傷口に粗塩
誤字報告下さる方に感謝です!
「それ、何か解りますよね? ……貴方が持ち掛けた組織との契約書です。その控えですが」
アッパーゼルは巧妙に細工した紙で契約を交わしていた。
契約書には組織への依頼として前金半額の担保、レオーネと関係者の情報収集、ステラの誘拐、身柄の引き換えと共に満額支払い及び成功報酬の受け渡しが盛り込んである。契約なので当然複写した同文に署名して甲乙で控えるわけだけれど、被依頼者側保存用の契約書には予め隠された文言が記載されていた。
『本件に関して全ての依頼を完遂出来た場合、成功報酬の授受が行われた時点で本件に携わった実行人全ての権利はラッセル商会のものとなる』
契約書の下部、署名欄と本文との間の僅かな空白、そこに記された文言は透明な液で書かれていて、乾いてしまえば見えなくなる。
しかしこれを受注側が所持していたという事は、契約内容を受諾しているということだ。
貴族が言質を取られないよう工夫するように、裏組織であっても約束に関する決め事は当然あって、契約書を交わした以上その拘束力に縛られるのは避けられない。
そうしてアッパーゼル側は契約完了後、何食わぬ顔でこの文言を同様に書き記しておけば証拠隠滅だ。
情報収集する中でこの契約書を入手してくれた隠密部隊の人がインクとは異なる微かな異臭に気付き、炙りだしで暴いてくれたものだった。
つまりは今日、この一件が全て片付いた時点で暗部の実行者たちは強制的に組織から引き抜かれ、アッパーゼルの手駒になる手筈だったのである。
「……すでにこの契約内容を貴方が依頼した組織の首領はご存知です」
ええ、それはもう大変ご立腹でしたとも。迂闊にも騙されて勝手に人材引き抜かれる所だったんですからねぇ。そしてそんな美味しそうな餌が欠片でも匂い立ってしまえば、同業者たちに貪り尽くされて一巻の終わり。笑い話で済む筈もなく、裏社会からは完全に爪弾かれてしまうでしょうね。
「さらに、国の上層部首脳陣の一部が秘密裏にもみ消しました。……この意味が解りますか?」
弾かれたように私を見上げたアッパーゼルへ、笑みを深めてみせますよ。
用意周到なキツネ狩りだよ、絶対逃がさないんだから!
「ご存じだと思いますが、この世は綺麗事だけでは成り立ちません。残念なことにね。でもね、暗部にも秩序は存在しているんですよ? 汚い仕事を生業としているからって何でも有りなわけがないでしょう?」
でなければ、組織として成り立つわけがない。無法者の集団であってもそれが集団である以上某かの秩序があるのだから。
お偉いさんだって清濁使いこなせなきゃ政治なんて出来ないわけで、暗部とも上手く付き合っている。
そんな彼等の上層部にアッパーゼルが依頼した組織は恩を売られたのだ。その損害が何を齎すのか上限を量れなくて戦々恐々だろう。
「国が関与してきたのですから決して軽くない事態です。故にラッセル卿は責任を問われた」
後継ぎを切り捨てる事で家門を護る決断を既に下されている。
親の庇護下で権力の使い方を誤って覚えてしまったアッパーゼルは、己が力を過信しすぎてしまった。その力を振るったが最後、波紋の辿り着く先まで計算できなかったのだから全ては後の祭りだ。
「ラッセル商会は今後、情報を集めるのにも一苦労でしょうね。どんなに隠しても、雀は囀りますから」
グレー案件終了のお知らせですよ。息子の不手際でラッセル商会は正攻法でのし上がり続けなければならなくなったのだから。……でもそれをなし得たなら押しも押されぬ大商会の地位を獲得できるはず。商会長の手腕が問われますな。
「商売は信用が命。そして信用を得る為には商い先に利を配れなければならない。貴方の瞳は真実を映せなかった。目利きが出来ない商売人は淘汰されるのが必定。曇った眼鏡で正しく情報を調査し精査なんて出来る筈がないでしょう? 利を配るべき相手すら正しく見られなかったのだから、貴方が需要側に求められる事は有り得ない」
そして取りこめる可能性を秘めた層も偏見から捨て駒としてしか見られなかった。
ユーリの交友関係をもっと把握して、ステラを味方につけていればもっと違う結末だったかもしれないのに。
まぁ、うちの子を粗末に扱った時点で慈悲は消えたから詮無いけどさ。
「お前は……一体何者なんだ……」
力無く、薄気味悪いものを見るような怯えた瞳で、これまでの横暴さの見る影も無くしたアッパーゼルが戦慄いた。
「影に名乗る名なんて無いですよ。ですが貴方は、闇のブラックリストに名が刻まれました。努々お忘れ無きよう」
最後に盛大な釘を刺して、私は再びユーリを抱えると窓から飛び出した。
数秒遅れてラッセル家の用心棒が離れに突入する気配が背中に届いた。




