ACT.2-1
あの初回の授業から早くも時間が経って、今日は二回目の授業を控える日。
この日、講義が午前と午後にあるので、例によって俺は学食で白米にバーベキューソースだけをかけた清貧食生活を満喫していた。
否、満喫はしていない。
その代わり我慢はしている。
……本当はもっといいものが食べたい。
「相変わらず、どうしてご飯をケチるの?」
溜息を吐きながら、長谷川は俺の白米の上にミニトマトを載せてきた。
いや、だからバーベキューソースにミニトマトは合わないだろ。
もしかしてこの子ミニトマト嫌いなの?
「ンなこと言われたって、金ねえんだもん」
「お金お金って、家庭教師のアルバイト始めたよね?」
「ああ、金に目途がついたからタイヤ買った。ついでにブレーキパッドも」
「えぇ~、わたしの善意をゴミ箱に捨てるがごとく行為だよそれ……まあ、わたしはお金貰えるからいいけど」
今小声で本音が聞こえた気がしますが、突っ込まないことにしよう。
長谷川のブラックな部分に触れると怖そうだ。
「それで、教え子はどんな感じの子なのかしら?」
「女の子だよ、金髪で愛想悪くて、なんつーか不良って感じの」
「ふ~ん、奥田恵容疑者二十歳、教え子の女子生徒にわいせつな行為を働き……」
「なんの妄想だよ嫌味かよ、勘弁してくれ、好みじゃないんだよ」
「いやぁ、奥田くんが実名報道されたら面白いかなあと思って」
「面白くねえよ!!」
長谷川は手のひらで口元を隠しながら、クスクスと笑っていた。
「んでさ、その子の親父さんがウチの親父の走り仲間だったらしくてさ……」
「へぇ~、奥田くんのお父さんって、確か整備工場の社長さんだよね?」
「社長……なんて大層な肩書似合わないけど、一応そうだよ」
あのちんちくりんな眼鏡オヤジの姿を想像し、先日のハチロクでやった御岳の全開アタックのことを思い出すが、本当に社長という肩書の似合わないオヤジである。
オマケにあの日、オヤジが御岳の下りで叩き出したタイム。
あの脅威のタイム、天宮ですらあんなタイムは出せないというものだった。
ホント、うちのオヤジは頭が悪いとしか言いようがない。
「……どうしたの、奥田くん?」
「いや、なんでもない。世界って狭いんだなあと思って」
「そうだねぇ、ところでその女の子って他にはどんな感じを覚えたのかしら?」
「どんな感じって言われてもなぁ……そういえば車に興味はありそうだった」
少なくともシルビアの型式を正確にいい当てるあたり、全く興味がないってことはないだろう。
それに先日、御岳を流していた軽トラ、アレって多分……。
「へぇ~、クルマ好きなんだ。じゃあもしかしたら智咲ちゃんと仲良くなれるかもね」
「天宮と? さぁ~、あの子不愛想だし、年上にタメ口叩くからなぁ」
「そうなんだ……って、それ奥田くんがナメられてるだけじゃないかしら?」
口元を抑えて、やましいことを考えているような目つきで指摘された。
「えっ、ちょ、俺ナメられてるの!?」
「そうとしか思えないよ~、だって奥田くん女の子に耐性ないし」
「た、耐性が無いって……いや、そうかもしれないけど」
クスクスと笑う長谷川に対し、悔しい気持ちしか湧かなかった。
うん、確かに舐められているわ。
俺のことを童貞だとか、楓ちゃん散々なこと言っていたからな。
「不思議だよね、わたしと話している時の奥田くんはすごくナチュラルなのに」
「そりゃあお前にときめくとか無いからな」
確かに長谷川は清楚系で美人だけど、なんというかゼミも含めて一緒にいる時間が長すぎて、しかもこうして駄弁っていることが多くて、今更恋だの愛だのを感じる気はしない。
だからこそ、こうして気楽な関係でいられるんだけど。
「むぅ、ちょっと今のは傷ついたかも」
むすっと、長谷川にしては珍しく膨れていた。
「じゃあ長谷川は俺のことどうなんだよ、ぶっちゃけ、好きなの?」
「えっ? 全然、全く、これっぽちも」
「今お前に言われたことのほうが傷ついたわ!!」
真顔で言われると本当に傷つくんですよ。
「まあそれはともかく、奥田くん三講終わったらヒマだよね?」
「ああ、今日は十八時までバイト無いけど」
「じゃあちょっと付き合ってくれる?」
「……一応聞くけど、お金かからないよね?」
「あ~、そうやってすぐお金のこと気にする。だから奥田くんはモテないんだよ?」
「やかましいわ、金ないんだよ」
「う~ん、そんなにかからないよ?」
「そうか、ならいいけど……」
「なら決まりね」
嬉しそうに頷く長谷川の考えていることは、だいたい読める。
その読みを想像しつつ、退屈な三講をこなして今日の講義はこれでお終いだ。
九十分の講義を終えて十四時半、そこから長谷川と駄弁りながら駐車場へ向かうまで八分ほどかかり、シルビアのエンジンをかけて発進させるまでにだいたい三分ほど。
学生用の駐車場には、だいたいは親の車か、中古で買った安い軽自動車やコンパクトカーなどで占められていたが、中には高そうな外車を乗っている人もいれば、スイフトスポーツやロードスターのような走り屋に人気の車種まで混じっていた。
その中で健二のアルテッツァを目撃し、ヤツはまだ講義中であることを察した。
大学から車をしばらく走らせて到着した場所は、このあたりで最も大きなアウトレットモールだった。
駐車場に車を停めると、長谷川はそそくさと降りてモールのほうへ小走りで駆けた。
「早く早く、時間が限られているんでしょ?」
「そんな急ぐ必要ないんだけど」
モールに入って長谷川が向かった先は、フードコートの隣にあるカフェであった。
欧風の独特なお洒落感のある店舗で、フードコートのようなカジュアルな雰囲気とは一線を画す佇まいだ。
だけどこの店、来るのは初めてではない。
確かに安くは無いし、俺には無縁そうに思える店だが、案外全く無縁でもないのだ。
「いらっしゃいま……静歌に奥田じゃん!?」
よく見知った長い栗色のポニーテールがよく似合う女の子がいた。
黒を基調としたフリフリの生地に、白のエプロンを組み合わせた昔のウエイトレス風の制服を身にまとった天宮智咲だ。
俺たちが突然来店したことにびっくりした様子である。
「智咲ちゃん、カップルセットね」
「か、カップルセットって、毎度毎度だけどあんた達カップルじゃないじゃん!?」
「まあまあ細かいこと気にしたら負けだよ?」
「二人分が安くなるからって……わかりました承りました!!」
やけくそ気味に、そそくさと厨房のほうに小走りで向かっていった天宮。
いつも専門学校からそのまま着てきたようなツナギか、動きやすそうなスウェットにパーカーみたいな服装をしている彼女だが、フリフリの衣装を着ているせいか動きにくそうな様子だ。
そう、天宮はここでアルバイトをしてピンゾロの維持費を稼いでいるわけだ。
「くぁ~、今日も疲れたわ……っ」
着席した瞬間、長谷川が大きなあくびをしながら腕を伸ばす。
「お前何もしてないじゃん、運転してきたの俺だし……」
「だってわたし、クルマ持ってないんだもん」
「そういえばそうだったな……長谷川って免許取ってから運転したことあるの?」
「う~ん、わりと毎日してるわよ?」
少し唸ってから腕を組んで自慢げに言った。
「毎日?」
「家の手伝いで」
「家の手伝い?」
「あら、言ってなかった? わたしん家、酒造なの」
「あー、はいはいそういうことね……家の手伝いしてるのか」
意外だな、そういえば長谷川の家庭環境については何一つ聞いたことがなかった気がする。
興味がなかったというのが正解だが、それ以前に地雷を引く可能性もあるので、聞くのが怖かったというのもある。
「そう、お父さん忙しそうだから手伝ってるの……お小遣い貰えるし」
最後に微かに聞こえた言葉が本音のように思える……。
「へぇ~、配達か何か?」
「そうだよ、家の車で。古くてすっごくタバコ臭いからあまり好きじゃないんだけどね」
「なんだよそれ逆に気になるなぁ、車種なに?」
「えっ? う~ん、よくわからないけどトヨタだよ。トヨタのすごく古いやつ」
昔のハイエースかプロボックスの類か?
確かに、長谷川みたいな普通の女の子からすれば古いポンコツでしかなさそうだな。
「なんかよくわからねえな」
「奥田くんが見ればすぐわかるんじゃないかな? 車オタクだし」
「やかましいわ」
「はーいそこの自称バカップル、お待たせいたしましたカップルセットで~す」
カツカツと硬い靴底によって奏でられる足音が徐々に近づいてきたと思ったら、天宮が大きなプレートを持ってパフェと紅茶のセットを届けにきた。
わりと力強く、音が響く勢いで食器を置かれた。
「お前、接客態度悪いぞ……」
「申し訳ないけど、カップルでもないのにカップルセットを頼む奥田はお客様じゃないので」
「いや頼んだの俺じゃねえし!? アイツだし!! アイツ!!」
指さされた長谷川はというと、もう既にパフェを食べていた俺の言葉など聞こえていない様子。
このアマ……。
「つーか天宮、お前学校は? 普段まだ専門にいる時間だろ」
「今日開学記念日で休みなの、だからこうしてバイトしてんじゃん」
ああ、開学記念日ね。
専門でも開学記念日って休みなんだと、俺はどうでもいい感心をしていた。
「えっ、智咲ちゃん今日お休みなのね、バイト何時まで?」
「五時までだよ」
「ほんと!? じゃあ終わったらご飯食べに行こ!!」
「いいね、奥田の汚いシルビアより快適なあたしの車でドライブしよっか」
「汚いは余計だろ!! 汚いは!!」
「えー、だってフロントのエアロ割れてるじゃん。ガムテ貼ってあるし、ミサイルじゃんアレ」
「ミサイルじゃねえよ!! あと、割れたのは一月の豪雪のせいだよ!!」
コイツ知ってて遊んでるな?
俺だって直せるなら早く直したいし、新しいエアロが欲しいんですよ。
だけど金がないんですよ、直したくてもそこまで手が回らないんですよ。
「まあとにかく、女子会だから奥田は禁制だよ」
「智咲ちゃん心配しないで、奥田くんバイトがあるから行けないの」
「そういやまた新しいバイト始めたらしいじゃん、今度なに始めたの?」
さっきまで人のことを蠅程度に扱っていたくせに、いきなり人間扱いをし始めるんだから女ってよくわからない生物だ。
「家庭教師、長谷川に紹介してもらった」
「家庭教師? 奥田が?」
「そう、こう見えても結構教え子には信頼されているんだ」
一度しか授業していないし、頼られているどころか舐められているんだけどな。
コイツに実態を知られたらバカにされそうなので、とりあえず嘘ついとけ。
目の前で長谷川がジト目でこちらを見ているが、気にしたら負けだ。
「へぇ~、アンタまあ面倒見はいいもんね」
「そうでもねえと思うけど」
「いやガチな感想だって、逆になんで法学部にいるのって感じだし」
「どういう意味だよそれ」
「先生、向いてそうだなーって思っただけ」
天宮にしては素直に人のことを評価してくるので、何か裏があるのではないかと疑ってしまう。
「確かに、奥田くんゼミでも結構色々な人を気にかけているわね」
「長谷川まで急になんだよ」
「あら、わたしは奥田くんを正当に評価しただけよ。だから奥田くんを推薦したのに」
本当かよ、友達紹介制度を利用してお金欲しかっただけじゃないのか?
「まあ頑張りなよ、フロントリップ直したいんでしょ?」
「……まあ、ほどほどに頑張るわ」
長谷川と天宮を見ていて思ったのだが、楓ちゃんは友達と言える人がいるのだろうか。
高校もサボりがちな様子で、不愛想で、一人で夜中に走り屋の真似事をして、そんな楓ちゃんにはどこか孤独な雰囲気を感じていた。
って、そんなの家庭教師の仕事の範囲外だろ。
まあ最低でもアイツを合格させて、俺のお株をあげてお金を稼ぐことにしよう。
楓ちゃんは親を安心させられる。
俺は金が手に入る。
ウィンウィンじゃないか、だから家庭教師という副業を頑張ろう。