夢幻の想い人
「首尾はどうだ?」
窺うまでも無く苛立ちを隠せない主からの問いにシゼットの肩がビクリと震えた。
(経過報告は受けているだろうに……)
自分が口を開いた所で内容が変わるわけでもないのに、この主――アッパーゼル――は自分に欝憤をぶつけたいだけなのだ。それが判っているから素直に言葉が出ないシゼットの戸惑う心情など汲んでくれるはずもなく、
「この愚図が!早く答えろっ!!」
と激しい叱責が飛んでくる有様で。
しかし荒ぶる主に歯向う気概も無く、シゼットはボソボソと報告書を読み上げた。
「……以上の通り、アッパーゼル様が王都に開かれた新店舗ですが、現在新商会『レオーネ』の勢いに圧されていて業績が芳しくありません」
「そんな事は聞いていないっっ!!!」
怒りに任せて「ダンッ!」とアッパーゼルが執務机を叩いた。シゼットは身を竦めながら「総てが気に入らない、八つ当たりじゃないか!」と心中で毒づき何とかやり過ごす。口でも暴力でも勝てない自分のせめてもの反抗だった。
「お前は本当に無能だな!ちっとも主人を慮らない」
癇癪治まらない主はまだ当たり散らしてくる。
ここで意見しようものなら余計に辛く当たられると経験上知っていたので只管小さくなって閉口した。
「てっきり女神の雫の独占販売を看板に売り出してくると思っていたから製造法が手に入ると踏んでいたのに!」
歯噛みしながら主が吐き捨てる。
レオーネが本格的に動き出す前、シゼットは主に命じられて噂の真偽を調査すべくとある組織へと使いに出された。そこは表向き商人御用達の仲介業者としているが、その実、諜報を生業にしている裏組織として有名な所で。
先日漸く調査報告書として纏まった書類が届けられたのだが、結構な大金で依頼したにも関わらず、その内容は店舗で働く者たちの素性と行動日程だけ。何度見直そうとアッパーゼルの望む記述はどこにも見当たらなかった。
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【新商会・レオーネにおける調査報告書】
依頼人の要請に従い『女神の雫』を中心とした調査、及びそれに関わる者たちの身辺調査の結果を報告する。詳細は以下の通り。
・商会『レオーネ』の店舗では市井向けの商品しか扱われておらず、『女神の雫』に該当する商品は存在しなかった
・商品成分、製法ともに広く民衆に知られているレベルのもので秘匿技術なし
・陳列商品の製造元はリンデンベル孤児院
・販売員の一部は同孤児院より通い、同時に在庫の荷運びをしている(行動日程は別紙参照)
・『商会長レイモンド・ベイン』『副商会長ステラ嬢』『ユーリ・サリュフェル子爵子息』が交代で常駐している
・店舗へ貴族が来店した際は個室対応しており、一般的な店舗の対応と差異は無い。特記事項無し
・監視中の営業の流れは別紙に記載
・関係者関連の身辺調査は別紙に記載
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そう書かれた頭紙をアッパーゼルがぐしゃりと握りつぶす。
「見る価値もない庶民向けの商材だけなのに、貴族がこぞって通う筈がない!! 無能な諜報組織めっ!! 金の払い損じゃないか」
「庶民が買える値段で質が良いとの評判ですよね……」
素直な感想を零したシゼットは失言を悟る。憤怒の形相の主が立っていた。
「それならこちらだって負けていないし、そも貴族が下級民と同じものなど買う筈がなかろう!バカめっっ!!!!!」
アッパーゼルは書類束をシゼットにぶちまけた。
いつもそうだ。両腕で頭を庇いながらシゼットは歯を食いしばる。
「……何だその眼は。生意気にもこのオレに意見しようというのか? 半人前以下の分際で!」
睥睨されてシゼットは俯いた。
(レオーネで働く人たちはアッパーゼル様のように下位の者を見下したりしない。弱者は上位者の機微に敏感でないと生きていけないから肌身で判るんだ。誰にでも親切に対応してくれるって庶民間の口コミで広がってるし、孤児院の者たちを積極的に雇用している所も好感を持たれている……)
いくら品質で勝っていたって、外観に力を注いだって勝てるわけがない。目に見えない部分で負けているのだ。富裕層以上をターゲットにした傲慢な殿様商売しか知らない我が主は、土地に寄り添う事をしないのだから。
「レイモンド・ベイン……下賤に媚び諂う卑しい奴め……」
大人しい従者にはすぐ興味を無くし、主は忙しなくうろつきながら親指の爪を噛んでいる。アッパーゼルが苛立っている時の――幼い時から治らない――癖だ。
シゼットは知っている。アッパーゼルのコレはただの嫉妬に過ぎない事を。
初恋のユーリ嬢がレオーネと関わっている事を知ってからより一層主の態度が酷くなったから。
(レオーネの店頭で笑うユーリ様を見つけて暫く固まってたもんなぁ……)
ユーリ・サリュフェルがサリュフェル子爵の三男である事はある意味有名である。アッパーゼルもその洗礼を受けた一人であるのだが、先日女装で接客をする彼を見つけて以来、頭のネジがどっかに飛んで行ってしまったようなのだ。「あんなに麗しく優美なご令嬢が男であるわけがない!」と赤い顔で繰り返し呟いていた。
「早く、このオレ自ら助けだして差し上げねば……嗚呼……麗しのユーリ嬢……」
あの日以来始終この調子で大層気持ち悪いし、癇癪の頻度も上がり辟易している。
「……許せない……ふふ、ふふふふ……」
光の消えた眼で怪しく嗤う幼馴染をシゼットは静かに見つめていた。
まさかの展開に驚きを隠せない……




