ACT.1-4
顔合わせ、擦り合わせが終わって、ようやく初回の授業となる。
マンツーマンということで西野楓と名乗る少女の部屋に案内されて、彼女の机で今日は数学を教えることとした。
ひとまず今日の授業内容については、事前に準備しているので、その通りにこなすとしよう。
「さっきも紹介したと思うけど、僕、奥田恵。よろしくお願いしますね」
「……早いとこ教えてよ」
こちらを見ずに、頬杖をついて、ぶっきらぼうに冷たく、それだけ言い放たれる。
正直ムカつくが、態度が悪そうなのはこの前ガソリンスタンドに来た時点でわかりきっていたことだし、これは仕事で相手はまだ高校生のガキんちょである。
ここはぐっと堪える。
「とりあえず、西野さんって普段の授業はどんな感じですかね? わからなくてつまらないとか」
「学校自体つまらないんで、授業出ても寝てますんで」
うわぁ、色々事前に話は聞いていたけど、想像通りの問題児かもしれない。
「でも、大学には行きたいんですよね?」
「……親が心配するんで」
根は真面目なのか?
相変わらず、俺の顔は一切見てくれないが。
「とりあえずセンター試験に出てくる科目で、各十問ずつのテストを作ったんで。これをそうですね……二十分時間とるのでやってみてくださいね」
「は? いきなりテストするんですか?」
初めてこっちを見てくれる。
ここまで近い距離で顔を見るのは初めてだけど、母親譲りの美人さの中に残った幼さが融合して死ぬほど可愛い。
ちょっと心臓が高鳴ってしまい、不意に目を反らしてしまった。
「……今の西野さんの学力が知りたいんで、とりあえず難易度は学校の定期考査くらいですよ」
「ふーん、つかセンセー、もしかして照れてる?」
意味深な感じで口元が釣りあがり、ニヤニヤしながら追及してくる。
「テレテナイッスヨ、時間あまりないんでお願いしますね」
「ふーん、へえー、センセー童貞なんだ」
「そうそう童貞……ど、ど、ど、ど、童貞ちゃうわ!!」
なに言わせんの、この子!
「あっ、もしかして図星っスか?」
「はあ!? 俺が童貞とか、根拠もなく失礼なこと言わんでもらえますかね!!」
「だってめっちゃ慌ててんじゃん、童貞でしょ?」
「ど、ど、ど、ど、童貞ちゃうわ!! さっさとテストして!!」
何なの、ビッチなの、イマドキのJKって?
こんな可愛い顔で猥談されたら嫌でも一瞬意識してしまうが、冷静に考えたらただガキにおちょくられているだけなので腹が立ってきた。
それは、まあ、俺は童貞ですけど……。
なんて心の中で一人悶々としている間に、西野さんはテストに取り組んでいた。
「……センセーってさ、この前ガソリンスタンドで働いてたじゃん」
一瞬、筆が止まったなと思いきや、関係のない話を振ってくる。
「ああ、あっちメインのバイト」
「ふーん」
愛想のない返事だけして、また筆を動かし始める。
駄弁るだけ駄弁って勉強に着手しないタイプかと思ったが、意外と課題に対しては真剣に取り組んでくれている様子なので、こちらから話を振っても良さそうだな。
「西野さんはかなり運転慣れてるみたいだけど、カートか何かやってたんですか?」
「……楓」
一瞬間をおいて、むすっとした様子で自分の名前を言う。
「……はい?」
「楓でいい、パパと同じ呼ばれ方するの嫌だから」
「ああ、そうなの……じゃあ、楓ちゃん?」
「……きも」
傷つくわ、誰だよ名前で呼べって言ったヤツ。
「……楓」
「どっちでもいい」
「……楓ちゃん」
「センセ、そう呼びたいだけでしょ」
「…………。」
「普通にきもい」
ごめんなさい、なんとなく年上っぽく振るいたかっただけです。
気が付いたらタメ口叩かれているし、俺って威厳が無いのかなと思いましてね。
「いいよ、楓ちゃんで」
「……んで、楓ちゃんって何かやってたんですか?」
「別に、十六からバイク転がしてただけ」
「ああ、なるほど……」
だけど楓ちゃんの運転がスムーズな理由はなんとなくわかった。
バイク上がりなら基本的に曲がる、止まる、という点では共通するので、あとは四輪の車両感覚などの運転に必要な感覚さえ養えれば基本は同じだろう。
「……んでさ、センセ」
「何ですか?」
「別に敬語じゃなくてもいい」
お前は敬語を喋ろと思ったが、もう面倒なので説教しないでおく。
勉強だけ教えてお金貰えればそれでいいので。
「……で、なに?」
「センセー物分かりいいじゃん。んでさ、センセって走り屋なの?」
「まあそうだよ、一応ね」
「あれ、シルビアでしょ? S14の、前期型」
意外、というか二年前からバイク乗ってて、あの走り屋仕様のキャリイを運転しているのだから当然かもしれないが、意外とこの子には車の知識があるらしい。
見た目がどこにでもいそうなやんちゃ系女子高生なだけに、かなりのギャップを感じた。
「すごいね、クルマ詳しいんだ」
「別に、パパが車好きだから、たぶんその影響」
「ああ、お父さんね……」
確かにあのお父さんがいれば多少の知識はつくかもしれないが、それでもそこらの女の子ってクルマに興味は示さないだろうから、楓ちゃんは車好きには貴重な存在かもしれない。
中には天宮みたいな頭のおかしい例外もいるが。
「あの軽トラってお父さんの?」
「そうだよ、勝手に乗ってる」
「えー、いいのかそれ?」
「別に、事故らなきゃ何してもいいって言ってた」
楓ちゃんパパって放任主義なんだな、意外と。
「すげえな……」
「滅多に貸してくれないんだけどね、仕事で使ってるから」
あの走り屋仕様の軽トラで仕事しているのか、なかなか強いな。
しかしそれを語る楓ちゃんは、どこか不満そうな雰囲気を漂わせている。
「……やっぱ、自分の車欲しい?」
「…………まあ」
だろうと思った、好きな時に乗れないのはストレスでしかない。
なんとなく、一瞬見せた物足りなさそうな表情から、そういう風に読み取れた。
「ってか、テスト終わった?」
「センセ、何が何なのかサッパリわかんない」
「……どれ?」
楓ちゃんからテスト用紙を受け取ると、確かに一部分かるところには何か埋めてあるが、空欄のところは見事に空欄。数学など空欄のところは計算式すら書かれておらず、というか解こうとした努力の痕跡が一切見当たらない。
また答えが埋まっているところも、一部は合っているが間違っている問題も多かった。
これを見て、分かることは一つ。
「……もしかして、何が分からないのか分からないって感じ?」
「あたりめーじゃん、学校あんま行ってないし」
なんで偉そうなんでコイツはと思ったが、楓ちゃんの悩みどころがわかっただけ大きな収穫であると言える。
今後の指導方針がハッキリしたのでとにかく基礎を教え込むしかないと思った。
「……おっけ、お前にはイチから教えるわ。とりあえず次コレね」
こうなることは想定の範囲内だったので、次のテストを課すことにする。
「またテスト?」
「今度は中学レベルな」
「……は? ナメてんの?」
「そういうわけじゃなくて、楓ちゃんがどこらへんから躓いているのか知りたいんだよ」
これが分からない事には指導のしようがないし、逆に躓いているところさえ分かれば、そこから先の事をコツコツ理解できるまで積み上げていけば覚えられると思うので。
少なくとも、俺の見立てでは楓ちゃんは本当に頭が悪いわけではなさそうだ。
「こんなテストばっかやってて覚えられるわけないじゃん」
「だってまだ何も教えてないもんな、とりあえず文句言わないでやってくれ」
「センセ、無能じゃん」
「いいから、騙されたと思ってやってみろって。必要な過程なんだよ、コレ」
「うへぇ……」
面倒くさそうながらも楓ちゃんはテストに取り組み、十五分ほどして全て終わったのか、面倒くさそうに俺に用紙を差し出してきた。
空欄は、無い。
間違っている問題こそあれど、七割ほどは理解しているといった感じだ。
少なくとも高校には受かっているので、義務教育レベルの学力はある様子だ。
いや、立派なことである。
義務教育レベルの学力すらない高校生や大学生なんて山ほどいる。
だけど楓ちゃんは完璧ではないにしろ、キチンと抑えているところは抑えているので、やはり俺の見立て通り馬鹿ではない。
ただきっと、授業を真面目に受けていなかったことと、受験ではないということで今まで本気を出していなかっただけなのかもしれない。
「おっけ、だいたい学力はわかった」
「は? こんなんでわかるの?」
「とりあえず高校受験の時にやったことは覚えてるみたいだから、高校の内容をおさらいしよう」
「なんでわかんの、そんなこと」
不愛想な楓ちゃんが、少しだけ呆気にとられた様子になっていた。
「テストって単に点数つけるだけじゃなくて、どの程度理解してるかのチェックだからね。本人の口から聞かなきゃわからないこともあるけど、おおよそどのあたりが苦手でどのあたりは理解できているのか答え見ればだいたい分かるよ」
などともっともらしい事を言っているが、全て家庭教師に関する情報はインターネットで集めたものなので、正確なことを言っている保障は無い。
ただ楓ちゃんの解答欄を見ていると、確かになんとなくこの子の傾向が見えてきた。
「センセ、もしかしてあんた有能なんじゃ……?」
「期待はするなよ、家庭教師なんて初めてだから」
「いや、学校のクソ先公より説得力あるよ。アイツら、点数でしか人を評価しないから」
その愚痴にはどこか深みがある。
高校をサボりがちな楓ちゃんだから、やっぱり教師には目をつけられているのだろうか。
「まあ、俺も学生だし、どっちかって言うとお前側だと思うよ」
「えっ、センセって大学生?」
「そうだよ、甲府の」
「ふーん、そっかそっか……」
何に関心しているのか知らないが、楓ちゃんは一人僅かに俯いて唸っていた。
「それより、早速数学から行くよ。とりあえず、まずは数Ⅰの内容から」
「……うん」
今までの面倒くさそうな態度から一転、相変わらず不愛想ではあるものの、今度はとても素直に講義を受けてくれた。
そんな感じで初回の授業はあっという間に終わる。