門戸を叩く
ここはダンデハイム領北方のノーサル家本邸。
ナターシャがユーリを調べている同刻、本人の知らぬ裏側で別の物語が進行していた。
「――さて、我が家に何用かな?小さなお嬢さん」
人好きのする微笑で問いかけた先には、応接セットにちょこんと腰掛けた少女。みすぼらしい身なりから然程裕福で無い平民の子であるのが判る。
突然不躾に現れたこの少女がこうして男爵邸で当主自ら対応されているなんて常識ではありえない。
だが、少女から提示されたあるものがその非常識を生み出していた。
「偉い人にこれを渡せば願いが叶うと聴いたわ」
門番にも提示されたそれにより、子どもの戯言では無く『要取次案件』としてノーサル男爵の元へ話が来たのである。
そのあるものとは、とある封蝋の押された封筒であった。
男爵も門番も見覚えのあるその封蝋は、この地を治める総領主の娘のもの。
そう、以前この北の地の救済に現れた一人―――……
……―――ナターシャ・ダンデハイム
彼のご令嬢の個人印――勿忘草をモチーフに作られた青い封蝋印――であった。
それは過去にナターシャ自らハンナに渡され、そして彼女の息子であるミケルが王都へ転居する為の移動馬車の休憩中に出会った少女に渡したもの。
「そうかい。……それで、君の願いとは?」
キラリと少女の瞳に強い意志の炎が灯る。そして挑む様に高らかに宣言した。
「私の願いは知識!貴族学園に入学できるだけの学力よっ!!」
そう勝ち気に言われて男爵は眉間に皺を寄せる。
やや色褪せた未開封の手紙の中身にはこう記してあったのだ。
『この手紙を持って来た者の要望には身分を問わず最大限融通する事をダンデハイムの名の下に命ずる』
ノーサル男爵は隠すことなく盛大な溜め息を吐いた。
「良かろう。…まずは詳しく話をきかせてくれるかい?」
そう言われた少女は目を輝かせた!
(凄いっ!本当に魔法の手紙なんだっ!!)
実は牢屋に入れられる事も危惧していたのだ。自分の非常識さは自覚していた。でも少女は藁にも縋る思いで行動に移したのである。その結果、少女はチャンスを掴んだ。
凡庸なようで良く見れば整った作りの顔、身なりこそ薄汚れているが、才気を感じる瞳の光と緩くウェーブのかかったボブの銀髪は目を引くものがある。
この少女の名は『ステラ』
ナターシャがサポートする主人公であり、うちの子筆頭の少女。
―――ついに運命は動き始めたのである。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
私は自室のベットに仰向けになった状態でお行儀悪く師匠からの報告書に目を通していた。
「……はぁ~、成程ねぇ………」
そこにはサリュフェル家の家系図や成り立ち、現在の国の中での立ち位置など詳細に記されたもので、この短時間でよく調べられたものだと相変わらずの仕事の速さに舌を巻くものだったのだが……
「うんっ!全っ然わからんっ!!」
数枚の資料全てに目を通した私は空中高く紙片を放った。
「ん?不備があったなら調べ直すぞ?」
腰を90度折り曲げて、ソウガが私を覗きこんできた。それに不要と首を振る。
「この資料に質問はないわ。ユーリはやっぱり男の子だと分かったしね」
じゃあ何が?と訝し気な顔の師匠をグイっと押しやり私は上体を起こした。ついでにぐぐっと腕を上げて背伸びする。
「判らないのは今のあの子の心情だもの……」
見えない物を考えても仕方が無いし、かと言って変にトラウマスイッチを踏むのも避けたい。ユーリとの距離感をどうするか決められずにいた。
(……先入観で行動するのは危険よねぇ)
と、私の思考を邪魔するように師匠が爆弾を落とした。
「あ、そういえば。害は無いから放置させたんだが、サリュフェル家から放たれた密偵が暫く不定期にうろついていた時期があったぞ~。どうも姫さんの事調べてたみたいだけどなぁ……」
道端に雑草が生えてましたくらいの気安さで何でもないように放たれたソウガの言葉に衝撃が走る。ええもう、味方だと思っていた者に不意打ちで後ろ頭を鈍器で殴られたくらいの衝撃ですよ!
「そんな報告聞いてないんですけどっ!」
私は思わず師匠の胸倉に掴みかかった。
ソウガはそれを何でもない事の様に、通常営業でへらりと宣う。
「だ~か~ら~、姫さんに害は無さそうだから放置されてたんだって。密偵っつっても完全に素人なんだもんよ~。あんなのに情報漏らす程ウチの連中は頭花畑じゃないぞ~?」
ヘラヘラ笑う師匠に脱力してしまう。そりゃあウチの隠密部隊が優秀なのは存じていますとも!
――と、私は一つの疑念を抱いた。
恐る恐るソウガに問いかける。
「……ねぇ、師匠。もしかして、サリュフェル家以外にも私の知らないそういう案件ってあったりするの?」
上目遣いに問えば、ニンマリとほくそ笑む師匠の小憎らしい顔があった。
「情報の取捨選択の最上権はエルバスにあるからな」
私は今度こそガックリと床に両手両膝をついたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「用意は出来たか?」
ノーサル男爵は信頼している家令に確認をとった。恙なくと恭しく頭を垂れる家令に一つ頷く。
所詮主命に逆らう事など家臣には出来ない相談なのだ。証拠を持った者が何者であろうと、それを突っぱねる気は更々無かった。
だが、事実確認は別である。
「よし。あのステラとかいう少女の身元確認がナターシャ様より取れ次第、行動に移すとしよう」
馬鹿な伯父によって散々な四半世紀を送った身である。慎重さと実力主義推奨の精神を養われたノーサル男爵は、騒動の少女の主張を聞いて思う所が出来たのだ。
曰く、少女の主張とはこのようなものだった。
・意欲のある平民に開かれている学問への門戸があまりにも狭すぎる
・女であっても世に貢献したいという思いはあるのに、それを為せる風潮が無い
・自身は『武』では無く『文』の力でクロムアーデル王国に貢献したいと思っている。その為には然るべき学を修めなければならないのだが、下級庶民の子ども――しかも女である身――では誰も取り合ってくれない。
―――だからこの『魔法の手紙』に願ったのだと。
(魔法の手紙とはよく言ったものだな)
確かに何も持たぬ少女にとっては魔法そのものだろう。あの手紙にはそれを為せるだけの権力が込められているのだから。
さてどうしたものかと男爵は安楽椅子に身を沈める。聞けばステラはなけなしの小遣いを使って北のスラムに近い場所から我が屋敷まで二日かけてきたらしい。10歳の少女が野宿しながらである。凍える季節では無いといえ、あまりにも無謀な冒険譚に追い返す事も出来ず、現在保護する形で屋敷に留め置いている。
女の身で国の中枢に影響を齎すならば上位貴族であることが必須である。それは努力でどうなるものでは無い。一部の特権階級だけが与えられる栄誉。それ故更迭された伯父のような勘違い野郎は後を絶たない。
だから彼は少女が熱っぽく語った夢――女の身であっても『文』の力で国に貢献したい――という熱量に少し胸を撃たれたのである。
実際、国の中枢で活躍している才媛は少なからずいる。
だがその全ては貴族学園を出ており、成程少女が『貴族学園』の名を出したのも頷けるのだ。それがこの世の常識なのだから。
己の育てた少女が後にあの聖女の役に立つなら……。
荒廃しきった北の地に救いの手を差し伸べ、民に慈愛と立ち上がる術を与えてくれた少女――ナターシャ・ダンデハイム――は、度重なる復興支援に自ら足を運び、弱った民を励まし続けた。故に、北の領民からは密かに聖女と呼ばれているのだ。
だからノーサル男爵も一瞬夢見てしまったのだ。
忠義ある主家の身近に息のかかったものが侍る栄誉を。
王都を拠点にしているダンデハイム家からの返信にはまだ幾日かかかる。
暫く眠れぬ夜が続きそうだと、男爵は空を仰いだ。




