そうは問屋が卸さない
「命の危機、非常事態、想定外。そういう時こそ人間の本性って出ますよね」
混沌満ちる戦場を見下ろしながら、サルースは他人事のように呟いた。本来なら一緒に混沌に巻き込まれているはずなのに、彼らは既にテンプス平原から離れて北上し、アーダマス近郊にまで移動していた。ここには彼らが、いや、この戦いの首謀者であるケーラ将軍ウェテラーが用意した隠れ家があった。
サルースの目の前には、戦場の俯瞰図が映し出されていた。ただの図ではなく、リアルタイムの状況だった。
「凄いですねこれ。どうやってるんですか?」
ウェテラーに尋ねる。
「鳥を模した魔道具を上空に飛ばしている。鳥の目から得た映像がこの画面に映し出されている仕組みだ」
「はあー、なるほど。これも古代文明の遺産ってやつですか?」
「プライドが傷つくか? 魔道具技術で出し抜かれて」
「傷つくのはうちの魔術師であって、私ではありません。技術自体に善悪も敵味方もないですから。役に立ちさえすればそれで。それに、私ってほら、たとえ敵であろうと褒める時は褒めるタイプなので。例えば・・・ほらあれ、見てください。大国側もやるものですね。背後からロピスカに襲われたにも関わらず、立て直している。統率力の高い将兵がいるようで。こっちでは、ははあ、凄いですねこれは。流石は名高き傭兵団たち。暴走するロピスカの群れの中を突っ切るとは。〝島津の退き口〟みたいだ」
「シマヅ?」
「ああいえ、こちらの話です。昔の軍略記録で似たような物を見たことがありまして」
時々妙なことを口走るな。
ウェテラーは興味深そうに俯瞰図を眺めるサルースを見やった。優秀なのは間違いない。今回の戦争だけでなく、ここに至るまでの計画や準備の大半はサルースの立案によるものだ。
だからこそ油断できない。奴は作戦を成功させるために自分の上司を投獄し、王子と王女を殺害してみせた。
目的のためなら、手段を選ばない男。その男が、ずっと協力的であるとは限らない。裏切る前に、こちらから切り捨てる必要がある。
「おや、何か、様子がおかしいですね」
ウェテラーが不穏なことを考えているのを知ってか知らずか、サルースははしゃいだ声を出した。ウェテラーも一旦思考を脇に置き、視線を俯瞰図に戻す。夜に差し掛かろうとしているのに、画面は明るくはっきりと見えていた。
「ああ、始まったようだな」
彼らが話している間にも、画面は更に明るくなり、昼間のようになった。
「何が始まったんですか? 教えてくださいよ」
「リムスの再誕だよ。人の欲望によって争いの絶えないこの地に平和をもたらすには、方法は二種。争いの根源たる人を滅ぼすか、人を制御する上位種が君臨するかだ。しかし、人の上位種であり、神の遣いたるドラゴンは役目を放棄して久しい。ならば、ドラゴンに代わる新たな上位種に誰かが成り代わり、人を管理しなければならない。そのことに気づいた者が千年以上も前にいた。行動を起こし、しかし志半ばで倒れた」
「もしや、その方とは」
「気づいたか。その通りだ。我々は彼の偉業を引継ぎ、この世に恒久の平和をもたらすために神を降臨させる。神の審判によって悪は滅び、選ばれた人々が暮らす新しき世界へとリムスは生まれ変わるのだ」
――――――――――――
「一体、何が起きてるの?」
ラテルの翼から、私たちは信じられない光景を眺めていた。
プロウィとコンイェクを救出しほっとしたのもつかの間、戦場に異変が生じた。私たちの職業柄、異変は事態の悪化に直結していることが多い。
最初に気づいたのはゲオーロだった。
『団長、何かおかしいです』
「おかしい? 何が?」
『もう陽が沈んでいるのに、地上が明るいです』
「明るい?」
上空にいた私たちが陽の入りを見ている。地上は既に夜へと移っているはずだ。そんな馬鹿な話が。
「アカリ団長、彼の言う通りだ。下が妙に明るいぞ」
答えたのはファルサだった。巨躯の彼はラルスの翼から頭がはみ出していたので、地上の様子を確認することができたようだ。
言葉の真偽を確かめるまでもなかった。光がどんどん強くなってきているのか、暗かったはずの山々が下からライトアップされて、木の葉に反射して輝いている。上空の雲に、私たちの影が小さく生まれた。
「何らかの魔道具でしょうか?」
翼の端から恐る恐る顔を覗かせて、プロウィは首をかしげながら言った。
「人為的な物には違いないだろうけど、こんな広範囲に影響を出す魔道具なんて見たことないねえ。ただ」
プロウィがコンイェクの頭を指でつつき、そのまま下を指した。同じように下を覗いていたコンイェクも、妻の言わんとすることがわかったか、下の光景を眺めながら言った。
「光に、法則性があるな。どこかで見たような」
「だねぇ」
言われ、私も改めて下を見下ろした。確かに、光はただ周囲を照らしているのではなく、光がある場所とない場所がある。濃淡というか、これは。
「ゲオーロ君、上昇するだけの余裕ある?」
全体を見渡すために高度を上げるよう頼む。まだ飛行限界時間まで猶予があればいいのだが。
『大丈夫です。しっかり掴まっててください』
ゲオーロからの頼もしい返事の後、ラルスが機首を上げた。機体はぐんぐんと高度を上げ、平原を視界に収められるほどになった。
「これは」
地上に絵が浮かび上がっていた。絵というか、紋様というかマークというか、私の知識に一番近いのはファンタジーに出てくる魔法陣だろうか。その魔方陣に、数学や科学に使われるような公式が組み込まれているように見える。
「こいつは、まさか」
「ああ、細かいところは違うが、似ている」
プロウィとコンイェクが深刻な顔をしていた。
「あれに心当たりが?」
尋ねると、神妙な顔で二人は頷き、プロウィは答えた。
「あれは、魔道具に組み込む時に使う魔術回路よ。それが光で描かれているね」
「やはり魔道具なんですね。では、どのような効果があるかわかりますか?」
「それは・・・」
言いづらそうにプロウィが口ごもった。ちらと私やゲオーロの方を見ている。それでピンときた。関係者外秘に類する魔術回路で、私たちがいたら答えられないのではないか。
「おそらくだが、メリトゥムに関することではないか?」
ファルサの発言に、プロウィとコンイェクは驚いた顔で彼の方を見た。
「将軍、良いのかい?」
「構わん。緊急事態だ」
ファルサは即断した。
「すでにアスカロンはプルウィクスの秘儀についていくつかの知識があり、口外しないことを約束してくれている。それに、ここまで協力してもらって、肝心なことを喋らないのは不義理だ。責任は私が取る」
「確かに将軍の言うとおりだね。命の恩人に対して取る態度ではなかった。申し訳ない」
「いえ、立場や機密の取り扱いに関しては、少しは理解しているつもりですから」
「ありがとう」とプロウィは頭を下げ、気を取り直して説明してくれた。
「あの光が描く魔術回路、将軍の推察通りメリトゥムに使用される回路に酷似してるわ」
「やはりか」
ファルサが唸った。メリトゥムはプルウィクスの王族に埋め込まれる自爆型の魔道具だ。
「サルースの危惧していた通り、この戦場で失われる命を魔力に変換するのが目的だったのだな。ではやはり、これから爆発するのか? しかしこんなところを爆発させて何が目的なのか・・・」
「いえ、そこが似て非なる部分です」
コンイェクが解説する。
「正確には、あの光の回路の一部には『魔力を抽出する』という命令を出すものがあります。しかしメリトゥムに組み込まれている『抽出した魔力を爆発させる』という回路が組み込まれていません」
「絶対とは言い切れないけど、十中八九爆発はしないわ」
これだけの魔力を爆発させたら敵だって巻き込まれて死ぬでしょうしね、と彼女は付け足した。敵の目的はこの戦争の先にあるのだから、彼女の読みは正しいだろう。
「では、抽出された魔力はどうなるんですか?」
今日一日で、何千、何万もの兵士が命を落とした。人間以外でもいいなら、ロピスカもいる。人間一人でも、城を消し飛ばすほどの威力をメリトゥムは有している。
では何万もの命なら、どれほどの魔力が生み出せるのか。その魔力をどのように用いるのか。
「ごめんね。そこまではわからない。複数の魔術回路が組み合わさっていて、どういう効果をもたらすか判別がつかないの。あれを一つずつ分解して、どういう効果を持つ回路が使われているか解析して、複数の組み合わせのパターンから正解を導かないと」
敵の目的が少しずつ見えてきたようで見えない。肝心なところはまだ霧の中だ。
この戦いにおいて、ここが一つの重要場面だと判断する。多少無理してでも急いで結果を求めに行く。
「お二人とも、お疲れでしょうがもう少し踏ん張ってもらえますか。どんな効果があるか、すぐに解析してほしいんです」
「任せな。頼まれなくてもやるつもりだったさ。こんな気になるもん無視して眠れるわけないからね」
プロウィが応え、コンイェクも頷いている。私はスマートフォンを取り出し、魔術回路の全体と、ズームして四等分にして写真を撮影した。これで細かいところまで確認できるだろう。
「皆と合流しましょう。解析と並行して、今後の対策を行います」
ファルサのほうを向いて提案する。異論は無いようで、頷いて同意した。
ゲオーロの操縦で、ラルスが下降していく。
地上が近づくとこちらに手を振っているムトたちの姿が見えた。なぜか周囲に見覚えのある傭兵団たちがいて、棺を担いでいる。
避難していたプラエたちが山から出てくるのが確認できた。全員無事のようだ。約束は覚えているのだろうか?
なぜか川からテーバたちが這い上がってきた。どうやら丸太に掴まって川を下ってきたらしい。早く合流するためとはいえ、無茶が過ぎる。
だが、全員無事のようだ。なら、ここから何が起きてもきっと大丈夫だ。
突如、地鳴りが発生し、北方がにわかに明るくなった。
空気がびりびりと揺れ、眠りについていた鳥が騒ぎ飛び立つ。
大丈夫だといったそばから私の心をへし折りかねない、更なる異変が起こっていることは明白だった。




