―――そして根付いたもの
ブクマ&評価、短編も応援して下さった皆様に感謝の舞を捧げます!!
―――ステラが帰り際に誘拐されかけた。
寝耳に水の凶報にミケルの目の前は真っ暗になった。
自分は昨日、仲間たちとの時間に浮かれて、気分良く帰ってきたというのに、その後で……?
「……どうして・・?」
知らず零れてしまった呟きをしっかりと拾ったハンナは息子の肩をそっと抱いた。
暫くのレオーネ休業と自宅待機を知らせたのは他ならぬ自身だ。
ナターシャ様に息子を慮って欲しいと休みまで与えられていた。
「……少し話をしましょうか?」
優しく息子を覗き込み肩を押すと、為すがまま動き始めたのでそのまま談話スペースまで誘導する。
ポスリと長椅子に座りこんだ息子のために共用キッチンでお茶の準備をしていると、心配してベルナンドとメアリーがやってきた。同席を求める二人に――以前の上司という気安さもあって――頷きながら連れ立つと、呆けた息子が微動だにしていない事に気づく。
大人三人が顔を合わせて眉尻を下げた事にミケルは気付かなかった。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆
コトリ。
大きいマグカップがローテーブルにぶつかる音でハッとしたミケルが顔を上げると、お母さんとベルナンドさんとメアリーさんが自分を覗き込んでいて目を瞠った。
「へ?」
間の抜けた疑問符と共に目線が合うと、目の前の大人たちが苦笑している。
パチパチと何度か目を瞬いて、漸く自分の居場所を思いだした。
「さぁミケル、どこまで覚えているのかしら?」
ハンナがミケル用のマグカップを手で示しながら隣に腰掛け、対面にベルナンドとメアリーが座る。
「えっと……お母さんがレオーネの休みとステラの事を教えてくれて……」
「良かった。ちゃんと話は覚えていてくれたみたいね」
自分用のマグカップを口に運んでゴクリと嚥下したハンナがそっとテーブルにカップを置いた。
「良い機会だからミケルとちゃんと話そうと思ってね。お母さんの話、聞いてくれる?」
自分が頷くとふわりと笑んだ母は「何から話そうかしら」と遠くを見やった。そのまま思考をまとめるようにゆっくりと声にしていく。
「ミケルは今までずっとお貴族様と近いところにいたから何となく避けてきてしまったけれど、あなたももう14歳ですもの。これから先を自分で考えて決めていかなくちゃね……」
そう言って困り笑いを浮かべた母がミケルの手を取る。そうしてとつとつと語り始めた。
「王都へ越してくる前の事、あなたはどの位覚えているかしら? ……お母さんはあの時、男爵様のお屋敷で働いていてね。その時のご主人様はあまり良い方ではなかったから、ミケルには偏見を持ってほしく無かったの。あなたの周りのお貴族様たちはお優しい人たちばかりだから……。でもね、そうでない方も決して少なくないわ。そういう怖いお貴族様たちとね、私たちみたいな下働きが上手に付き合うにはどうしたら良いか……わかる?」
窺う様に首を曲げた母の言葉に暫く思案するも、ミケルには全く見当もつかなくて力無く首を横に振った。それに落胆するでもなく淡々と頷く母に答えたのは対面のメアリーさんだった。
「知らないこと、無知でいる事。私たちが求められるのは、言われた事を忠実にこなす能力なのです。そこに私見を挟むことは許されません」
嘗ての侍女長が凛と示し、隣のベルナンドさんも深く頷く。
「通常、貴族と使用人とに人間的な交流はありえない。その位に隔たりがある。文字通り、住む世界が違うのだ。しかしここではそうではない。ミケルは求められるまま、自由に過ごす事が許されている。でも、それが当たり前だと思ってはいけないんだ」
「お貴族様はね、知られる事を何より恐れているの。正確な情報さえあれば攻撃も防御も思うがままに出来るから。知識とは力。だからこそ、自覚して揮わなければならないの」
母が繋いだ言葉にマル爺の言葉が重なる。
『知ることが身の危険に繋がる』
ぶるりと背筋が震えた。
「本来、無知で憐むべき対象である平民が力を持つ事を高貴な方々は望まれません。思うままに支配出来なくなるからです。私たちもそれを心得てお仕えするのです。でなければ、下賤の軽いわが身を護れない。明日を恙無く生きる為に、私たちはそういう関係でしかいられない……」
そう言ってメアリーさんが眩しそうに僕を眇め見た。
「我々は支配が身に沁みている。今更変える事は難しい。でもミケルは違う」
ベルナンドさんも同様に目を細めた。何だかお尻がむずむずしてくる。
「ミケルは知ることを許された。力を得る機会を与えられた。でもそれは荊の道よ。知らないまま、命じられるまま生きる事は責任も軽いし、平民の領分でだって十分に生きていける。ミケルが勉強することを反対したりはしないけど、知識を得てどうしたいのか、知った上で何を選ぶのか、これからはそれも含めて考えて頂戴?」
『権力を得るというのは生半なことじゃないって私、思い知った。それが私たちみたいな平民であるなら猶更反発されるし、され続ける。異端だから。それに抗うには強い気持ちしかないんだってのも気付いた。適当なそれっぽい言い訳並べたって還ってくるのは原点だもの』
斯くも現実とは重たいものなのか、またここへ戻ってきてしまった。
自室へ戻ってきたミケルはベッドに腰かけて溜息をついた。
理想の大人になる……夢を現実にする為には自分には戦う道しか残されていないらしい。
ごろりと背中から布団に倒れこむ。
(僕の原点……。抗うための強い気持ち……)
実際にステラは戦っているのだ。そこに降りかかる危険性も攫われかけた彼女が実証している。
好きだけじゃ乗り越えられない身分の壁。自覚するのが大人になるということ。
流れに逆らって進むのなら、それに耐えうる屈強な意思が必要なのだ。
―――――僕はどういう風に生きたい?
★☆★☆★☆★☆★☆★☆
数日後、眠れないほど悩み抜いた時間がバカバカしく思えるほど一瞬でその暗雲は晴らされた。
事件の収束と共に蟄居を解かれた仲間たちと再びレオーネで顔を合わせ、それぞれから事のあらましを聞いていた時だった。
「―――それでね、颯爽と現れたダンデが私を助けてくれたの!」
頬を上気させたステラが放った言葉で天啓が下った!
『…僕はダン。…君は?』
目の前に差し出された手。慕わしく細められた眼差しがサッと瞼の裏に甦る。
(そっか、僕はダン兄ちゃんみたいになりたいんだ……)
大人にも負けない聡明さ、危険から皆を護ってくれる強さ、主に一心に仕える高潔さ、そして周囲の幸福を何より喜ぶ心映え。
身近な人が笑うのは嬉しい。困っているなら助けたい。
そんな普通の事をさらっと体現している僕のヒーロー。
憧れのダン兄ちゃんに少しでも近けるから、知らない事を知りたい、人に親切でありたい、
(―――違う。―――ダン兄ちゃんと肩を並べてみたいんだ!)
彼の見ている景色は、世界は一体どういうものだろう。
僕はそれを知りたい。ダン兄ちゃんみたいに生きたい!
(だから僕は勉強する。僕の力は、皆を助けるために使うんだ!!)
医者になりたかったのも、執事も文官も、ミケルの周りの人たちがいつでも笑っていられるように、苦しくないように、悲しくない様にするため。
ナターシャを助ければお母さんは喜ぶしダン兄ちゃんも助かる。それはミケルにとって皆を助ける事と同義だ。
「ダン兄ちゃんのように颯爽と困ってる人へ手を差し出せる自分になりたい。だから僕はクロスネバー学園の特待生になるよ!」
はしゃぐステラに向かって唐突に告白したミケルがとても晴れやかに破顔した。
ミケルと一緒にうんうん唸った神那のこぼれ話的蛇足を
活動報告「ミケルについて」という記事の中に残しました。
これまでキャラ考察のような事はしてこなかったけれど、興味のある方は見てみてください^^;




