ACT.4-1
なんてことのない、いつも通りの日々が過ぎていく。
火曜日と金曜日は楓ちゃんに勉強を教えて、時々楓ちゃんを横に乗せて御岳を走ったり、あるいは楓ちゃんがキャリイを借りて御岳を走ったり、健二や天宮たちといつも通りに走ったり、大学では長谷川といつも通り過ごしたり。
家庭教師を始めてから続いている、変わらない日常。
だけど、今日から少しだけ、変わらない日々が変わっていくかもしれない。
今日は、倉岡さんが運転する積車に俺も乗っていた。
「すいません、なんか手伝ってもらっちゃって」
「いや、いいだよ。しかしお前の教え子、いい趣味してるよなぁ」
「そうですか?」
「だってAW11だぜ? 普通、いくら車好きでも女の子は買わないだろ」
確かに、S15シルビアやRX-7あたりは女の子にも人気があるが、AW11を好んで買う女の子は居ないかもしれない。
そう言われると気になるよな、楓ちゃんがあのクルマのどこを気に入ったのか。
「んで、この辺だっけ?」
「はい、あそこにカフェの看板あるじゃないですか、あそこです」
「了解、奥田、後で積車のガス代は払えよ」
「わかってますよ……」
痛い出費だが、積車貸してもらっているんだから文句は言えない。
楓ちゃんの家の前で積車を停車させると、早速、倉岡さんはAW11を降ろす作業を始める。
一方の俺はインターホンを鳴らした。
『はい』
「あ、奥田です。楓さんのクルマ届けに来ました」
『……え、センセ?』
……あれ、楓ちゃん本人か?
『今いく』
そう一言だけ言って音声が途切れると、すぐにドアが開かれた。
「センセ、クルマは?」
待ち遠しい、今すぐ見たい、そんな様子であった。
「奥田~、降ろし終わったぜ!!」
倉岡さんの声に反応し、楓ちゃんもその声のほうを見る。
その目線の先には、綺麗に洗車されて、ついでにオヤジの厚意で小傷等を綺麗に板金したAW11の姿があった。
履いていたホイールも薄汚れていたので、洗って元の白さを取り戻していた。
新車と遜色のない輝きを取り戻したAW11が、そこにはあった。
感極まったのか、楓ちゃんはAW11のもとへ走っていった。
「……これが、あたしのクルマ」
楓ちゃんはAW11の前で立ち止まって、まじまじと愛車を見つめている。
「楓ちゃん、これ」
俺は、楓ちゃんの横に並んで小包を差し出す。
それを受け取った楓ちゃんは、無言のままその中身を取り出す。
TOYOTAと刻まれた、マスターキーを見た楓ちゃんの口元が綻んだ。
張り切った様子で運転席に乗り込んで、シートポジションを整える。
そしてキーを差し込んで、エンジンを始動させた。
「~~~っ!!」
嬉しそうに、ステアリングを握る。
「センセ、動かしてもいい?」
「もちろん、慣らしがてらそこらへん一周してきたら?」
「……うんっ」
そう返事をして、シフトノブを一速に入れて、サイドブレーキを上げたままクラッチペダルを徐々に上げていく。
「……なんか、違う」
ブルブルと、ミートする。
初めて味わう感覚、この瞬間は実際に半クラッチにしてみないとわからない。
「強化クラッチが入っているらしいから、キャリイのものより少し重いかもしれないけど、まあ楓ちゃんならすぐ慣れるだろ」
一応、アドバイスだけはしておく。
楓ちゃんはサイドブレーキを降ろし、今度こそゆっくりとクラッチを繋いだ。
徐々にアクセル開度を強めていって、AW11は甲高い4A-GEサウンドを響かせながら、少しぎこちのないシフトチェンジで遠ざかっていく。
それにしても、いい音だ。
NAともターボとも違う、独特な感じだ。
「いい音してるなぁ……そしてお前の教え子、結構いい踏みっぷりだな」
「アイツ、アレでいい腕してるんですよ」
「シフトアップはちょっとぎこちなかったけど」
「初めての車だからでしょ、すぐ慣れると思いますよ」
それからしばらくして、今度は反対方向から独特なサウンドが響いてきた。
もうAW11のシフトフィーリングには慣れたのか、今度はキッチリと回転を合わせながらブリッピングしつつ、減速して俺たちのちょうど横くらいで停車した。
予想通り、慣れるのが早い。
「どうだった?」
ニュートラルに入れてサイドブレーキを引き、車から降りてきた楓ちゃんに感想を求める。
「……なんか不思議な感じだった、いつも乗ってる軽トラとは全然違う」
「へぇ、どんな感じで?」
「どんな感じって言われても……なんか吸い付くような俊敏に曲がるような」
「それはミッドシップだからじゃないかな。ミッドシップは頭の向きを変えやすくて、回頭性に優れているんだ。その分ピーキーだから乗りこなすのは大変だけど……」
前後重量配分に優れていて、なおかつフロントが軽いので、クイックに曲がることができるのがミッドシップの利点だが、反面そのバランスの良さが仇となってタイヤのグリップ感の変化が大きく、シビアな荷重移動を求められる。
要するに、テクニックがないと乗りこなせないわけだ。
だけど楓ちゃんは基礎ができているから、走り込めば慣れるかも。
「……気に入った、センセ、さっそく今夜走りにいこ。あたしのMR2で」
「おう、いくらでも練習に付き合ってやる」
愛車を目を輝かせる楓ちゃんと、そう約束した。
「……なんか俺、完全に蚊帳の外のような」
後ろでそんな、倉岡さんの嘆きが聞こえたような気がした。
それから俺はガソリンスタンドのアルバイトをこなして、終業時刻の二十時を少し過ぎた頃、バイト仲間と施錠をして外に出た時、その音は徐々にガソリンスタンドに近づいてきた。
ガソリンスタンドの前でハザードを焚いて、白のMR2が停車する。
バイト仲間たちがざわめく。
もう終業時刻なのに、まさか変な客じゃないだろうかと思ったんだろう。
そんなバイト仲間たちをよそに、俺はそのMR2に近づいて、助手席のドアを開けて乗り込んだ。
いつものスウェットにパーカー姿の楓ちゃんが、ステアリングを握っていた。
「ナイスタイミングだったな、ちょうど仕事終わったところだよ」
「でしょ、終業時刻調べたら今くらいかなと思って」
そう自信満々に話す楓ちゃんは、丁寧にクラッチを繋いでMR2をゆっくりと発進させた。
流石、もう街乗り領域ではすっかり慣れた様子だ。
「今日は一日中、走ってたのか?」
「……ちゃんと勉強してたし」
「そ、そうか……でも走ってたんだろ?」
「まあ、センセ迎えに来る前にちょっとだけ」
歯切れ悪く、そう答える。
別に隠さなくてもいいのに、そもそも運転を見ていたらわかることだ。
「センセ、今日はS14乗ってきてないの?」
「そのまま倉岡さんに積車で送ってもらったからな、それにお前のクルマに横乗りするみたいな流れだったし」
流石に今日は、一人で走らせるのはちょっと怖いと思ったので、慣れるまでは横に乗っていようと思った次第である。
しかし破綻するような領域ではないとはいえ、楓ちゃんは初めて乗るクルマとは思えないくらいスムーズな運転で、着実に御岳を目指して走行を続けた。
そして御岳に入ってからも、楓ちゃんはまるでMR2のフィーリングを楽しみながら、その挙動をチェックするかのような軽く流すペースで走行した。
気のせいか、前より上手くなったような。
元々センスはあると思っていたし、免許取り立てとは思えないくらいのテクニックはもっていたけど、さらに磨きがかかっていて、乗っていて安心感を感じさせる走りだった。
ていうか、段々とペースを上げてきている。
「おっ……とっと!!」
コーナーで滑り気味のところを、巧みなステアリング操作で持ちこたえる。
凄いな、下手したら事故っていたかもしれないのに、よく立て直した。
「……だいたいわかったよ、センセ」
「え、なにが?」
「フロントが軽いから上りだとアンダーになりがちなんだね、それと……なんとなく、限界かなっていう僅かな前触れ、掴めたような気がする」
「ま、マジかよ……?」
運転席でMR2をいきなり結構なペースで流しながら、淡々と語る楓ちゃんの姿に俺は驚いて口があいたまま塞がらなかった。
こんな短時間で、ちょっと流しただけで、そんなにすぐ分かるものなのか。
「ここらへんかな……スピンしない限界点は」
そう呟きながら、ペースを上げつつコーナーでの感触を掴んでいく楓ちゃん。
そうか、楓ちゃんの応用力の速さは、軽トラでの運転に慣れているからだ。
軽トラもリア駆動で、なおかつ非力ながらも挙動がピーキーな車だ。
特にミューの低い路面においては四駆では曲がらない、二駆は常にスピン状態との戦いで、ちょっとした荷重移動でピーキーな挙動が現れるという意味では、MR2との共通点もある。
とはいえ、MR2ってもっと運転難しいような気がしなくもないが。
単純に楓ちゃんのセンスが俺の理解を超えている、ということなのだろうか。
「楽しい、この子……すごい素直じゃん」
とても面白そうにAW11を操る楓ちゃん。
次第にその動きも速く、そして限界を超えそう、と思いきやギリギリのところで上手いことコントロールしていく。
面白い、ますますこの子に色々なことを教えたくなってきた。
もっと色々な経験をさせてあげたくなってきた。
今日はとことん、走り込みに付き合ってあげようと、柄にもなく思った。




