それは霞みか幻か
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ずっとロン視点です!
『ナターシャ・ダンデハイム』という個人を俺がきちんと認識したのはクロスネバー学園へ入ってからだ。
クロとシルヴィーの幼馴染でありダンデの仕える主。
そんな彼女はステラが特待生として学園へ通えるよう手引きをしていたり、ミケルの母親を侍女に持っていたり、レイの親父さんと仲が良くて、更にレイが執着しているご令嬢。
(こうして改めて思い返してみれば其処此処に『ナターシャ』の影はちらついているのに……)
子どもの頃ダンデと出会ってからずっと、殿下やシルヴィーとも長く付き合っているが、彼らを繋ぐ『ナターシャ』という存在を俺は不思議なくらい失念していた。
しかし貴族学園入学後、ナターシャ嬢と面識を得て以降は、その名を聞かぬ日は無いと言うほど誰かしらの口から彼女の名が発せられ、今更ながら彼女の存在の大きさを感じている。
俺と彼女は昼飯を食べる時くらいでしか接触は無いのに、至る所にナターシャ嬢は現れた。気づけば身近にいるか、姿は見えずとも誰かを通して彼女の息吹を感じるのだ。
重要な話には大体彼女が関わっていると、クロの傍に侍るようになってから知った。
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『全てはアーシェの手の内だったようだ。……――レオーネの周囲がキナ臭い事をアーシェはとっくに解っていたらしい。だから早々と護衛を手配したり、ラッセル商会を見張らせていたりと見守っていたそうなのだ』
クロード殿下の私室にてレオーネ関係者襲撃事件の顛末が語られた後、皆が解散して静かになったサロンで一人、ソファーに沈みこんだままのクロの背後に控えていた俺はふと、先ほどの彼の言葉を思い出した。
「……彼女は何者なんですか?」
前触れもなく話しかけられて驚きに肩を跳ねさせた殿下がこちらを振り仰ぐ。
返答を待ってじっとその顔を見ていると、何故か溜息をつかれた。……解せぬ。
「……はぁ、ロン。其方は寡黙なだけで、存外思考は豊かだと解ってきたが、私はアーシェの様に其方の心中を察する事は出来ぬのだ。一体何を思っての問いだ?」
言いながら対面へ座る様に促される。
護衛中であるため強く固辞したけれど、さっさと侍女たちに新しくお茶を用意させた主は侍女長に人払いを言いつけてしまった。
再び部屋内に静寂が訪れるとクロード殿下が王子の仮面を外す。
これも近侍としてクロと過ごす内に知った殿下の一面だった。――取り繕わないクロの顔つきに少し安堵を覚えながら、俺は観念してソファに腰かけた。
「それで、何の話だ?」
仕切り直したクロの言葉に俺は暫く胸に抱いていた疑問をぶつけた。
「ナターシャ・ダンデハイムはどのような令嬢なのですか?」
「どのようなも何も、頻繁に会っているではないか。ロンも珍しく、アーシェとはよく会話しているだろう?」
怪訝そうに首を傾げるクロに向けて、俺は黙って首を左右に振ってみせる。
「解らないんだ。……優しい女性なのだと思う。でも……底知れない不気味な霧に常に覆われているようで……」
正直に言えば『得体が知れない』だ。
しかしナターシャ嬢の事を唯一『アーシェ』と呼び慕うクロにそんな事は言えず濁してみたが、決して好い思いでない事は伝わったらしい。クロがムッと表情を顰めた。
「クロやシルヴィーが信頼しているのは感じたし、あのダンデの主なのだから滅多な人柄でない事は信じられる。……でも、上手く表現出来ないのだが、よく見えないんだ……希薄、というか……」
俺にしてみれば何故誰も彼もそんなに『ナターシャ嬢』を慕うのか解らない。
いつも朗らかで思いやりのある人物であることは間違いないと思う。学年主席の聡明さは素直に尊敬に値するし、楚々と令嬢然とした中に、時々ダンデに似た親しみやすさを感じるから。
一緒にいれば全く悪感情など抱かないし、気安く馴染む感覚に安堵すら覚える。……けれど、俺にはそれが違和感だった。
「俺は彼女をよく知りません。……確かに学園ではクロと一緒にいるからよく会うけれど、私的に交流した事は無いと言っていい。なのに、俺たちの周囲にはどうしてかナターシャ嬢が関わっている。……機密事項の案件ですら彼女の名前が聞こえる事も少なくない。ただの伯爵令嬢では無い筈だ。……何者なんですか?」
あの人好きのする微笑みは表の顔で、何食わぬ顔で暗躍出来る人間ならば俺は殿下の側近として彼女を一番警戒しなければならないだろう。
そうか。敵か味方か決めかねているからこんなにももやつくのだと、言葉を重ねるうちに気付いた。
(気持ちを伝える努力はこのようにも作用するのだな……)
日々ダンデに口酸っぱく声にしろと言われてきた意味を更新して深く身に刻みこむ。
「……なるほど。知らぬ者から見ればその様に感じるのか。新たな発見だな……」
思考を噛み砕きながら独りごちたクロがふむふむと唸ってからニヤリと笑った。
「ロンはダンデの事なら詳しいだろう? 仮に今其方が思う一連の不審の種であるアーシェが、全てダンデに置き換わったとしたら―――どう思う?」
「……ダンデに置き換わったら?……そうだな…………ダンデなら何も不思議はない、な。ダンデのやる事に間違いはないし、それは過去の事例からも明らかだ」
「だろう? ―――つまりはそういう事だな」
一人で納得したクロは満足そうに頷いているけれど全く解らない。『そのお口は飾りかな?』という友の声が木霊した。……成程、深く反省が必要かもしれない。
己を省みていた所で殿下の言葉が続いた。
「ダンデを上手く使っているのはアーシェだからな。ダンデがいる所は全てアーシェの息がかかっていると思って良い。思い返してみろ。そう考えれば全部がアーシェに繋がるぞ」
そう言われて初めて、俺は『ダンデの主』と『ナターシャ嬢』が本当の意味で結びついた。
面識が無いから唐突に感じただけで、常に「主の命で」とダンデは動いていたではないか。ならば常に差配していたのはナターシャ嬢……?
(つまり、俺達を陰日向からずっと助けてくれていたのはナターシャ嬢ということ……)
目から鱗がぼろぼろと落ちていった。
そして霞も一気に晴れた!
清々しい気持ちで答えをくれたクロを見やれば、とても誇らしそうな瞳とぶつかった。
この瞳の輝きを俺は良く知っている。『ナターシャは凄いのよ!』が口癖のお転婆公爵令嬢と同じ眼だ。
――――もや……
晴れたはずの思考がうっすらと陰る気配に内心で首を捻る。俺がそのムカツキを撫でさすればあっという間に霧散していった程度の本当に一瞬の蜃気楼で。
(貴方の婚約者はシルヴィーなんですよね?)
いつか聴いたステラの問いをなぞる様に浮かび上がった疑問を、俺は何故だか音にする事が終ぞ出来なかった。
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