報告書
私の名はラドクリフ。クロムアーデル王国の第一王子にして王太子の位にある者だ。
本日も執務室で書類仕事に精を出しながら、私はとある側近の動向を気にしていた。先刻何やら走り書きの束を受け取っていたナハディウムだ。届けにきたのはダンデハイム家縁の文官だった。という事は、あれは待ち望んだものに違いない。
束ねられた報告書に視線を落としているナハディウムの様子をチラチラと窺う。執務机に積み上げられた書類の塔が視界に入り私は盛大な溜息を落とした。身じろいだ拍子に手元の紙がカサリと音を立てたのが、早く署名を寄越せと催促されているように聞こえて更に気が滅入る。いっそ全部放り出して逃げだしたい。終わらない仕事にうんざりしていると、紙面を読み終えたらしいナハトが自身の執務机の上に持っていた報告書をやや乱雑に投げ置いた。
「どんな様子だ?」
私が期待を込めて上体を浮かせると、「きちんと座って下さい」と睨まれたので大人しく言う通りに座り直す。相変わらず主に一切容赦しない側近である。私が王太子らしい姿勢になるまでうすら寒い作り笑顔が続くのは目に見えているので、サッと姿勢を正すと真面目な表情を貼り付けた。
「ナハディウム、先の件の報告をせよ」
ゆったりと勿体ぶって命令する。内心は早く情報を得たくてまどろっこしいやり取りに不満の野次が止まらないのだが、それを表面に出そうものなら即座にナハトから教育的指導が飛んでくるので我慢だ。そんな私の努力の甲斐あって、私の様子をじっと見ていたナハトが人払いの指示を出し始めた。漸く進捗が聴けそうだと私はにんまりと笑った。
―――静まった執務室内にいるのは私と対面に立つ仏頂面のナハトだけ。
執務机に頬杖をついた私は視線だけで合図した。長年連れ添っているナハトはそれだけで私の意図をくみ取ってくれる。……不本意そうに顔を顰めているが無視だ。つつけばこれ幸いと良い笑顔でうやむやにされるに違いない。これまで幾度も煙に巻かれてきたのだ。これ以上の好機を逃す気は私にはない。
「……また何か画策しだしたみたいですよ」
ここにはいない誰かを映しているナハトの瞳は遠くを向いている。面白がる中に沢山の心配が揺れているのが見てとれて、物珍しさに繁々とナハトの顔を見つめた。こんなにもナハトの感情を乱す誰かなど、まぁ、一人しかいないわけだが。
「城に召喚出来ないのか?」
「本人が表立ってないのにどうやって呼び出すんです?」
私の提案は即座に切り捨てられた。ついでに心底馬鹿にしたような冷笑付きで。
「……お前はいつでも会えるかも知れないが、私は何か理由がなければ彼女と会う事もままならぬ。不公平だ!」
「先日デビュタントで挨拶していたじゃないか」
「あんな社交の一環など数に入らないっ!!」
「妹はもう年頃だからね。俺や父が管理して虫よけするのは当然だろう?」
幼馴染の顔で主張してみれば、同じく砕けた返答が飛んでくる。ハッとナハトが鼻で嘲笑った。ぬぬぬぬ~っと睨みつけた所で動じる可愛げなど持ち合わせない近侍はどこ吹く風だ。
「それで結局話を聞くのか? 聞かないならそのたまった書類をサッサと片づけろ」
「聴きます!!」
これではどちらが主か分かったものではないが、寛大な私は従者の不敬を咎めることはせずに報告に耳を澄ました。
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「――というわけな、んだよ」
所々不自然に途切れながらユーリが事情を説明してくれた。何でも最近知り合ったユーリとステラはあっという間に意気投合したらしい。色々とお喋りしていたところ、ステラが城下町で手に入れた美容品をとても気に入っているという話が出て、孤児院の話になり、一度見てみたいという流れになったらしい。すっかり地域のカルチャーセンターとして定着した木漏れ日の丘にも興味を示したらしく、それならば知り合いがいる日が良いだろうとシルビアが訪れる日を狙って都合を合わせたのが今日なのだと締めくくられた。
(ユーリ、喋り辛いならいつも通りの言葉遣いで大丈夫だよ?)
私がこそっとユーリに耳打ちすれば、困った顔のユーリがステラとハルマの方を見ながら首を横に振った。私たちの前だと気が緩んで女言葉が出そうになるけど、普段は問題なく貴公子然と話せるらしい。「私も今知ったわ」と周りに聞こえない様に呟いて苦虫を噛みしめたように力無く笑った。
「あ、あのっ!! 私の事、覚えていますか? あの、この前も、お城でお見かけしたんですけど……」
私とユーリの会話が終わった所を見計らって、ステラが身を乗り出した。呼吸が荒く、目が爛々としている。じりじりと私ににじり寄ってくるステラを見て、シルビアの表情に険が差した。
「何年も前に一度見ただけの私を覚えていて下さって光栄ですステラ様。ダンデと申します。ステラ様はとてもお綺麗になられましたね」
私は不機嫌になりだしたシルビアを背後に隠して一歩進み出た。兄様必殺キラキラスマイルで軽く会釈するとピタとステラの動きが止まった。ステラに見えない様にシルビアが私の背中を叩いてくる。何でだ!
「ハルマ様も改めてご挨拶させて下さい。こんな所でお会いするとは思いませんでしたがお元気そうでなによりです」
シルビアの密かな攻撃を受けながら私は矛先をハルマにも広げる。てかシルビア地味に痛い!なんで叩くのさ!?
「……お前はダンデハイムの従者だったんちゃうん? 何でベルネベスのご令嬢と一緒におるんや」
「そうですね……。主の指示としか言えません」
ニコリと笑って誤魔化す。大丈夫、嘘は言ってないもん。
「ダンデ、二人と知り合いだったの!?」
私達のやり取りを見ていたユーリが「びっくりした!」と目を丸くしたけれど、その仕草は芝居がかっていてわざとらしい。絶対に調べた後だと思う。何が目的か分からないからギロリと牽制した。
「数年前にちょっとね。さ、立ち話もなんだし館の中に入りましょう。……ハルマ様はお忍びということで良いのでしょう? ユーリから説明があったかも知れませんが、ここは庶民の施設という事をくれぐれもご承知おき下さいね」
貴族の横暴を振りかざすようなら許さないよと暗に含んで笑めば「ステラで慣れとる」とぶっきらぼうに返事したハルマが静止したままのステラを引っ張って歩く。仲良し兄妹のような馴染んだ二人の様子が微笑ましくて、今度は素で笑みが溢れた。
「それで、あんたは誰なのよ」
館内の自習スペースまでやってきた所でシルビアがハルマに問いかけた。疎外感から苛立った表情はかなりキツい印象になっている。……疳癪で突っ走らずここまで我慢したのを褒めるべきか、感情を抑えるように窘めるべきか悩むところだ。
しかしハルマは初見で怯む者の多い高飛車状態のシルビアをものともせず、余裕の笑顔で礼を取った。
「ご挨拶が遅くなり失礼いたしました。お初にお目にかかります、私の事はどうぞハルマとお呼び下さい。正式なご挨拶は、学園で改めてさせて頂けますでしょうか?」
「あのね、シルヴィー。ハルマは一応私のご主人さまなの。私の後見人の紹介で、ハルマの家にずっと御厄介になってるのよ」
空気を読んで家名を伏せたハルマにステラが補足する。「ふぅん」と興味無さ気に相槌を打ったシルビアが二人を眺めながら「私の事もシルヴィーと呼んでいいわ」とハルマに許可した。
「ハルマ、さっき私の家名を口にしていたけど、ここで身分差は出さないで。私、ここでの生活が気に入ってるの。ここでの振る舞いは不問にするから合わせなさい」
「解ったで、シルヴィー」
ハルマがニッと片方の口端を上げて、シルビアは満足そうに目を細めた。一先ずハルマはシルビアのお眼鏡に適ったらしい。私はホッと胸を撫で下ろした。
「おやおや今日はまた大所帯じゃのう」
丁度一段落した瞬間、穏やかな笑みを浮かべたマル爺がやってきた。マル爺の後ろにはロンとレイもいる。二人がステラを見つけて「あっ」と声を上げた所に、別の方を向いたステラの「あっ!?」という声が重なった。
シルビアは常にナターシャの一番の理解者でいたいのです。
自分の知らない所で置いてけぼりにされて少々ご立腹。
挽回の機会を窺っています。




