ないしょの約束。
ふ、と目を覚ました。
感じたのは喉の渇き。遅れて空腹を感じ、乾いた汗の不快感に顔を顰めた。
「…姫さん、気分はどうだ?」
「……汗べたべたで気持ち悪い。」
傍らで覗き込んでくるソウガに正直に答えれば「風呂沸いてるぞ」という言葉と共に水の入った湯呑を渡された。
まったく。痒い所に手が届く介護っぷりだ。
私は礼を言ってありがたく手渡された水を飲み干した。一気に飲みきると存外に乾いていた事を自覚した。
師匠がすかさず水差しから追加を注いでくれる。素直にもう一杯頂いて漸く落ち着いた。
「とりあえず風呂入ってこいよ。…その後で爺ぃから話があるらしい。」
承諾するより早く「ぐ~~」っとお腹が返事をしてしまい思わず顔が赤くなる。
くっくと笑った師匠が、「飯の用意も出来てるからな」と頭をぽんぽん撫でた。…くぅ。何か屈辱だわ。
羞恥を誤魔化す為に師匠に八つ当たりしたくなったがぐっと堪え、これ以上藪蛇が飛び出す前に私はさっさと汗を流しに部屋から逃げ出した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「はぁうううう~。生き返る~~~~~~~!」
湯船に肩まで沈み、感嘆の息を吐いた。…お湯に疲れが溶けていくようだ。
それにしても。昼間のあの感覚は何だったのか。瞳を閉じれば思い出せるのに再現する事ができない。
(すっごい沢山の感覚が巡る感じ。五感が強化されたみたいな…)
何と言ったら良いんだろう…?パソコンのCPUスペックがぐぐんと上がって、演算が同時並行で沢山処理出来るみたいな感じ?ついでに比例してメモリ量も増えて、情報保存し放題…みたいな?
何で今まで解んなかったのかなってくらい、情報がクリアに流れて答えに帰結する。万物を支配したような感覚に背筋が震えた。
(…のぼせる前にあがろ。)
いくら考えこんだって、未知の感覚過ぎてどうしていいか分からない。
―――ぐうぅぅぅぅぅ
盛大な腹の虫の抗議に空腹を思い出した。そういえば朝食べたきりだもん。
(うん。腹が減っては戦は出来ぬ。まずは腹ごなしだ!今日のご飯は何だろ…ていうか、今何時だ!?)
外が暗いから夜だと仮定して、流石にまた丸一日寝こけたとかは止めて欲しい。
ザバッと湯船から身体を持ち上げ、いそいそと身支度を済ませると、食卓へと急いだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
夕食を囲み、確認したところまだ夜は明けていないようだった。良かった~。どうやら師匠に反撃したあと気を失うように眠って、丁度夕餉の支度が整った辺りで目が覚めたようだ。腹の虫の正確さよ…。
「さてナターシャよ。今朝方暫く竹林で運動すると言ったがの、あれやっぱ無しで。」
「はい?」
筍の煮つけを頬張りながらサラッと言われたライメイのセリフに脊髄反射で突っ込んでしまった。
「ソウガの報告を聞いたが、どうやらもう必要なさそうじゃからのう。明日には親元へ帰るがええ。」
「はいぃ!!?」
空いた口が塞がらない。…そもそも稽古らしい稽古をつけられた記憶がない!詐欺だっ!!?
「ここからなら尾行される心配もないから普通に帰って大丈夫だぜ。姫さん、今度はむりやり眠らせたりしないから安心してな!」
「いや、そういう心配をしているのではなくて!!」
箸を置いて固まった私の様子に勘違いした師匠が見当違いな事を言っている。や、気づいたら二日も寝てたとか心臓に悪いから確かに嫌だけれども。
「ねぇ、ライ爺…それは……昼間の不思議な感覚のせいってことなの?」
「ほぅ…?…不思議な感覚とはどんなものかの?」
「…上手く説明できないけど……」
私は拙い言葉を駆使して昼間の不思議現象を説明した。その要領を得ない話をライ爺は目を細めながら何度も頷いて聴いてくれる。…話し終えれば嬉しそうにふぉっふぉと笑った。
「そうかそうか。やはりのう。…ナターシャや、今しばらくその話は我らだけの秘密にしておくれ。いずれ時が来ればその話もしてやろう。…じゃが今はその時じゃない。ソウガの言う事を聞いて、指示があればまたここに来るとええ。次に来た時にはもう少し違った話もしてやれようて。」
ライ爺は何かを知っているようだが、どうやら今教えてくれる事はないらしい。何だかとっても気になるけど大人しく我慢した。
「解ったよライ爺……」
「そうしょげる事も無いぞい。物事の流れには適切な時機があるのじゃ。お前さんはまだちと幼い。儂との縁は結ばれ、そう簡単には切れぬじゃろう。これから嫌でも覚える事がある。その時を楽しみにしていなさい。」
しわがれた固い手の平が優しく私の頭を撫でてくれた。
私の身に何が起こっているのか私自身は解らないけれど、保留の案件なら仕方あるまい。そう思えば不思議と心の棚に不完全燃焼のもやもやは仕舞われていった。
私の表情の変化を読み取ったライ爺が「良い子じゃのぅ」とにこにこすれば、何故か師匠がどや顔で頷いていた。
「さて。お前さんが帰る前に大事な話がある。…儂はの、訳あって世間から身を隠しておる。儂の居場所を知り繋ぎを取れるのはそ奴だけなんじゃ。残念ながらお前さんにもまだ知られる訳にはいかない。じゃから、明日此処から帰る時はソウガが良いと言うまで目隠しをしてもらう。そして儂と連絡を取りたい時はそ奴に頼みなさい。必要があればソウガが連れてくるだろうし、儂が赴くやもしれぬ。」
「…隠者なのに、外に出られるの?」
「なぁに、特定の場所なら隠れて行動することなど容易いもんじゃ。ま、頻繁にとは行かぬがの♪」
お茶目にウインクした爺様。
流石大師匠。信憑性が半端ないです!
そうして翌日、私は和食と泣く泣く別れ、師匠に大人しく抱えられた。目隠しされたまでは良かったのだが、その後師匠の本気の早駆けを見舞われ前後不覚に陥る事になる。
…こんなことなら帰りも眠らされた方が良かったと、立ち寄った先の宿で酷い酔いと一晩中格闘したのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
自宅の執務室で今日も遅くまで待ち続けていたエルバスは、漸く待ち人の来報を受けた。
「……帰ったか。」
「ああ、ただいま。…やっぱり爺ぃの勘が当たっちまったみたいだ。」
「…そうか………やはり、分かるものなのだろうな…」
「恐らく、な…」
言ってソウガが肩をすくめた。
私は堪えきれず重たい息を吐く。ダンデハイムの血筋である以上、いずれ誰かは選ばれたのだ。
「それで、御大は何と?」
「まだ時機じゃないとだけ。ただ、今後あらゆる面で姫さんをバックアップするって意気込んでたぜ…。」
「それは…心強いと言っていいものか……」
「間違いなく面倒なだけだろ」
顰めつらのソウガがぼそりと吐き捨てた。
「それでナターシャに今回はどこまで話したのだ?」
「まだ何にも。それについても時期尚早だとよ。」
ふむ、そうなると今回は本当に様子見したかっただけなのだろう。しかしそこで才能を見出されてしまったと、そういうことらしい。
「…娘は?」
「部屋で寝てる。やっぱ相当負担がかかるみてぇ。…一瞬開いただけなんだけどな。」
「まさか!?」
「そのまさか。いや~、俺も目の前でみてたけど驚いたぜ!」
「ならばほぼ決まりか。…陛下は好きにしていいと仰られたが、これは今一度報告せねばなるまい。……ソウガ、ナターシャの事頼んだぞ。」
「御意」
丁寧に頭を下げたソウガが消えた。
私は明日の登城に備え、先ぶれ用の文を用意すべくペンをとったのだった。
エルバスの受難は続く。




