才気迸る愛娘の所業と影響
ライラは想像以上の愛娘の才気に頭を抱えていた。
ネルベネス夫人からは大層感謝され、両家の仲が深まったのは間違いないのだが。
ナターシャは少し前まで碌に話す事も出来ない赤子だったのだ。それがどんな成長をすれば現在の形になるのか。
昼間にネルべネス家で起こったことを思い返して溜息が洩れた。
もはや自分ひとりの手に余る娘の賢しさと行動力が嬉しくもあり心配でもある。
兎も角。ライラは一先ず主人に報告をすべく、執事に夫の帰宅時間の確認をとった。
日も暮れ、辺りにすっかり影が落ちた頃。
待ち望んだ夫の帰宅を告げられたライラは、エルバスを出迎えにいそいそと玄関ホールへ移動した。
「お帰りなさい、あなた」
「おや、玄関まで出迎えとは珍しい。――・・・何かあったのかい?」
「ふふ、まぁね。
(……子どもたちに内緒で話があるの。後でお時間頂けるかしら?)」
小声でこそっと耳打ちする。
「内緒で、ね。…分かった。とりあえず夕食にしよう。子どもたちが待っているだろう?」
エルバスは外套と帽子を執事に預けると、妻を食堂までエスコートして行った。
―――ライラは夫婦の寝室で静かに夫を待っていた。
程無く執務を終えたエルバスが妻の元へやってきて「今日もよく働いたよ」と脱力する。
「で、話しとはどっちのかな?」
「ナターシャよ」
夫は興味深そうにきらりと目を光らせる。
ライラはエルバスに今日の昼間の出来事をとつとつと語りだした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
庭へ出ていた娘たちが仲睦まじく手を繋いで戻ってきた。まるで仲の良い姉妹のよう。行きはシルビアちゃんがリードしていたのに、今は娘――ナターシャ――が彼女を従えているようだった。
…そして娘の頭は物理的な意味で花畑となっていた……。
(この短時間で我が子に何があったのかしら?)
興味深く子どもたちに視線を向ける。
「わたくしたち、のどがかわいたの。ジュースをくださる?」
「お母様、私たちとっても仲良くなりました!!」
お互いにバラバラの言動をとりながら、手はしっかり繋いだまま。仲良くなったのは本当みたいね。
二人仲良く並んで座ると、出されたジュースを飲み始めた。シルビアちゃんは娘と一緒の行動が嬉しくて堪らないようで、チラチラナターシャを見ては締まりの無い顔で笑っている。ナターシャはそれを妹を愛でる姉のような顔で眺めていた。…本当に同じ年なのかしらこの子たち。
そうして人心地着くと、娘が何やらネルベネス夫人に話しかけた。
「イリーニャ様、無礼を承知で申し上げます。
短い時間ではありますが、シルビア様と共にいて感じた事があるのです。
…これから先のシルビア様にとってとても大切な事なので、これから私の言うお願いを聞いていただけませんでしょうか?」
「シルビアにとって?あら、なぁに?」
「はい。……シルビア様の傍付きの者たちをこの場に呼んで欲しいのです。」
「――何か粗相がございまして?」
イリーニャが厳しい女主人の顔になる。それに怯むこと無くやんわりと娘は続けた。
「いいえ。ですが、お友達のシルビア様の為にどうしても言っておきたい事がございます。」
イリーニャの瞳が面白そうに煌めいた。私も娘の意図が解らず流れに任せている。息子はそんな妹に何かを感じとったのか、楽しそうに観劇の構えだ。
程無くしてサロンにシルビアちゃんの傍仕えたちが整列させられた。彼らは皆、突然のことに所在なさ気にしている。
ナターシャは「そんなに時間は取らせないから」と、「手すきの使用人がいれば声の届く所にいて欲しい」などと言っている。
私は娘の奇行に多少焦って、イリーニャ様に近寄りこっそり謝罪すると、彼女は「面白そうだから気にしないで」と突如起こった娯楽に乗り気だ。
―――ひとり乗り遅れたシルビアちゃんだけがぽかんとしていた。
ある程度の人数が集まったところで「まず最初に」と娘が切り出した。
「イリーニャ様、突然不躾に申し訳ありません。
ですが、これから私が申し上げる事は子どもの戯言でございます。
公式の抗議ではなく、決して『ネルベネス公爵家』を批判するものでもなく、使用人の方々の解雇要求などでもないことをご承知おきくださいますか?」
「ふふ、良いでしょう。私は4つの子どもの戯言を真に受けるような真似はいたしませんわ。」
「ありがとうございます、イリーニャ様。
…私は本日シルビア様にお会いして、彼女がとても素直で優しい素敵なご令嬢であることを確信いたしました。
これからも彼女とお友達として良き関係を続けていきたいと思いましたわ。
ですから、普段の彼女についてよく知るあなた方に幾つか質問したいと思いましたの。
直答を許しますので、正直に答えて頂戴。」
「……なにをお答えすればよろしいのでしょうか?」
早速侍女頭のような年嵩の娘がおずおず問うてきた。
我が意を得たりとナターシャがにっこり笑って頷く。
「シルビア様は普段から大変天真爛漫な振舞いのようですね。」
「……はぁ。」
「私もですが、まだ4つですもの。感情のままに突っ走るなんてことしょっちゅうですわ。
その際、どなたがシルビア様をお止めしているの?」
「お嬢様をお止するなどめっそうもございません!!
私どもは、お嬢様の身の回りに不便がないよう尽し、ご希望を叶えるのが仕事でございます。」
「…先程シルビア様は私との意見の行き違いから、『無礼者、私を誰だと思っているの』とおっしゃいましたわ。普段からこのような事を彼女は言っているの?」
「当然でございます。お嬢様は公爵家の大切な姫様でございます。宰相位のお父君をもつ尊いお方です。」
至極当然と言い切った侍女頭(仮)。
それに対し幼女とは思えない凄絶な笑みを湛えるナターシャ。
「なるほどよく解りました。
身分とは面倒なものですね。傍若無人な幼子の振る舞いまでよく分からない賞賛にされてしまうなんて。」
「ナターシャさん、どういうことなの?」
イリーニャ様が小首をかしげる。
「ええ、それを今からご説明いたしますわ」
ひとつ深呼吸をして間を開けたナターシャが整列した傍仕えたちの顔を一瞥して……
「良いですか!耳の穴かっぽじってよ~くお聴きなさい!!
子どもとは分別の無いものなのです!!それを大人が諫めず導かずなんとするのですか!!!!
それとも、この国の宰相職にあるネルベネスご夫妻が子どもの癇癪を鵜呑みにして我が儘を全て聞き入れるとでも?真面目に働いている者が「気に入らない」という理由で解雇されるとでも?
己の主人たちを愚弄するおつもり?
あなたたちに誇りがあるのなら、もっと毅然と己の職分を全うなさいませ。へりくだるだけのものなど、この子の教育上必要ありません!!
この子が権力を笠に着て振りかざす事が当然というならば、それは偏に周囲がそう教育しているに他ならないのです!!!!」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
―――齢4つの子どもが頑と言い放ったのである。
「…それは……凄いな……」
苦笑混じりに夫が呟いた。
「本当に。大人びた子だと思っていたけれど、まさかここまでとは思いませんでした。」
「ネルべネス夫人は気分を害したのではないかい?」
「それが全然…むしろ大層感激されて。」
私はあの時のイリーニャ様の剣幕を思い出す。
「ありがとうナターシャさん!!あなたみたいな子が娘のお友達となってくれて母としてとても嬉しいわ。
ネルベネス家は貴女の味方でありましょう。これからも娘と仲良くしてあげてね」
ナターシャの手を取ってぶんぶん上下に振っていた。
「そうか…それは何とも、…だな。」
「ええ……。これで間違いなくあの子に例の話がきますわよ。」
「今更並の令嬢のように落ち着いてはくれない、か…。」
「よりにもよってイリーニャ様の前で盛大にやらかしましたからねぇ…。」
複雑な心境で私たちは娘を思いやる。
このまま進めば娘の将来は波乱となるだろう。それが判っていて、送り出さねばならないのだ。
「そうだな…。
―――では、ナターシャの5歳のパーティーは盛大に祝うとしよう。」
「かしこまりまして。旦那様。」
これから出来る限りの自衛と処世をあの子に叩き込まなければ。
明日からの予定を頭の中で組みたてながら、母として娘を出来る限り支えていこうと決意を新たに込めた。