それぞれの夜
「父様、お呼びと伺いましたが。ナターシャ、参りましたわ」
「ああ。…とりあえずかけなさい。」
「はい。」
屋敷に帰宅した父様に呼び出された私は、エルバスの執務室へと来ていた。
「さて、ナターシャ。お前に頼まれていた件だが、こちらの方でも準備は整った。
…そうだな、ナハトの帰省に合わせて行ってきなさい。但し、ナハトも連れて行くこと。」
「父様本当ですか!?ありがとうございますっ!!」
私は思わず立ち上がって向かいに座る父様に飛びついた!!
眦を緩めたエルバスが愛おしそうに頭を撫でてくれる。…優しい父の顔で、私を窘めた。
「お前は大分力をつけたようだけれど、それでも勝手に独りで行動していい理由にはならない。…肝に銘じておくんだよ?」
「はい父様。ちゃんと心得ておりますわ!それで~…またお願いしたい事があるのですけれど…」
私は上目づかいで父様を窺う。
「まったく…。すっかりおねだりが上手くなったね」
呆れ交じりのため息を吐きながら、父様に続きを促される。
私はにんまり笑って悪だくみを披露した。
「…はぁ、次から次へと頭の回る。私は教育を間違ったかな?」
「いいえ、父様の素晴らしい教育方針の賜物ですわ!」
にっこり笑って間髪無く言い切った。
「先駆けて行動するのは構わないが、最終的にはこちらの許可が必要になる。…根回し含めて少し時間がかかるから、逐一報告しなさい。早まるんじゃないよ?」
「かしこまりまして、父様。ご助力、感謝いたします。」
(うふふ、父様が味方になってくれるなら百人力だわ!部屋に戻ったら早速師匠と今後の予定を立てて…。兄様にも手紙のお返事を書かないとね。しっかりお願いしとかなきゃ!!
……そういえば、あの追伸の意味が分からなかったんだけど何だったんだろ?)
私は一先ず部屋に戻ると、ナハトへの返信を認め、寝支度を済ませた後、師匠を呼び出して明日以降の打ち合わせをした。どうやら暫くユージンさんも貸してもらえるらしい。父様への更なるお礼に、試作品の疲労軽減ハーブティーをソウガに託した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
親愛なるナハディウム兄様
先日は近況をありがとうございます。恙無くお過ごしの様で安心致しました。
ラドクリフ殿下は才溢れる尊きお方でございます。しっかりとお護りさしあげて下さいまし。
兄様だけが頼りでございます。
私の方はいつも一緒だった兄様がいなくて少々淋しい思いをしております。
クロード殿下やシルビア様とは相変わらず仲良くさせて頂いておりますが、私は随分と兄様に甘えていたのだと思い知らされました。
ハンカチのことですが、私の大切な兄様たちの為に何か餞別を用意したく認めたものでございます。
デザインが似てしまったのはご容赦下さい。私の好きな花なのです。
また、学生生活のお話を聞かせて頂くのを楽しみにしております。
どうぞご健勝でお過ごしくださいますよう。
愛をこめて
ナターシャ・ダンデハイム
追伸
遠乗りのお誘いが嬉しくて、早速父様から遠乗りの許可を頂きました。
私今度こそ自力で領地まで行ってみたいのです。お願いです兄様、一緒に行って下さいまし。
ナターシャは兄様が戻られるのを心待ちにしております。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「俺のナターシャが可愛すぎて辛い!!!!」
力み過ぎて便箋に皺が寄らないよう細心の注意を払いながら、勢いよく学習机に突っ伏した。
…俺は寄宿学校の自室で妹からの返信を読み終わったところだ。
そろそろ返事がくるかとソワソワし続けて、今日待望の郵便が届いたと管理人より受け取ったのち、何より先に封を開けたのである。そこには――今ではすっかり流麗になった――ナターシャの筆跡が踊っていた。
二度三度と何度も目を走らせ、十回目で俺の精神の限界が来た。ダメだ…ナターシャに会いたい!!
「どうしよう、長期休暇まで待てない。ちょっと実家に帰らせて頂きます。」
「真顔で何を言っている。抜け駆けを許すわけないだろう!!」
「嫡子である自分が憎いっ!!!」
「それには同感する。」
俺もラルフも学生生活にはこれといって不便していないが、早くもナターシャ不足が深刻だった。
「……いっそ王族権でナターシャを召喚するか…」
「そのロクデモナイ提案に心揺れる俺、落ち着け!!」
貴族の嫡男は13~15歳までを寄宿学校で過ごす事が国の義務として定められている。…そう嫡男が。
つまり約三年間、俺たちは野郎しかいないむさ苦しい空間で生きなければならない。
俺たちは今でこそまだ子どもらしい風体だが、卒業する頃には立派な青年になっているだろう。
現に最上級生たちはそのような出で立ちだ。正直むさくるしい。彼らは卒業後、さらに貴族学校に進むか、早々に家業を手伝う定めにある。
それにしても。……ここ最近の婚約者のいない――女日照りの――先輩達の眼がヤバい。
ラルフは非常に中性的な顔をしている。この学び舎においては少年の華奢さも相まって女性的と言っても過言では無かった。
兎に角目立つのだ。何につけても。
寮で暮らし始めてひと月程だが、日に日にラルフに付きまとおうとする輩、恋文の数が増えていた。
(だいだい恋文ってなんだよ!!?)
元々俺はラルフの世話をするために教育されてきたが、こんな面倒をみる羽目になるなんて聞いてない。
「もういっそ、王族の特権で飛び級してくれよ…」
辛労を多分に含んだ溜め息に乗せれば、隣の王子様が苦く笑った。
「それでは共同生活する意味がないだろう?」
そう、敢えて寄宿舎生活を王子にさせる本分がそこにあった。同年代と寝食を共にすることで、信頼できる人間を見繕い、派閥や人間関係の汚い部分も含めた対人のロールプレイングをしろ、と。…何せ本番では失敗など出来はしないのだから。
いや、理屈は分かっている。定められた自分のポジションにも納得しているし、ある程度の苦労だって予想、対策はしてきたのだ。
だけど……。
(まさか自分もセットで姫待遇されてるとか、家族に知られたら死のう……)
ナハトもまた華奢な美少年であり、ラルフと並ぶことで周りにとってはどれだけ麗しい美観になるかなど知る由も無かった訳で…。
寄宿学校始まって以来の二大プリンセス爆誕!!と、学徒たちは訳の分からない盛り上がりをみせていた。
「開始早々別の意味で身の危険を感じるとか…己の生まれを呪うよ……」
「周囲の反応など差して問題なかろう?大げさだよナハト。」
(生まれた時から注目され続けているあんたはそうでしょうよ!!)
ジト目で主を見つめる。この辺りの常識の違いは最早埋められない溝なので、コメントするだけ無駄だと学習していた。…何より王宮から一時的にでも解放されたこの王子は、ココでの生活を楽しんでいるのだ。
「さ、明日も早い。そろそろ寝よう。…あ、その手紙は明日見せてもらうよ?」
「お断りします!おやすみなさいませ、殿下!!」
さっさと手紙を――丁重に――引き出しにしまい、床に就く。
ナハトの受難の日々はまだ始まったばかり……
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
シルクのふんわりとした夜着に袖を通したシルビアは、最近の親友のつれなさに少々ご立腹であった。
「今日も王城には来なかったわ!」
ひとり呟いて、部屋のバルコニーへ出る。心地よい夜風が肌を撫でていった。
お母様――イリーニャ――が教えてくれたが、ここ最近ナターシャは母親と一緒に方々のお茶会に参加しているらしい。最低限の社交はこなせるようになったが、積極的にそういう場へ行く事に興味を持てないシルビアは――幾らナターシャと遊びたくても――イリーニャにせがんでお茶会に行こうとは思えなかった。
そしてその鬱憤を晴らすように毎日王城へと足を運び、クロードを捕まえて当たり散らす。
「クロも何だかナターシャの事気にしてたし……そうだ!!」
良い事思いついた!とシルビアはほくそ笑んだ。十中八九しょうもない名案だろうと分かっていても、侍女たちは壁と一体となって静かに主を眺めていた。
その様がとても楽しそうで嬉しそうで、はしゃぐお嬢様の姿は大変微笑ましい。
かつて幼い頃、腫れ物扱いされて、寂しさから癇癪をまき散らしていた気配など微塵も無い。
健やかに成長していく主に、安堵と喜びを感じ、また主と従者の良好な関係を齎してくれたシルビアの親友に感謝の念を飛ばす。
明日は忙しくなりそうだ。そう考えながら、興奮してきたシルビアを寝かしつけるため、侍女たちは各々の役割に散開していった。




