ACT.5-3
エンジンを止めた二台のクルマが、キンキンと音を立てる。
駐車場内には週末の夜ということもあってか、数台のそれっぽいクルマがいた。
「へぇ~、EKのシビックにDC2インテグラのタイプR、NBロードスターやRX-8なんかもいる……すごっ、こんな住宅街の近くにこれだけ走り屋が集まるんだ」
天宮が駐車場を見まわして、そこに停められたそれっぽいクルマを分析する。
いずれも改造が施されていて、オーナーさんと思われる人たちが楽しそうに会話を交わしていて、いかにも走り屋か、あるいは車好きの語り屋といった雰囲気であった。
なるほど、週末の愛宕山は結構盛り上がっているのか。
御岳にも結構走りに来る人はいるが、ここのほうが台数は多そうだ。
「あっ、90系のマークⅡ」
「おおっ、キャンバー入ってるな……この音はメタルクラッチか?」
楓ちゃんと健二まで駐車場に入ってきてクルマにはしゃいでいる始末だ。
「楓ちゃん、ギャラリーコーナーってどこにあるんだ?」
「そこの遊歩道上ってって、しばらく歩いたら橋があるの、そこがちょうどコーナーを見渡せるポイント」
なるほど、つまり愛宕山の走り屋たちのアツい走りを、橋の上から特等席気分で見物できるというわけか。
確かに、御岳よりもギャラリーできそうな場所は多いよな。
けど確かに住宅街から近いし、これ警察来たりしないのだろうか。
「とにかく行ってみよ!!」
天宮の一声で健二達が歩き始め、楓ちゃんが天宮は懐中電灯を片手に先導する。
当然、該当などあるわけもなく、周囲は真っ暗であり、なんだか不気味な気分で気後れしそうになってしまうが、意外と走り屋たちのクルマの音で正気を保っていられる。
しかし俺たちはともかく、この女の子二人組は怖くないのだろうか?
流石、二人ともキレた走りをするだけある。
「…………っ」
「な、なんか……暗くない?」
……前言撤回、かなり怖がっている様子だった。
特に天宮は震えながら、楓ちゃんの二の腕にしがみついていた。
そんな恐怖心に怯えながら歩いていると、やがて橋に差し掛かる。
「ここかぁ……ここは意外と明るいな」
今日は快晴、そして満月。
街灯はなくとも、月夜に照らされた道路は意外と明るかった。
「おっ……きたきた!!」
近づいてくるエキゾーストノートに、天宮が興奮気味に叫ぶ。
奥の古墳側の緩やかなコーナーをものすごいスピードと、ものすごい轟音を響かせながら二台が連なって走ってきた。
四速から三速へと、ヒールアンドトゥを使って落とす二台。
アウトから膨らみつつ、クリッピングポイントで蓋のない側溝ギリギリのインベタを通して、二台の車は全開で下りのストレートを立ち上がっていく。
それにしても物凄い音だ。
先頭のEG6シビックは直管マフラーだし、後ろのZZTセリカも爆音だった。
「はやっ!?」
あのスピード狂人の天宮が、大声で驚く。
「へぇ~、EG6もセリカも上手いもんだなぁ……どう思う、恵?」
「なんかサーキットかじってそうな走り方だったな」
それでも安全マージンを残していることが伝わってくるあたり、本当にこの愛宕山の走り屋のレベルは高いということだろう。
下手したら、御岳でもアイツらに食らいつけるのはごく少数では。
そう分析していると、今度は上りから一台が上ってきた。
重心の低そうなそのクルマは、かなりいい突っ込みをしながら、軽くスキール音を鳴らしつつ素早くコーナーを抜けて行った。
センターラインを殆ど割らない、対向車を意識したコーナリングだった。
「さっき麓にいたS660だな……アイツも上手いなぁ」
「全体的にレベル高いみたいね、愛宕山って」
健二と天宮が、走り達の走りを見ながら分析していた。
確かに、ここの連中は総じてレベルが高いというか、みんな上手い印象だ。
「でもまだみんな本気じゃないですよ、もっと速い人いますから」
楓ちゃんが俺たちに対し、淡々と解説をする。
マジか、今の連中よりさらに上がいるのか。
「……まだ来るぞ、古墳のほうから、今度は二台連なってるみたいな」
凄いエキゾーストノート、そしてえげつないほどのスキール音。
さっきのEG6とセリカの比ではない、もっと速いペースで、もっと限界領域で走っているような雰囲気だ。
……バトルしているのか?
ヘッドライトに照らされて、この短いストレートを二台で並走しているようだ。
「うおっ、すっげえ!! サイドバイサイドだ!!」
「車種なに!?」
「……出た!! 噂の赤いヴィヴィオと……相手はMR-Sか!!」
健二と天宮のテンションが最高潮になる中、並びかけた赤いヴィヴィオと蒼いMR-Sは、ハードなブレーキング勝負を演じる。
MR-Sもかなり軽量なクルマだが、それを上回る軽さを誇るヴィヴィオが、ブレーキングではあっさりと前に出て、それも信じられないスピードでコーナーに進入した。
MR-Sだって遅くはない、むしろ速いくらいだ。
しかしミッドシップレイアウトで、コーナリングで勝るはずのMR-Sが、二十年前の古い軽自動車にコーナーでつけていない。
赤いヴィヴィオは信じられないスピードで曲がりながら、コーナリング中にもブレーキランプをたびたび点灯させていた。
髪の毛が靡くほどの勢いで通過した二台、そして先頭をいくヴィヴィオはマフラーから凄まじい排気音を響かせて、下りのストレートを全開で飛び出していった。
ワンテンポ遅れたMR-Sも食らいつくが、完全に前に出られてしまった。
この先、抜き返すポイントはあるのだろうか。
MR-Sのドライバーも上手いが、ヴィヴィオの乗り手は遥か上をいっていた。
「なにあれ……うそ、信じられない、えっ、ヴィヴィオって軽自動車でしょ!?」
天宮が呆然と開口した後、必死に俺たちにそう訴えかけてきた。
「すげえ、噂以上だぜ……なお恵、あのMR-Sも速かったよな?」
「ああ、下手じゃない、相当上手いヤツだと思うけど……あのヴィヴィオのドライバーが多分、常識離れしたドラテクの持ち主なんだろう」
普通に考えて、いくらヴィヴィオでも単純なコーナリング性能では、低重心かつ回頭性に優れるミッドシップレイアウトのMR-Sに及ぶはずがない。
そのMR-Sをコーナーで下すのだから、いくら下りでヴィヴィオが軽いとは言っても、あのヴィヴィオの乗り手は相当の手練としか思えない。
天宮の下りの速さも伝説的だったが、まさかあれほどのドライバーがいるとは。
これはもし、本当に天宮とバトルしても、天宮ですら勝てるか怪しいかも。
少なくともコーナリングスピードは、天宮より速かったかもしれない。
「ねえセンセ、聞いてもいい?」
「なんだ?」
「あのヴィヴィオってクルマ、コーナリング中にブレーキ踏んでたよね……?」
「えっ? ああ、アレか、アレは左足ブレーキって技だと思う」
「左足ブレーキ?」
楓ちゃんがきょとんと、よくわかっていない様子で聞き返してきた。
「前に天宮の横に乗った時も天宮がやっていただろ? FF車ってのはアンダーだから、アクセル開けているとクリアできないコーナーがあるんだけど、そこでアクセル開けながらアンダー消すために左足でブレーキを踏んで荷重移動させるんだよ」
俺もカート上がりだから、カートでは基本的に左足ブレーキだったし、今でも時々ではあるがターボラグ対策などで左足ブレーキを使うことはある。
慣れれば問題はないものの、習得するのは結構難しいものだ。
「そうなんだ……難しい?」
「難しいね、特に普通の人は右足だけで操作を覚えるように教習所じゃ指導されているし、左足って右足ほど器用に動かせない人もいるからな。それでもレースではオーソドックスなテクニックだけど、ストリートレベルでアレができるということは、かなりハイレベルなFF使いだろうぜ」
ストリートだけで身に着けるのはそれこそかなりの練習量が必要だろうし、ひょっとするとヴィヴィオの乗り手はモータースポーツ経験者かもしれない。
だとすれば、アレができても不思議ではないだろう。
「すごいもん見せられたなぁ……愛宕山、来たかいあったぜ」
「ああいう速そうなのみると、なんか燃えてきちゃうなぁ」
「お前今日自分のクルマで来てねえだろ……」
戦意が高揚している天宮をなだめる。
しかし本当にレベルの高いものを見せられて、今日は来てよかったと思った。
「さて、そろそろ戻るか?」
「そうだな……どうする楓ちゃん?」
「んー、もう一本流したら帰ろうかな」
「よし、そういうことだ、健二、頑張れ」
「……今度は負けないぞ?」
そんなくだらない会話をしながら遊歩道を降りて、駐車場へ向かうと、なにやら地元の走り屋たちがざわついている様子だった。
「ウソだろ!? 卓司が負けたってのか!?」
「あのヴィヴィオ何者なんだ……最近次々と速そうなヤツを狙っては堕として」
「けど信じられねえ……速いのは他にもいたけどさ、卓司は群を抜いてたし」
卓司、というのは先ほどのMR-Sのドライバーか。
なるほど、その卓司というMR-S乗りが、この愛宕山では一番速いドライバーだったのか。
ということは、あのヴィヴィオは名実ともに愛宕山最速ってことか。
「柳沢に続いて愛宕山も陥落かよ……」
「あと速そうなのがいるったら、八ヶ岳と御岳、それに道志くらいか」
「あのヴィヴィオ、山梨を総ナメにするつもりなのかな?」
「今更なにやってんだろって感じだよなぁ……サーキット行けよって感じ」
お前らも人の事は言えないだろうと思ったが、俺たちも一言は言えないご身分なので、ツッコミたいけど突っ込まなかった。
車のドアを開けて、乗り込もうとした時だった。
「おい、ヴィヴィオが来たぞ!!」
一人の叫び声に反応して、ヘッドライトに照らされた方向を反射的に見る。
さっきの赤いヴィヴィオだ。
外装はノーマルの良さを残しながら、ダクト付きのカーボンボンネットにFRP製と思われるリアウイングをボディと同色に塗装し、黒のワタナベホイールを履いていた。
ボディに勇ましく記されたRX-Rの文字、やはり走りのグレードだったか。
そのヴィヴィオは律儀にも、健二のアルテッツァの横にバックで駐車した。
エンジンがかけられたまま、運転席のドアがゆっくりと開かれる。
中からオーナーさんが、ゆっくりと降りてきた。
小さい。
ていうか、女の子……。
えっ、まさか。
「…………。」
冷たい表情で、ミディアムボブの少女はこちらを一瞬、睨んだ。
「……っ!?」
それと同時に、AW11の運転席側に立っていた楓ちゃんが、信じられないものを見たかのように驚いたのち、焦ったような表情で女の子のほうを見ていた。
最近噂のバカっ速いヴィヴィオのドライバー。
その正体は、この前俺のバイト先に来た、謎の女子高生だった。




