごはんとかもあるし」


「それなら一週間ぐらいで帰ってくるし、ちゃんと金も置いていくから、めしの心配はいらない」


それでも翔太が、納得のいかなそうな顔をしていると、松田はタバコの灰を灰皿に落としながら、翔太を睨みつけた。

「できんのか、できねぇのか。どっちなんだよ?」


「で・・・できるよ」

翔太がそう言うと、松田は短くなったタバコを灰皿に入れ、再び寝室へ戻っていった。

翔太は、灰皿から出る吸い殻から漂う紫煙をじっと見つめ、深刻な表情を浮かべた。


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