いつかのアンサーソング
「やばいな」
望遠鏡で戦況を確認していたロガンが渋い顔を作った。彼の視線の先にはロピスカの波に飲まれそうになっているムトたち王女救出組の姿があった。
要塞最上階にあった魔道具が起動し、笛の音が平原一帯に鳴り響いてからしばらく後、王女の救助に成功したと連絡があった。喜びもつかの間、戦況は悪化の一途を辿っていく。十三国同盟軍の背後から大国の軍が現れ、挟撃されてしまったのだ。東西が山と川で遮られている平原で、挟撃されれば逃げ場所がない。加えて、更に背後から笛の音に呼ばれたロピスカの群れが到達してしまった。本来ならロピスカが来る前に逃げたかったところだ。しかし大国側の挟撃によって十三国同盟軍内部で混乱が生まれ、ムトたちは身動きが取れなくなってしまい、時間を無駄に消費してしまったのだろう。
先陣切ってムトたちが逃げ道を作り、その隙間に盾を差し込んでロピスカの流れを止めて、王女たちが通る道を作っているようだが、無謀に過ぎる。濁流をボロ船で下るようなものだ。縄が切れるか、板が砕けるか、ちょっとしたことで隙間は生まれ、そこから水が暴力的に流れ込み、船も人も何もかも飲み込んでいくだろう。
ロガンが珍しく考えにふけっている隣では、他のメンバーも三者三様の感情を抱きつつ眼下の光景を眺めていた。多くはその異様な光景に恐怖していたが、プラエは見ていながら見ておらず、頭の中の記憶を探っていた。
「工房長、主任」
「なんだい、かしこまって」
プロウィとコンイェクの視線がプラエに向く。
「仲間を助けるために、これからもう一度、笛の魔道具を起動させます」
「こいつをもう一度鳴らすって? 何故だい?」
「過去に、同様の魔道具を見たことがあるって話、覚えてますか?」
「ああもちろん。大量のデカいサソリに襲われて死にかけた話よね。で、その後・・・」
喋っていて、プロウィが気づいた。
「ははぁ、なるほどね。敵を嵌めるために、わざと不具合のある魔道具を使わせたんだったね」
彼女が自分の考えを察してくれたことを理解して、プラエは続けた。
「音で化け物を操るのは、かなり細かい調整が必要で、少しでも音が狂えば化け物は操るどころか暴走します」
「すでに暴走しているようなもんだけど、効果はあると思うかい?」
「こればかりはぶっつけ本番になりますが、試す価値はあるかと。先ほどの音が意図して暴走を呼び込むものだとするなら、今度の音は不快感を与えることで暴走につながる音。生物の生理現象として、不快に対する反応は二通り」
「距離を取るか、不快を消すか、だね」
「本来のロピスカの性質であれば、距離を取る方、逃げるを選択すると思いますが」
プラエは言葉を切った。この状況なら逆、不快を消すために襲いかかってくる可能性が高い。
それに、不具合をわざと出すということは、プロウィたちが作った魔道具を破壊するということでもある。わざと破損させて本来とは違う用途で使うなど、職人からすれば不本意でしかないだろう。職人にとって作成物は、完成された形で使用されるのが正しいのだから。
「よし、じゃあさっさと準備するかね」
その声にプラエが顔を上げると、プロウィがコンイェクを伴って笛の魔道具に近づいているところだった。
「良いんですか? お二人が作った魔道具を」
「壊すことになるって? そんな些細な事、気にするな」
コンイェクが言った。
「教えたはずだ。我々魔術師は、魔道具で人を助けるのが本来の役目だと。壊して使うことで人を救えるなら、そこに躊躇などない。それに」
「変形させて違う音を出すんならこいつは破壊じゃない。加工さね」
プロウィがウインクした。
「それよりも、こっちにロピスカ共が来るってんなら、あんたたちはさっさと脱出しな」
「え」
プロウィの言葉に固まったプラエだが、すぐに再起動する。
「何を言ってるんですか。起動は私がやります。お二人こそ先に脱出してください」
「馬鹿言うんじゃないよ。あんたにはまだやるべきことがあるでしょ。それとも、あたしたちの依頼を放棄するつもりかい?」
「そんなつもりはありません。今もムトたちが全力で王女を守っています。その助力を、これを使ってするんです」
「それくらいなら、あたしらでもできる。けど、姫様を救助した後、無事プルウィクスまで送り届けるのはあんたたちにしかできない」
「適材適所ってやつだ」
コンイェクが妻に同調した。
「音を狂わせるだけなんだからチョイと叩けば作業は終わり。何も問題ない。だから、ここは俺たちが引き受ける」
そう言いながら、他のメンバーを出入口の方へと追いやる。
「工房長、主任、それは駄目です、駄目なんです~」
「不安そうな顔しないの、ティゲルちゃん。大丈夫だからね。後はあたしらに任せな」
プロウィがぎゅっとティゲルを抱きしめ、そして押し出すようにして離した。
さあさあ、と皆を追いやっていく二人の腕を、プラエが掴んだ。
「馬鹿言わないでください。お二人を置いていけるわけないでしょう。それに、敵が仕掛けたみたいに時間調整できるんだったら」
「これが、そんな細かい操作できるやつに見える?」
ゼロになったタイマーには時間を入力するための仕掛けが見当たらなかった。試しに再起動してみると、六時間がセットされ、またカウントが始まった。
「どこのどいつだろうね、こんな応用の聞かない物作ったのは。他の時間にも設定できるようにしておくのが普通だろうに」
「なら、中をいじれば・・・」
「そんな時間がないのは、あんただってわかってるだろ。この喋ってる時間すら惜しいんだよ。それに、ロピスカが音を嫌がってこっちに来ないかもしれない。あたしらが助かる見込みは充分あるんだ。しかしそれも、ここで時間を浪費したら意味ないんだよ」
「だったら、私も」
更に粘ろうとしたプラエの体がひょいと持ち上げられた。ロガンだ。そのまま彼女を肩に担ぐ。
「ちょっと! ロガン、何すんの! 降ろして!」
「駄目だ。これ以上、工房長さんたちの邪魔すんじゃねえよ」
「邪魔してんのはあんたでしょうが! さっさと」
「わっかんねえのか! この人たちは俺たちの、いや、あんたのために命賭けてんだろうがよ!」
不覚にも二の句を継げずぐっと言葉に詰まった。
プロウィたちの覚悟は決まっていて、自分にはその覚悟を曲げさせるだけの材料がない。
「悪いね。ロガン君。その子や皆を、守ったげて」
「ああ、任しとけ。俺は仕事をきっちりやるタイプだ。あんたらもだろ?」
「そうさ。最後まで仕事をやりきるのがあたしらの信条さ」
姫様を頼んだよ。
プロウィのその言葉を背に受けて、ロガンたちは走り出す。階段を跳ぶように駆け下り、廊下を走る。開戦して人がいなくなっているのが幸いしたか、彼らの行く手を阻むものはなかった。建物内から出る。要塞内は閑散としていた。皆戦場に向かったのか、それとも、最初からここを放棄するつもりだったのか。ロピスカという不確定要素を作戦に組み込むくらいだから、放棄もあり得る話だ。開きっぱなしの門を潜り、山中に逃げ込む。ここなら木が邪魔になるためロピスカの突進を防ぐことができる。それでも油断せず、更に奥へ、高所へと向かう。
笛の音が再び轟いた。
ロピスカの群れが方向転換し、要塞の方へと向かっていく様子がロガンたちの目に映った。
すみません、すみませんと連呼するのはボブだろうか。
祈りの言葉を紡ぐのはファナティだろうか。
嗚咽を飲み込んでいるのはティゲルだろうか。
「くそ、くそくそくそくそ!」
一人、怒りと不甲斐なさとで喚くのはプラエだった。
何もできなかった。結局、自分がしたのはプロウィたちを死に追いやっただけだった。情けない。あれだけアカリに大口を叩いておいてこの体たらくだ。
「酒を、皆で一緒に飲むって約束したじゃない」
ロピスカが要塞の城壁に突進していく様子を、滲んで歪む視界が捉えた。壁にぶつかったロピスカの上に新たなロピスカが上り、そのさらに上に新たなロピスカが積みあがっていく。生きた攻城塔の出来上がりだ。仲間たちを踏み越えて、ロピスカが要塞内になだれ込んでいく。城壁でこの調子なら、要塞内部がロピスカで埋め尽くされ、最上階に到達するのも時間の問題だろう。
二度、彼女は仲間を見捨てて逃げた。
一度目はラテルで、炎に飲まれるガリオン兵団の仲間たちを。
二度目はカリュプスで、自分たちを逃がすために戦うアカリを。
「私は、また、また! 仲間を見捨てるのか・・・っ」
『お困りのようですね』
突然割って入った、この場にいない第三者の声に全員がはっとして顔を上げた。視線は、プラエが持つ通信機に集中していた。
『だから最初に言ったじゃないですか。気を付けてくださいね、と。なのにこの有様ですか。しかもこの状況、プラエさん、もしかしなくても王女チームを逃がすために無茶しましたね? 日頃私にあれだけ馬鹿なことをするなと口酸っぱく言うくせに、自分のことは棚上げですか?』
ここぞとばかりに日頃のうっ憤を晴らすための言葉が、楽し気で、馬鹿にしたような口調で届く。だが今はそれが、どれほど嬉しいか。
『ご安心を。団員のケツを拭くのも私の仕事です。その代わり、今後は魔術媒体を無駄遣いしない、値段も見ずに大量に買い込まない、知らない間に借金しない、借り物の部屋を汚さない壊さない、徹夜の実験に付き合わせない、人を勝手に実験台にしない、陸海空問わず人が乗ってる乗り物を撃ち落さない、これらの約束を順守してもらいますからね』
「約束でもなんでもしてやるから! だから、工房長と主任を、二人を助けて! アカリ!」
天を見上げる。
瑠璃色に染まっていく空に、かすかに残る陽の光を反射して飛ぶ鳥がいる。
鳥は、狙い定めたように要塞へ向かって降下していく。
『ついでに酒癖も、治してもらいましょうかね』




