世界のかたち
――翌朝。
朝ごはんをしっかり食べ、軽く屋内の掃除を済ませると、ライメイの指示で庵の外に出た。
サヤサヤと風に揺れる竹の葉連れの隙間から、淡く木漏れ日が煌いている。清々しい空気を胸いっぱい深呼吸した。
「さて、ナターシャよ。今日から暫くこの竹林で運動じゃ」
「…運動?」
ライメイの言葉を鸚鵡返しにした所で何かが頬を掠めた。
――ぺしゃ。
足もとに落ちたのは布を丸く絞った玉のようなもの。ひょいと拾い上げると、私の結んだ手の中にすっぽり収まるくらいの小さなお手玉…?
首を傾げるとどこからか飛んできたお手玉が私の背中にぶつかった。
思わず後ろを振り返る。
また別方向から今度はライメイ目掛けて複数飛んできたお手玉を、ライ爺はひょひょいと避け、更に飛んできた最後の一つを見事キャッチすると、そのまま大きく振りかぶって凄い速さで遠くへ投げやった。
「痛ってぇぇぇぇぇぇ!!」
ガサガサという音と共に落ちてきた師匠。その手の中に沢山のお手玉。
おでこをさするソウガを――先ほどライメイが投げた玉が中ったのだろう。額にちょうどその位の赤いスタンプが出来ていた――私は唖然と見つめるばかり。
「…と、まあこんな感じじゃ。ソウガがこうやって四方八方からこの玉を投げてくるでの。ナターシャはそれをずっと避け続けること。出来るならば儂がやったみたく反撃してもいいぞい。但し使うのはこの玉のみじゃ。頑張ってソウガを見つけてみぃ♪」
「…俺はこの修行中、仕事と同じく気配は出さない。姫さん、しっかり集中しないと集中砲火だからな!」
「時間は夕飯の支度前まで。因みにこの玉はこやつに100個持たせておる。最後はきっちり拾い集めて数通り戻してもらうから、逃げるだけじゃあ困ってしまうぞ」
「ええええっ!!!!」
「安心せい♪ちゃんと範囲は定めておる。境界四方にロープを張ったから、その外には出んように。」
「それで安心できるわけがないっ!!」
ライ爺を両腕でガクガク揺すぶってみたが、大師匠はふぉっふぉと楽しそうに笑うだけだ。
―――斯くして『どき☆死角から放たれる玉よけゲーム』がスタートした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
(あ~…、もう…、……何個目ぇ!!)
ビシバシ己に着弾し続けるお手玉に涙目だった。――別段痛いということはないのだけれど…――何とか一個避けられたと思えば次の瞬間には別方向から投げられた玉が身体に中っている。
適度に緩急をつけて放たれるお手玉に完全に翻弄されていた。
太陽は中点を過ぎ、照りつける日差しは強さを増しているはずなのに、背の高い竹に覆われた林の中は陽光が散らされて上手く方向が掴めない。
(ダメだ!まずはこのエリアをイメージ出来なきゃ!)
闇雲に立ち回っても勝ち目はない。考えろ、私!!……―――そうだっ!!!
私は庵を目印に、とりあえず正面に向かってまっすぐに駆けだした。――その間も身体に玉は中り続けていたけれど、まずは目の前の事だけに集中する――やがて境界線に辿り着くと、私はその場所にリボンを結び、そこから時計回りにロープをひたすら辿った。ぐるりと一周して戻ってきて、四隅までの歩数の感覚を使い空間イメージを作る。そうして自分の現在地をその中に置いた。
――ヒュン。
飛んできたお手玉の逆方向を辿り、師匠の大体の位置を決める。出来るだけロープを背にして、師匠の位置が特定できるように工夫した。
その内、段々と玉を避けられる回数が増えてきた。
お手玉の風切り音が聴こえる。避ける、失敗。次手の予測をして身体を捌く、失敗。…今だっ!!今度は避けられた。成功例を増やせ、ブラッシュアップするんだ!
没頭していく私の頭はよりクリアにどんどん冷えていき、何だか周囲がスローモーションになっていく―――――……
(…こんな事が前にもあった気がする。)
やけにゆっくり向かってくる玉と対峙しながら記憶を手繰り寄せていくと、思いだしたのは自身の最期の刻である。
(…あの時も一瞬がとてもゆっくりに感じて、)
ぶつかる間際、一歩踏み出し玉を避ける。
(色んな情報が飛び込んできたっけ…。)
踏みしめた片足を支点に前転すると、すぐ後ろの地面にボスッと鈍い音が聴こえた。
――ナターシャはこの瞬間、今際の際の極限状態と同等の集中力にまで精神が研ぎ澄まされていた。
一秒に満たない僅かな時間で、昨日までの日々がまるで走馬灯のように駆け抜けていく。
――…畳の匂い、簾越しの優しい日の光、吹き抜ける風の涼しさ。風鈴が揺れて繊細な音を鳴らす、草むらの小さな虫の息遣い。煮立つ釜湯、爆ぜる火の粉、土間を踏む自身の足の裏の感触、師匠が通り過ぎる空気の揺れ…。竹箒で掃いた先から匂い立つ土の香り、笹の葉はサラサラ囁く。ライメイが扇子で扇げば風が生まれ、汗をかいた冷たい麦茶の入った湯呑の肌から滴がつぅっと重力に従って流れ落ちた……――
事細かな世界の情報が五感を振るわせて流れ込んでくる。その膨大な情報の奔流を、自然の川が流れていくようにあるがまま…流れ、繋がり、…己が中にその支流が生まれた。
――ナターシャの視界に違和感が映った。ほんの一瞬、暗い地面に影が過ったのだ。空気が鋭く切り裂かれていく、終着点に自分。その原因を最小限の動作でかわし、足下に沢山散らばったお手玉を一つ拾い上げた。耳が拾うかすかな竹の軋む音、肌で感じた空気の圧迫感の先へ手の中の玉を投げた。
――パシン
嬉しそうに片手でお手玉をキャッチした師匠と視線が合わさった処で、私は全身の力が抜けおち、その場にへたり込んだ。
…時間が一気に動き始める。
全身の毛穴から汗が吹き出し、呼吸が上手く出来ない。
近づいてきた師匠をただぼんやりと視線だけで見上げれば――身体は弛緩して全く言う事をきいてくれない――思いっきり頭をぐしゃぐしゃにかき回された。
破顔したソウガがナターシャの小脇に手を差し入れヒョイと抱きあげた。まだ息の整わない私の頭を優しく何度も撫でていく。師匠の掌の心地よい温みにとろんと瞼が落ちてきた。
「…よく頑張ったな、姫さん。今日はここまでだ。片付けは俺がやっておくから、ちょっと眠ると良い。」
穏やかに微笑む師匠に返事も出来ぬまま、私はまどろみに溶けてしまった―――。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
―――ソウガの腕の中で安心しきって眠る少女の頬を優しく撫でる。動き回ったのと極致まで高められた集中力からくる疲労で噴き出した汗がナターシャの前髪をおでこに貼り付けていた。それをそぅっと横に流してやる。濡らした手ぬぐいを片手で絞って、少女の顔を軽く拭ってやった。
「マジで期待以上だよ。俺をこんなに喜ばせてどうするつもりだ?姫さん……」
すよすよと深い眠りに落ちたお姫様から返事があるはずも無く、ナターシャの額に自分の額を合わせてソウガは笑み崩れた。
この気持ちを何といえば良いのか……?
主への敬愛?娘への父性愛?戦友への親愛?はたまた師弟愛?……いやどれも違う。そんな説明できる感情じゃない。――まして恋愛感情などという俗っぽいものではないと断言できる。
気付けば本能で惹き付けられる。魂が否応なしに魅せられる。傍で護り、慈しみたい。羽ばたく望みを支えてやりたい。
腕の中に納まってしまうあどけなく小さな主。その更なる成長に心が震えた。間近で見守れる幸運に気持ちが高ぶって仕方がない。
「でも……あんまり早く大人になってくれるなよ。」
その反面、お役御免になる日を恐れている自分がいる。
だけど。
開花し始めた少女の才能が大輪の華を咲かせ、主の望む未来へと付き従う役目を誰にも譲る気はない。その為の協力は惜しまないし、主を蝕む万難も排してみせよう。
この先も自由に飛び回る少女を遮る物のないように。
その傍らで、見守り続けられるように……。
ナターシャに新旧隠密頭領のセコムが付きました。




