ACT.1-2
ずっと吸っていると、気が狂ってしまいそうな油の臭いが鼻孔をつく。
帽子を取って元気溌剌な挨拶で、一台の乗用車を送り出す。
「──んで、お前が家庭教師って超似合わねえな」
そして約一台、ハイオクも入れてくれないようなクソ迷惑な冷やかしに、イラっとくる。
「健二、テメーここに来るんならハイオクぐらい入れてけよ」
「まあ硬い事言うなって、ダチだろ? それに俺、いま金ねーから」
見ているだけどムカつくほど明るい笑顔で、健二はアルテッツァのボディに寄りかかりながらコーヒーを飲んでいた。
税込百六十円のコーヒー飲む金はあるのに、ハイオク一リッター入れる金はないのか。
「お前ほんと毎度いつもいつも何しに来てるんだよ……」
「えっ、遊びに?」
「働けよ!! お前も金ないんだろ」
「いやー、俺今日バイト非番だし。それに走り屋はガソリンスタンドに溜まるって、定番だろ?」
「そんなチョメチョメDのオメーと同じ名前の先輩みたいなことしなくていいから、帰れ」
あっちの先輩は情報持ってきてくれるからマシだけど、こっちのクソは情報も持ってこないでひたすら人に話しかけてくるだけだからな。ここは道の駅じゃないんだよ、ガソリンスタンドなんだよ、第一その三ナンバー車邪魔だよ、デカいんだよアルテッツァは、微妙に。
「つーか、そんなに俺と話したきゃここでバイトしろよ。今スタッフ募集中だぜ?」
「あー、ごめん無理。オレ、手荒れるの嫌だし」
女子かよ、コイツは。
そのくせ愛車のメンテナンスは自分でキッチリやっているから、謎な野郎だ。
「おーい若いの、客きたぞ」
「店員でもねえのに指示するなよ!!」
本当に冷やかしでしかない健二にイライラしつつも、俺の目線はしっかりウインカーを焚いて入店しようとしている車に向かっている。
あくまでもプロフェッショナルなので、口だけうるさいゴミよりも、お金を払ってお店をちゃんと利用してくださるお客様のほうが大切なのです。
それにしてもあのお客様、凄い車だ。
見た目はどうみてもスズキの軽トラだけど。
「おい恵、見ろよあの軽トラ、足入ってるぜ?」
「足弄ってる車は外から見ててもすぐわかるよな」
「ホイールもアレだぜ、昔流行ったハチロクとかがよく履いてた黒い……なんだっけ?」
そのうえ、マフラーも恐らく社外品と思われる野太いサウンドを響かせた様子のおかしい軽トラが、白線内にぴったりと停止する。
車体の至る所に有名なアフターパーツメーカーのステッカーが貼られ、よく見ると車内のシートは二脚ともフルバケットシートに変わっていた。
軽トラでここまで改造すること自体に驚きなのだが、もっと驚きなのはドライバーだ。
「……ハイオク、満タン」
軽トラがハイオク仕様なことにも驚きだが、それよりもこのドライバー、若い。いや、若いを通り越して高校生かそこらのあどけなさが残った少女だった。
毛先が柔らかそうな艶やかな金髪で、少し吊り上がったきつめ碧眼。小顔で鼻も高くて美人顔だが、美人になりきれていない幼い雰囲気も残された顔つき。肌は白くて、ぱっと見た感じスレンダーな体系だろうか。
激安の殿堂的なところで購入したと思われる柄物のパーカーにスウェットと、まるで田舎のヤンキーみたいな服装だけど、それがかえって彼女に残る幼さを引き立てているような気がする。
軽トラの窓ガラスを拭きながらまじまじと観察していて思ったが、かなり可愛い。
だけど、俺の好みではないな。
「22リッター入りまして、3,344円でございます」
「ん……っ」
「少々お待ちくださいませ」
ぶっきらぼうな感じで五千円札を手渡されたので、事務所のほうに行ってお釣りを取りに行く。
あまり愛想は良く無さそうだと思いながら、お釣りをもって戻ると、女の子は何かをまじまじと見つめている様子だった。
その視線の先には、ガソリンスタンドの隅っこに停められた俺のS14シルビアがあった。
「お待たせいたしました、お釣りが1,656円でございます。お確かめくださいませ」
俺の声を聞いてようやく我に返ったと言わんばかりに、びくんと少女の顔がこちらを向く。
なぜか一瞬、睨みつけられたような気がした。
そして少女は軽トラのエンジンをかけて、ゆっくりと出発。意外にも慎重に確認した後、ブローオフバルブの音を炸裂させながら、勢いよく走り去っていった。
あの軽トラ、ターボなのか。
「すげえよな恵、あんな走れそうなキャリイに乗ってるのがJKっぽい子だもんな」
「それだけじゃない……上手い」
「えっ、そうか?」
「おう……」
上手い人、特にマニュアル車ならエキゾーストノートを聞いただけで簡単に分かる。
あの子、年齢的に運転歴は浅いと思われるが、とても丁寧かつリズミカルで、一切の無駄なく的確なクラッチーミートで立ち上がっていった。
多分、十八歳かそこらの少女だろう。免許取って間もないと思われるが、あの勢いであの丁寧さを保てるということは、かなり運転センスの高い子だと思われる。
「ところでよ、家庭教師の仕事っていつから始まるんだ?」
「知らん、クライアントから依頼が来ない限り仕事はないらしいから」
「こんな走り屋に教わりたがる中高生がいるのかねえ」
「うるせえ、テメーはとっとと帰れ」
「へいへい、じゃあ明日部会でな」
そう言いながら健二はアルテッツァに乗り込み、ご近所迷惑だろうという爆音を轟かせながら、さっきの子並みに勢いよく国道に飛び出していった。
健二のアルテッツァの立ち上がりと、さっきの軽トラの立ち上がり。両者を比較すると、運転歴二年目で峠の走り屋で、自動車部の活動としてサーキットの走行会にも行っている健二のクラッチミートと、先ほどの女の子のクラッチミートにそこまでの差はないように感じた。
世の中には凄いティーンエイジャーがいるものだと思いながら、今日も淡々と業務をこなす。
終業時刻になり、退勤して車に乗り込もうとした時だった。
スマホのバイブが鳴り始め、画面を見ると知らない番号。
心当たりは無いが、ひとまず出てみることにする。
「はい」
『あ、わたくし家庭教師のファィト横山というものですが、奥田様でお間違いないでしょうか?』
「あっ、はい!! そうです」
『先日はご登録のほうありがとうございました。早速プロフィールのほうを確認させていただきましたところ、紹介させていただきたい生徒がいるのですが、いまお電話大丈夫でしょうか?』
「はい、大丈夫です」
登録してから日数経っていないのに、もう案件が飛び込んでくるとは。
運の良さを感じながら、これから行われるという研修の日程調整を行った。
明日の夜、研修を行い、木曜日には家族教師を求めている家族と面接をするそうだ。
地方とは言っても、国立大学に通っているというステータスがプラスに働いたのか、想像以上に早く仕事にありつけそうだ。
よかった、これで次のタイヤを安心して買える。