領主のお仕事
―――時は少し遡る。
ナターシャ一行は無事にダンデハイム領に到着していた。
「兄様失礼します。」
領邸の執務室。兄様の悲痛な叫びが木霊した。
「父上…視察以外にこんな仕事があるなんて聞いていません!」
ナハトが青い顔で机に突っ伏す。「ゴンッ」とすっごく痛そうな音がしたけど大丈夫?兄様……
屋敷に到着したその日、家令のセドルから執務室へ行くよう指示された私たちは、執務机の上に積み重なった大量の書類と、その表紙に置かれた『課題だよ、ナハト』という父様の字で書かれたメモと対面した。
とりあえずその書類束の上から二三枚を斜め読みしたナハトが盛大な溜め息を吐く。
旅疲れもあるので、課題については明日また向き合うことにして、この日は各々休息をとる事にした。
翌日、朝食を終えた後執務室に移動した兄様たちは改めて書類と向き合った。
一先ず上から順番に書類を読み始めたナハト。読み終わる毎にラルフにその紙を渡し、その内二人で何やら相談を始めた。徐々に没頭していく兄達の姿を見て、私は二人を邪魔をせぬようそっと執務室を後にする。
そうして頃合いを見て、休憩を提案しに戻ってきた。
「兄様、ラルフ、軽食にサンドイッチ持ってきたからちょっと休憩しようよ。甘いものもあるよ!」
応接テーブルにそれらを乗せたトレイを置き、二人に声をかけた。
ノロノロ腰を浮かした兄たちが疲労の色も隠さず、応接セットのソファーに崩れ落ちる。「お疲れ様」
と労いながら、私は丁度蒸されたミントティーを二人に差し出した。
「中々有意義な休みになりそうじゃないか」
ラルフが喉を潤しながら零した言葉に兄様が噛み付いた。
「本当にねっ!!…父上め、わざと事前情報を与えなかったな……」
「試されているねぇ」
「いきなりハードルが高すぎる!何考えているんだ父上は…」
サンドイッチをパクパク頬張りながら二人はテンポよく会話していく。
共同生活ってこんなにも他人を近付けるものなんだなぁ…。私は息の合った二人の様子にすっかり感心していた。
「あの、兄様…。予定していた視察、私が行こうか?」
視界の先にはうず高く積まれた紙束。何だか前世を思い出して苦い笑いがこみ上げる。あの頃は色とりどりの付箋を貼った大量の紙とパソコンがお友達だったなぁ…。思わず遠い目。
私の提案に兄様が逡巡している。
いや、あの量の資料が一日二日で終わる訳がないじゃん。オーバーワークで死んじゃうよ?…ヤバい、笑えないぞ私。
「…そうだね。…うん。じゃあお願いしようかな。」
思考をまとめるようにゆっくりと兄様が私と目を合わせた。
「明日で構わないから、ケルティッシュ男爵の管理する北の街を見てきてくれるかい?ナターシャの目で見た素直な感想が聞きたいな。」
「それなら私もナターシャに随行しよう!」
「お前は俺と留守番だっ!…強引についてきたんだから、精々役に立ってもらいますよ。ね、殿下?」
にぃっこり。兄様がラルフに笑いかける。その迫力にラルフが珍しく呑まれていた。
「あ、あぁ…。そうだな、…そうしよう」
ラルフの口元が引きつっている。私の背中にも冷や汗が伝った。…兄様が、…静かにキレている!!
「それにしても。ナターシャが入れたこのお茶は面白いね。」
先ほどまでの威圧をスッと消して、兄様が柔らかく笑んだ。
「あ、味はどうだった?前に手紙にも書いたけど、ミントティーって言うの。」
「この清涼感は癖になりそうだ。私は気に入ったよ」
「ああ、頭もスッキリしたかも」
ラルフの言葉にナハトが頷く。兄様たちの評判は上々のようだ。ハーブティーって好き嫌いが分かれるから、一応普通の紅茶も用意しておいたんだけど気にいって貰えたなら良かった。
「孤児院の子供たちと栽培しているんだろ?あのいい香りの石鹸には僕も驚いたよ!…宿舎に持って帰りたいくらいだ」
「それなら兄様用にいくつか用意しておくね!」
「ありがとう、ナターシャ。…それじゃあ人心地ついたし、また父上の課題と戦おうかな」
ナハトが大きく伸びをして私の頭をひと撫ですると、再び執務机に向かっていった。
「また後でお茶を入れてくれるかい?」
同様に私の頭を撫でたラルフのお願いに快く頷いて、空いた食器を手に退室した。
次に淹れるお茶はリラックス出来るものにしよう。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
自室に戻り人払いをして、私は窓から飛び出した。
初めて師匠に担がれて移動してから、毎年お世話になっているルートだ。
寝室の窓からすぐ隣の木の幹に飛び移り、外塀まで続く木の道をぴょんぴょん移動する。あっという間に外塀を飛び降りると、そこには馬を引いた師匠がいた。
「ミケルなら今日も広場に居たぞ~」
師匠がニカっと笑う。
流石師匠。ツーカーですな!
「師匠ありがとう!!んじゃ、ちょっと行ってきます!!!」
ここから街まで徒歩30分。馬を駆ればすぐだ。私はポニーテールをたなびかせ、颯爽と駆け出した。
「ダン兄ちゃん!!?」
子どもたちが集まる広場に着くと、すぐに私を見つけたミケルが駆け寄ってきた。ミケルも6歳になって、初対面の時と比べると随分しっかりしてきたなぁ。今や立派なお兄ちゃんとして小さい子の手を引いている。
私はミケルの頭をクシャっと撫でて笑った。
「久し振り、ミケル!元気だった?」
私の顔を見上げたミケルが破顔で応えてくれた。
「あれ、珍しい奴がいる…」
暫く子供たちと遊んでいたところ、不意に声をかけられた。
「あ、ジョン!久し振り!!」
「おー。…そっか、もうそんな季節かぁ…」
ジョンが感慨深げにしている。いや確かに毎年父様の視察に乗じて遊びに来ていたけど、風物詩扱いになってたの!?
ジョンは兄様たちと同じ13歳。すっかり一人前の働き手として家の手伝いをしているらしい。近況報告と世間話をしていたら、急にジョンの表情が曇った。
「そうだ、お前今回はどのくらいこの街にいるんだ?」
毎年の定型句だが、今回はその色が違う。どこか固いその声音に思わず質問で返してしまった。
「…何かあったの?」
チラリ。彼は広場の子供たちを見やって「ちょっと来い」と私の手を引いた。それに大人しく付き従っていく。
広場から少し離れた路地裏でジョンは漸く口を開いた。
「実はさ、最近この辺の治安が良くないんだ。…北の方から移住してくる奴らが増えてきてて。大人たちがピリピリしてる。」
「北から?」
「ああ。何でも税金の徴収が厳しくなったとかでかなり住みにくいんだと。出稼ぎにこっち来る奴も多いらしい。街道付近には盗賊まがいの連中も出たりするらしくてさ。お前、親父さんについていろいろ移動するんだろ?…気を付けろよ?」
ジョンは私を心配して注意してくれたらしい。相変わらず面倒見のいい良い奴だ。
「心配してくれてありがとう。…分かった。気を付けるよ。」
私の言葉に頷いて、ジョンは仕事へ戻っていった。配達の途中だったらしい。
まだ少し時間があるので広場に戻ると、今度はミケルが浮かない顔をしていた。私は彼が腰かけている木陰に近づいていく。
「ミケルどうかした?疲れたの?」
私はミケルの前に屈みこんで視線を合わせた。
ぼんやりしていたらしく、私の声にちょっと驚いて、目がばちっと合うと慌てて取り繕った。
「ダン兄ちゃん!?…ううん、何でも無いんだ」
「何でも無いようには見えないけど?」
暫く無言でミケルを見つめると、困った顔でポツリと呟いた。
「…僕のお母さんが、最近…辛そうなんだ」
そのままポツリ、ポツリとミケルが語り出す。
母のハンナさんは元々身体が弱く、病気がちではあったのだが、親子二人で生活するために必死で働いていた。彼女は運良く貴族の屋敷の女中として雇われていたため、二人暮らしには十分な給与を得ていたが決して楽な仕事では無い。無理をしては寝込むことも少なくなかったらしい。それでも折り合いを付けながら働いていた彼女の休みが昨年から急に減ったのだという。
「働き先の旦那様が、ずっと屋敷で遊んでいるんだって。それでやる事がいっぱいで、皆忙しいんだってお母さん言ってた。僕、お母さんに今日は休んでってお願いしたんだけど、皆頑張ってるのに私だけ休めないわって仕事に行っちゃって…。お母さん、顔色悪かったのに…。」
年下の子供たちに心配を掛けないよう気丈に振舞っていたみたいだけど、ふとした瞬間に母の事を思い出したらしい。
私はミケルを連れて市場へ向かい、精のつく惣菜や、疲労に効く薬茶などを購入しお土産に渡した。ハンナの様子を注意深く見るように言いつけておく。
嬉しそうに買い物袋を抱えたミケルを家まで送り届け、私も屋敷へと急ぎ帰った。




